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4. 言葉を「生きる」べきなのに
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「加藤さん」
「おおー! よかったね篠原くん、あれ……どうした?」
ディレクターの加藤真弓ははじめ、梓を祝うトーンで話しかけた。推薦した篠原にとってもビッグでグッドなニュースだと思ったのだ。
そこでようやく加藤はパソコンから視線を上げた。綺麗にカールしたまつ毛に縁取られた目が、梓の思い詰めた表情を捉えた。
「錫色先生と僕、大学の同級生だったんです」
「えっ!? いいじゃん! 仲よかった?」
加藤の「事情がよく分からない」という表情が、さらに梓を焦らせる。
「仲よかったけど疎遠になってて、昨日の夕方偶然会って……」
そこから先を、どう説明すべきか。言葉に詰まって目を逸らす。
今、「錫色先生は、たぶん僕のことが嫌いです」と言わなければならない。それは業務に必要な情報だ。でもその経緯をこんなオフィスで話すわけには……。真っ青だった梓の頬に、羞恥から血の気が戻った。
「一旦、会議室行こうか」
何かを察した加藤の後ろをとぼとぼと歩いて、定員6人の部屋の向かい合う席に座る。
加藤は40代手前の、まさに仕事ができる女性。キリッとしたメイクの顔と、毅然とした姿勢と、早口でハキハキした話し方。狭い会議室で二人きりになりたい相手では、ない。
梓はこの人も尊敬しているのだ。だからこそ、自分のやらかしが情けなくて恥ずかしい。このまま黙って隠し通してしまいたい。でももう事情を説明してしまったし、複数案件を掛け持ちする加藤の時間は有限だ。サクッと説明しなくては。「サクッと」は加藤の口癖である。そして梓は重い口を開く。
「錫色先生とは、昨日会って飲みました」
「うん。で、なんかあったんだ」
「……ここだけの話、関係を持ちました」
「ああ……」
加藤は「痴情のやつね」と合点がいった顔で、はっきりした顔立ちをギュッと歪めた。
「それは……その状況で、どうして?」
「オファー中だと忘れていたんです。申し訳ありません」
「……うん。起きてしまったことは仕方ない」
加藤は苦虫をたっぷり3匹は噛み潰したような形に唇をねじ曲げてから、ぱっと切り替えて、冷静にものを考える表情になった。
「で? 錫色先生とは今どういうご関係なの?」
「……錫色先生の好意から、逃げてきた形です」
加藤の表情が緩んで、代わりに梓への心配が浮かんだ。加藤も秋山とのことはなんとなく知っている。それと「錫色先生」との関係を重ねて心配したのだろう。
厳しい上司だが、こういう人間味があるから着いていけるのだ。それなのに……。
梓はできるだけ淡々と説明した。加藤はスムーズに問題を整理し、懸念点と検証方法をリストにした。誰もが認める敏腕ディレクターは忙しい。こんなことに時間を取らせてはいけないのに……。
「篠原くんからこれ以上こじらせないで。私が先生のご方針を確認します。それじゃ。早く教えてくれたのは助かりました」
面談を切り上げるときも、ほんのり褒めてくれた。梓のぐずぐずに腐ってしまいそうな心には、それだけでも大きな救いだった。
プロジェクトから、外されるだろうか。
初めて僕がメインでキャッチコピーを作れる仕事だったのに。ここから僕のキャリアが始まるんだと、意気込んでいたのに……。
グループチャットの進行を重い気持ちで眺めながら、ぼーっと仕事をした。帰りがけ、加藤に会議室に呼ばれて、しっかりみっちりお小言を言われた。
「オファー中だと忘れていたんです」
梓の言葉は事実だった。嘘で誤魔化しても加藤さんには敵わないと分かっているから、「忘れていた」と言った。
加藤の言葉は厳しかった。
でも、と梓は思う。加藤さんに人を痛めつける趣味はない。上司として言うべきことを言ってくれただけ。
その「忘れていた」が社会人としてどれほど責任感に欠けるか。僕のやらかしが大きすぎるから、お小言はどうしたって厳しい。
分かっていても、加藤さんが嫌いになってしまいそうだった。自分のことはもっとずっと嫌いだ。心がじゅくじゅくにでろでろに溶けてしまいそうだった。
