ケダモノと恋するクオリア

藤原いつか

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間違いだらけの満月の夜

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 月の魔力には、だれも、なにも、敵わない。

 特に多くの生き物は、その引力に決して逆らえないようにできている。
 ケモノもヒトもしょせんみんな動物なのだ。
 その力には決して抗えず、なのに惹かれずにはいられなくて。

 そして一番おそれられていた。

 特にケモノとヒトの混じった獣人ばかりのこの国で、“赤い満月”は数年に一度、厄災にも等しい。
 身体と精神への影響が圧倒的に理性を過ぎて、生き物の本能がひきずり出されてしまうらしいのだ。
 無理やり本性が暴かれてしまう。普段は隠しているものが晒される。

 だから獣人たちは、数日前から抑制の為のクスリを飲んで皆家にひきこもる。
 息を潜めてただじっと、嵐が過ぎ去るのを待つ夜みたいに。誰ひとり外を出歩かない。

 だから、誰にも、邪魔されない。

 ずっとこの日を待ち望んでいた。
 この日しかないって決めていた。
 どうしても欲しいものがあった。

 
 ――ゆらゆら揺れる、理性と本能の葛藤のともしび
 涙に暮れる紅の瞳、銀色の睫。
 ぜんぶ全部はじめての夜。

「すいません、ルーナ、あぁ、……こんな」

 背後から体を押し付けるように抑えこまれて、そっと肌を滑るその手が、ぐいとわたしの腰を持ち上げる。
 謝罪の言葉とはまるで正反対の性急な手つき。荒い呼吸が耳につく。

 開かれた脚の間に先生の、何かを確かめるような強い視線を感じて僅かに身じろいだ。
 だけど閉じることを許されず、すべて晒すみたいに広げられる。見られていることにお腹の奥が疼いた。
 と同時に内側から何かがこぽりと零れた。さっき吐き出されたものが、とろりと内腿をつたう。
 それを認めて先生が、わざと塗りたくるみたいに指先ですくったその白濁を、零れた場所に再び押し込んだ。
 
「……っ、ぁ、んんっ」
「全部欲しいって、言っていたでしょう、ルーナ」

 悪気など微塵もない声音がすぐ耳元で聞こえて、そのままナカをかきまわされる音が、やけに遠く響いて。
 おしりのあたりに押し付けられる熱のかたまりに、散らされていた意識が戻ってくる。

 突きだすみたいに腰を持ち上げられて、その先端がくいこんだ。
 気付いて思わず息を呑む。待って、まだ――
 言葉になる前に、喉元を這い上がっていた先生の指先が口内に押し込まれた。舌が捕まって言葉は潰える。

 熱い吐息が首筋に噛み付いて、思わず強張る体をこじ開けるみたいに、先生に後ろから貫かれた。

 ぎゅっとシーツを掴みながら、痛みは端から快楽に塗り潰されて、もう遥か彼方。
 声にもならない悲鳴が喘ぐだけになって、時折加減を間違えた先生がつける傷痕も、すぐさま先生が魔法で綺麗にしてくれる。
 だけどその噛み痕だけは消えることはなかった。


 欲に溺れて我慢なんてもうできなくて、ケダモノみたいなのはきっとわたしの方だった。
 この気持ちをどうしても、知ってほしかった。
 わたしと先生の世界が終わってしまう前に。

 赤い月だけが見ていた。



◆◇―――――――――――――――――
     ケダモノと恋するクオリア
    ――――――――――――――――――◇◆



 わたしがこの世界に“神子”としてび出されたのは15歳の時だった。
 もう3年も前の出来事だ。今でもしみじみあの日を思い返す事がある。
 ちなみに真名は一応伏せた方が良いという事で、この世界では“ルーナ”という呼び名を与えられた。
 
 当時受験生だったわたしは受験勉強に嫌気がさしていて、自分が異世界から召喚されたと神子だと聞かされた時は内心手離しで喜んだ。
 事態を受け容れるのもはやかったと思うし、拒否なんてしなかったし、むしろ乗り気だったと思う。

 しかしこの説明を受けいれている時点でわたしとその相手(今の神官長)との間には結構な温度差があった。
 召喚された神殿の聖なる泉とやらの真ん中でびしょ濡れのまま、水もしたたる話し合い。
 そこに居たのは召喚した張本人である先生ロードと国の関係者数人。今となってはもうよく覚えていない。

 そして後から気付く。あの時やる気だったのはわたしだけだったのだと。
 その理由は、び出された理由が“間違い”であったから。

 “たまたま”条件が揃ってしまっていて、儀式も術も『予習復習』ていどのノリと気安さで、わたしはこの世界の“神子みこ”として召喚されたらしいのだ。
 世界の危機でも戦争中でもない、いたって平穏なこの国に。

 本来なら世界を救う為に異世界から召喚されれば誰からも手離しで喜ばれるはずの“神子わたし”は、わかりやすく歓迎されていなかった。
 だいたいこのあたりで思い返すのをやめる。虚しくなってくるだけだから。(でも一応続けることにする。大事なことなので)

 お呼びではない神子さまで、世界は平和だし敵もいないので戦う必要性もまるでない。
 しかもわたしには“魔力”といった類の力をほとんど感じないのだそうなのだ。
 “神子みこ”の信憑性すら危ぶまれたが、そこは一応間違ってはいないらしい。鑑定を受けた後のあの気まずさは今でも忘れられない。

