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第二章 これより立ち塞がるは更なる強敵。もはやディーノに頼るだけでは勝機は無い
第十二話 炎の一族(3)
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◆◆◆
一方その頃、クリスの城では略奪が行われていた。
「武具と食料、金目のものを一度ここに集めろ。あとで分配する」
サイラスは兵士達にそう指示していたが、この命令は厳守されてはいなかった。この状況で高価な金品を目の前にして欲を抑えられる人間はそういない。
そんな中、サイラスは城にある書庫を一人うろついていた。
サイラスは適当な本を手に取り、ぱらぱらと流し読みしていた。そして気に入った本を見つけては麻袋に詰め込んでいった。
サイラスとて金目のものに興味が無いわけではない。「金」が持つ力は十分に理解している。しかし今の彼には「金」よりも「知」を漁るほうが重要であった。
そんなサイラスの静かな至福の時間は騒がしい呼び声によって妨げられた。
「大将! サイラスの大将!」
「騒々しいなフレディ、何があった」
「やっぱりここにいやしたか! 偵察兵が森のほうからこちらに向かってくる敵部隊を確認したようです!」
「誰の部隊だ? 数は?」
「霧のせいで視界が悪くてそこまでは……足音から予想するに5千くらいではないかと。それと先頭に立っていたのはアランのようです」
(遅れてきたクリス将軍への増援部隊か? それをアランが率いている?)
サイラスはそう考えたが、何かが引っ掛かった。
(五千?……アランはこちらの戦力を知っているはずだ。なのにそれだけの数でこうも早く戻ってくるのは妙だ)
「どうします?」
長く黙ったまま考え込むサイラスの姿に不安になったのか、フレディは急かすように尋ねた。どう戦うか? サイラスはそれを考えている最中であった。
(普通に考えれば奪ったこの城を使って戦うべきだ。……だが、アラン達が戻ってきたこの早さに『自信』を感じる。城を盾にする我々を正面から倒すことができるという『自信』を。
……今は霧が出ていて視界が悪い。動きが見えないのは相手も同じだろうが、城の周りを囲まれると厄介だ。得体が知れない相手と戦うなら、攻撃や防御だけでなく、迅速な逃走も視野にいれるべきか)
ようやく考えが形になったサイラスは、フレディに作戦を告げた。
「全軍に通達しろ。近づいてくる敵に対し、我々はこの城に篭らずに逆に打って出ると」
◆◆◆
出陣したサイラス軍は城を背に、少し離れたところに布陣した。
陣形は総大将であるサイラスを中央に、主力であるリックとジェイクを左右に置いた一列の形であったが、戦力の集中よりも機動力を重視するため、部隊の間隔はいつもより広くとられていた。
周囲を覆っていた霧はますます濃くなっていた。その濃さは隣の部隊が見えなくなるほどであった。
サイラスの作戦はシンプルであった。敵を目視したら主力であるリックとジェイクをぶつける。敵の戦力がこちらを凌駕するようであれば、城を放棄して即撤退するというものであった。
布陣して間もなくして、霧の向こうから大勢の足音が響いてきた。
霧がなければとうに目視できている距離だ。サイラス軍に緊張が広がっていった。
その緊張を最初に破ったのはリックであった。
「見えたぞ! 迎撃しろ!」
リックの眼前には霧の中にうっすらと浮かぶ人影が並んでいた。リックは声を上げながら大盾兵と並んで自ら前に出た。
しかしその直後、突如目の前から迫ってきた炎に、リックは思わず後方に飛びのいた。炎を避けられなかった大盾兵達はなすすべもなく飲み込まれた。
リックは反射的に声を上げた。確かめるまでもない。自分はこの凄まじい炎を既に知っている。
「カルロだ! すぐにサイラス将軍に伝えろ! 敵はあのカルロだ!」
リックの言うことが本当であることはすぐに明らかになった。先の炎が霧を払ったからだ。
