スイングバイBye(短編集)

茶竹抹茶竹

文字の大きさ
1 / 10
スイングバイBye

スイングバイBye・01

しおりを挟む
 高校の歴史の授業であたしは地球環境悪化の経緯と、それによって人類が滅亡間近であると習った。

 物理の授業で特殊相対性理論の呪文の様な数式と、実用化された惑星間亜光速航法の原理を学んだ。

 ネットのニュースで地球滅亡の前に人類が移住可能な惑星を探す世界規模のプロジェクトが始まったのを見た。

 病院で受けた血液検査であたしの遺伝子には他の惑星に適性があると言われた。黒いスーツを着た人が家にやってきて英語で書かれた長い誓約書を読まずにサインした。

 それで、親友と大喧嘩をした。

 そして、あたしは宇宙にいる。

 窓の外には地球が見えた。教科書や映画で見たことがある大きな青い球体が暗闇にぽつりと浮かんでいる。果てが見えない真っ暗な世界の中で美しく輝いて見えた。

 地球が汚染されて住めなくなるなんて話が嘘のように思える。

 部屋の壁に備え付けられたモニターが点灯した。CGで描かれた月の外観と真っ暗な背景を進む宇宙船の姿を描き出す。

 あたしの乗っている宇宙船は月の近くまで到達したらしい。数時間前にはまだ地球にいたのに、急に月まで来たと言われると妙な気分になる。

 部屋のドアが開くと宇宙船の女性クルーである「巴さん」が空中を泳ぐようにして部屋の中に入ってきた。

 壁に据え付けられた金属のバーを器用に使って、空中に浮いた身体をゆっくりと沈み込ませて床に着地する。

 巴さんの長い黒髪は風もないのにふわふわと揺れていた。まさに宇宙っぽい光景だ。

 巴さんは正式な訓練を受けた宇宙飛行士だ。宇宙船搭乗メンバーの中で一番若い女性であたしと同じ日本人ということもあって、素人のあたしの世話を焼いてくれる。

 訓練中は厳しいけれど普段は気さくで優しい人だった。

「咲ちゃん、調子はどう?」

 そう言いながら巴さんは、あたしの座っている椅子のシートベルトを外した。抑えつけられていたものがなくなって、あたしの身体は勝手に空中に浮かびあがる。

 とっさに椅子の背もたれを掴んで腕の力を使い、ゆっくりと身体を動かす。

 例えるならプールの床に立つような感じ。

 出発前に無重力状態の訓練を何度も経験はしたけれども、地面に足が着かない感覚にはまだ慣れない。

 あたしが宇宙にいるということも、これから遠い惑星を目指すことも、それが人類の命運を握っていることも。

 どれもこれも現実感がない。

 地球環境の悪化によって滅亡の危機を迎えていた人類はとある計画を立てた。

 それは地球を捨て、別の惑星に人類が移住するというものだ。あたしが乗っている宇宙船はその為に開発されたもので、実験に成功したばかりの惑星間亜光速航法エンジン、平たく言うとワープ航法の為のエンジンが搭載されている。

 この宇宙船で遠い惑星へと向かい、人類の移住地とする為の現地調査と前線基地の設置を行う計画だった。

 遺伝子的に適性があるという理由で、ただの女子高生のあたしがメンバーに選ばれた。宇宙船の乗員数六人の内の一人。

 あたし以外は皆、世界中から選抜された宇宙飛行士の精鋭ばかりだ。

 あたしはつい弱気な言葉を吐いてしまう。

「あたしなんかが選ばれた実感はまだわかないですけど」

「君にしか出来ないことだよ、自信をもって」

 巴さんは笑顔であたしの肩を叩いた。分厚い宇宙服の上からでも分かる力強い感触だった。

 あたしにしか出来ないこと。その言葉が頭の中で響く。あたし達は人類を救うために遠い惑星まで向かう。

 巴さんが手首の情報端末を確認して口を開いた。

「大事なことを伝えにきた。出発前にも説明してるけど今からこの宇宙船は惑星間亜光速航法、通称ワープ航法を開始する。ワープ中は光の速度の約97パーセントというスピードだ。そして惑星間通信の圏内からは完全に外れる。次に地球と通信が出来るのは私達のミッションが完了した時、つまり移住候補の惑星での作業を終えて地球に戻ってきた時だ。私達にとっては十年後、地球上の時間では三十年後になる」

