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三章『公国を止めるために』
第30話 貴族と従隷《エグリマ》
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【まえがき】※以下、物語上で差別・暴力描写があります。〈結社〉の救出対象関連です。何卒ご容赦ください。
────
テスフェニア公国の都、ルオシュアン。
ここは街全体が螺旋状に構成されており、今日も湖から汲み上げられた水が噴水、大滝、水路を伝って都じゅうをかけめぐる。
これほどの水源と〈魔煌〉の変換技術に優れた街はほかにない。だから、ルオシュアンは〈水の都〉の呼び名で親しまれている。
アーチをくぐった先の教会前広場では蒼魔煌を使った祭りの芸が行われ、すでに多くの人々で賑わっていた。
『テスフェニア公国建国記念祭』。
──貴族街の祭りが、幕を開けていた。
芸者たちが舞台を下がると、入れ替わるように装飾馬車が続々と到着し、聖歌隊の澄んだ声が空に響き渡る。
馬車から降りてきた複数の人──恐らくはお偉いさん──は、兵士に兵士たちに護られ、白亜の教会へと消えてゆく。
続いて始まったのは軍事演習だった。号令が響き、剣士たちが公国伝統のレイピア剣術を披露する。その背後では詠唱の声が合唱のように重なる。
『──言霊・信徒は願う・其は言霊を汲み・戦が女神の力を分け与えたもう——〈言霊ノ拡大〉!』
十人ほどの兵士の手から溢れた〈煌力〉の光が天に舞い上がり、雲の手前でいくつかの塊に分かれ、淡い若葉色の輪を描いた。
後衛部隊の〈魔煌〉が空に浮かび上がったのを合図に、全員が戦闘態勢を解除。兵士たちはレイピアを鞘に仕舞い、ざざざ、と教会前に整列する。
「隊列、ヨシなのです!」
豪華な銀のヘルムを被った兵士が言った。
その隣、金の短髪を陽に晒した大柄な兵士が、腰に手を当てて叫ぶ。
「さ──ァ始まるぜェェ──! 実に七年ぶり! 楽しみだなァ!」
彼の後ろに控える青髪兵士は、やや苛ついた様子で鞭を構えた。
「うるさいですよ、ジグマ准尉。集中・要警戒してください」
「アークス! 真面目すぎるのが、オマエの悪いトコだ!!」
「ちょっと、准尉も兵長も、落ち着くのです! これは本番なのですから。ワタシが離れても、いい子にしててくださいねっ」
「ほいほい」
その様子に周囲の兵士たちは苦笑しつつ、祭りの緊張感と浮かれた空気が入り混じっていく。
「あれが、領事軍か……」
シエルの呟きが落ちた。
今、シエルたちは広場の教会横──ちょうど東隅っこの位置から覗いている。ファクターの先導で〈水の都〉に潜入後、現在待機中である。
多数の兵と、一糸乱れぬ機敏な団体行動と、青と白、銀を主とした服装の上層部の佇まい……。それらは、観る者を引き込む不思議な魅力に満ちていた。
「見て!」
隣でメアリが上階を指す。
巨大な教会の二階バルコニーに、三つの影が現れていた。白と金の豪華な衣装に身を包んだ王族貴族たち──そして、その側近のヘルムの兵士が進み出た。
「偉大なるヴェルス大公の、宣言であります!」
快晴の青空の下、屋根のないバルコニー。
高い地声を張った兵士の号令を受けて、金の髪に金の王冠を被った初老の男性は、青い羽織りを揺らしながら歩を進める。
ヴェルス大公と呼ばれた彼は、青い輝きを放つ石を口もとに近付け、語り始めた。
『祝福に満ちた、本日』
深みのある重低音が響き渡った。
『神暦三九八七年、夏のつき二日。当〈テスフェニア公国建国記念祭〉も、今年で二百回目となった』