この情報は動揺とともにすぐに広がっていった。これを聞いたサイラスは即座に号令を出した。
「何の準備もなく戦える相手では無い! 全軍撤退だ!」
サイラスがそう言うと同時に、撤退の合図が戦場に鳴り響いた。
皆が我先に逃げる中、リックはカルロの方に向いたまま動かなかった。
「私がカルロを食い止めている間に撤退しろ!」
そう言ってリックは後退するどころか、逆に前に歩み出た。
「ほう、たった一人で、しかも片腕で私と戦う気か」
その姿を見てどこか感心したような言葉を発するカルロに対し、傍にいたアランが口を開いた。
「父上、あの者は足で魔法を使います! お気をつけ下さい!」
「案ずるなアラン。あの者のことなら知っている。……全員後ろに下がっていろ。あの者の相手は私がする」
「?! ですが父上、協力したほうが……」
アランは前に歩み出るカルロに付いていこうとした。ディーノもこれに続こうとしたが、二人の足はクラウスによって止められた。
「いけませんアラン様、ディーノ殿。下手に前に出ては巻き添えを食らいますぞ」
カルロでは無く、アランとディーノの身を案じるその言葉に、二人は大人しく従った。
対峙するカルロとリック、先に仕掛けたのはリックであった。
リックはカルロに正面から仕掛けず、旋回するような動きを取った。
リックの狙いは後ろにいるアラン達であった。乱戦に持ち込んでカルロの火力を封じる算段であった。
これに対し、カルロはリックの足元に目掛けて炎を放った。
リックは軌道修正して直撃を避けたが、地面に激突したカルロの炎は爆発したかのように周囲に拡散した。
広がる熱波に押されたのか、リックの足は止まった。
カルロの狙いはこれであった。カルロは動きを止めたリックに向かって連続で炎を放った。
放たれた炎はリックの周辺に次々と着弾し、辺りはあっという間に火の海となった。
足元がおぼつかない状態であってもリックは懸命にカルロの炎を避け続けたが、炎の中を飛び跳ねるその様はまるで炎にお手玉されているかのようであった。
この時点で勝負はほぼ決していた。機動力を封じられたリックに成す術は無く、後はただなぶられるだけであった。
しかしこのまま終わるリックでは無かった。意を決したリックは足に魔力を込め、カルロに向かって大きく跳躍した。
炎の壁を乗り越えるほどに高く跳躍したリックは、そのまま勢いを乗せた光る蹴りをカルロに見舞うつもりであった。
しかしこれを読んでいたカルロは既に迎撃の態勢を整えていた。
カルロは上から襲い掛かってくるリックを十分に引き付けてから、魔力を込めた右腕を振り上げた。するとカルロの目の前に巨大な炎の柱が吹き上がった。
リックは咄嗟に足に込めた魔力で防御魔法を展開してこれを受けたが、カルロの生んだ火柱はその防御を突破しリックの体を飲み込んだ。
火柱はリックの体を焼きながら空高く押し上げた。火の粉を撒き散らしながら空を舞うリックの姿はどこか美しくすらあった。
「……すげえ」
その様を見たディーノは少し呆けたような表情をしながらそうつぶやいた。
しかしカルロの攻撃はこれで終わりではなかった。カルロはリックの墜落地点を読み、リックの体が地面に激突する瞬間を狙って炎を放った。
いくら足で魔法を使えるリックとはいえ、空中で急な速度制御をすることはできない。高所からの墜落による衝撃とカルロの炎、リックはその両方をほぼ同時に受けることを迫られた。
しかし今回は幸運の女神がリックに微笑んだ。地面への衝突と炎の直撃はほぼ同時であったが、リックの体が地面に到達するほうが僅かに早かった。
リックはまず魔力を込めた両足で地面に接地した。しかし踏ん張ろうとはせず、そのまま膝を折り曲げ、落下の衝撃を吸収させた。
しかしこれだけでは落下の衝撃を殺しきることはできなかった。そこでリックは体を捻り、地面に寝転がることで衝撃を体の各所に分散させた。
