骸を狩る

茶竹抹茶竹

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2話

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 狩った骸の処理を終えた頃には日が暮れていた。夜風が吹いて足元の砂が熱を吐き出すと急激に気温が下がり始める。

 枯れ木の枝を折り、携帯していた着火剤を利用して火を起こす。焚き火で湯を沸かし食事と野営の準備を進める。周囲を岩に囲まれ、夜風を防げるこの場所は最適だった。

 私にそれらの作業を一任している間、カンナは狙撃銃を解体し銃身の清掃をしていた。

 布で砂と煤を落とす慣れた手つき。傍らには御神酒が置いてあり、骸狩りに使った道具の穢れを清めるという意味も兼ねている。故に節々に神道の所作が混じる。

 一連の始末を終わらせ、カンナが巫女装束から砂漠用のジャケットに着替える間、私は食事を用意した。

 依頼元から支給されている軍用の携帯食だ。栄養補助剤を添加した大豆ペーストと乾燥した肉片がパウチしてある。それとクラッカーだ。砂漠で食べると砂を噛んでいると錯覚する程度には味に難がある。

 ただ、携帯性に優れる点だけは評価できる。女二人で悪路を踏破するのに荷物の容量は少ないに越したことはない。特に片方は狙撃銃やら神具やらを担いでいるのだから。

 沸いた湯を大きなマグに注ぎ紅茶を淹れる。肌も喉も乾いていた。

 マグカップをカンナに渡す。受け取るその手は分厚い革の手袋越しにも分かるほど小さい。

 小柄な体格と幼さの残る十代の顔立ちは、彼女が既に何体もの骸を狩ってきた有数の狩人であることを忘れさせる。私より一回り年下ではあるが、観測手歴十年の内、彼女より優秀な相方はいなかった。銃の腕前や獲物を追う技術、まじないの知識、それらに秀でている。生存率に関わる重要な素質だ。

 骸を狩るには生命の危機が伴う。

 骸は非常に危険な害獣だ。大型の獣で農地を荒らし人を襲う。狂暴なのも起因するが、その食性が肉食傾向の強い雑食かつ人の呪いを喰らうという特殊なものであるからだ。巨体と狂暴性と食性から、骸狩り以外の人間が相対することは望ましくない。

 また、骸は周囲に呪いをばら撒く。餌として溜め込んだ人の呪いが身体から漏れ出るのだ。毒を持つ生き物を喰らうことで有毒化する生き物と似た構図に私は見える。

 故に人の生活圏に近接した骸は速やかな狩猟が求められる。

 それを専門に請け負うのが私達のような骸狩りだった。

 獣に対する狩猟技術のみならず呪いの対処についても熟知した人間。主に神仏に通ずる者が多い。私にはその類の知識は欠けているが、神道を礎とするカンナがそれを担っていた。

 代わりに私が提供するのは観測手としての知識と雑用である。カンナが私に問う。

「明日は?」

 私は懐から地図を取り出す。私達を回収する手筈になっているヘリコプターとの合流予定地点を印し、指尺で現在地との距離を示す。

「回収予定地点は北東に約十キロです。早朝に出発すれば間に合います」

「そう。お願い」

 引き千切れた無数の御守りを火にくべる。祝詞が刻まれた中身が捩れるように炭に変わり、火の粉が音と共に爆ぜた。まじないが無ければ、この無惨な姿になっていたのはカンナの方であった。

