僕の恋愛スケッチブック

美 倭古

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16. Waking Up

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 陽一は、ディライトンホテルのロビーで家族の到着を待っていた。
「パパぁ~」
 愛おしい声と共に小さな足音が近づいて来る。
 陽一は、全力で自分の元に走って来た娘の美来を抱き上げた。
「来てくれて有難う」
「ここでのお食事だ~い好き」
 そう告げると、美来は陽一の頬にキスをした。
「陽一君、お待たせ」
「美沙ちゃん、いつもごめんね。それに、鮫島さんも有難うございます」
「悠人が車から降りた途端、鮫島さんに抱き付いたまま離れなくて、ここまで連れて来て貰ったの」
「悠人がすみません。じゃあ、鮫島さんもご一緒にどうですか? 突然、夕飯のキャンセルをさせるのは奥様に失礼ですかね?」
 運転手の鮫島は陽一からの突然の誘いに戸惑ってしまう。
「いえ、そんなことは。お誘いとても嬉しいのですが、ご家族でお食事されるのは久し振りですし、ご家族水入らずでお過ごしください」
「鮫島さんも僕にとっては家族みたいな人ですよ。それに、サミットの枇々木も誘っていますし、友人の竹ノ内も来ます。残業になってしまうので、僕達はタクシーで帰れますから、お酒も飲んで戴いて構いませんよ」
「めっそうもありません! では、お言葉に甘えて、お食事だけご一緒させていただきます」
 嬉しいそうに応えている鮫島に抱っこされている悠人も喜んだ。
「悠人、もう降りようか。エレベーターのボタンを押すのは誰が1番早いかな?」
 陽一はそう告げると、エレベーターに向って走る構えを見せる。すると、悠人は慌てて鮫島の腕の中から飛び降りると、美来と共にエレベーターに向けて走り出した。優しい笑顔の陽一は、そんな二人を小さな駆け足で追いかけたのだった。

「陽一社長は本当に素敵な方ですね」
「ええ、本当に素敵な人です。鮫島さんって、きっと私よりも陽一君との付合いが長いですよね?」
「そうですね。専属の運転手を任されたのは、陽一様が社長に就任されてからですが、それ以前からご一緒させていただく事が多かったです。大学に迎えに来られるのが嫌で、いつも逃げられました、ハハ」
 鮫島は、若かりし頃の陽一を思い出し苦笑いをする。
「陽一君が姉と出逢う前もご存知です?」
「数回、社長・・・・結城会長のお供でお会いした程度です」
「学生時代の陽一君ってどんな感じだったのかしらね」
 陽一親子の微笑ましい様子を眺めていた美沙と鮫島は、彼等の後に続いてエレベーターホールに足を進めた。

「やった~ 着いたぁ」
 美来は、はしゃぎながらエレベーターを1番に降りると、常連客の如くサミットに足を踏み入れた。そんな美来を弟の悠人が追いかけた。

「いらっしゃいませ。可愛いお二人様」
「あぁ 枇々木だぁ~」
「こ~ら、美来。枇々木さんだからね。よ、枇々木、急に大人数で予約して悪かったね」
「早い時間だし、平日だから問題ないよ。久々に結城と飲みたかったしね」
「美来の入学式以来かな ・・本当だ、随分ご無沙汰だったね。ちょっと店の雰囲気変わった?」
 そう告げると、陽一は店内を軽く見渡した。

【ドクン】
 陽一の瞳が直人の背中を捉えたのだった。そして、彼の隣に座る男性にも心辺りがあった。陽一は、一瞬目を落としたが、再びいつもの様子で家族や友人達と向き合う。

「良く分かったな。さすが社長。インテリアをちょっとね。それと、飾ってある絵画のテーマも変わってるよ」
「そっか。いいんじゃない。僕は好きだな」
「サンキュ。では、社長からお褒めの言葉をいただいたところで、お客様お部屋にご案内いたします。どうぞこちらへ」
「は――い!」
「は――い!」
 美来と悠人が元気に応えた。そんな彼等に陽一は続いたが、口元に手をやると再度直人を一瞥した。そして、自分の動揺が他の誰かに悟られないように必死で平静を装いながら歩みを進めた。

 サミットの入り口付近に立つ陽一は、彼だけでは無かった。
 楽しそうに会話をする男性、そしていつも陽一の傍で見掛ける女性。子供達は時折声が届くだけで、背丈が小さいため直人の視覚には入らなかった。

「橘、挨拶してこなくていいのか?」
「俺は、部外者ですから」
 そう告げると直人は身体を再び窓に向ける。
「まだ会ったりしてないのか?」
「半年くらい前に仕事を通して、偶然再会しただけです」
「連絡も取り合っていないのか?」
「・・・・」
「・・後悔、しているか?」
「・・・・先輩のあんな幸せそうな姿を見て後悔すると思いますか?」
 直人は、眼下に広がる景色を眺めたままで応えた。
「幸せそう・・か」
「先輩はここの社長となり、俺も少しは名が通る画家になれました。二人とも成功したんですよ ・・だからこれで良かったんです」

 苦しさを隠しながら無理やり言葉を紡ぐ直人を見ていると、宇道の心は切ない気持ちで一杯になった。

「これで良かったか・・」
「そうです」
「そう言えば、絵を教えてるって以前言ってたな。まだ続けてるのか?」
「子供向けの小さい教室ですけど、頑張ってますよ。でも先生って難しい職業ですね」
「そうだな。でも子供だったら生意気な高校生相手にしてるよりも、遣り甲斐があるだろう」
「それ、俺等の事言ってます?」
「まぁな。それにしてもコラボだとか忙しいだろうに絵画教室まで ・・結構がめついな」
「ほら、俺、すっかり女性に興味が持てなくなってしまったんで、子孫残せないでしょ? だからせめて次の世代に繋げたいなってね」
「そうか ・・で、自分の絵の方はどうだ? 描いてるのか?」
「・・絵は」
「ずっと納得した作品を描けてないんだろ? 世間が絶賛するように技法は素晴らしくなったよ ・・でもさ、やっぱここ何年かの作品は、お前らしさが無い? いや、そうじゃない、生きてない? なんか昔とは違うんだよな。ま、橘も大人になったから子供心を失うのは仕方が無い事かぁ」
 直人は宇道の鋭い指摘に苦笑いをする。
「先生には敵わないなぁ~」
「そりゃ、ファン第一号だからな」
「生きてない・・か。その通りです。返す言葉もありません」
 直人は、そう告げると再び苦い顔をした。

【精霊の見えなくなった俺は、以前みたいにはもう描けない】
 
 直人は、こう応えたくなかった。宇道なら精霊の話を信じてくれるだろう。だが、精霊のことは陽一とだけの二人の世界のままで残しておきたかったのだ。
 陽一の姿が脳裏を過った直人は、彼の声が店先から遠ざかって行く事に気付くと、咄嗟に身体を再び陽一に向けた。
 兆度、個室がある店の奥に消えて行く陽一の後ろ姿を捉えた直人はハッとした。

「天使・・・・」

 薄っすらだが、陽一の両肩に2体の天使が転寝をしている姿が見えた気がしたのだ。
 すると数年以上もの間、眠っていた何かが身体の奥深くで目覚めた感覚に陥ると、無性に絵が描きたくなった。

【僕 ・・忘れてた ・・先輩を想うだけで、それだけで僕は ・・】

「橘? 大丈夫か?」
 宇道の呼びかけが、遠くに聞こえた。
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