花冷えの逃亡者

一樹たる

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三章『公国を止めるために』

第26話 テスフェニア公国遠征

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 ──……
 ──…………
 
 鳥の声が聞こえる。
 朝も早い出社早々、大型ギルド〈結社〉の面々は薄暗い講堂にて顔を突き合わせていた。ひそやかな囁き声が、広い大部屋に低くたゆたっている。
 やがて、燭台に小さな炎が灯され、ひと息で静けさが深まった。

「──静粛に! これより皆様には、緊急スピーチを聴いていただきます! ボス。よろしくお願いいたします」

 幹部の女性の声が高く響いた。
 講堂のいちばん前。ヒールブーツの音を響かせて登壇する長身の黒髪の女──結社のボス。高く結い上げた艶やかな髪と赤黒いマントがゆるく揺れ、彼女は恭しく礼をした。

「おはよう、諸君」
 アルトの声が講堂に落ちる。
 
「今朝はやや汗ばむほどの陽気であったな。ケウの花も散り、枝には葉を茂らせ始めた。夏の季節は目前に控えている」
 さらりとした挨拶のあと、彼女は正面を見据え、表情を締める。

「今日、諸君に集まってもらったのは、他でもない。今年の夏の決起宣言のためだ」
 右手を握りしめ、声を張り上げた。

「──今より二週間後! 結社全体で〈テスフェニア公国遠征〉に向かう運びとなった!!」
 
 ざわり、と空気が揺れる。
 公国遠征? そんなすぐ? やるのか──以前のスピーチの際には無かった周囲のザワつき方に、シエルは言いようもない違和感を肌で感じ取っていた。
 
 帝国の敵国に、僕は行くのだ。
 大戦の戦火に、巻き込まれに行くのだ。
 
 脳の芯がそう繰り返す。
 遠征とは、そういうときの為にある言葉なのだから。
 
 
 壇上のボスは、ざわめきが静まるのを待ち、再び語り出した。
 赤い瞳が、人々の内心を見定めるように細められる。

「何故なのか? ……そう疑問に思う者も、中には居るだろう」
 低く、しかしよく通る声が響く。
「近年、〈テスフェニア公国〉は世界情勢を鑑みて、公式行事を自粛していたな。だが、今年は例外だ。ヴェルス大公のご子息が成人する、記念式典のパレードを行う予告がなされている」

 彼女はひと息つくと、赤黒いマントを翻し、右手を大きく振り払った。
 その動作に合わせて、燭台の火がゆらりと揺れる。

「よいか! 『公国の記念式典』、つまり都を挙げた祭りが行われる──勘のよい者は、なにが起こるか、もうわかっているな?」

 そこでいったん言葉を切り、彼女は聴衆を見渡した。
 顎をほんのわずかに引き、右の拳で目に見えないものを掴み取るような仕草とともに。彼女の赤い瞳の鋭さに、前列の幹部たちが小さく息をのむ。

「また弱きが虐げられる。しかし、同時に! 〈従隷エグリマ〉が前に出されるのなら、それは彼らを救うのにうってつけの好機となり得る!」

 聞き覚えのない単語に、シエルは眉をひそめた。
 胸の奥に、冷たい針のようなものが刺さる。

 
「先輩、〈従隷エグリマ〉って何ですか?」
 
 祖国〈ガルニア帝国〉の歴史書は、官僚である父の書斎で読み漁っていたシエルだが、そんな自分でも、一度も読み聞きしたことのない言葉だった。
 
 〈従隷エグリマ〉──組織なのか、人名なのかすらも見当が付かない。
 
 訊いたものの返事がなく、右を見上げると、先輩・ロネは壇上を睨んだままだった。
 確かに息を吸う音が聞こえた。しかし、変わらず彼の口は閉ざされており、耐えかねた少年が言葉を重ねる。
 
「あの……」
 真暗な地底を這うような低い声で、彼の喉は唸った。
「黙ッてろよ」
「うっ……す、すみません」
 シエルは慌てて口を閉じた。
 ……そりゃあそうだ、人のスピーチは真剣に聞かなきゃだめだ。何やってんだ、僕。
 
 スピーチはやや進んでいた。
 
 
 
 壇上のボスは、さらに声を強めた。
 拳を胸に当て、まるで誓いを立てるように。
 
「警備が厳重になることが予想される──ゆえに〈結社〉では、新たにガルニア帝国側を味方に引き入れることにした」
 彼女は一歩前に出て、視線を鋭く走らせる。
 
「まず第一歩として、この春! 〈逃亡者〉が我が結社に加入してくれている。ガルニア帝国のスパイだと噂を流されているが……、それは国軍による虚偽の情報だ。帝国こそ、我々と志を共にするものであり、公国の暴挙を止めるために必要な戦力なのだ!」

「え……ええええぇえっ!?」
 
 シエルは腰を抜かしそうになった。
 〈逃亡者〉って、僕とメアリのことじゃないか。
 頭の奥で街の鐘が鳴るように、自分の名が大声で告げられたような気がして、足がすくむ。
 
