ニアリー・シンメトリー・ハート——お前の手だけだよ……こんなゾクゾクさせられるの……

街田あんぐる

文字の大きさ
7 / 44
4. 言葉を「生きる」べきなのに

2

しおりを挟む
「加藤さん」
「おおー! よかったね篠原くん、あれ……どうした?」

 ディレクターの加藤真弓ははじめ、梓を祝うトーンで話しかけた。推薦した篠原にとってもビッグでグッドなニュースだと思ったのだ。
 そこでようやく加藤はパソコンから視線を上げた。綺麗にカールしたまつ毛に縁取られた目が、梓の思い詰めた表情を捉えた。

「錫色先生と僕、大学の同級生だったんです」
「えっ!? いいじゃん! 仲よかった?」

 加藤の「事情がよく分からない」という表情が、さらに梓を焦らせる。

「仲よかったけど疎遠になってて、昨日の夕方偶然会って……」

 そこから先を、どう説明すべきか。言葉に詰まって目を逸らす。
 今、「錫色先生は、たぶん僕のことが嫌いです」と言わなければならない。それは業務に必要な情報だ。でもその経緯をこんなオフィスで話すわけには……。真っ青だった梓の頬に、羞恥から血の気が戻った。

「一旦、会議室行こうか」

 何かを察した加藤の後ろをとぼとぼと歩いて、定員6人の部屋の向かい合う席に座る。
 加藤は40代手前の、まさに仕事ができるしごでき女性。キリッとしたメイクの顔と、毅然とした姿勢と、早口でハキハキした話し方。狭い会議室で二人きりになりたい相手では、ない。
 梓はこの人も尊敬しているのだ。だからこそ、自分のやらかしが情けなくて恥ずかしい。このまま黙って隠し通してしまいたい。でももう事情を説明してしまったし、複数案件を掛け持ちする加藤の時間は有限だ。サクッと説明しなくては。「サクッと」は加藤の口癖である。そして梓は重い口を開く。

「錫色先生とは、昨日会って飲みました」
「うん。で、なんかあったんだ」
「……ここだけの話、関係を持ちました」
「ああ……」

 加藤は「痴情のやつね」と合点がいった顔で、はっきりした顔立ちをギュッと歪めた。

「それは……その状況で、どうして?」
「オファー中だと忘れていたんです。申し訳ありません」
「……うん。起きてしまったことは仕方ない」

 加藤は苦虫をたっぷり3匹は噛み潰したような形に唇をねじ曲げてから、ぱっと切り替えて、冷静にものを考える表情になった。

「で? 錫色先生とは今どういうご関係なの?」
「……錫色先生の好意から、逃げてきた形です」

 加藤の表情が緩んで、代わりに梓への心配が浮かんだ。加藤も秋山とのことはなんとなく知っている。それと「錫色先生」との関係を重ねて心配したのだろう。
 厳しい上司だが、こういう人間味があるから着いていけるのだ。それなのに……。

 梓はできるだけ淡々と説明した。加藤はスムーズに問題を整理し、懸念点と検証方法をリストにした。誰もが認める敏腕ディレクターは忙しい。こんなことに時間を取らせてはいけないのに……。

「篠原くんからこれ以上こじらせないで。私が先生のご方針を確認します。それじゃ。早く教えてくれたのは助かりました」

 面談を切り上げるときも、ほんのり褒めてくれた。梓のぐずぐずに腐ってしまいそうな心には、それだけでも大きな救いだった。

 プロジェクトから、外されるだろうか。
 初めて僕がメインでキャッチコピーを作れる仕事だったのに。ここから僕のキャリアが始まるんだと、意気込んでいたのに……。

 グループチャットの進行を重い気持ちで眺めながら、ぼーっと仕事をした。帰りがけ、加藤に会議室に呼ばれて、しっかりみっちりお小言を言われた。

「オファー中だと忘れていたんです」

 梓の言葉は事実だった。嘘で誤魔化しても加藤さんには敵わないと分かっているから、「忘れていた」と言った。

 加藤の言葉は厳しかった。
 でも、と梓は思う。加藤さんに人を痛めつける趣味はない。上司として言うべきことを言ってくれただけ。
 その「忘れていた」が社会人としてどれほど責任感に欠けるか。僕のやらかしが大きすぎるから、お小言はどうしたって厳しい。

 分かっていても、加藤さんが嫌いになってしまいそうだった。自分のことはもっとずっと嫌いだ。心がじゅくじゅくにでろでろに溶けてしまいそうだった。
 そんな気持ちで電車の吊り革に掴まって、家に帰った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

学校一のイケメンとひとつ屋根の下

おもちDX
BL
高校二年生の瑞は、母親の再婚で連れ子の同級生と家族になるらしい。顔合わせの時、そこにいたのはボソボソと喋る陰気な男の子。しかしよくよく名前を聞いてみれば、学校一のイケメンと名高い逢坂だった! 学校との激しいギャップに驚きつつも距離を縮めようとする瑞だが、逢坂からの印象は最悪なようで……? キラキライケメンなのに家ではジメジメ!?なギャップ男子 × 地味グループ所属の能天気な男の子 立場の全く違う二人が家族となり、やがて特別な感情が芽生えるラブストーリー。 全年齢

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※表紙をAI君に描いてもらいました。(2026.2.21) ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

僕の恋人は、超イケメン!!

八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

僕たち、結婚することになりました

リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった! 後輩はモテモテな25歳。 俺は37歳。 笑えるBL。ラブコメディ💛 fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。

処理中です...