直後、カルロの炎がリックを襲ったが、炎が迫る方向に足を向けていたことが幸いした。リックはすかさず足で防御魔法を展開してこれを受けた。
受身を取るために脱力していたためか、リックの体はカルロの炎に押され、勢いよく真横に吹き飛んだ。
リックの防御魔法はあっという間に突破され、その体は炎に包まれた。しかしリックは火だるまになりながらも目を見開いていた。
リックは見開いた目で地面との距離を測っていた。そのままだと頭から地面に激突してしまうところであったが、リックは直前に地面に手をつき、そのまま前転して受身をとった。
(殺し損ねたか。今の攻撃は炎ではなく、光魔法にすべきだったか。しかしあれで死なないとは、敵ながらやる)
受身をとるリックを見て、カルロは心の中でそう呟いた。
体勢を立て直したリックは、カルロのほうに向き直ることはせず、そのまま一目散に逃げ出した。リックの体にはもう戦う力は残っていなかったからだ。
カルロとリック、二人の戦いはカルロの勝利に終わった。
振り返ってみれば、この戦いは一分ほどしか掛かっていなかった。精鋭魔道士であるリックといえど、一人ではカルロの力に及ぶはずもなかったのだ。
リックを退けたカルロは突撃の号令を出し、サイラス達を追撃した。
しかし霧が立ち込める中、城を放棄して全力で逃げるサイラス軍を捕まえることはできなかった。日が沈み始める頃には霧も晴れたが、これ以上の深追いは危険だと判断したカルロは追撃を中止した。
◆◆◆
次の日、城を取り返したカルロはまず初めに死者を弔うことを命じた。
それは腐敗による疫病の蔓延を防ぐことだけが理由では無かった。
カルロは今回の戦いの死者達に最大限の敬意を払うことを命じた。
「お前たちが今こうして生きていられるのは、城に残って敵を食い止めてくれたこの者達のおかげなのだ。彼らのことをしっかりと胸に刻んでおけ」
死者は火葬に付された。それはカルロ、クリス、アラン、三人の炎魔法によって行われた。
クリスは燃える死者達を前に涙していた。カルロはその隣に並び、アランは一歩引いたところから二人の背中を見つめていた。
そんな二人の姿に、アランは強く心を打たれていた。耐え忍ぶクリスとそれを理解し寄り添うカルロ、二人のその美しい姿に。
アランは父の背を以前よりも大きく感じていた。
強者とはかくあるべきだ、カルロのその姿を見てアランはそう思っていた。
◆◆◆
その夜、アランとディーノは城の中庭に並んで腰を下ろしていた。
二人とも黙っていた。つい先ほどまでは荒らされた城の有様を見て「ひどくやられたなあ」「これを元通りにするのは骨が折れそうだな」などと、適当に思いついたことを喋っていたのだが、話の種が尽きたあとはただ黙って座っているだけであった。
そんな微妙な静寂を破ったのはディーノであった。
「……あれは、勝てねえなあ」
「え?」
不意を突かれたアランは、ディーノが何の話をしているのかわからなかった。
「お前の親父さんのことだよ。昔二人で馬鹿な目標を立てたことがあったろ? 『カルロをぶっ倒そうぜ』って」
アランは一瞬首を捻ったが、ディーノとそんなことを冗談まじりに話したあの日のことをすぐに思い出した。
「ああ、そういえばそんな事を言ったような気がするな」
思えばあれが全ての始まりであったような気がした。
「あれに勝つのは無理だろ……」
「ああ、無理だな……」
カルロの戦いを目にしたのは二人ともあれが初めてであった。そして理解したのだ。絶対に届かぬものがあるということに。あのような力を自分が手にいれることはありえないということに。
ディーノは軽いため息をつきながらその場に仰向けに寝転がった。星空を仰ぎながらディーノは口を開いた。
「でもやっぱり憧れちまうな」
独り言のように話すディーノに、アランは「ああ、そうだな」とだけ返した。
ディーノは星空を見つめたまま言葉を続けた。
「上手く言えねえんだが……俺が魔法を使えるようになることはありえないって諦めがついてるんだ。でも、強くなれなくとも、ああいう風になれねえかなあって思っちまう」
