夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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第一章

呪われた国の王子たち

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 さらさらと、どこか遠くで水の流れる音がした。
 岩肌に囲まれた、薄く光る空間。洞窟だろうか。やけに湿った空気が絡みつく。
 出口も光源も見当たらない。だけど周りの岩肌がうっすらと光を放っている。どこか幻想的で、どこか異質。
 その明らかに現実離れした空間に、瞬きを繰り返すしかできない。

 洞窟の真ん中にある泉の、さらに中央に居たわたしの目の前に現れたのは暗い影を落とした少年だった。
 蜂蜜色の長めの前髪から覗く分厚いレンズ越しに、その碧い瞳が自分を見下ろしている。
 こちらもやはり、現実離れした容姿。いっそ恐ろしいくらいの、美しい無表情。
 その瞳は氷のように鋭く、思わずぞくりと震える。

 呆けるわたしの目の前で彼はそっと腰を落とし、濡れるのも構わず片膝をついた。
 泉といってもさほど深さはない。底にお尻をついたわたしの、腰元まで届かないくらいだろう。
 ちゃぷんと、水の撥ねる音がまぁるく波紋を描いて広がった。淡く光を反響させながら。

「ぼくは、ヘルメス・ノヴァと申します。これから貴女の身の周りのお世話と、“夜伽”に関する全般のサポートをさせて頂きます。ノヴァと、お呼びください」
「…はぁ…」
「ここに居ては身体に障ります。まずは場所を変えましょう。詳しい説明が必要かと思いますし」
「そ、そうですね。必要です。とっても」

 状況を理解しきれず間抜けな顔で間抜けな返事をするわたしに、ノヴァと名乗った少年が静かに右手を差し出した。
 ひかれるようにその手をとり、見計らうように彼がわたしの体重を引き上げる。強引に、だけどどこか優しく。
 ふわりと、自分の身体の軽さにまず驚いて。
 ごく自然に腰に添えられた手よりも、自分が自分の足で地面に立っていることに息を呑んだ。

 それから、理解した。
 死んではいないようだけれど、今までの自分とは違うのだと。
 
 僅かに残る身体の痛み。誤魔化しきれないひ弱な筋肉の軋み。動く度にひきつれるいくつもの傷痕は、紛れもなく自分のもの。思わず苦笑いが漏れる。
 いっそ死んだほうが、マシだった。新しい自分に、なれた方が――
 だけどわたしはまだ、生きている。

 生まれ変わることはできなくとも、わたしはもう、今までのわたしではないのだ。
 少なくともこうして自分の足で、立てるのだから。
 これからは自分の生き方を選び取れる。自分の意思で

 思わずとっていた手に力が篭り、先を歩いていたノヴァが歩みを止めて振り返る。
 僅かに覗くその瞳に、わたしを案じる心とそして罪悪感を滲ませて。

 分かり易い。この人は自分の味方ではなさそうだ。
 だけど敵でもないのだろう。心配してくれるだけの、心があるなら。

 出入口はないと思っていたけれど、どうやら隠されていたらしい。
 ノヴァの翳した手の下で岩肌が光を放ち、そこにぽっかりと現れた穴から続くその先。
 濡れた身体と服が肌寒い。だけど進む内に空気が温まってきているのを感じた。
 やがて現れるひとつの扉。とても簡素な木の扉だ。その扉を開けて、一歩足を踏み入れたそこは――

「ここは、フィラネテス王城から連なる離れの部屋です。貴女がもといた世界とは異なります。あなたはここ…フィラネテス王国の王子たちの呪いを解く為に、ぼくが異世界より召喚しました」
「…なるほど」

 なかなかの王道テンプレ設定ですね。とは流石に口には出さないでおく。
 もしや流行の乙女系ゲーム内への転生か?
 いやそもそも転生ではないようだし。

 顔だけは至って真面目にノヴァの説明に頷いておく。
 まずは状況理解が必要なのはお互いさまだろう。あと攻略対象が何人かとか。

 既に火のはいっていた暖炉の傍のソファに促され、そこに腰かけながら先を促すわたしの様子にノヴァは僅かに面食らいながらも、説明を続ける。その手にいつの間にか持っていたふかふかのタオルをわたしに手渡しながら。

「この国は永きにわたって、魔のモノに苦しめられてきました。人々は瘴気と魔物に怯えながら暮らし、犠牲者も増えるばかりです。そしてもうひとつ、国王陛下にとって今最大の懸念事項――この国の王子たちにかけられた呪い。それが今、効力を増しています」
「それは…大変ですね」

 いまいちまだ他人事で、適当な相槌しか打てないわたしをノヴァはまっすぐ見つめる。
 思わずその瞳に釘付けになる。
 長い前髪と眼鏡のレンズ越し、なのにはっきりと見える綺麗な碧の瞳の色。

「その呪いを解くことのできる聖女さまを、ぼくらはずっと探していました。永い歴史の中に過去一度だけ現れ、この国を救ったその存在――古い文献を何度も繋ぎ合わせ、召喚の儀を幾度も施し…そして漸くあそこに現れたのが、貴女なのです」

 なるほど、とはもう流石に。言えずただ言葉を反芻する。
 召喚されたという、自分の役割。
 それが王子の呪いを解く為だということは理解した。
 はいわかりましたと引き受けるかは別だけれど。
 だけど冷たいノヴァのその瞳の、奥に篭る熱は徐々に憂いを帯びて、そしてまっすぐあたしに向けられたまま。
 簡単には投げ出せないし、彼に断らせる気はないのだろう。

「えっと…つまりわたしは、何をすれば…」

 ようやく絞り出した言葉に、ノヴァはどこか気まずそうに視線を外す。先ほどまであんなに熱く見つめられていたのに。
 それからわずかな間を置いて、再びノヴァは顔を上げてわたしの目を見て答えた。

「“夜伽”です。王子たちの呪いを解けるのは、夜伽だけ。貴女にはその身体をもって、王子たちの呪いを解いて頂きます」

 そう口にしたノヴァの瞳は、もう揺らぎも迷いのないもので。
 そして身にまとっていたローブの紐を自ら解き、明かりの下にその肌を晒す。

 その肌に蠢く、黒い痣。
 息を呑む。
 生きた呪いだ。何故かふとそう思った。
 だけど不思議と確信がある。
 視界の片隅、やけに大きなベッドが目についた。
 それからノヴァが、素肌を晒しながらわたしとの距離を詰めてくる。
 ゆっくりと、その足取りにはまだ僅かに残る迷いを感じた。

「この国の王子は四人。公にされた王位継承権をもつ王子は四人ですが、もうひとり…公にはされていない、呪われた血をもつ王子がいます」
「…どうして…」

 思わず口をついて出た言葉に、ノヴァは哀しそうな瞳で応えるだけで、答えをくれはしなかった。
 それからわたしに手を伸ばす。震える手を。


「さいしょは、ぼくです。…ごめんなさい。聖女さま」

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