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第二章 その1
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隆司が癌であることは、順子を通じて中学校に伝えられた。一報を受けた校長が、担任の林田を呼び出した。
「林田先生はまだ来ていないみたいですよ?」
隣のクラスの担任がそう言った。
「まだ来ていないだって?もう8時じゃないか?」
「正確には7時59分です。林田先生は8時ぴったりにならないと来ないんですよ」
話をしているうちに、8時をまわった。職員室のドアが開き、林田が入ってきた。
「おはようございます……」
誰にも聞こえないほど小さな声で挨拶をして、林田は自分の机に向かった。
「ああ、林田先生!赤田君のお母さんから連絡が入ったんですよ」
校長が、赤田、と言って、林田は振り向いた。
「赤田……あいつが何かやらかしたんですか?」
林田はめんどくさそうな顔をした。
「違う、そういうことじゃなくて。赤田君は昨日から欠席しているでしょう?今、彼は入院しているみたいなんですよ」
校長が真剣に語っても、林田は、
「ああ、そうですか」
と、まるで他人事のような受け答えしかしなかった。
「ああそうですか、じゃなくて、これは赤田君にとって一大事なんですよ。病名は大腸癌だそうです……」
校長が、大腸癌、と言って、その場に居合わせた教員のほとんどが驚きを隠せなかった。
「中学生が癌だって?そんなバカな……」
「あれだけ元気そうにしていたのに……」
隆司がバカで運動音痴で帰宅部であることを知っている教員は多かった。なんとかして、成績を上げようと試みる若い熱血教員がいれば、中年の教員は、どうせ何をしても変わらないと嘆き、担任の林田は、問題児とレッテルを張り、積極的に関わろうとはしなかった。
しかしながら、その隆司が癌になったと知ると、皆人の心を忘れていないようで、母順子の悲しみに同情する者が大半を占めた。
一方の林田は、
「ああ、そうなんですか?」
と答えるだけだった。
「林田先生、この件について、クラスメイトに伝えるかどうか、ですが……」
校長が話始めると、林田はすぐさま遮った。
「必要ないでしょう。生徒たちに余計な心配をさせる必要はないはずです。それに……彼だってそんなことは望んでいないでしょう?」
そう言い残して、自らのクラスに向かった。林田のいなくなった職員室の空気は暗くよどんでいた。
朝のホームルームを告げるチャイムが鳴って、林田は3年1組の教室に入った。
「ああ、特に連絡事項はありません。皆さんの方から何かありますか?」
こう尋ねると、学級委員の高木が手を挙げた。
「なんだね、高木?」
「先生、赤田君は今日も休みですか?」
高木は隆司を気遣うフリをした。高木は成績、運動共に中学の首席で県内トップの進学校を目指していた。優秀である人間は僻まれるのが常であるが、高木の場合は一概にそうでもなかった。学級委員として、クラスメイトの困っていることを拾い上げ、それを改善する手立てを講じるのが上手かった。つまり、クラスメイトから好かれていた。
しかしながら、これは高木の策略であり、いい人ぶることが自分の評価をさらに上げる手段だと考えていた。本来ならば見向きもされない隆司のことさえ気にかけているアピールをすることで、高木の株はさらに上がろうとしていた。
「ああ、今日も体調がよくないらしいな」
林田は詳細を明かさなかった。
「そうですか。それでは放課後に、赤田君の家に伺いたいと思うのですが」
高木がこう言うと、クラスメイト達は笑った。
「高木君が心配する必要はないよ。ねえ、先生?」
隆司と同レベルだが、愛嬌のある小沢がそう言った。
「小沢君、僕は分け隔てなく接したいのです。赤田君だって、クラスメイトじゃないですか。僕は彼のことが心配で心配でたまらないのです……」
「そうなのかい?やっぱり高木君は聖人君主様だなあ」
聖人君主と言うのは、高木のあだ名だった。
「ねえ、先生。いいですよね?」
高木が質問するものだから、林田は、もう少し話を補足した。
「ああ、実はだな、赤田はいま、入院しているんだ」
入院、と聞いて、生徒たちはさすがに動揺した。高木はその原因について、大方の目星をつけた。そして、ざわつく生徒たちに語りかけた。
「ひょっとして……盲腸ですか?そうなんですね?ああ、気の毒に。あれはものすごく腹の痛くなる病気ですからね。僕も小学生の頃に手術したんですよ。ああ、あれはものすごく痛かった」
「へえ、高木君も盲腸やったことあるの?そうなんだ!高木君と同じ病気になるだなんて、赤田も名誉なこった!」
小沢がこう言って、一瞬暗くなりかけたクラスの雰囲気が明るくなった。
「ねえ、盲腸なんですよね?」
高木は林田に問うた。
「ええっ……まあ、そんなところだな。しばらくしたら元気になって帰って来るはずだ」
林田はこう答えて、この場を過ごした。