「ディーノが言いたいことは何となくわかるよ。父上はただ強いだけじゃない、そう思う」
「そうだな、お前の親父さんはただ強いだけじゃねえ。でも俺にはそれが何なのか上手く言葉にできねえんだ。あれが貴族の気品ってやつなのか?」
「気品とは違うと思う……俺にもよくわからないが、クラウスもその何かを持っているような気がする。父上とクラウスはどこか似ていると感じるんだ」
「クラウスのおっさんがか? 俺はあの人と付き合いが浅いからよくわかんねえが……お前が言うならそうなのかもな」
二人が尋ねるその何かとは「他者への理解」であった。
カルロが城を奪われたクリスに対して示した情がこもった態度、あれはクリスがどんな状況に置かれ、どんな苦しみを抱えているかを知っていたからこそできたのである。その「理解」が「情」という形で表面にでてきたに過ぎないのだ。
そして時に無茶な行動を取るアランを支えるクラウス、彼はアランへの「理解」が「忠誠」という形で現れており、長くクラウスと行動を共にしているアランはそれを感じ取っていた。
この「他者を理解する力」とそれに伴う「品性」や「風格」を身につけるには、「経験」と、それにふさわしい「外聞」が必要である。今のアランとディーノがそれをすぐに得ようというのは無理があった。
二人はこのわからない何かについて考え込んだが、しばらくしてあきらめたディーノが口を開いた。
「話は変わるんだけどよ、クリス様が俺を拾ってくれた理由がやっとわかったぜ」
これを聞いたアランは、ディーノがどうしてそんなことを疑問に思っていたのかがわからなかった。
「? それは単純にお前が強いからじゃないのか?」
理解を得られなかったディーノであったが、さして気にしていない様子でこう答えた。
「……今のお前にはわかんねえかもな。魔法使いが奴隷の力をあてにするなんてのは普通のことじゃねえんだよ」
この言葉にアランは少しだけディーノとの間に壁を感じ、押し黙った。何も言葉を返さないアランを置いて、ディーノは再び口を開いた。
「余裕がねえんだ、クリス様には。奴隷を近くに置くことをなんとも思わなくなるくらいに」
そう言ってディーノはそのまま言葉を続けた。
「クリス様だけじゃねえ。ここで戦っているやつらはみんなそうだ。いつも生きるか死ぬかだから、魔法使いだとか奴隷だとか、そんなもんを気にしてる余裕なんかねえんだ」
そう言った後、ディーノは辺りを見渡すようなしぐさをしながら言葉を続けた。
「この城のまわりを見てみろよ。荒れた土地と廃墟しかねえ。昔はたくさん人が住んでたみてえだが、こんな激戦区じゃ逃げるのも無理ねえよ。ここの生活はそう悪くないって言ったけど、ありゃ嘘だ。たぶんお前の下にくっついてたほうがマシだったと思うぜ」
ディーノのこの言葉に、ひとつ引っかかるものがあったアランは尋ねた。
「俺の下にって、それはどういうことだ?」
これにディーノは少し気まずそうにしながら答えた。
「そのまんまの意味だよ。……今だから言えるんだがな、俺はお前を上手く利用しようって思ってたんだよ。貴族であるお前と一緒にいれば何かおいしい思いができるんじゃねえかなってな。戦いでお前を守ってればそれが評価されるんじゃないか、とかよく考えてたぜ」
ディーノのこの告白にアランは別段驚きもせずこう答えた。
「逆の立場だったら俺も同じことを考えただろうな。ディーノは意外と現実を見ていたんだな、少し感心した」
「……幻滅されるよりもこたえたぞ。お前、俺のことをどう思ってたんだよ」
アランは「何も考えずに戦ってるものだと思っていた」と言いそうになったが、なんとかこれを堪え黙っていた。
「しかし、それが今じゃクリス様に拾われて戦いの毎日だ。人生ってのはどうなるかわからねえもんだな」
「ああ、そうだな」
人生はどうなるかわからない、この言葉にアランは素直に同意した。
