スイングバイBye(短編集)

茶竹抹茶竹

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スイングバイBye

スイングバイBye・03(最終話)

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 生暖かい霧のような雨が降っている。

 雲がめまぐるしく動いて形を変えると空は一瞬で明るくなっていく。

 地球よりも気候の変動が激しいのは大気と重力が地球とは異なるからだ。

 けれど、知識としてはおぼえていても地球の空がどんな光景だったかは思い出せない。

 最後に地球を見たのはあたしの観測時間で十七年前だ。



 地球から遠く離れた惑星で、あたしは一人巨大な湖の浅瀬に寝転がっていた。

 そして宇宙服の手首に装着された携帯端末を操作する。

 幼なじみの紗枝に宛てて、届くはずのないメッセージを打ち始める。



 地球から出発した宇宙船は人類の移住候補となっていた惑星に辿り着いた。あたしの観測時間で三年後、地球時間に換算すると十二年後だった。

 地球からの観測と計算によって惑星の環境は推測されてはいたけれど、事前の期待を大きく上回る結果だった。人類が移住する為の理想的な環境が整っていた。



 人類が移住し生存する為には、いくつかの条件がある。

 第一に惑星と恒星との距離だ。例えば地球と恒星である太陽は最適な位置関係にある。太陽との距離が近すぎる水星や金星は表面温度が400℃を超えている、逆に遠すぎれば光の届かない冷たい星となってしまう。

 この惑星と恒星の位置関係は適切な距離だった。



 惑星の大きさと重力も重要だ。惑星の適切な重力は水を液状のまま繋ぎ止め、大気の形成にも関与する。この惑星はその条件を満たしており、地表には大量の水が存在するばかりか、大気中の窒素、酸素、二酸化炭素の割合が地球の大気と似ていた。

 昼夜の寒暖差が激しく気温は日中30℃、夜は氷点下50℃になるという問題はあったが、人類の生存は決して不可能ではない気温だった。



 ミッションの第一段階は成功で、移住する為の作業が始まった。

 まず前線基地を建設し活動拠点を作る。

 建設といっても一から土台を作り骨組みを組んでいくわけではない。空気で膨らませると家屋並みの大きさになる巨大なテントが宇宙船に積み込んである。

 見た目に反して十分な強度と拡張性を備えたものだ。それによって外気や紫外線等を遮断した快適な居住区を作る。

 次に惑星の大気や水を利用するための濾過システムの設置と試験が始まった。宇宙船には水や空気の循環システムが存在している。ただ、それを利用しているだけでは人類が移住したとは言えないし、システム自体も無限に使えるものではない。今後、人類が移住してくるのに向けて安全な水と空気の確保は必須だった。



 さらに食糧確保の為に植物栽培も行った。恒星からのエネルギーと水が十分にあったので、外気温を遮断した屋内栽培ならば順調に軌道に乗った。

 何もない陸地に苔類の植生を行って地表を覆っていけば、今後より快適な気候に近付いていくことも期待出来る。



 平行して地形や気象の調査も進めると、水中や地表にバクテリアが存在していることを発見した。小さくて肉眼では見えないけれど、それは間違いなく地球外生命体で、未知との遭遇に私達は興奮した。この惑星はまさに理想的な命の星だったのだ。



 作業はどれも順調だった。

 宇宙船のメンバー達は人類の新天地を切り開いていく気概と自信に満ちていた。あたしは彼らから少しずつ知識や経験を学んだ。不器用で不慣れなあたしのことを皆は笑いながらも励ましてくれた。

