振り向いてよ、僕のきら星

街田あんぐる

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第12話 星回り

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 講義が終わるともう薄暗い。真っ暗になる前に衣真くんのところへ駆け出したくなる。駆け出してもいいんじゃないか? 高校の頃トラックを走ったように、恋の号砲とともにクラウチングスタートからトップスピードまで加速したら。
 まあ人目があるのでそんなことはしないんだけど、心だけはコーナーに突入するときみたいなスリルで浮き立っている。自然と顔がほころんで、ああ好きなんだと思う。軽い駆け足で文学部棟へ向かう。
 洒落たランプが吊るされた下で衣真くんは待っていて、僕に気づくと石造りの柵から腰を上げた。
「走って来たの!!」
「ちょっとだけね」
 僕は気分が乗って最後まで走って来たのだけれど、教科書とパソコンでパンパンのリュックに体力を持っていかれて、浅い息を繰り返した。
「急ぐ用事じゃないのに!」
「走り出したら気分が乗ったんだよ」
「すごいなあ。僕は長距離を走ってて嬉しくなったことなんてないよ」
 正直な感想に笑ってしまう。衣真くんが運動とは縁がないのは、今までの会話から分かっていた。
 手で額の汗を拭うと、衣真くんがタオルハンカチを差し出してくれた。
「これ、予備ので使ってないから」
「あっ、ありがとう」
 僕だってハンカチを持っていたのだけれど、出すのを面倒がったせいで衣真くんにハンカチを持ち歩かない奴だと思われてしまった。また「しまった」と思う。衣真くんは僕をどんどん減点しているような恐ろしさに囚われている。いつか見放される日が来るんじゃないかって。そのボーダーは衣真くんにしか分からない。
「ハンカチありがとう。予備まで持ってるの、すごいね。いつでも人を助ける準備ができているんだね」
 急いで長台詞を言い切って、衣真くんに加点してもらおうとする。本当に心に浮かんだことを言ったのだからやましいわけがないのに、衣真くんの心を試すようで苦しくなる。
 衣真くんは笑って「どうもありがとう」と言ってそれきりだった。また衣真くんの心が離れているんじゃないかと怖くなる。
「こっちだよ、たくさん咲いてるよ」
 衣真くんが歩き出して、僕たちは今から花を見にいくのだと思い出す。白いタンポポ。衣真くんが大学の構内で見つけて、珍しいから僕を呼んでくれた。衣真くんが大学の中で一番に呼び出すなら僕だってことに嬉しくなる。やっぱり僕は衣真くんのいちばんの友人で、衣真くんにいちばん近づけるのは僕なのだ。
「ほら! 珍しいでしょう? 初めて見た」
「ほんとだ。黄色のタンポポとは雰囲気が違っていいね」
 僕たちは、手入れされていない植栽の下にシロバナタンポポが何株も花を伸ばしているのを見て感心した。
「華麗な園芸種もいいけど、こういうちょっと目を凝らさないと見つからない美しさって素敵だね」
「そうでしょう?」
「目を凝らしている衣真くんが素敵だよ」
「おやおや。ありがとう」
 ちょっと口説いたみたいになって恥ずかしくなる。その間に衣真くんはスマホを取り出す。
「花言葉を調べてみよう」
「へえ。花言葉、今まではあんまり興味なかったじゃん」
「そう思っていたんだけどね、小説を書くにあたって、登場する花の花言葉は読者の読みに影響を与えることもあると思ったのだよ」
「ああ~。衣真くんがそのつもりで書いてなくても、花言葉が好きな人は意味を託して読むだろうね」
「そういうこと。白いタンポポの花言葉は『私を探して』『私を見つめて』だそうだよ」
「へえ……。こんなに可憐なのになんだか切ない雰囲気だね」
「どういうことなんだろうね」
 しゃがみ込んで花を間近で見る衣真くんを、上から見る。衣真くんは意外と体格がしっかりしている。かわいらしい雰囲気で気づかないけど、身長は僕と変わらないし、僕の方が細身なくらいだ。