彼の声は空から反響していた。
さっき兵隊の発動した〈魔煌〉の効果。あの上空に浮かぶ半透明の輪が光る石と共鳴して、拡声の役割を果たしているのだろう。
『本日はこれほど多くの民が記念祭に集ったことを、我輩はこの上なくうれしく思う。深く……感謝の意を述べるとしよう』
数多の拍手が沸き起こる。
大公は垂れた前髪をひと撫でして元に戻すと、再び言葉を落とした。
「して、民衆みなも知ってのとおり、夏のつき二日は我が息子の生誕日でもある。ウォンよ……前に出たまえ」
呼ばれて踏み出した隣の青年が従者から光る石を受け取り、一歩踏み出す。
帽子を手に取ってゆったりと一礼。高い部分でひとつに結ばれた金髪が流れ輝いた。
『先ほど紹介に与った、ウォン・エスト・テスフェニア・エーデルだ。このような節目の日に、齢十八歳を迎えられた奇跡! 心が躍るよ!』
男性は片腕を広げ、背高い体を光に晒した。
『この僕からも日頃の礼を! 本日は誠にありがとう!』
民の歓声が上がる。惜しみなく贈られる貴族たちの祝福の言葉に、彼は上品に手を振り返していた。
なんだか、フレンドリーなお偉いさんなんだなぁ。
シエルはそんな、素直な感想を抱いた。
「きゃあー! ウォン殿下ー!」
前のほうから黄色い声援も飛んでいた。
『ウォン殿下、大人気なのです! さて、続きまして──』
ヘルムを被った側近の案内が響く。
『待つがよい』
しかし、従者の台詞は他でもないヴェルス大公自身によって遮られてしまった。
部屋の袖から出てきた従者数人と貴族様の間でやりとりが行われる。聴衆がざわめく。
手違いがあったのだろう。教会のテラスに立つお偉いさんは口論を交わしていたが、ややあって従者が向き直った。
『し、失礼しましたあっ! 先の冬に九つのお歳を迎えられました、エーデル家のご子息・ウィル様からもご挨拶を頂戴いたします!』
進行役の紹介を受け、大公の左側におわす少年が緩慢な動作で立ち上がる。小さな彼が帽子を外すや否や、どよめきが周囲を走った。
「――赤毛だ……」
燃えるような、赤。
少年の頭髪はまさしく炎を連想させる鮮紅色をしていた。
ひと癖もふた癖もある逆立った頭部が隣に立つ大公とよく似ている。
「ンマァほんとに真っ赤だわ!」「やはりウィル様には平民の血が……」「シッ、声が大きい」
ひそひそと囁かれた声は民衆の間で波となって広がっていく。
シエルは訝しんだ。メアリだって薄い紅色の髪だけど――血だって赤いのに、髪が赤くてなにがおかしいのだろう。
赤毛の彼は長いこと低頭していた。
ざわつきがおさまる頃、少年は顔を上げ語り出した。
『晴れの今日、テスフェニア公国建国記念祭』
サファイアブルーの瞳がまたたく。
『こうして、夏の式典の場に出席させていただきましたこと、たいへん光栄に存じます。また、本日生誕日であるウォン様には、心よりお祝いを申し上げます。おめでとうございます』
少年の幼さの残る声音は、大人びた言葉とはあまりにも不似合いなものだった。
『来たる新たな一年が、すべての領民にとって実り多き日々となりますように。そして、〈テスフェニア公国〉のさらなる繁栄を願い、この祝辞を述べます。……ウィル・アシビ・テスフェニア・エーデル』
形式的な祝辞を述べ終えると、赤毛の少年は再び頭を下げて、静かに一歩下がった。
ヴェルス大公は誇らしげに両手を広げ、叫んだ。
『聞け、民よ。〈戦女神〉よ! われら公国貴族の英知――して、領事軍の武力。平民の奉公により支えられた我が国の〈強さ〉は決して揺るがぬ――おお、テスフェニア公国に、永遠の栄光あれ!』