 あたし達の観測時間において十数年が経過する間に、あたしも一人前と認められるようになっていった。



 そして、あたしがメンバーに選ばれた理由を初めて理解した。

 宇宙線と呼ばれる宇宙から降り注ぐ放射線被爆で巴さんが衰弱死した。昼夜の寒暖差に耐えきれず体調を崩した一人は眠ったまま死んだ。

 原因不明の病で一人があっさりと死に、一人は地表から吹き出した高濃度のガスで中毒症状を起こして苦しみながら死んだ。

 最後の一人は昨夜死んだ。この惑星で初めて経験した巨大な嵐に巻き込まれた。



 そして、この惑星に残されたのはあたしだけになった。

 仰向けのまま首を傾ける。昨夜の嵐によって破壊された宇宙船と瓦礫に変わった前線基地が見える。全てが残骸となって水の上に浮かんでいる。

 徐々に空は暗くなりつつある。この惑星の夜の最低気温は氷点下50℃。

 更に問題なことに、あたしの着ている宇宙服は嵐で飛んできた瓦礫によって大きく破損していた。瓦礫は分厚い宇宙服の下まで貫通している。出血は止まっているものの全身は痺れていた。脈拍に合わせて鈍痛が頭に響いて思考を鈍らせる。

 この状態で夜になれば間違いなく凍死する。急いで前線基地を修復して寒さをしのぐ必要があった。



 けれど、手足どころか指先さえ動かせない。分かっていても動けない。

 疲れ切っていた。身体も、そして心も。

 だから、あたしは待っている。

 地球を発ってから、あたしが観測している時間で十七年という長い月日が経った。三年間ワープ航法を続けていたことを考えると、地球時間換算だと約二十六年になる。



 それだけの時間をかけて行った惑星の開拓は失敗した。仮に破損した宇宙船の修理が出来て地球に引き返したとしても、ワープ航法を行っている間に地球時間換算で約十二年はかかる。

 あたし達が出発してから約四十年後の地球、そんな場所に多くの期待を裏切って一人で帰るなんて出来そうもなかった。



 だから、あたしは待っている。

 全てが終わってしまう瞬間を。

 あたしの時間が止まる瞬間を。

 寒さで指先が動かなくなってくる。

 紗枝へのメッセージをまだ全部打ち終わっていないのに。

 地球を離れる時に送った、あの短いメッセージとは比較にならないくらい長い長い文。それをいくら打ち込んでも、それでもまだ伝えたいことがいくつもあった。あの時ためらって送れなかった言葉が、今はいくつもあふれ出てくる。



 あたし達の時間はズレた。

 光に近い速度で進むごとに、遠い惑星で過ごすごとに、あたし達の時間はズレていく。

 今、紗枝は何をしているのだろうか。紗枝の時間はどんな形だったのだろうか。

 あたしは此処で立ち止まって終わりを迎える。あたし達のズレた時間は永遠に重なることがなくなった。

 伝えたい言葉はどれだけ時間をかけても届かない。

 そのことが、遠のく意識の中で、ただひたすらに哀しい。

 湖の水が冷たくて身体の熱を奪っていく。空が暗くなっていく。

 ひどく眠い。

 力が抜ける。

 視界は霞む。

 遠くの方に。

 光が見えた。

 光が。

 光。

 光だ。

 あれは光だ。

 空で光った。

 点滅してる。

 大きくなる。

 いや、違う。

 近付いてきているのだ。あたしは眩しくて光に向けて目をこらす。

 それは恒星や星の光とは違うものだった。夜が明けたように空が急に明るくなり轟音と風が吹き荒ぶ。まるで嵐のような暴風だった。あたしの方に近付いてくるのが分かる。



 光は大きくなる。空から迫ってきていた。隕石かと思ったけれど違う。巨大な人工物だ。

 航空機を平たく潰したような外見をしていて、それが強烈な風を吹き出しながら周囲を明るく照らしているのだった。

 その物体は着陸というよりも落下に近いスピードで激しく湖に着水した。衝撃波が巻き起こり身体が吹き飛びそうになる。落下物の周囲では柱のような水飛沫が空高く上がった。

 光源がより近くなって、その眩しさから視界が真っ白になる。

 誰かがあたしの手を握った。

 指先の感覚がなくなっていても、分かるくらいに力強く。

 誰かの顔が微かに見えて、あたしは笑った。

 三十歳前後の見知らぬ女性の顔。けれども懐かしく感じた。



「待ってて、って言ったのに」





♯3-2



 私の腕の中に咲がいた。

 十七年という年月を経て、地球から遠く離れた惑星で。私は幼なじみと再会した。

 言葉に出来ない感情が胸を締め付けて呼吸が苦しい。気付かないうちにあふれ出した涙で視界が歪む。

 だが感傷に浸ってる暇は無い。

 この惑星の外気温は氷点下をとっくに下回っている。足下に広がる水の上には氷が張り始めていた。

 気密性が保たれ温度調整機能が備わっている宇宙服ならば問題はないが、咲の宇宙服は大きく破損していた。何層にも折り重なった断熱素材には亀裂が入っており赤黒い血液の染みも見える。周辺には機材の残骸が散乱していた。