ここで会話は途切れ、二人の間に再び静寂が訪れた。もう話すことは無いだろうと判断したアランは口を開いた。
「……そろそろ寝よう。明日から城の修復作業が始まる。早めに体を休めておいたほうがいいだろう」
「そうだな」と言いながら立ち上がったディーノは、僅かな笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「明日から土木作業かあ……俺、力仕事とか苦手なんだよなあ。特に石切りとか」
「お前が苦手なんだったら、この世に力仕事が得意だと言えるやつは存在しないと思うぞ」
アランとディーノは冗談を飛ばしながらその場を去った。
ディーノはカルロを指して「ああいう風になりたい」と言った。そしてそれはアランもまた同じであった。
二人の道は再び交わったように見えた。しかし二人の道は似ていたが違うものであった。
ディーノの歩もうとしている道は何も変わっていない。「武」を持って切り開き、「名誉」とともに歩む道である。
ではアランは? アラン本人はディーノと同じ「武」と「名誉」の道を歩んでいるつもりであったが、その本質は違っていた。そしてそうさせているのはクラウスと偉大なる大魔道士の影響によるものであった。
アランにとって「武」はこの戦乱の世を生き抜くための「杖」であった。彼が共に歩むもの、それは「名誉」ではなく人の道、後に「義」と呼ばれるものであった。
そして二人はまだ知らない。己の運命を。未来を。
二人とも、後にカルロを超えることを。
◆◆◆
一方、そのカルロはクラウスを部屋に呼び出していた。
「クラウス、ずっと傍についていた御主に聞きたい。今のアランをどう思う? 正直に聞かせてくれ」
カルロの前に跪いているクラウスは、頭を垂れたまま答えた。
「勇気があり、強い意志を持っております。ですが、まだ知らないことが多い上に、魔法使いとしては弱者、それらの欠点にこれからも苦しめられるでしょう。
ですが、そんなことは大きな問題では無いと私は思っております。私が思うに、アラン様の最も良きところは、その勇気と意志を支える『精神』にあると見ております」
クラウスのこの言葉に、カルロは笑みを浮かべながら口を開いた。
「ほう、『精神』とな」
クラウスは小さな礼をしながらその意を述べた。
「大げさな言葉を用いたことをお許しください。確かにアラン様は歴史に名を残している賢者とは比べられるものではありませぬ。ですが、私はアラン様が持つ『精神』に可能性を感じております。
優しく、気骨がある、それが私のアラン様に対しての印象でございます」
そして、クラウスは深く一礼した後、部屋を出て行った。
カルロは一人になってしばらく後、
「『精神』、か……」
と、ぽつりと呟いた。
一方その頃、クリスの城では略奪が行われていた。
「武具と食料、金目のものを一度ここに集めろ。あとで分配する」
サイラスは兵士達にそう指示していたが、この命令は厳守されてはいなかった。この状況で高価な金品を目の前にして欲を抑えられる人間はそういない。
そんな中、サイラスは城にある書庫を一人うろついていた。
サイラスは適当な本を手に取り、ぱらぱらと流し読みしていた。そして気に入った本を見つけては麻袋に詰め込んでいった。
サイラスとて金目のものに興味が無いわけではない。「金」が持つ力は十分に理解している。しかし今の彼には「金」よりも「知」を漁るほうが重要であった。
そんなサイラスの静かな至福の時間は騒がしい呼び声によって妨げられた。
「大将! サイラスの大将!」
「騒々しいなフレディ、何があった」
「やっぱりここにいやしたか! 偵察兵が森のほうからこちらに向かってくる敵部隊を確認したようです!」
「誰の部隊だ? 数は?」
「霧のせいで視界が悪くてそこまでは……足音から予想するに5千くらいではないかと。それと先頭に立っていたのはアランのようです」
(遅れてきたクリス将軍への増援部隊か? それをアランが率いている?)