ヴェルス大公の堂々たる宣言は、群衆の喝采を巻き起こした。
目を見開いたシエルの肌が粟立つ。
この圧倒的な人望。
彼らは一国の支配者たる支配力に満ちていた。
『皆様、お待たせしました! いよいよ、戦女神への献上の儀―― 〈従隷〉の〈演舞〉のお時間なのです!』
いまだ止まぬ山ほどの声に意識を持っていかれる。
『女神様よ。とくとご覧あれえっ! 願わくば、こころよき勝利の目覚めをもたらしますよう!』
なにかが、広場の片隅からふらふらと歩いてきた。
最初は動物かと思ったが、違う。
体のあちこちを、赤黒くはれあがらせたそれらは、どう見ても、人間のかたちをしている。
「…………」
目は淀んでいる。声はかすれている。
それは、年端もいかない子どもたちだった。
領事軍のいる広場中央部に引きずり出され、怯えているのが遠目にも見てとれる。
「……なに、あれ……」
メアリのか細い声が両耳を素通りしていく。
小さな背なのに、重そうな石造りの彫刻がくくりつけられている。ひとつなぎの上等な布一枚しか纏っていない彼らの細身。棒きれみたいな二の腕、なぞの黒い烙印。
──〈従隷〉。演説でしか聞かなかった単語が、形を伴った現実となって迫った。
「俺は青に賭けるぜ!」「白のほうが強そう」「私、五十万リルのせますわー!」
ゴングが高々と鳴らされる。
十人もの少年少女が一斉にぶつかりあった。
『さあっ、始まりましたー! 最初に青だぁー!』
ある子は前にいる子の腕に噛み付き、体を押して転倒させようとする。そばから別の子が入り乱れ、また殴る。
広場の看板に数字と棒線が書き込まれていく。よく見ると子どもたちの足には青・白に染められた縄が結ばれている。色分けを目印にした、リルの賭け。
一番背の低い子が倒れる。青髪の兵士は「調教が足らなかったかい」などという罵声を発して乱暴に少年の頭を踏んだ。
『白、倒れた! このまま決着がついてしまうのでしょうかー!?』
不毛な殴り合いは終わらないで、ひとりまたひとりと倒れていく。
彼らは一様にやせ細っている。体力が限界なのだ。その肌から鮮血がにじむ。
「いけー!」「損させないでよーっ」
歓声の中で、シエルは言葉を失っていた。
目の前で動いているものが、人間だと思い込むので精一杯で、そうでもしていないと、なにかが崩れてしまいそうだった。
むごくて、辛い。心が削られる。
それでも――少年は目はそらせなかった。
帝国と公国。
戦争でしか知らなかった“敵国”の公国内に、こんな地獄があったなんて。そんなこと、今まで、ただの一度も考えたことがなかった。
少年の泣き声が響く。
「うっ、ぅう……」
攻撃を受けて倒れ伏せた一人の少年の目から、大粒の涙がこぼれた。
「白の五番! さっさと立ちな!」
子は懸命に四つん這いになってはいるが、すぐに押しつぶされる。もう、少年は傷だらけだった。縛り付けられた石像が、容赦なく幼い体を痛めつけていた。
「ヴェルス大公の御前で戦えるんだぞ、誇りに思えよ? ほら! こんなこと滅多にないよっ」
子の脇腹に激しい蹴りが入った。震え、うずくまるばかりの少年に苛立つ兵士と、それを無視して他の子をありったけの力で打ち負かそうとすしている子どもたち。
「なーぜ、動かない……。今スグ殺されたいの?」
ムチが無慈悲に振り下ろされる。
「ひっ……い、ぎゃあぁあああああああッ!」
――やめてよ。
そう思ってはじめて、喉がからからに乾いていることを知覚した。耳鳴りがする。全身から、いやな汗が噴き出している。
目の前の人々は笑っていた。誰ひとり、止めようとしない。
「どういうこと……なの、これは」
