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【10章・俯瞰して、見える景色には/祷SIDE】
『10-1・機影』
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パンデミック発生から二ヶ月後。季節は冬へと近付きつつあった。
「明瀬ちゃん、やっぱりここを出よう」
私は机の上に並べた食料を前にそう唸る。
パンデミックが起きたあの日から二ヶ月が経った。学校から脱出した私達は、明瀬ちゃんの家に辿り着くことが出来た為、そこで籠城していた。震災時用の食料品と水、買い込んであった冷蔵庫の備蓄、そして最初の数日は水道が出たのでストックすることができた。しかし、そのどれもが無くなりそうであった。2Lのペットボトルが2本、缶詰とカップ麺が数個のみ。救助の可能性を願って二ヶ月やりくりしてきたが、ここが限界だろうと思った。
何度も外へ捜索へ出ているものの生存者の影すらなく、街中にはゾンビしかいなかった。情報が入ってこない故に断言は出来ないものの、感染は大規模なものになっているのは間違いない。
「この一帯はもう限界だから」
「ここを出て、どこに行くの」
「それは……」
答えが見付からず、私は鉄製のマグカップに水を注ぐ。杖を翳して微かな火を灯した。湯が沸いてカップ麺にお湯を入れて、私達は会話も無く食べた。明瀬ちゃんが黙り込んで部屋の隅にうずくまったので、私はでかけてくると言った。魔女の帽子とマントを羽織る。魔女の杖を持って、ボディバッグを背に回す。
家の二階へ上がって、折り畳み式の梯子を担いで窓から屋根に出る。周囲を見回してから、ゆっくりと梯子を下に降ろした。庭へと降り立つ。
手帳を開いて地図を見る。周囲一帯の家は調べ尽くした。此処から徒歩10分圏内で行っていない家は、残り一軒。そこを目的地とした。
家の周囲にゾンビの姿は無いことは、二階から確認している。庭の裏口からそっと出て、私は走り出す。
この二ヶ月の生活を経て、ゾンビについて分かった点は幾つかある。その経験と知識によって、外の探索も無事に行えていた。
ゾンビはやはり音に反応しており、視力は高くない。ある程度の距離があれば、こちらには気が付かない。嗅覚もやはり発達しているが、血液の匂いくらいにしか反応しないようで、私の事を匂いで判別している素振りは見られない。
ゾンビは不規則な行動パタ-ンで彷徨ってはいるが、そこまで活発ではない。遭遇頻度もそこまで多くはない。周囲が閑静な住宅街である事も関係してゾンビ自体の数が少ないのと、ゾンビの習性として彼等が密集する事が理由だった。
故に、明瀬ちゃんの家で鍵を閉め切り窓を塞ぎ、大きな音を立てなければ、家が襲われるという事態は一度も無かった。私一人が周囲の家から食料を調達してくる形で2カ月間、生き延びて「は」いた。
けれど。
「それは生きてるだけだ」
何処かで聞いた台詞が、私の口をついて出た。
目的の家に着いて、私は門からそっと中を覗きこんだ。小さい庭のある2階建ての戸建てである。私一人で調達した食料や水を抱えて走り回るには、ここが限界の距離だった。私の魔法で倒せても、その音でゾンビの群れをおびき寄せては危険だった。遭遇せずに生き残る事が一番適していた。
「ごめんなさい、お邪魔します」
玄関の戸は閉まっていたので、私は庭に回り込む。庭に面したリビングの大きな窓から中の様子を伺う。ガラスに杖の先をそっと近付けた。炎を灯して暫く待つ。
焼き破りという空き巣の手口を、昔ネットで見て知っていた。ガラスを熱してヒビをいれ、ペットボトルで持ってきた少量の水をかける。そして杖で小突いてガラスに穴を開ける。開けた穴を広げて、手を突っ込み内側の鍵を開けるのである。
窓を開けると、中からむせ返るような異臭がする。嫌な予感がした。
家の中に踏み入れると床には食品のゴミが散乱していた。表面は乾ききっている。何処かから漂う腐臭が、私の肺を一杯にして意図せず涙が染み出す。耳元でハエの羽音が鳴って、私は顔を歪めて見回すと部屋中でハエが飛び回っていた。床に落ちた空の食品容器から、這い出してきた黒い影から目を逸らしてゆっくりと進む。