 骸狩りの一番の危険は、殺した相手に対し骸が死の呪いを返すことにある。

 先程狩猟した骸も今際に死の呪いを返した。

 呪いという目に見えぬ危険と、大型の獣という目に見える危険。その二つと相対することによって、骸狩りは大怪我を負って引退していくことが多い。

 無傷で骸を狩り続けるカンナは業界でも上位に入る実力者だ。経験年数を考えると異様とも言える。

 当の彼女は無表情のまま、ペーストとクラッカーの味気ない食事を黙々と口に運んでいた。私は以前から気になっていたことを聞く。

「前から思っていたのですが、不味くはないのですか?」

「不味い?」

「美味しいものではないでしょう。クラッカーもペーストも」

 私の質問に、彼女は手元に目を落とす。今まで食べていた物を改めて認識するかのように。

「あまり気にしたことがない。食べ物の好みだとかを」

 それは何ともまぁ、味気ないことだ。私のそんなぼやきにカンナは言う。

「骸を狩ることだけが私の生きる意味だから」

 その言葉は冗談には聞こえなかった。私は焚火の中の炭を枝で崩す。混じってしまった生木が燻ぶっていた。

 カンナは幼い頃、骸によって家族をすべて失った。それ以来カンナは骸狩りとしての道を歩んだ。その根底にあるのは復讐だ。骸を狩ることにその身を捧げたのだ。

 燃え草に変わった榊の葉と御守りがまるでカンナの未来を暗示しているかのように思えて、私はつい言葉にしてしまう。

「死ぬと分かっていてもですか」

「まじないがある」

「それでも防げないと知っている筈です」

「その話は前もした」

 不機嫌そうにそう言ってカンナは話を打ち切った。

 食べ終えた携帯食のパッケージを投げやりに砂の上に放り出す。夜の冷え込みを避ける為に外套を羽織って岩壁を背にもたれた。そのまま寝ようとする姿に私は口を尖らす。

「行儀が悪いですよ。将来が思いやられます」

「将来なんてないよ」

 それはある種の決意表明のようで。

 骸による今際の死の呪いは、骸を殺した人間に跳ね返る。それをまじないで防ぐのが骸狩りだ。だが、如何様な手段を講じたとしても防げない呪いを返す骸が存在する。

 それがカンナが探し続ける復讐の相手、「伽羅奢がらしゃ」と呼ばれる骸の大型種だった。

 眠りについたカンナを起こさぬよう私は火の番を続ける。

 私には分からない。死ぬと分かっていて、それでも復讐の為に骸を狩る心情が。

 私にはそれだけの理由がない。

 この仕事を選んだのは楽だったからだ。

 狩り自体は過酷で危険だ。骸の撒き散らす呪いに巻き込まれたり、仕留め損ねた骸に襲われ死んでいく同業者を何人も知っている。稼ぎも良いわけではない。そんな場に好き好んで赴く人間は少ない。

 だから都合が良かった。

 成り手が他にいないならば、競争にならない。

 昔から決断という行為が苦手だった。供給が少ない側に回れば、求められる側として身を委ねることができる。そして観測手には決断を求められることはない。状況を判断し引き金を引くのは私ではない。

 それが心地良かったのだ。

 そんな私がカンナと出会ったのは二年前。当時組んでいた狙撃手が死亡し、私は次の相方を探していた。そこで声をかけてきたのがカンナであり、彼女は周囲から孤立していた。

 狩れば必死の伽羅奢を狩ろうなどという命知らずと組みたがる観測手はいなかったのだ。

 請われるがまま流されるように私はカンナと組んだ。どんな狂人かと思っていたが、丁寧かつ高度なまじないの技術を有していることに私は惹かれた。話してみれば、年相応の生意気さを残す少女だった。

 けれど、骸への復讐に囚われていた。まるで死ぬ為に伽羅奢を狩ろうとしているかのようにも見えた。

 私は思う。カンナには伽羅奢の死の呪いが今もずっと絡みついているのではないだろうか、と。

 夜が更ける頃に浅く短い眠りを取る。

 太陽が地平線から昇る前に、私達は起床し移動を始めた。砂漠では気温が上がりきる前に動き出す必要がある。

 沈みそうな月明かりを頼りに暗闇の中を進む。私達は無言だった。カンナの体格では銃を担いで歩くだけでも重労働だろう。

 午前中歩き通し回収予定地点に到着する。定刻通りにヘリコプターが飛んでくるのが見えた。

 骸に気取られぬよう、狩りの際は目的地まで足で出向くことが多い。故に、このような形での送迎だった。

 砂埃を巻き上げながら着陸した機体のドアが勢いよく開く。飛び出してきたのは見知った顔だった。

 けたたましいローター音に負けぬよう、大声で私達の名を呼ぶ髪の長い女性。名をノノハと言う。

 半官半民組織である骸研究局の人間であり、私達に依頼を繋ぐ立場でもある。人の生活圏に接近したり、狂暴化した骸の駆除依頼を行政と研究局は共に行っている。

「カンナさん、セラさん、お疲れ様です!」

「どうも」

 骸を狩猟した証拠をノノハに提出する。規定形式で撮影した骸の死骸の写真を見たノノハは、大物でしたね、と嬉しそうに言う。狩猟記録を行政側に提出を行うことで報酬が支払われる。

 私達がヘリに乗り込むと機体は駆動音を増し上昇を始めた。

 操縦席が騒がしくなった瞬間を狙って、私はノノハの足元に堅牢な合金アルミケースを置いた。御札で封をしてある。中身は骸の死骸から抜いた胆嚢と肝臓だ。未処理の内臓は呪いを溜め込んでいる為、扱いを誤ると非常に危険だ。