 咲の乗っていた宇宙船が大きく破損しているのも見える。恐らく嵐か何かに巻き込まれたのだろう。

 破損して空気が漏れ出ている宇宙服では体温を保てる筈もない。人間の体温は30℃を下回ると身体の硬直や意識の消失といった低体温症の症状が発生する。既に咲の意識はない。凍死の可能性もある危険な状態だった。

 宇宙服のパワードスーツ機能を起動させる。各関節部に配置されたモーターが駆動し私の動きを補佐する。100kgを超える重たい宇宙服を着込んだ咲を抱き上げた。

 水面の凍結が始まってシャーベットのような水が足にまとわりつく。咲を抱えたまま私の乗ってきた宇宙船の元へと急いで戻る。搭乗口から宇宙船内部に踏み込むと、船内全てがエアロックされて外からの冷気を遮断した。

 宇宙船内部の医療用ベッドに咲を寝かせた。まるで大きな卵のような形状をした医療用ベッドには、その側面に複数の計器と手術用のアームが備え付けられている。

 咲の状態をスキャンした医療用ベッドは自動処置を開始した。

 卵の側面から銀色アームが伸びてきて点滴と外傷の手当てを開始する。

 咲の診断結果が判明する。怪我と体温低下による衰弱はひどいが命に別状はないという。気を失っているが処置が終われば目覚める筈だ。

 私は安堵した。気が抜けて改めて咲の顔を見る。

 私の知っている女子高生の咲はそこにはいない。微かに面影はあるが成長した大人の女性になっていた。年齢は私と同じくらいで三十歳前後に見える。

 私が地球にいた頃、咲はずっと年下だった。咲がワープをしている間、地球上の私の時間は遅く進んでいるように見えるからだ。

 だが私達の時間の進み方は入れ替わった。

 私は設計していた新型宇宙船を完成させ、周囲の反対を押し切って一人で乗り込んだ。かつて咲達が行ったように光速の約97パーセントの速さによるワープ航法で遠い惑星を目指した。