 講堂は多くの歓声とどよめきに包まれる。
 数多の声が押し寄せて、シエルの叫び声はその中にかき消された。
 
 結社のボスは、指を鳴らし炎を灯し、その火を高く掲げた。
 彼女の掌に宿った火光が、集う者たちの顔をひとりひとり照らし出す。
 
「仲間はここに、大勢いる。心配はいらない! 皆、公国を止めるために! 〈従隷エグリマ〉の解放のために、私と共に、戦ってくれ!!」
 
 ゆうに百人。
 結社の講堂を揺るがす仲間の声を聞きながら、シエルは胸が熱くなるのを感じていた。
 少年は生まれて初めて、誰かに自分の力が必要とされていると思えて、嬉しかった。
 
 
 
 ──…………
 
「遠征、本当に行くんですね」
 
 講堂を出て、呟いた少年の言葉に、メアリが反応した。
「シエル、知ってたの?」
「あー、うん。まあね。こないだ、ファクターさんから聞いて……」
 
「──へーえ?」
 事務室の一室に響くヒールブーツの音。
 背後には、”結社のボス”その人が立っていた。
 
「ぼっ、ぼぼぼボス……!」
 シエルはすくみあがる。ボスがニイと笑みを浮かべるカオは、いつ見ても迫力がある。……なんというか、アヤシゲな感じの。
 
「私は、機密事項のひとつだと言ったハズだが? ファクター」
 前に立つファクターが怪訝な表情で応えた。
「こうも突然確定になるとは思わなんだ……一応聞くが、いつ決まったのだ?」
「昨日」
「……相談も無し、か……」
 悪びれずカラッと返された声に、大きなため息が漏れる。
 
「安心しろ、実行自体は昨日の今日というわけじゃないしな」
「当たり前だろう。しかしな──二週間後なんぞ、目と鼻の先に等しいぞ」
「うん。それゆえ、今週は書類仕事に集中するよ。ファクター、お前は……」
「船の手配とスケジュールの担当、だな」
「その通りだ。後、経費の会計も。サボってはいけないよ」
「……言われんでも」
 
 彼女は隣に佇む金髪秘書に笑みを向けた。
「レイミールは……事務と、例の計画案を」
「かしこまりましたわ」
 そのあとボスが振り向いて、ロネと目があった。
 
「それから、ロネ」
 顔をあげた青年は、どこかバツの悪そうな顔だった。
 対して、結社のボスは赤い目を細めて微笑んで見せた。
「お前は、可愛い後輩の面倒を見てやっておくれ?」
「……、アァ」
 少年は意外さを感じた。
 彼女、結社のメンバーに次々に指示を出していたから、てっきり先輩にも大きめの事務とかあるのかな、と思っていた。それが僕らの面倒見役とは、なんとも地味なことである。
「じゃ、あとは頼んだよ」
 ボスは手を振ると、事務室を出て、自身の執務室に戻っていった。
 広い事務室の片隅で、バタバタと忙しなく働く幹部たちを見ながら、少年は静かに息を吐いた。
 
「……おおごとなんだなぁ」
「ね」
 メアリが同調する。彼女は、そのままロネのほうを見た。朱い髪がさらりと肩を流れていく。
 
「ロネさん、遠征って毎年行ってるの?」
「…………」
「ロネさん?」
「──ア?」
 いつもの喧嘩腰ではない。
 魂がどこかに抜けていって、今やっと戻ってきたみたいな表情だった。
 少年が彼の肩を軽く叩く。
 
「先輩、メアリ今、遠征について聞いたんですよ。毎年あるのかって……」
「オウ、遠征な。あるこたあるが……〈結社〉全体で公国の街に向かうのは二度目だろうな」
「ふうん。その公国の街って、どんなところ?」
 
 メアリが小首を傾げる隣で、シエルも彼に視線を注いだ。『公国遠征に行く』とボスが言っていたからには、向こうの土地柄がどんなものか、知りたいのは、少年とて同じだった。
 
 ロネは眉根を寄せながら答えた。
「ルオシュアン。〈水の都〉ッて呼ばれてる。クソ貴族が偉そうにのさばる、どうしようもねェ街だ」
 
 青年の語る声には徐々に力が入り、鼻筋に沿って、顔に深いヒビが入る。
 
「湖から汲み上げられた水が、町じゅうの水路をぐるぐる流れてる。ンで、領事軍が、あちこち見張ってやがる……ッ、とにかく、キメェトコなンだよ」
 
 ふたりは息を詰めた。
 〈水の都〉について語るロネの声色には、手で触れるような憎悪の色が滲んでいたからだ。
 
「そ、そうなの?」
「ウソ教えるかよ。……悪ィ、先に依頼準備してくる」
 額を押さえながら場の席を外した青年を、ふたりが控えめに見送った。
 
 
 
「えっと……聞いた? シエル」
「うん。ロネ先輩、変だったよね」
「私、びっくりしちゃった。……考えごとかしら」
「…………」
 姉の呟きを聞きながら、シエルの心は暗雲に覆われつつあった。
 
 僕は敵国〈テスフェニア公国〉について、ほとんど何も知らない。だが、あの強くてキビしい先輩がああまで考え込んでいたのだ。それだけでも、公国がどれほど厳しい環境なのか、想像に難くないように思えて。
 
 気づけば、少年の脳裏には、ロネやメアリの顔と一緒に、ボスの顔が浮かんできた。
 
 彼女ならどうするか。己は、どう立ち回るべきなのか。考えながら、シエルは遠征までの日々をギルドの依頼に打ち込んだ。
 
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