 呪いの二次被害の懸念から狩った獲物を荒らすことは許可されていない。しかし、私はノノハから極秘に依頼を受け、骸の死骸から臓器等を抜いて渡していた。

 私から荷物を受け取ってノノハは口元に笑みを浮かべた。

「これで研究が進みます」

 ノノハが所属する骸研究局を筆頭に骸の研究は行われている。中でも新鮮な内臓の類は貴重なサンプルだ。

 何故ならば骸は死骸であっても肉や臓器が呪いに浸食されており、お祓いなどの安全処置を施されてからノノハの元に検体が回ってくる為、その殆どが腐敗しているからだ。

 今回の骸に関して言えば生息していたのは砂漠地帯だ。回収を行っても水分が蒸発し乾燥した標本の様な死骸しか手に入らない。

 それをきらって、ノノハは違法に新鮮な検体を集めている。彼女の好奇心と使命感を止めることは出来ないらしい。

 私達の秘密の取引について、カンナは興味がない様子だった。こちらに目もくれず座席のベルトをもてあそんでいる。ノノハはケースを足元に隠すように仕舞うと、その代わりに別の荷物を引っ張り出してくる。取り出したケースの中身を私に見せてくる。

「それと、もう一つお礼というか依頼といいますか。技研から回ってきた試作品がありまして」

 ケースの中に並んでいたのは拳ほどの大きさの筒状の物体だった。一つ手に取る。金属製の冷たい触感が手の中に収まる。握ると親指の辺りにフックとピンらしきパーツがあった。詳しく観察しているとノノハが説明をする。

「いわゆるスタングレネードと呼ばれるものです。骸の感覚器官の解析が進んだ結果です。対人制圧用の物よりもより効果があります」

 強烈な光と音によって対象の行動を沈静化する道具だ。元々は対人用の軍用兵器だが、内部に改良が加えられ骸に適した物になっているらしい。

 ひとしきり眺めた後、カンナに見せるも、興味がない様子で冷たい反応だった。

「狙撃には使わないと思うけど」

「外した時の護身用にも使えますよ」

「私は外さない」

 カンナの言葉に気圧されるノノハを見て私は助け舟を出す。

「骸狩りではない一般人が遭遇することだってあります。そういう時に銃を持って戦えと言うのは現実的ではないでしょう」

 カンナは何を思うのか、言葉にしてから思い至る。彼女の家族を奪った骸である伽羅奢は人里に降りてきて人々を襲った。戦うことなど出来なかっただろう。

 今の彼女を突き動かすのは、あの日何もできなかった自分ではないのだろうか。

 ヘリが高度を上げて行く。砂漠地帯を抜けた。気候変動で拡大しつつある砂の海は市街地の目と鼻の先に迫っている。骸は本来、山や森を住処とする。昨日の骸も森を追われて砂漠地帯に住み着いたのだろう。砂漠で生息していけるとは思えない。

 私達が狩らなければ、あの骸も人の生活域に侵入していただろう。

 機内が激しい振動と音に満たされている中、ノノハが私にジェスチャーで耳元を示した。座席の傍らに備え付けられているヘッドセットを装着する。防音仕様のそれがノノハの声だけを鮮明に伝えてくる。私と彼女だけの限定通信の設定になっていた。

「これは内密なんですけど、持って帰ってきてもらっている内臓のデータなんかを外部の研究者にも渡して情報共有しています」

 そんなことをしていいのかと、私が問うとノノハは肩をすくめた。

「どうせ正式な形では表に出せないデータですから。解析がもう少し進めば呪いの仕組みも解明できる筈です。まじないでの防衛よりも有効な対抗手段も見つけてみせます」

 その手段とやらが見つかれば、カンナが死の道を突き進むこともなくなるだろうか。復讐に全てを捧げることを止めるのだろうか。

 彼女が囚われた死の呪いで命を落とす前に、骸を安全に狩ることが出来るようになるだろうか。そんな思考をノノハの言葉が遮った。

「それと」

 続く言葉を彼女は言い淀む。何かを切り出せずにいる妙な雰囲気に私は嫌な予感を抱いた。

「東北地方で目撃された骸の狩猟依頼があります。内容を鑑みて特務として扱い、規定外の賞金も出されるとか」

 その言葉の意味を、依頼の詳細を聞かずとも理解してしまった。骸の中でも、それほど仰々しく扱われる存在は一つしか思い当たらない。

 カンナが私の方を見る。

 この事実を伏せてしまえば、彼女は救われるだろうか。

 それとも今まさに彼女が救われる時が来たのだろうか。

「セラ? どうしたの?」

 私は告げる。

「新しい狩猟依頼です」

「標的は?」

「伽羅奢です」
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