 この惑星に辿り着くまでに私の観測時間において三年という時間を要した。時間の進み方がズレるのは両者の相対速度が異なることによって生じる。

 咲が目標の惑星に辿り着き現地で活動している間、その速度は限りなく0に近くなる。

 故に私と咲の時間関係は入れ替わり、私の時間の方が遅く進んでいるように咲には見える。

 そして私達の時間は再びズレた。

 私の三年間のワープは、単純に計算すれば咲の観測時間においては約十二年が経過していることになる。

 咲はその間ずっと、この惑星で開拓を続けていたのだ。

 大人になった咲は昔よりも細く痩せている。身長も伸びたようだ。何より大人の顔つきになった。

 そのやつれた頬のシワは一体どれほどの苦節の跡なのだろうか。宇宙へ飛び出した勇敢で無謀な少女はここにはもう居ない。遠い惑星で戦い続けた一人前の戦士がいた。

 咲に何も出来るはずがないと思っていた過去の自分を恥じた。

 私の手首の情報端末が通知音を鳴らした。

 レーダーによって周囲のスキャンを行っていた宇宙船の管理システムが、その結果を私に伝えてきたのだ。

 周囲の散らばっている残骸は咲達の乗っていた宇宙船と建設中の前線基地だった。

 先遣隊のメンバー達はここに人類の新天地の足がかりを確かに築こうとしていたのだ。

 咲の心情を思うと胸が苦しくなった。

 そして別の問題がより私の心を重くする。

 宇宙船の管理システムが警告を発し続けており、情報端末にはエラーコードが表示されている。エンジントラブルを報せる内容だった。

 この惑星に到着して咲の姿を探していた私は、彼女が倒れているのを発見した。事態は急を要すると判断した私は慌てて宇宙船を乱暴に着陸させた。

 その際にエンジンの一部が破損したのだ。咲を救うことは出来たが重大な事態に陥ったかもしれない。

 咲の呼吸が落ち着いたのを確認して私はエンジンの確認に向かった。



 数時間後。

 私が宇宙船の現状確認を終えて医療室に戻ってくると、ベッドの上で咲が呻きをあげた。ベッドのすぐ側へと急ぎ駆け寄る。

 目を覚ましたばかりの咲は、今の状況が呑み込めない様子で周囲の光景に呆然としていた。

 そして私の顔をまじまじと見つめて、ゆっくりと口を開く。

「紗枝?」

 私はただ頷いた。

 咲が顔を歪ませ、声を震わせ、涙をこぼす。

 私は咲の骨ばった手を取って強く握りしめる。その存在が確かであることを触れて確かめるように。

 それを切っ掛けに咲は声を上げて泣き出した。涙で掠れた声で咲は言う。

「あたし達は失敗した。全部無駄になっちゃった」

「もういい、もういいのよ」

 私は咲を抱きしめる。

 私は地球の話をした。地球と人類は滅亡を免れたことを。咲という存在がいかに世界を動かしていったのかを。それがどれだけ私にとって誇らしいことであったのかも。

「あなたが世界に光を灯した。決して無駄なんかじゃない。あの日のあなたの勇気が、間違いなく世界を変えた」

「あたし、地球に帰れるの?」

 咲の言葉に私は言葉に詰まった。

 地球は救われた。だが。

 宇宙船の設備に関して言えば、どれも問題なく機能している。だが問題はエンジンの方だ。惑星間亜光速航法エンジンの破損は思っていたよりも深刻な状態にあった。

 設備のないこの惑星でどれだけの修理が行えるか分からない。可能性があるとすれば咲の宇宙船に搭載してあるエンジンを利用することだが昨夜の嵐で大きく破損している。

 ワープ航法は高度な技術を要する為、少しの不備でも事故が起きる。

 ワープを使うことを諦めて通常航行で地球に戻るとしても、私達の認識する時間で少なく見積もっても百年はかかる。それだけ宇宙は広大で、この惑星はそれだけ遠い。

 周囲の制止を振り切って単独で惑星へと向かった私に救助が来る見込みもない。仮に救助が来るとしても、どれだけの時間がかかるというのだろう。

 地球と惑星間の通信手段は存在しない。地球が私達の状況を察するとすれば帰還予定である十数年後だ。

 救助隊がすぐに出発したとしても、彼らのワープと私達の相対時間のズレを考慮すると更に時間がかかる。

 この絶望を黙っておく訳にもいかず、私は静かに咲に告げた。

「地球には戻れない。救助もおそらく来ない。私のミスだ」

 咲が私の言葉に危機感なく笑っていた。その笑い方にはいつかの面影があった。咲が出発する前日の懐かしい記憶がよみがえって、私はつい苛立つ。

 それでも咲は楽しそうに笑って言う。

「あたしと紗枝の二人きりっていうのも悪くないかも」

「この惑星で永遠に過ごすことになるかもしれないんだぞ」

「いいよ」

 咲はためらいなく言った。

 ふざけているわけではなく、真剣な口調で。私の手を強く握って、私の目を見つめながら。

「永遠の時間でも足りないくらい、話したい事があるんだ」

 その言葉で私は思い出す。

 今、私が話したいことはそんなつまらないことではなかった。咲が宇宙へ行った日から今という瞬間まで、私はずっと考えていた。

 話すべきこと、話したいこと、伝えたいこと、送っても届かなかった言葉が星の数ほどあって、そのうちの一体どれから話そうかとずっと考えていた。それは咲も同じらしい。

 遠く離れた場所で、大きくズレた時間の中で、それでも私達は同じことを思っていた。

 私達は待っていたのだ。

 私達の時間が再び重なる瞬間を。

【完】
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