 出発前に受けた訓練の中でその説明は受けた。難しい物理の話だ。

 この宇宙船は今現在は秒速約20kmで航行しているが、ここからはワープ航法になる。ワープ中の速さは秒速約29万1000km、光の速度の約97パーセントにも達する。

 それだけの速度であたし達が移動すると何が起きるかというと、一種のタイムトラベルが発生するという。

 地球にいる人々との時間の進み方がズレてしまうのだ。

 光に近い速さで地球から遠ざかっていくあたし達と地球の間には、移動速度という大きな隔たりが生じる。両者の速度がそれだけ違ってしまうと相手の時間はひどく遅く進んでいるように見えるのだ。

 具体的には、あたし達が目的の惑星に向けてワープをし続ける数年の間に地球では十年以上の時間が経過してしまう。

 四倍近い時間の隔たりが生じてしまうのだ。

 それはつまり、次に地球に戻ってきたときには何もかも変わっているということで、家族とも友達とも二度と会えなくなるかもしれないということだった。

「通信したい相手がいるなら今のうちだよ。ワープ航法の時間が迫っている」

 まるで心の中を見透かされたような言葉に動揺した。あたしが顔を上げると巴さんは優しく微笑む。その優しい表情に、あたしは言葉を絞り出す。

「実は幼なじみと喧嘩して、仲直りしないまま飛び出してきちゃったんです」

 あたしが幼なじみの「紗枝」と出会ったのは小学生の時だった。

 少し変わった子で不思議な雰囲気を漂わせていた。他の子達の輪に加わろうとしないで、いつも教室の隅で難しい本を読んでいた。放っておくとどこかへ消えてしまいそうな気がして、あたしから声をかけたのを覚えている。

 それを切っ掛けにしてあたし達は仲良くなった。

 紗枝は小さい頃から頭が良かった。勉強は勿論、人の話を理解するのも早かった。運動も出来たし手先も器用で、才能の塊みたいな子だと思っていた。

 高校生になると周囲との差は歴然だった。もちろん、あたしとも。

「昔から頭がよくて何でも出来て、あたしが逆立ちしたって絶対にかなわない子」

 そんな紗枝がずっと眩しかった。

「ちょっと嫉妬してたのかも。だから宇宙に行く話があたしのところに来た時、嬉しかったんです。あたしにも紗枝に負けないところがあるんだぞって、言いたかった」

 でも紗枝はあたしが宇宙に行く話にずっと反対で、勝手にそんなことを決めたあたしに腹を立てていて。

 あたしが何を言っても紗枝は聞いてくれなくて、出発前日に喧嘩別れをしてしまった。

 きっと紗枝には分からない。あたしが紗枝のことを眩しいと思う気持ちなんて。

 あたしの話を聞いて巴さんは優しい口調で言う。

「今、その子と仲直りしないとずっと後悔するよ」

「紗枝は気にしてないかも。あたしのこともどうでもいいのかもしれない。次に戻ってきた時には地球では数十年経ってるんですよね、きっとあたしのことなんて忘れてます」

「それは違う」

 あたしの言葉に巴さんは断言する。窓の外、地球の方を振り返り見ながらあたしに言う。

「私達と地球の時間は確かに相対的なズレが生じる。私達から見れば地球の時間は一瞬で過ぎてしまったようには見える。でもそう見えるだけだ。君が寂しく感じた時間と同じだけ、その子も同じ時間をこれから過ごすんだ。それは一瞬なんかじゃない」

 宇宙船の内部放送でワープ航法までのカウントダウンが始まった。巴さんは操縦室に戻ると言って部屋を出て行く。あたしは部屋に一人取り残される。

 机の上に設置された通信端末へと手を伸ばした。通信機能を立ち上げる。

 紗枝に向けたテキストメッセージを入力したところで手が止まる。「ごめん」という一言が、あたしに送信ボタンを押されるのを待っていた。

 カウントダウンは進み続けている。地球との通信リミットが迫っていた。

 これが最後のチャンスなのに、それなのにたった一言が送れない。

 次に会えるのは十年後、紗枝にとっては数十年後。それでもあたしはためらってしまう。謝らなくて済む理由をずっと探している。

 あたしが悩んでいる間、紗枝は何をしているんだろう。あたしのことで悩んでなんかいないんだろう。

 ワープする十秒前。九秒前。八秒前・・・・・・。

 通信端末に一通のメッセージが届いた。

 紗枝からだった。

『ごめん。咲がいない地球は寂しい』

 そのメッセージにあたしは急いでメッセージを打ち直す。

「待ってて」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

春に狂(くる)う

転生新語
恋愛
 先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。  小説家になろう、カクヨムに投稿しています。  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

処理中です...