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第三章
きみを、ひとくち
しおりを挟む握られた手が熱い。
その手に熱が、痣が集まってくるのが肌越しに分かった。
目の前でみるみるゼノスの息が上がっていく。
ようやく露わになった顔は、今は苦痛に歪んでいた。だけどその顔立ちは端正で綺麗だ。どことなく、ノヴァに似ている気がした。
ずっと隠れていた瞳は琥珀色。長い髪は暗い灰色に見えるけれど、今はソファの隙間で明かりが殆ど届かず、本当はもっと違う色な気がした。
「ゼノス、手を離して。その…体が反応してるのは、わたしのせいなの」
「…どういう、ことですか…」
「イリオスから聞いてない? わたしが触わると呪いの痣が反応して、そこが欲情の種となる。たとえ痣以外の部分に触れたとしても、痣の方から寄ってくるの。それでそういう、気分になっちゃうんだよ。むりやり」
「…欲、情…」
わたしの説明にゼノスは僅かに目を丸くする。吐き出す吐息すらも熱い。
イリオスは知っていたのに、どうしてゼノスは知らないのか。もしかして他のふたりの王子も?
もしくはゼノスはわたしに触れることはないと思っていたのか。なんかそっちの方がありそうだ。
「体、ただでさえ痛みもあるのに…つらいでしょ、いったん退くから、手を離して。いなくなったりしないから」
ゼノスは少しの間を置いて、それからようやく掴んでいたわたしの手を離した。
思わずほっと息を吐く。相変わらずゼノスは苦しそうに肩で息をしているけれど。
「…ようやく、納得いきました。“夜伽聖女”とは、そういう意味なんですね…」
「ゼノスが読んだっていう古い記録には、そういうの載ってないの?」
「…はい。聖女召喚に関する儀式の経緯とその前後…それからその能力。残っているのはそれくらいで…聖女さま個人に関する詳細は、殆ど何も」
ゼノスがゆっくりと上半身を起こす。わたしはまだ彼の腹の上に馬乗りのまま。
触れているとはいえぶ厚いローブの布越しのおかげが、発作的な欲情はひとまずおさまったようだ。
ゼノスの上から退こうとした、その瞬間。ゼノスの両手が自分の腰を掴んだ。反動でまた、今度はその胸に倒れ込む。
「…っ、ゼノス?」
「ただひとつ…呪いに関する引き継いだ研究で、分かったことが、あります。先のただひとりの聖女さまが、唯一残したもの。それが呪いの苦痛を和らげる、効果があると。この部屋には、それを使った魔術効果で、結界を施してあるんです」
「…! そんなものがあるの…!」
「はい、ただ…際限があるものなので、多用はできず…今はおれひとりが、使っています」
「そう…そっか。そうだよね」
苦痛を和らげることができるのなら一瞬便利な逃げ道だと思ったけれど、そう上手くはいかないのか。それにゼノスひとりが使うというのも納得だ。ゼノスが一番その身に呪いを受け苦痛に苛まれているのだから。
そして掴まれた腰のこの手は、一体。どうすれば。
ゼノスの胸元に手をついて僅かに距離を取ろうとするも、それ以上離れることを阻むように、ゼノスのその手にぐっと力が篭る。
ゼノスの方が年下だけれど、これまでの生活のせいか身長も体躯もわたしの方が劣る。力でも体格でも勝てるわけない。
ゼノスの瞳がそっとわたしを見下ろして、最初の距離感が嘘のように近くで見つめ合っている。
その瞳はどこか切なそう。その結界のおかげで苦痛が和らいでいるとはいえ、今現在も体を襲う苦痛はあるはずだ。慣れてしまったのか配慮なのか、彼がそれを見せないだけでもうずっと。
「研究を重ねていく上で…ひとつだけ、とある可能性に気付きました。ただのおれの、憶測に過ぎず…これまではそれを試すことも、できませんでした。でも」
「……うん…?」
熱い眼差しで見つめられて、ようやく気付く。ゼノスがわたしに何か求めていることを。
それはおそらく、“夜伽聖女”であるわたしへの頼み。ただし言い出し難いようだ。この手がそれの顕れなのだろう。
「わたしに何か、できることがあるの?」
「…あなたにしか、できないことです」
切なげに歪められた顔はやはり精鍛さを残していて、今はかえって色気さえ感じる。そして気付く。またゼノスの息が僅かに上がっていることを。
「あなたが触れると、欲情を煽られる。この体は、呪いは確実に、あなたに反応を示すというのはもう、疑いようのない事実です」
「…そう、だね」
ノヴァと、それからイリオスも。わたしが触れた相手はこのふたりだけだけれど、ゼノスもほぼ同じ反応を示していると言って間違いないと思う。
「あなたの体が呪いに有効であるということは、おれもヘルメスの体を見て認めています。その体は呪いを浄化し、そしてそれなら…苦痛を和らげる効果も、その身に期待できるのでは、と」
「……ええっと」
いくつかつっこみたいところはある。正確には呪いを浄化する効果はこの体にはない。この体が呪いの受け皿になるだけだ。それは言わないけれど。
ただ、聖女に関する記録にも残っていないのは、どうしてだろう。それが少し気にかかる。だけどそれより今は目先のこと。
「どういう意味? わたしそんなに頭良くないから、ちゃんと言ってくれないと分らないよ」
「……っ」
いまいちゼノスの言わんとしていることが、ゼノスの望みが見えてこない。
いっそこのまま襲って夜伽して、僅かでも苦痛をわたしが引き受けてしまった方が話ははやいのではないか。
「セ、セレナの…体の一部が、欲しいんです。おそらくそれを体に取り入れれば、呪いのもたらす苦痛は、和らぐかと……!」
意を決したように叫んだゼノスの言葉に、わたしはやはり上手く理解できずにかたまる。その言葉を頭で反芻してみるけれど。
体の? 一部? を取り入れる?