サイラスはそう考えたが、何かが引っ掛かった。
(五千?……アランはこちらの戦力を知っているはずだ。なのにそれだけの数でこうも早く戻ってくるのは妙だ)
「どうします?」
長く黙ったまま考え込むサイラスの姿に不安になったのか、フレディは急かすように尋ねた。どう戦うか? サイラスはそれを考えている最中であった。
(普通に考えれば奪ったこの城を使って戦うべきだ。……だが、アラン達が戻ってきたこの早さに『自信』を感じる。城を盾にする我々を正面から倒すことができるという『自信』を。
……今は霧が出ていて視界が悪い。動きが見えないのは相手も同じだろうが、城の周りを囲まれると厄介だ。得体が知れない相手と戦うなら、攻撃や防御だけでなく、迅速な逃走も視野にいれるべきか)
ようやく考えが形になったサイラスは、フレディに作戦を告げた。
「全軍に通達しろ。近づいてくる敵に対し、我々はこの城に篭らずに逆に打って出ると」
◆◆◆
出陣したサイラス軍は城を背に、少し離れたところに布陣した。
陣形は総大将であるサイラスを中央に、主力であるリックとジェイクを左右に置いた一列の形であったが、戦力の集中よりも機動力を重視するため、部隊の間隔はいつもより広くとられていた。
周囲を覆っていた霧はますます濃くなっていた。その濃さは隣の部隊が見えなくなるほどであった。
サイラスの作戦はシンプルであった。敵を目視したら主力であるリックとジェイクをぶつける。敵の戦力がこちらを凌駕するようであれば、城を放棄して即撤退するというものであった。
布陣して間もなくして、霧の向こうから大勢の足音が響いてきた。
霧がなければとうに目視できている距離だ。サイラス軍に緊張が広がっていった。
その緊張を最初に破ったのはリックであった。
「見えたぞ! 迎撃しろ!」
リックの眼前には霧の中にうっすらと浮かぶ人影が並んでいた。リックは声を上げながら大盾兵と並んで自ら前に出た。
しかしその直後、突如目の前から迫ってきた炎に、リックは思わず後方に飛びのいた。炎を避けられなかった大盾兵達はなすすべもなく飲み込まれた。
リックは反射的に声を上げた。確かめるまでもない。自分はこの凄まじい炎を既に知っている。
「カルロだ! すぐにサイラス将軍に伝えろ! 敵はあのカルロだ!」
リックの言うことが本当であることはすぐに明らかになった。先の炎が霧を払ったからだ。
この情報は動揺とともにすぐに広がっていった。これを聞いたサイラスは即座に号令を出した。
「何の準備もなく戦える相手では無い! 全軍撤退だ!」
サイラスがそう言うと同時に、撤退の合図が戦場に鳴り響いた。
皆が我先に逃げる中、リックはカルロの方に向いたまま動かなかった。
「私がカルロを食い止めている間に撤退しろ!」
そう言ってリックは後退するどころか、逆に前に歩み出た。
「ほう、たった一人で、しかも片腕で私と戦う気か」
その姿を見てどこか感心したような言葉を発するカルロに対し、傍にいたアランが口を開いた。
「父上、あの者は足で魔法を使います! お気をつけ下さい!」
「案ずるなアラン。あの者のことなら知っている。……全員後ろに下がっていろ。あの者の相手は私がする」
「?! ですが父上、協力したほうが……」
アランは前に歩み出るカルロに付いていこうとした。ディーノもこれに続こうとしたが、二人の足はクラウスによって止められた。
「いけませんアラン様、ディーノ殿。下手に前に出ては巻き添えを食らいますぞ」
カルロでは無く、アランとディーノの身を案じるその言葉に、二人は大人しく従った。
対峙するカルロとリック、先に仕掛けたのはリックであった。
リックはカルロに正面から仕掛けず、旋回するような動きを取った。
リックの狙いは後ろにいるアラン達であった。乱戦に持ち込んでカルロの火力を封じる算段であった。
これに対し、カルロはリックの足元に目掛けて炎を放った。
リックは軌道修正して直撃を避けたが、地面に激突したカルロの炎は爆発したかのように周囲に拡散した。
広がる熱波に押されたのか、リックの足は止まった。
