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第二章 アリスは不思議の国にて待つ

第九話 ヘルハルトという男(4)

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   ◆◆◆

 一方――

 新しい銃は早くも形になっていた。

「……」

 ルイスは手に取った試作品を構え、その重量や照準の狙いやすさを体感していた。
 やはり現行の銃と大差は無い。
 ルイスはそれを体感したあと、重要な部分の確認に入った。
 引き金のそばに置いた右手はそのままに、左手で銃身を掴む。
 まるでへし折ろうとするかのように。
 直後、ルイスはまさにそうした。
 銃が引き金の真上の部分で曲がり、「へ」の字にへし折れる。
 しかし壊れたわけでは無かった。
 これは曲がるように出来ているのだ。そのための蝶番(ちょうつがい)がついている。
 そしてそれはいわゆる中折れ式というものであった。
 我々の世界ではショットガンなどに採用されている構造だ。
 銃底のほうから弾丸を装填する構造。
 新しい銃もまさにそのための構造であった。
 しかしルイスが取り出したのはこれまでどおりの丸い弾。
 ゆえに装填の仕方は我々の世界の中折れ式とは違っていた。銃身のほうに弾丸を入れても転がって先端から出てしまうからだ。
 弾丸を入れる箇所は逆。銃身側では無く、握り手側のほうだ。
 曲げて開くことで露出する受け皿があり、そこに弾丸を入れる。この受け皿は火皿と繋がっている。
 受け皿に火薬と弾丸を入れたら装填完了。銃身をもとに戻して構える。
 その一連の動作を終えたあと、ルイスは前方にある的に狙いを定めて引き金を引いた。
 火薬の炸裂音とともに弾丸が発射される。
 だが、弾丸は中心から外れたところに命中した。
 理由は同じ。弾丸が銃身内部で振動してしまっている。精度を改善した銃では無い。
 なぜなら、この銃はルイスが考えたものでは無いからだ。
 銃を生産させている職人の一人が考えたもの。
 彼は弾丸の装填時間が長いという問題に注目していた。
 そして彼は弾丸を銃身の先端から入れるべきでは無いと考えたのだ。
 その点についてはルイスも同意見であった。
 しかしルイスが注目している部分は違う。ルイスが重視しているのは精度のほうだ。
 されど結果として、装填方法の変更という同じ改造をすることになるだろうとルイスは考えていた。
 この中折れ式をルイスも思いついていたわけでは無い。
 だが、ルイスは自身が考えている改造がこの中折れ式にも適用できると考えていた。
 上手くいけば精度と装填時間の両方を改善できる。

(だが――)

 ルイスは既にこの中折れ式の銃の問題点に気付いていた。

(蝶番と止め金の部分が射撃の衝撃をもろに受けている。耐久性は低いだろう)

 一つの問題点を改善したことで別の問題が生まれる、ときどきあることだ。
 ルイスはその新たな問題から意識を外しながら、試作品をテーブルの上に戻した。
 テーブルの上にはもう一つ銃があった。
 それも同じく試作品であった。
 違う職人が作ったもの。
 しかし注目している部分はやはり違っていた。
 その職人は着火方法の改善に注目していた。
 いまの火縄を使うやり方は問題点だらけだ。
 雨や吹雪に弱いのはもちろん、装着の手間もかかる。
 だから職人は火縄に頼らない方法を考えたのだ。
 ルイスはその試作品を手に取った。
 それは我々の世界でいうところの「フリントロック式」と呼ばれるものであった。
 基本的な構造は従来の火縄銃と変わらない。
 違うのは、火縄のかわりに火打石(フリント)が取り付けられていることと、火花を生じさせるための当たり金が備え付けられていること、この二つだけ。
 引き金を引くと火打石が振り下ろされ、当たり金とこすれて火花が生じる。その火花で点火する仕組みだ。
 ルイスはその試作品を手に取り、早速試射してみた。
 火打石が火皿に叩きつけられる独特の感覚と共に弾丸が発射される。
 当然であるが、精度は従来品と変わらず。
 しかしルイスはその機構に満足していた。
 これは即採用だ、そう思った。
 今すぐ量産を始めるべきだと思えるほどに喜ばしい試作品であった。
 そしてルイスの喜びはもう一つあった。
 火打石を使うこの機構は自分が考えているものに応用できると思ったからだ。

   ◆◆◆

 ヘルハルト達は移動しながら新しい安住の地を探した。
 しかしそれはなかなか見つからなかった。
 大きな町には既に同じ商売をしている先客がいるからだ。
 東に行けば行くほどその数と規模は多く大きくなった。
 でかい組織が商売を牛耳っているからだ。
 しかも組織の数は一つでは無い。
 されどそれらはぶつかり合ってはいない。相互に協定を結んでいるからだ。
 しかもこの東側には新しい魔王の影響力が及んでいない。組織はやりたい放題に商売を続けている。
 ゆえに新参が入り込む余地はほとんど無い。
 だからヘルハルトは途中から進路を真南に変えた。
 それは理由の無い闇雲な進路変更では無かった。
 これまで、ヘルハルトは買い取った原材料を加工し、街に売りさばくという商売をやっていた。
 それを変えようと思ったのだ。

   ◆◆◆

 ヘルハルトが移動している間に戦況は再び変わった。
 ルイスの防衛線が後退しなくなったのだ。
 防衛部隊の数が増えたことで銃が持つ欠点が補われたからだ。
 開けた場所では銃の弾幕が有効に働く。射程と威力で勝るため、ただの魔法使いが相手ならば圧倒的に有利。
 だから魔王軍は防衛部隊への直接攻撃を行わなくなった。攻めても被害のほうが大きいからだ。
 魔王軍は防衛部隊の裏側に張り巡らされている兵站線を狙うようになった。
 機動力のある精鋭部隊を突入させ、補給部隊を襲撃させた。この突入部隊の中にはオレグの姿もあった。
 この攻撃は有効であった。
 道路の整備が完了していなかったからだ。
 だから補給部隊は森の中など、開けていない場所を通らざるをえなくなっていた。そこを狙われたのだ。
 ルイスは防衛線を敷くと同時に道路の開発も命じていた。
 だが人手が足りなかったゆえにその開発は遅れていた。
 だからルイスは前線が膠着状態になったと同時に、人手をそちらに回した。
 そしてその間に魔王軍も防御を固めた。
 要塞などの拠点を前線に築き始めた。
 その要塞の守備兵の中には銃を装備した魔法使いの姿があった。
 補給部隊から奪ったものだ。
 そして魔王軍も見よう見真似で銃の開発と生産に着手し始めていた。
 新しい魔王であるキーラは銃の価値を見出していた。
 だからキーラも銃を携帯するようになった。魔王である自分がそうすることで、他の魔法使い達も銃に意識を向けるだろうと思ったからだ。
 キーラは軍をより強くすることしか考えていなかった。魔法というものの伝統や歴史の価値に固執していなかった。魔王という称号にもだ。
 ゆえに手強い相手であった。
 しかし奇妙なことに、キーラのその意識はルイスにとってはありがたいものであった。
 魔法使いというものの価値をこの世から消滅させる、ルイスの願いはそれなのだから。
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