「とにかく、みんなで赤田が無事に退院して、元気に戻ってくるのを祈ろうじゃないか。はい、ホームルームは終わり。1限目の準備をしていいぞ」
林田はそう言い残して、教室を後にした。
「林田先生はまだ来ていないみたいですよ?」
隣のクラスの担任がそう言った。
「まだ来ていないだって?もう8時じゃないか?」
「正確には7時59分です。林田先生は8時ぴったりにならないと来ないんですよ」
話をしているうちに、8時をまわった。職員室のドアが開き、林田が入ってきた。
「おはようございます……」
誰にも聞こえないほど小さな声で挨拶をして、林田は自分の机に向かった。
「ああ、林田先生!赤田君のお母さんから連絡が入ったんですよ」
校長が、赤田、と言って、林田は振り向いた。
「赤田……あいつが何かやらかしたんですか?」
林田はめんどくさそうな顔をした。
「違う、そういうことじゃなくて。赤田君は昨日から欠席しているでしょう?今、彼は入院しているみたいなんですよ」
校長が真剣に語っても、林田は、
「ああ、そうですか」
と、まるで他人事のような受け答えしかしなかった。
「ああそうですか、じゃなくて、これは赤田君にとって一大事なんですよ。病名は大腸癌だそうです……」
校長が、大腸癌、と言って、その場に居合わせた教員のほとんどが驚きを隠せなかった。
「中学生が癌だって?そんなバカな……」
「あれだけ元気そうにしていたのに……」
隆司がバカで運動音痴で帰宅部であることを知っている教員は多かった。なんとかして、成績を上げようと試みる若い熱血教員がいれば、中年の教員は、どうせ何をしても変わらないと嘆き、担任の林田は、問題児とレッテルを張り、積極的に関わろうとはしなかった。
しかしながら、その隆司が癌になったと知ると、皆人の心を忘れていないようで、母順子の悲しみに同情する者が大半を占めた。
一方の林田は、
「ああ、そうなんですか?」
と答えるだけだった。
「林田先生、この件について、クラスメイトに伝えるかどうか、ですが……」
校長が話始めると、林田はすぐさま遮った。
「必要ないでしょう。生徒たちに余計な心配をさせる必要はないはずです。それに……彼だってそんなことは望んでいないでしょう?」
そう言い残して、自らのクラスに向かった。林田のいなくなった職員室の空気は暗くよどんでいた。
朝のホームルームを告げるチャイムが鳴って、林田は3年1組の教室に入った。
「ああ、特に連絡事項はありません。皆さんの方から何かありますか?」
こう尋ねると、学級委員の高木が手を挙げた。
「なんだね、高木?」
「先生、赤田君は今日も休みですか?」
高木は隆司を気遣うフリをした。高木は成績、運動共に中学の首席で県内トップの進学校を目指していた。優秀である人間は僻まれるのが常であるが、高木の場合は一概にそうでもなかった。学級委員として、クラスメイトの困っていることを拾い上げ、それを改善する手立てを講じるのが上手かった。つまり、クラスメイトから好かれていた。
しかしながら、これは高木の策略であり、いい人ぶることが自分の評価をさらに上げる手段だと考えていた。本来ならば見向きもされない隆司のことさえ気にかけているアピールをすることで、高木の株はさらに上がろうとしていた。
「ああ、今日も体調がよくないらしいな」
林田は詳細を明かさなかった。
「そうですか。それでは放課後に、赤田君の家に伺いたいと思うのですが」
高木がこう言うと、クラスメイト達は笑った。
「高木君が心配する必要はないよ。ねえ、先生?」
隆司と同レベルだが、愛嬌のある小沢がそう言った。
「小沢君、僕は分け隔てなく接したいのです。赤田君だって、クラスメイトじゃないですか。僕は彼のことが心配で心配でたまらないのです……」
「そうなのかい?やっぱり高木君は聖人君主様だなあ」
聖人君主と言うのは、高木のあだ名だった。
「ねえ、先生。いいですよね?」
高木が質問するものだから、林田は、もう少し話を補足した。
「ああ、実はだな、赤田はいま、入院しているんだ」
入院、と聞いて、生徒たちはさすがに動揺した。高木はその原因について、大方の目星をつけた。そして、ざわつく生徒たちに語りかけた。
「ひょっとして……盲腸ですか?そうなんですね?ああ、気の毒に。あれはものすごく腹の痛くなる病気ですからね。僕も小学生の頃に手術したんですよ。ああ、あれはものすごく痛かった」
「へえ、高木君も盲腸やったことあるの?そうなんだ!高木君と同じ病気になるだなんて、赤田も名誉なこった!」
小沢がこう言って、一瞬暗くなりかけたクラスの雰囲気が明るくなった。
「ねえ、盲腸なんですよね?」
高木は林田に問うた。
「ええっ……まあ、そんなところだな。しばらくしたら元気になって帰って来るはずだ」
林田はこう答えて、この場を過ごした。
「とにかく、みんなで赤田が無事に退院して、元気に戻ってくるのを祈ろうじゃないか。はい、ホームルームは終わり。1限目の準備をしていいぞ」
林田はそう言い残して、教室を後にした。
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