カルロの狙いはこれであった。カルロは動きを止めたリックに向かって連続で炎を放った。
放たれた炎はリックの周辺に次々と着弾し、辺りはあっという間に火の海となった。
足元がおぼつかない状態であってもリックは懸命にカルロの炎を避け続けたが、炎の中を飛び跳ねるその様はまるで炎にお手玉されているかのようであった。
この時点で勝負はほぼ決していた。機動力を封じられたリックに成す術は無く、後はただなぶられるだけであった。
しかしこのまま終わるリックでは無かった。意を決したリックは足に魔力を込め、カルロに向かって大きく跳躍した。
炎の壁を乗り越えるほどに高く跳躍したリックは、そのまま勢いを乗せた光る蹴りをカルロに見舞うつもりであった。
しかしこれを読んでいたカルロは既に迎撃の態勢を整えていた。
カルロは上から襲い掛かってくるリックを十分に引き付けてから、魔力を込めた右腕を振り上げた。するとカルロの目の前に巨大な炎の柱が吹き上がった。
リックは咄嗟に足に込めた魔力で防御魔法を展開してこれを受けたが、カルロの生んだ火柱はその防御を突破しリックの体を飲み込んだ。
火柱はリックの体を焼きながら空高く押し上げた。火の粉を撒き散らしながら空を舞うリックの姿はどこか美しくすらあった。
「……すげえ」
その様を見たディーノは少し呆けたような表情をしながらそうつぶやいた。
しかしカルロの攻撃はこれで終わりではなかった。カルロはリックの墜落地点を読み、リックの体が地面に激突する瞬間を狙って炎を放った。
いくら足で魔法を使えるリックとはいえ、空中で急な速度制御をすることはできない。高所からの墜落による衝撃とカルロの炎、リックはその両方をほぼ同時に受けることを迫られた。
しかし今回は幸運の女神がリックに微笑んだ。地面への衝突と炎の直撃はほぼ同時であったが、リックの体が地面に到達するほうが僅かに早かった。
リックはまず魔力を込めた両足で地面に接地した。しかし踏ん張ろうとはせず、そのまま膝を折り曲げ、落下の衝撃を吸収させた。
しかしこれだけでは落下の衝撃を殺しきることはできなかった。そこでリックは体を捻り、地面に寝転がることで衝撃を体の各所に分散させた。
直後、カルロの炎がリックを襲ったが、炎が迫る方向に足を向けていたことが幸いした。リックはすかさず足で防御魔法を展開してこれを受けた。
受身を取るために脱力していたためか、リックの体はカルロの炎に押され、勢いよく真横に吹き飛んだ。
リックの防御魔法はあっという間に突破され、その体は炎に包まれた。しかしリックは火だるまになりながらも目を見開いていた。
リックは見開いた目で地面との距離を測っていた。そのままだと頭から地面に激突してしまうところであったが、リックは直前に地面に手をつき、そのまま前転して受身をとった。
(殺し損ねたか。今の攻撃は炎ではなく、光魔法にすべきだったか。しかしあれで死なないとは、敵ながらやる)
受身をとるリックを見て、カルロは心の中でそう呟いた。
体勢を立て直したリックは、カルロのほうに向き直ることはせず、そのまま一目散に逃げ出した。リックの体にはもう戦う力は残っていなかったからだ。
カルロとリック、二人の戦いはカルロの勝利に終わった。
振り返ってみれば、この戦いは一分ほどしか掛かっていなかった。精鋭魔道士であるリックといえど、一人ではカルロの力に及ぶはずもなかったのだ。
リックを退けたカルロは突撃の号令を出し、サイラス達を追撃した。
しかし霧が立ち込める中、城を放棄して全力で逃げるサイラス軍を捕まえることはできなかった。日が沈み始める頃には霧も晴れたが、これ以上の深追いは危険だと判断したカルロは追撃を中止した。
◆◆◆
次の日、城を取り返したカルロはまず初めに死者を弔うことを命じた。
それは腐敗による疫病の蔓延を防ぐことだけが理由では無かった。
カルロは今回の戦いの死者達に最大限の敬意を払うことを命じた。
「お前たちが今こうして生きていられるのは、城に残って敵を食い止めてくれたこの者達のおかげなのだ。彼らのことをしっかりと胸に刻んでおけ」