 世界の危機を救うと伝承される神子召喚儀式の成功は、本来なら偉業であると推測される。
 しかしそれは時と場合により、残念ながら今回は紛れもなく、不必要なタイミングでの召喚であった。

 そうするとますます隅に追い込まれるわたしの存在理由。

 それでも一応“神子”であるわたしの、扱いは大変複雑かつ微妙だったのだろう。
 今が平和でもこの先なにがどうなるかは分からないていどには、小さな不安の芽はあったらしい。近い将来に魔王が目覚めるという予言らしきものも秘密裏にあったらしく、“神子”という存在そのものを拒否されることは幸い無かった。

 その時ピンチに再び好条件が揃うとは限らない。せっかく神子が召喚できたのなら、『キープで』。
 そんな雰囲気を嫌でも感じた。直接言われたわけではないけれど日本人は空気を読むのが得意なのだ。

 なによりもとの世界に帰すにも条件が揃わないといけないらしい。
 同じ条件が揃うには、三年の時間を要するという。

 三年、無職。いたたまれない。魔力もないわたしはまさに役立たず。

 そんなわけでわたしの保護権限及び所在は、召喚の儀式を執り行った神殿預かりとなった。
 帰還の条件が揃うまで、わたしを(手違いで)召喚した神官が身元引受人として、共に神殿の離れで暮らすことになったのだ。

 たったひとりで、神子わたしび出した神官、それが“先生”だ。
 通称ロード。みんなそう呼んでいる。
 わたしの『先生せんせい』。
 わたしにこの世界のことをいろいろ教えてくれたひと。

 黒くて長い髪を綺麗に束ねて、頭部にはぺたんと伏せられたケモノの耳。
 真っ白なローブに隠されている大きなしっぽは髪の毛と同じ色で、普段の生活では滅多に見られない。いつもだいたい隠されている。
 わたしがそれを見れたのは先生がシャワーの時に覗き見をしたからだ。勿論ハプニングを装ってだけど。

 青銅色のフレームの眼鏡のレンズは厚く、その奥で微かに煌めく瞳は琥珀色。
 夜になると少し違う色になる。おやすみの前にいつもそれを見るのがわたしの楽しみだった。

 見た目の特徴はそれくらい。あとは見たことないけれど、ヒトよりも大きな“牙”もあるらしい。

 深い夜色の毛色の狼の獣人。
 そんな獣人のなかでも先生は、少し他の獣人とは“変わって”いて、“ケダモノ”と呼ばれているらしい。


 ――ここは彼ら獣人の国。
 “ケモノ”と“ヒト”の血を併せ持つ種族が暮らす場所。
 この世界に“愛”はあっても“恋”はない。

 彼らは基本的に恋をせず、“つがい”という遺伝子反応で“相手”を見つけてパートナーになる。そして家庭を築き生涯を共にする。
 惹かれ合う存在が誰にでも居て、年頃になると獣人たちはその相手を見つける旅に出る。そして必ず出逢えるというのだ。

 だけど先生は違う。ケモノの血が濃過ぎて本能の抑制能力に欠ける、欠陥個体。
 時折現れるその個体はほとんどが施設送りとなり生涯をそこで過ごす。ケモノの本能の強すぎる獣人は、集団生活に馴染めない。

 しかし先生は、生まれながらに並みはずれた魔力と才能を併せ持ち、国にとっても貴重かつ有益な存在として認められ、特別に神官の資格と位を得て神殿に所属している。
 そしてその力と信仰と純潔を国の崇拝神たる女神に捧げる潔癖の神官だ。
 先生は外の世界をほとんど知らない。

 そんな先生は自分の失態にひどく心を痛め何度もわたしに謝罪を繰り返し、誠心誠意この世界でのわたしの一切を引き受けてくれた。
 
「ルーナ、必ず僕があなたを護ります。そして必ず、もとの世界へ――女神さまの御許へ」

 この世界は女神信仰が絶対で、神子は女神さまに遣わされると信じられているらしい。
 彼の純潔は女神さまのもの。わたしに不可視の女神を重ねているのかもしれない。

 あの瞳に宿るのは本当にわたしなのかって時々無性にむなしくなる。
 それでもわたしがこの世界で無碍にされないのは女神さまのおかげなのだろう。わたしは女神さまなんて信じていないので癪だけど。

 わたしは先生に、一目惚れだった。

 純粋なヒトより五感に優れる獣人は、隠したいものまで感じ取ってしまう。
 感情の波や機微に敏感で体調不良まで分かってしまうほどだ。
 一緒に生活していく内に慣れたけれど、はじめはちょっと大変だった。

 それでも。
 わたしの“好き”は先生に伝わらない。
 この世界にはないものだから。


 ◇


「――――満月が、きますね。赤い、月が」


 遠い夜空を見上げて星をよんでいた先生が、ぽつりと小さく落とした儚い呟きだった。
 それは誰に聞かせるでもなく、自分への確認もしくは警告だったのかもしれない。
 わたしがこの世界にきた日も満月の夜だった。すべての始まりで、そして終わる日もきっと。
 責任と使命を終えた先生は、容易くわたしを手放すだろう。
 

 赤い満月の噂は聞いていた。
 やるならこの日しかないって思ってた。


 ◇


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