問いかけたのはメアリだった。
その声もかき消されそうなほどに、広場は熱狂している。
「…………」
誰も答えない。
ロネも、ファクターも、顔を伏せている。
「ねえファクターさん……! 答えて!」
結社幹部の腕を掴む姉の声が、掠れている。
白髪の男は、しばらく沈黙したあと言った。
「〈従隷〉は、年若い労働力。これは、ただの伝統儀式だ。教会前広場。別名は〈闘技場〉――ここで穢れた血が捧げられれば、いにしえの〈戦女神〉が目覚めるとされる──」
彼は葉巻を吸うときの所作そのままに、口元を覆い、吐き捨てるように続けた。
「マァ実質、貴族の余興だ」
「……ひどい……」
メアリの声が震える。
「つーか。今は夏の式典のド真ん中だぜ」
いつになく静かな声音のロネ。青年が後ろ手に握る剣の柄は、微かに震えていた。
「……偏ってて当然、ってことですか」
シエルの声も、静かに掠れていた。
──そうだ。ここはテスフェニア公国の貴族街。
虐げられた子どもたちが声を上げたところで、聞き入れる者は居ない。
帝国の〈逃亡者〉が法に縛られるように、この国にもまた、別の形で逃げられない人間が存在する。
こんなこと、あっていいはずがない。
現に、あの子たちは苦しんでいるではないか。
子どもたちに思いを馳せた途端、ふしぎと自分の頭の中が冴えてくる感覚がした。
────
テスフェニア公国の都、ルオシュアン。
ここは街全体が螺旋状に構成されており、今日も湖から汲み上げられた水が噴水、大滝、水路を伝って都じゅうをかけめぐる。
これほどの水源と〈魔煌〉の変換技術に優れた街はほかにない。だから、ルオシュアンは〈水の都〉の呼び名で親しまれている。
アーチをくぐった先の教会前広場では蒼魔煌を使った祭りの芸が行われ、すでに多くの人々で賑わっていた。
『テスフェニア公国建国記念祭』。
──貴族街の祭りが、幕を開けていた。
芸者たちが舞台を下がると、入れ替わるように装飾馬車が続々と到着し、聖歌隊の澄んだ声が空に響き渡る。
馬車から降りてきた複数の人──恐らくはお偉いさん──は、兵士に兵士たちに護られ、白亜の教会へと消えてゆく。
続いて始まったのは軍事演習だった。号令が響き、剣士たちが公国伝統のレイピア剣術を披露する。その背後では詠唱の声が合唱のように重なる。
『──言霊・信徒は願う・其は言霊を汲み・戦が女神の力を分け与えたもう——〈言霊ノ拡大〉!』
十人ほどの兵士の手から溢れた〈煌力〉の光が天に舞い上がり、雲の手前でいくつかの塊に分かれ、淡い若葉色の輪を描いた。
後衛部隊の〈魔煌〉が空に浮かび上がったのを合図に、全員が戦闘態勢を解除。兵士たちはレイピアを鞘に仕舞い、ざざざ、と教会前に整列する。
「隊列、ヨシなのです!」
豪華な銀のヘルムを被った兵士が言った。
その隣、金の短髪を陽に晒した大柄な兵士が、腰に手を当てて叫ぶ。
「さ──ァ始まるぜェェ──! 実に七年ぶり! 楽しみだなァ!」
彼の後ろに控える青髪兵士は、やや苛ついた様子で鞭を構えた。
「うるさいですよ、ジグマ准尉。集中・要警戒してください」
「アークス! 真面目すぎるのが、オマエの悪いトコだ!!」
「ちょっと、准尉も兵長も、落ち着くのです! これは本番なのですから。ワタシが離れても、いい子にしててくださいねっ」
「ほいほい」
その様子に周囲の兵士たちは苦笑しつつ、祭りの緊張感と浮かれた空気が入り混じっていく。
「あれが、領事軍か……」
シエルの呟きが落ちた。
今、シエルたちは広場の教会横──ちょうど東隅っこの位置から覗いている。ファクターの先導で〈水の都〉に潜入後、現在待機中である。