「っ!」
キッチンで首を吊っている男性がいた。ロープが首に食い込み、その顔は人の物とは思えない程腫れあがっていて人相は分からない。口の隙間から舌が外へ伸びていて、それは黒く変色し、奇妙なオブジェの様だった。肌には青紫色の紋様の様に血管が浮かび上がっていて変色していた。私の気配を察してか、その男性の身体から一斉にハエが散って羽音を立てて飛び回る。彼のつま先が擦れている床には、糞尿が散っていて既に乾ききっていた。
強烈な腐臭が此処から湧き出していて、私はさっき食べたカップ麺をたまらず床に吐き出す。胃液が喉を焼き、呼気が乱れるも、腐臭が身体の中に入ってきて、より一層の吐き気を催す。
死体は見慣れた筈だったが、この臭いだけは駄目だった。死体が発するガスが目を焼き、涙で視界が歪みながら、私はキッチンを漁った。目ぼしい物はなく、電気が止まり只の箱と化している冷蔵庫からケチャップを見つけた。私は苛立ってそれを床に叩き付ける。
食料が尽きて、諦めたという所だろうか。キッチンを出ようとして、つい亡骸を見てしまう。彼の近くには遺書らしき長文の紙と、家族らしき人達と写っている写真があった。私は無視して家を出る。
「私は違う」
私は負けない。
家を出て道路に出た所で、私の足は止まる。ゾンビの姿が見えた。十数メートル先の位置からこちらに向かって歩いてきている。ゾンビには2種類のゾンビがいる。歩行のみを行う通常のゾンビ[私は「ウォーカー」と名付けた]と、走る事が出来るゾンビ[短距離走者という意味で「スプリンター」と呼んでいた]だった。走る事の出来るゾンビは非常に俊敏で、私の走る速度とは比較にならない程速い。
じっと睨み付けていても、彼等は走り出す気配が無かった。スプリンターでなければ逃げ切れる、と私は咄嗟に踵を返した。先程の死臭が外に漏れて嗅ぎ付けたのかもしれない。
周囲の道は把握している、十分に煙に撒ける。件の走るゾンビでなければ、道を塞がれなければ問題ない。その場から駆け出して距離を離すと、電柱の陰で私は息を整えた。深呼吸する度に、冬の気配が混じった冷たい空気が私の肺を刺す。私の呼吸の音が大人しくなると、何処からか、鈍い音が聞こえてきた。
「ヘリコプタ-?」
「明瀬ちゃん、やっぱりここを出よう」
私は机の上に並べた食料を前にそう唸る。
パンデミックが起きたあの日から二ヶ月が経った。学校から脱出した私達は、明瀬ちゃんの家に辿り着くことが出来た為、そこで籠城していた。震災時用の食料品と水、買い込んであった冷蔵庫の備蓄、そして最初の数日は水道が出たのでストックすることができた。しかし、そのどれもが無くなりそうであった。2Lのペットボトルが2本、缶詰とカップ麺が数個のみ。救助の可能性を願って二ヶ月やりくりしてきたが、ここが限界だろうと思った。
何度も外へ捜索へ出ているものの生存者の影すらなく、街中にはゾンビしかいなかった。情報が入ってこない故に断言は出来ないものの、感染は大規模なものになっているのは間違いない。
「この一帯はもう限界だから」
「ここを出て、どこに行くの」
「それは……」
答えが見付からず、私は鉄製のマグカップに水を注ぐ。杖を翳して微かな火を灯した。湯が沸いてカップ麺にお湯を入れて、私達は会話も無く食べた。明瀬ちゃんが黙り込んで部屋の隅にうずくまったので、私はでかけてくると言った。魔女の帽子とマントを羽織る。魔女の杖を持って、ボディバッグを背に回す。
家の二階へ上がって、折り畳み式の梯子を担いで窓から屋根に出る。周囲を見回してから、ゆっくりと梯子を下に降ろした。庭へと降り立つ。
手帳を開いて地図を見る。周囲一帯の家は調べ尽くした。此処から徒歩10分圏内で行っていない家は、残り一軒。そこを目的地とした。
家の周囲にゾンビの姿は無いことは、二階から確認している。庭の裏口からそっと出て、私は走り出す。
この二ヶ月の生活を経て、ゾンビについて分かった点は幾つかある。その経験と知識によって、外の探索も無事に行えていた。
ゾンビはやはり音に反応しており、視力は高くない。ある程度の距離があれば、こちらには気が付かない。嗅覚もやはり発達しているが、血液の匂いくらいにしか反応しないようで、私の事を匂いで判別している素振りは見られない。