そんな気持ちで電車の吊り革に掴まって、家に帰った。
「おおー! よかったね篠原くん、あれ……どうした?」
ディレクターの加藤真弓ははじめ、梓を祝うトーンで話しかけた。推薦した篠原にとってもビッグでグッドなニュースだと思ったのだ。
そこでようやく加藤はパソコンから視線を上げた。綺麗にカールしたまつ毛に縁取られた目が、梓の思い詰めた表情を捉えた。
「錫色先生と僕、大学の同級生だったんです」
「えっ!? いいじゃん! 仲よかった?」
加藤の「事情がよく分からない」という表情が、さらに梓を焦らせる。
「仲よかったけど疎遠になってて、昨日の夕方偶然会って……」
そこから先を、どう説明すべきか。言葉に詰まって目を逸らす。
今、「錫色先生は、たぶん僕のことが嫌いです」と言わなければならない。それは業務に必要な情報だ。でもその経緯をこんなオフィスで話すわけには……。真っ青だった梓の頬に、羞恥から血の気が戻った。
「一旦、会議室行こうか」
何かを察した加藤の後ろをとぼとぼと歩いて、定員6人の部屋の向かい合う席に座る。
加藤は40代手前の、まさに仕事ができる女性。キリッとしたメイクの顔と、毅然とした姿勢と、早口でハキハキした話し方。狭い会議室で二人きりになりたい相手では、ない。
梓はこの人も尊敬しているのだ。だからこそ、自分のやらかしが情けなくて恥ずかしい。このまま黙って隠し通してしまいたい。でももう事情を説明してしまったし、複数案件を掛け持ちする加藤の時間は有限だ。サクッと説明しなくては。「サクッと」は加藤の口癖である。そして梓は重い口を開く。
「錫色先生とは、昨日会って飲みました」
「うん。で、なんかあったんだ」
「……ここだけの話、関係を持ちました」
「ああ……」
加藤は「痴情のやつね」と合点がいった顔で、はっきりした顔立ちをギュッと歪めた。
「それは……その状況で、どうして?」
「オファー中だと忘れていたんです。申し訳ありません」
「……うん。起きてしまったことは仕方ない」
加藤は苦虫をたっぷり3匹は噛み潰したような形に唇をねじ曲げてから、ぱっと切り替えて、冷静にものを考える表情になった。
「で? 錫色先生とは今どういうご関係なの?」
「……錫色先生の好意から、逃げてきた形です」
加藤の表情が緩んで、代わりに梓への心配が浮かんだ。加藤も秋山とのことはなんとなく知っている。それと「錫色先生」との関係を重ねて心配したのだろう。
厳しい上司だが、こういう人間味があるから着いていけるのだ。それなのに……。
梓はできるだけ淡々と説明した。加藤はスムーズに問題を整理し、懸念点と検証方法をリストにした。誰もが認める敏腕ディレクターは忙しい。こんなことに時間を取らせてはいけないのに……。
「篠原くんからこれ以上こじらせないで。私が先生のご方針を確認します。それじゃ。早く教えてくれたのは助かりました」
面談を切り上げるときも、ほんのり褒めてくれた。梓のぐずぐずに腐ってしまいそうな心には、それだけでも大きな救いだった。
プロジェクトから、外されるだろうか。
初めて僕がメインでキャッチコピーを作れる仕事だったのに。ここから僕のキャリアが始まるんだと、意気込んでいたのに……。
グループチャットの進行を重い気持ちで眺めながら、ぼーっと仕事をした。帰りがけ、加藤に会議室に呼ばれて、しっかりみっちりお小言を言われた。
「オファー中だと忘れていたんです」
梓の言葉は事実だった。嘘で誤魔化しても加藤さんには敵わないと分かっているから、「忘れていた」と言った。
加藤の言葉は厳しかった。
でも、と梓は思う。加藤さんに人を痛めつける趣味はない。上司として言うべきことを言ってくれただけ。
その「忘れていた」が社会人としてどれほど責任感に欠けるか。僕のやらかしが大きすぎるから、お小言はどうしたって厳しい。
分かっていても、加藤さんが嫌いになってしまいそうだった。自分のことはもっとずっと嫌いだ。心がじゅくじゅくにでろでろに溶けてしまいそうだった。
そんな気持ちで電車の吊り革に掴まって、家に帰った。
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