多数の兵と、一糸乱れぬ機敏な団体行動と、青と白、銀を主とした服装の上層部の佇まい……。それらは、観る者を引き込む不思議な魅力に満ちていた。
「見て!」
隣でメアリが上階を指す。
巨大な教会の二階バルコニーに、三つの影が現れていた。白と金の豪華な衣装に身を包んだ王族貴族たち──そして、その側近のヘルムの兵士が進み出た。
「偉大なるヴェルス大公の、宣言であります!」
快晴の青空の下、屋根のないバルコニー。
高い地声を張った兵士の号令を受けて、金の髪に金の王冠を被った初老の男性は、青い羽織りを揺らしながら歩を進める。
ヴェルス大公と呼ばれた彼は、青い輝きを放つ石を口もとに近付け、語り始めた。
『祝福に満ちた、本日』
深みのある重低音が響き渡った。
『神暦三九八七年、夏のつき二日。当〈テスフェニア公国建国記念祭〉も、今年で二百回目となった』
彼の声は空から反響していた。
さっき兵隊の発動した〈魔煌〉の効果。あの上空に浮かぶ半透明の輪が光る石と共鳴して、拡声の役割を果たしているのだろう。
『本日はこれほど多くの民が記念祭に集ったことを、我輩はこの上なくうれしく思う。深く……感謝の意を述べるとしよう』
数多の拍手が沸き起こる。
大公は垂れた前髪をひと撫でして元に戻すと、再び言葉を落とした。
「して、民衆みなも知ってのとおり、夏のつき二日は我が息子の生誕日でもある。ウォンよ……前に出たまえ」
呼ばれて踏み出した隣の青年が従者から光る石を受け取り、一歩踏み出す。
帽子を手に取ってゆったりと一礼。高い部分でひとつに結ばれた金髪が流れ輝いた。
『先ほど紹介に与った、ウォン・エスト・テスフェニア・エーデルだ。このような節目の日に、齢十八歳を迎えられた奇跡! 心が躍るよ!』
男性は片腕を広げ、背高い体を光に晒した。
『この僕からも日頃の礼を! 本日は誠にありがとう!』
民の歓声が上がる。惜しみなく贈られる貴族たちの祝福の言葉に、彼は上品に手を振り返していた。
なんだか、フレンドリーなお偉いさんなんだなぁ。
シエルはそんな、素直な感想を抱いた。
「きゃあー! ウォン殿下ー!」
前のほうから黄色い声援も飛んでいた。
『ウォン殿下、大人気なのです! さて、続きまして──』
ヘルムを被った側近の案内が響く。
『待つがよい』
しかし、従者の台詞は他でもないヴェルス大公自身によって遮られてしまった。
部屋の袖から出てきた従者数人と貴族様の間でやりとりが行われる。聴衆がざわめく。
手違いがあったのだろう。教会のテラスに立つお偉いさんは口論を交わしていたが、ややあって従者が向き直った。
『し、失礼しましたあっ! 先の冬に九つのお歳を迎えられました、エーデル家のご子息・ウィル様からもご挨拶を頂戴いたします!』
進行役の紹介を受け、大公の左側におわす少年が緩慢な動作で立ち上がる。小さな彼が帽子を外すや否や、どよめきが周囲を走った。
「――赤毛だ……」
燃えるような、赤。
少年の頭髪はまさしく炎を連想させる鮮紅色をしていた。
ひと癖もふた癖もある逆立った頭部が隣に立つ大公とよく似ている。
「ンマァほんとに真っ赤だわ!」「やはりウィル様には平民の血が……」「シッ、声が大きい」
ひそひそと囁かれた声は民衆の間で波となって広がっていく。
シエルは訝しんだ。メアリだって薄い紅色の髪だけど――血だって赤いのに、髪が赤くてなにがおかしいのだろう。
赤毛の彼は長いこと低頭していた。
ざわつきがおさまる頃、少年は顔を上げ語り出した。
『晴れの今日、テスフェニア公国建国記念祭』