ゾンビは不規則な行動パタ-ンで彷徨ってはいるが、そこまで活発ではない。遭遇頻度もそこまで多くはない。周囲が閑静な住宅街である事も関係してゾンビ自体の数が少ないのと、ゾンビの習性として彼等が密集する事が理由だった。
故に、明瀬ちゃんの家で鍵を閉め切り窓を塞ぎ、大きな音を立てなければ、家が襲われるという事態は一度も無かった。私一人が周囲の家から食料を調達してくる形で2カ月間、生き延びて「は」いた。
けれど。
「それは生きてるだけだ」
何処かで聞いた台詞が、私の口をついて出た。
目的の家に着いて、私は門からそっと中を覗きこんだ。小さい庭のある2階建ての戸建てである。私一人で調達した食料や水を抱えて走り回るには、ここが限界の距離だった。私の魔法で倒せても、その音でゾンビの群れをおびき寄せては危険だった。遭遇せずに生き残る事が一番適していた。
「ごめんなさい、お邪魔します」
玄関の戸は閉まっていたので、私は庭に回り込む。庭に面したリビングの大きな窓から中の様子を伺う。ガラスに杖の先をそっと近付けた。炎を灯して暫く待つ。
焼き破りという空き巣の手口を、昔ネットで見て知っていた。ガラスを熱してヒビをいれ、ペットボトルで持ってきた少量の水をかける。そして杖で小突いてガラスに穴を開ける。開けた穴を広げて、手を突っ込み内側の鍵を開けるのである。
窓を開けると、中からむせ返るような異臭がする。嫌な予感がした。
家の中に踏み入れると床には食品のゴミが散乱していた。表面は乾ききっている。何処かから漂う腐臭が、私の肺を一杯にして意図せず涙が染み出す。耳元でハエの羽音が鳴って、私は顔を歪めて見回すと部屋中でハエが飛び回っていた。床に落ちた空の食品容器から、這い出してきた黒い影から目を逸らしてゆっくりと進む。
「っ!」
キッチンで首を吊っている男性がいた。ロープが首に食い込み、その顔は人の物とは思えない程腫れあがっていて人相は分からない。口の隙間から舌が外へ伸びていて、それは黒く変色し、奇妙なオブジェの様だった。肌には青紫色の紋様の様に血管が浮かび上がっていて変色していた。私の気配を察してか、その男性の身体から一斉にハエが散って羽音を立てて飛び回る。彼のつま先が擦れている床には、糞尿が散っていて既に乾ききっていた。
強烈な腐臭が此処から湧き出していて、私はさっき食べたカップ麺をたまらず床に吐き出す。胃液が喉を焼き、呼気が乱れるも、腐臭が身体の中に入ってきて、より一層の吐き気を催す。
死体は見慣れた筈だったが、この臭いだけは駄目だった。死体が発するガスが目を焼き、涙で視界が歪みながら、私はキッチンを漁った。目ぼしい物はなく、電気が止まり只の箱と化している冷蔵庫からケチャップを見つけた。私は苛立ってそれを床に叩き付ける。
食料が尽きて、諦めたという所だろうか。キッチンを出ようとして、つい亡骸を見てしまう。彼の近くには遺書らしき長文の紙と、家族らしき人達と写っている写真があった。私は無視して家を出る。
「私は違う」
私は負けない。
家を出て道路に出た所で、私の足は止まる。ゾンビの姿が見えた。十数メートル先の位置からこちらに向かって歩いてきている。ゾンビには2種類のゾンビがいる。歩行のみを行う通常のゾンビ[私は「ウォーカー」と名付けた]と、走る事が出来るゾンビ[短距離走者という意味で「スプリンター」と呼んでいた]だった。走る事の出来るゾンビは非常に俊敏で、私の走る速度とは比較にならない程速い。
じっと睨み付けていても、彼等は走り出す気配が無かった。スプリンターでなければ逃げ切れる、と私は咄嗟に踵を返した。先程の死臭が外に漏れて嗅ぎ付けたのかもしれない。
周囲の道は把握している、十分に煙に撒ける。件の走るゾンビでなければ、道を塞がれなければ問題ない。その場から駆け出して距離を離すと、電柱の陰で私は息を整えた。深呼吸する度に、冬の気配が混じった冷たい空気が私の肺を刺す。私の呼吸の音が大人しくなると、何処からか、鈍い音が聞こえてきた。
「ヘリコプタ-?」
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