 衣真くんの身体を知りたいと思う。ハグなんかじゃ足りなくて、もっと。
「僕も衣真くんに見つめてほしいな」
 深く息を肺に染み込ませてから力んで口にした言葉は、キャンパスの端っこの暗がりで大きく響いた。
 衣真くんがこちらを振り向いて立ち上がる。驚いた目の中に戸惑いが映っている。僕は自分の思い上がりが恥ずかしくなった。
「早暉くんを、大切な友人として見つめているよ」
 誰にでも光を注げる衣真くんだから、こんなことを当たり前に言う。
「僕が衣真くんの一番にならないかな」
「……今は、恋人がいるから……」
「いなかったら、もし仮にいなかったら、僕は衣真くんの一番になれる?」
「早暉くんとの関係が壊れてしまうのが怖いよ。誘ったらタンポポを見に走って来てくれる友人なんて早暉くんだけだよ」
 そのとき僕は嬉しかった。やっぱり僕は衣真くんのいちばんの友人になれているんだって。
「早暉くんとお付き合いしたらいつか壊れてしまうよ。きっとすぐに僕が壊してしまうんだ。早暉くんは僕の『とってもとっても大切』じゃ、だめなのかな」
「……ありがとう。ごめん」
「ごめんなさい」
 僕たちは黙って正門へ向かった。僕は視線のやりどころがなくて空を見上げた。街灯の少ない構内で、星がよく見えた。
「衣真くんと最初に星の話をしたね」
「そうだったね。あのとき早暉くんは僕が嫌いだった」
 衣真くんはくすくす笑った。僕は図星をつかれて苦笑いした。
「今はこんなに大好きだから許してよ」
 衣真くんはニコッと笑って星空を見上げた。
「『星回り』って言うでしょ」
 衣真くんは顔を空に向けたまま話す。
「ん? うん。『運命』ってことでしょ」
「星が何周も何周も巡った先に、早暉くんと恋人になってみる未来があるのかな」
「そうあってほしい」
 僕は急いで言った。空を見て歩いている衣真くんが段差から落ちそうで、腕を掴んで引き寄せた。
「え?」
 衣真くんの驚いた顔がこちらを見る。
「え? 段差があったから」
「あ……。ごめん。ありがとう」
 衣真くんは赤くなって、空を見るのをやめた。僕は衣真くんの身体に触れたことにどきどきして、俯いて足元の小石を蹴った。
「僕は、衣真くんを待ってていいの?」
「……僕は今の恋人となんとかやっていこうという気はあるんだよ。どうせ僕が壊してしまう関係でも、早暉くんに『待ってて』と言う不誠実はできない」
 僕は心に満たされたあたたかい海が引いてゆくのを感じた。
「衣真くんが壊してるんじゃないよ。衣真くんの言葉を分かろうとしないだけだよ」
「僕の恋人を非難しないで」
 衣真くんは唇を噛んだ。僕は「僕なら衣真くんの言葉を分かってあげられる」と言いたかったのに、そこがサビだったのに、その前に衣真くんの痛いところに立ち入ってしまった。
 正門が見えてきて、僕は衣真くんが恋しくてたまらなかった。
「衣真くん、家まで送らせて」
「送るの!? 早暉くんのおうちと正反対でしょう?」
「歩いて回れる距離だから。夜風に当たりたい気分」
「そっか。僕も」
 僕たちは何もなかったみたいに全然違うことだけ話した。映画を観に行く約束をして、衣真くんは僕のバイト先に遊びに来てくれることになって、今度ラーメンも食べに行く。
 僕たちはそのとき完璧な「よい友人」だった。僕と衣真くんを隔てるのは薄膜なんかじゃなくて、衣真くんは僕たちが触れ合わないように自分自身も僕も鎖で封じ込めている。その鎖から逃れようとしない限り、手を伸ばそうともがかない限り、僕たちは無謬むびゅうな友人同士でいられる。
 衣真くんのご実家はガレージ付きの一戸建てで、あたたかい色のライトが玄関先に灯っていた。手を振って別れたあと、僕は4月初めの風に吹かれながら、今から真っ暗な自宅に帰ることが心細くてならなかった。
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