それってつまりカニバ…
いやそんなまさか。ジャンルが変わっちゃう。
ひとりで考えても意味が分らないので、おそるおそる聞いてみる。既に腰は逃げ腰だ。無意識にゼノスの上で身じろぎして、それにゼノスがぴくりと反応する。
「わたしを、食べたいってこと?」
「……僅かに語弊がありますが…つまりは、そういうことです…」
やっぱりカニバ!(自主規制)
思わず顔を蒼くして逃げようとするも、それを見越して逃がさないようにしっかり掴んでいるのだと、その時ようやく気付いた。わたしの様子にゼノスは慌てて補足する。
「肉体を、という意味ではありません…! その、やっぱり言い辛いのですが、つまり…肉体以外のものでも、効力は見込めると思うんです…、例えば、その、体液とか…あなたから零れ落ちるものだけで、それで充分…効果はあるかと…」
顔を赤くして必死に説明をするゼノスの言葉に、ようやくゼノスの濁した言葉を理解する。
体液――つまりは汗とか、涙とか、涎とか。あとはせいぜい血とか?
究極の選択を除くのならばそのあたり。
「い、痛いのは、できれば嫌」
「そうですね、それは…おれも嫌です。あなたを傷つけたいわけでも、泣かせたいわけでもないんです…これだけは、本当に…」
分っている。ゼノスはそういう人ではない。まだ僅かな時間しか共に過ごしていないけれど、それはちゃんと伝わっている。彼は最終的には自分より相手を選んでしまうひとなのだ。だからこそそれを乞うのにこれほど遠回しに時間を食ったのだろう。
その善意と気持ちには少しだけ救われる。それからやはり、彼の助けになりたいとも。
「…効力の確認を、したい気持ちはあります、でも…セレナの気持ちを、蔑ろにしたいわけじゃないんです。無理強いは…」
「現状だと、涎になっちゃうかな…口移し、とかでも良いなら」
「……でも、セレナが、嫌なら…」
「良いよって、言ってるのに」
「……」
ゼノスはわたしの返事に顔色を蒼から赤へと器用に変え、そして深く長く息をつく。
それから力が抜けたように、ゆるゆると頭をわたしの肩に預けた。その脱力に彼の心労が伝わってくる。
「…どうして、断らないのですか…無茶で気持ちの悪い頼みを、会ったばかりのあなたに、しているのに」
少しだけ潤んだその声音。それは後悔からか安堵からか、わたしには分からない。だけど彼の思いがそれほどに思いつめたものだったことくらいは分かる。
それを言うならゼノスだって同じだ。会ったばかりのわたしに触れ合うことを許すには、きっと彼なりの覚悟と勇気が要ったことだと思う。
特に彼は自分の身を快く思っていない。これまで誰かに触れることを極端に避けていたのが良くわかる。全身を覆うぶ厚いローブと隠していた顔を見れば一目瞭然だ。
人との関わりを絶ってきた彼がようやく見せた望みと期待。わたしにそれを叶える術があるなら、協力したいと思ったのだ。
「…わたしはその為に、ここに居るから」
「……」
わたしに身を預ける彼の体が僅かに震えている。そこにどんな感情があるのかは、きっと彼以外には分からないだろう。だからわたしも、わたしの心に従うまでだ。
「あ、でもひとつだけ…」
零したわたしの呟きに、びくりと肩を揺らしたゼノスがゆっくりと顔を上げる。
不安そうにわたしの顔を覗き込む、揺れる琥珀色の瞳。肌に触れないよう注意しながらその肩に両手を置く。
「キスだけは、嫌なの。それ以外ならなんだって、してあげられるけれど…」
「…唇は駄目だと、そういうことですか…?」
「そう、あの、もちろんゼノスだけじゃなくて。これは他の人にもお願いしているんだけど…」
今度は顔色を暗くしたゼノスはおそらく後ろ向きな解釈をしていることが伺えて、言い訳のように補足する。ゼノス自身を拒否しているわけではないのだと。
イリオスとの場合は逆だしノヴァとは既にその約束は破たんしている。
というか極力見られないよう、触れられないようと志願していたけれど、それ自体がそもそも無理があるのだと今さらながらに気付きつつある。
キスを、接触を拒むのは、相手に必要以上に情を傾けない為だ。割り切った関係を保つ為に線引きをしたいと、わたしなりに考えた結論。まだ他の王子たちのことなど微塵も知らなかった。
ノヴァと体を重ねた時の記憶が今でも甦る。あの時は互いに特別な思いなど何も存在せず、ただ縋り合っただけ。初めての肌の温もりと、無理やり沸き起こる快楽と熱と、僅かな同情を分け合って。
唇を合わせたあの瞬間だけは、満たされた気持ちになった。だけどその後はとても寂しかった。そして差し出してくれた彼の心が哀しかった。きっとそれは、愛ではない。
見知らぬ王子たちがどういう人柄で自分とどう関係していくのかは分からない。でも、僅かでも情を移してしまったら、後が辛くなるだけだとあの時知った。
例え相手にその気はなくとも、温もりに飢えていた自分はおそらくまた縋ってしまう。そんな自分が堪らなく嫌だ。もうあの思いを味わいたくない。それが本音。
わたしの心が弱いだけなのだ。
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