サファイアブルーの瞳がまたたく。
『こうして、夏の式典の場に出席させていただきましたこと、たいへん光栄に存じます。また、本日生誕日であるウォン様には、心よりお祝いを申し上げます。おめでとうございます』
少年の幼さの残る声音は、大人びた言葉とはあまりにも不似合いなものだった。
『来たる新たな一年が、すべての領民にとって実り多き日々となりますように。そして、〈テスフェニア公国〉のさらなる繁栄を願い、この祝辞を述べます。……ウィル・アシビ・テスフェニア・エーデル』
形式的な祝辞を述べ終えると、赤毛の少年は再び頭を下げて、静かに一歩下がった。
ヴェルス大公は誇らしげに両手を広げ、叫んだ。
『聞け、民よ。〈戦女神〉よ! われら公国貴族の英知――して、領事軍の武力。平民の奉公により支えられた我が国の〈強さ〉は決して揺るがぬ――おお、テスフェニア公国に、永遠の栄光あれ!』
ヴェルス大公の堂々たる宣言は、群衆の喝采を巻き起こした。
目を見開いたシエルの肌が粟立つ。
この圧倒的な人望。
彼らは一国の支配者たる支配力に満ちていた。
『皆様、お待たせしました! いよいよ、戦女神への献上の儀―― 〈従隷〉の〈演舞〉のお時間なのです!』
いまだ止まぬ山ほどの声に意識を持っていかれる。
『女神様よ。とくとご覧あれえっ! 願わくば、こころよき勝利の目覚めをもたらしますよう!』
なにかが、広場の片隅からふらふらと歩いてきた。
最初は動物かと思ったが、違う。
体のあちこちを、赤黒くはれあがらせたそれらは、どう見ても、人間のかたちをしている。
「…………」
目は淀んでいる。声はかすれている。
それは、年端もいかない子どもたちだった。
領事軍のいる広場中央部に引きずり出され、怯えているのが遠目にも見てとれる。
「……なに、あれ……」
メアリのか細い声が両耳を素通りしていく。
小さな背なのに、重そうな石造りの彫刻がくくりつけられている。ひとつなぎの上等な布一枚しか纏っていない彼らの細身。棒きれみたいな二の腕、なぞの黒い烙印。
──〈従隷〉。演説でしか聞かなかった単語が、形を伴った現実となって迫った。
「俺は青に賭けるぜ!」「白のほうが強そう」「私、五十万リルのせますわー!」
ゴングが高々と鳴らされる。
十人もの少年少女が一斉にぶつかりあった。
『さあっ、始まりましたー! 最初に青だぁー!』
ある子は前にいる子の腕に噛み付き、体を押して転倒させようとする。そばから別の子が入り乱れ、また殴る。
広場の看板に数字と棒線が書き込まれていく。よく見ると子どもたちの足には青・白に染められた縄が結ばれている。色分けを目印にした、リルの賭け。
一番背の低い子が倒れる。青髪の兵士は「調教が足らなかったかい」などという罵声を発して乱暴に少年の頭を踏んだ。
『白、倒れた! このまま決着がついてしまうのでしょうかー!?』
不毛な殴り合いは終わらないで、ひとりまたひとりと倒れていく。
彼らは一様にやせ細っている。体力が限界なのだ。その肌から鮮血がにじむ。
「いけー!」「損させないでよーっ」
歓声の中で、シエルは言葉を失っていた。
目の前で動いているものが、人間だと思い込むので精一杯で、そうでもしていないと、なにかが崩れてしまいそうだった。
むごくて、辛い。心が削られる。
それでも――少年は目はそらせなかった。
帝国と公国。
戦争でしか知らなかった“敵国”の公国内に、こんな地獄があったなんて。そんなこと、今まで、ただの一度も考えたことがなかった。
少年の泣き声が響く。
「うっ、ぅう……」
攻撃を受けて倒れ伏せた一人の少年の目から、大粒の涙がこぼれた。
「白の五番! さっさと立ちな!」
子は懸命に四つん這いになってはいるが、すぐに押しつぶされる。もう、少年は傷だらけだった。縛り付けられた石像が、容赦なく幼い体を痛めつけていた。
「ヴェルス大公の御前で戦えるんだぞ、誇りに思えよ? ほら! こんなこと滅多にないよっ」
子の脇腹に激しい蹴りが入った。震え、うずくまるばかりの少年に苛立つ兵士と、それを無視して他の子をありったけの力で打ち負かそうとすしている子どもたち。
「なーぜ、動かない……。今スグ殺されたいの?」
ムチが無慈悲に振り下ろされる。
「ひっ……い、ぎゃあぁあああああああッ!」
――やめてよ。
そう思ってはじめて、喉がからからに乾いていることを知覚した。耳鳴りがする。全身から、いやな汗が噴き出している。
目の前の人々は笑っていた。誰ひとり、止めようとしない。
「どういうこと……なの、これは」
問いかけたのはメアリだった。
その声もかき消されそうなほどに、広場は熱狂している。
「…………」
誰も答えない。
ロネも、ファクターも、顔を伏せている。
「ねえファクターさん……! 答えて!」
結社幹部の腕を掴む姉の声が、掠れている。
白髪の男は、しばらく沈黙したあと言った。
「〈従隷〉は、年若い労働力。これは、ただの伝統儀式だ。教会前広場。別名は〈闘技場〉――ここで穢れた血が捧げられれば、いにしえの〈戦女神〉が目覚めるとされる──」
彼は葉巻を吸うときの所作そのままに、口元を覆い、吐き捨てるように続けた。
「マァ実質、貴族の余興だ」
「……ひどい……」
メアリの声が震える。
「つーか。今は夏の式典のド真ん中だぜ」
いつになく静かな声音のロネ。青年が後ろ手に握る剣の柄は、微かに震えていた。
「……偏ってて当然、ってことですか」
シエルの声も、静かに掠れていた。
──そうだ。ここはテスフェニア公国の貴族街。
虐げられた子どもたちが声を上げたところで、聞き入れる者は居ない。
帝国の〈逃亡者〉が法に縛られるように、この国にもまた、別の形で逃げられない人間が存在する。
こんなこと、あっていいはずがない。
現に、あの子たちは苦しんでいるではないか。
子どもたちに思いを馳せた途端、ふしぎと自分の頭の中が冴えてくる感覚がした。
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市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
闇夜の復讐者
一樹たる
ファンタジー
「俺は、復讐を果たしに来たんだ──」
緑豊かな〈エスタール王国〉の片隅。かつての少年ルナンは、古代遺跡で幽霊のような男に襲われてしまう。
すんでのところを謎の少女に救われ、ルナンは命拾いした。しかし、その身に禁じられた呪詛を宿したことにより、十四歳で村を追い出される。
盗賊として森をさまよう中、再び【あの男】の影が現れ、ルナンは因縁の遺跡へと舞い戻る。そこで出会ったのは、命を救ってくれた謎の少女だったのだが……、少女は、すべての記憶を失っていた。
確かに在った居場所。憎き白髪の男。傷だらけの少女……懐かしい人々。
青年少女の過去を辿る冒険が、今始まる。
◆◆◆
☆異世界冒険 × バトルアクション。
シリアスあり、仲良しコメディあり!
復讐青年と忘却少女がゆく追憶の冒険ファンタジー!
*'25/11/03……タイトル改定しました。
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