死者は火葬に付された。それはカルロ、クリス、アラン、三人の炎魔法によって行われた。
クリスは燃える死者達を前に涙していた。カルロはその隣に並び、アランは一歩引いたところから二人の背中を見つめていた。
そんな二人の姿に、アランは強く心を打たれていた。耐え忍ぶクリスとそれを理解し寄り添うカルロ、二人のその美しい姿に。
アランは父の背を以前よりも大きく感じていた。
強者とはかくあるべきだ、カルロのその姿を見てアランはそう思っていた。
◆◆◆
その夜、アランとディーノは城の中庭に並んで腰を下ろしていた。
二人とも黙っていた。つい先ほどまでは荒らされた城の有様を見て「ひどくやられたなあ」「これを元通りにするのは骨が折れそうだな」などと、適当に思いついたことを喋っていたのだが、話の種が尽きたあとはただ黙って座っているだけであった。
そんな微妙な静寂を破ったのはディーノであった。
「……あれは、勝てねえなあ」
「え?」
不意を突かれたアランは、ディーノが何の話をしているのかわからなかった。
「お前の親父さんのことだよ。昔二人で馬鹿な目標を立てたことがあったろ? 『カルロをぶっ倒そうぜ』って」
アランは一瞬首を捻ったが、ディーノとそんなことを冗談まじりに話したあの日のことをすぐに思い出した。
「ああ、そういえばそんな事を言ったような気がするな」
思えばあれが全ての始まりであったような気がした。
「あれに勝つのは無理だろ……」
「ああ、無理だな……」
カルロの戦いを目にしたのは二人ともあれが初めてであった。そして理解したのだ。絶対に届かぬものがあるということに。あのような力を自分が手にいれることはありえないということに。
ディーノは軽いため息をつきながらその場に仰向けに寝転がった。星空を仰ぎながらディーノは口を開いた。
「でもやっぱり憧れちまうな」
独り言のように話すディーノに、アランは「ああ、そうだな」とだけ返した。
ディーノは星空を見つめたまま言葉を続けた。
「上手く言えねえんだが……俺が魔法を使えるようになることはありえないって諦めがついてるんだ。でも、強くなれなくとも、ああいう風になれねえかなあって思っちまう」
「ディーノが言いたいことは何となくわかるよ。父上はただ強いだけじゃない、そう思う」
「そうだな、お前の親父さんはただ強いだけじゃねえ。でも俺にはそれが何なのか上手く言葉にできねえんだ。あれが貴族の気品ってやつなのか?」
「気品とは違うと思う……俺にもよくわからないが、クラウスもその何かを持っているような気がする。父上とクラウスはどこか似ていると感じるんだ」
「クラウスのおっさんがか? 俺はあの人と付き合いが浅いからよくわかんねえが……お前が言うならそうなのかもな」
二人が尋ねるその何かとは「他者への理解」であった。
カルロが城を奪われたクリスに対して示した情がこもった態度、あれはクリスがどんな状況に置かれ、どんな苦しみを抱えているかを知っていたからこそできたのである。その「理解」が「情」という形で表面にでてきたに過ぎないのだ。
そして時に無茶な行動を取るアランを支えるクラウス、彼はアランへの「理解」が「忠誠」という形で現れており、長くクラウスと行動を共にしているアランはそれを感じ取っていた。
この「他者を理解する力」とそれに伴う「品性」や「風格」を身につけるには、「経験」と、それにふさわしい「外聞」が必要である。今のアランとディーノがそれをすぐに得ようというのは無理があった。
二人はこのわからない何かについて考え込んだが、しばらくしてあきらめたディーノが口を開いた。
「話は変わるんだけどよ、クリス様が俺を拾ってくれた理由がやっとわかったぜ」
これを聞いたアランは、ディーノがどうしてそんなことを疑問に思っていたのかがわからなかった。
「? それは単純にお前が強いからじゃないのか?」
理解を得られなかったディーノであったが、さして気にしていない様子でこう答えた。
「……今のお前にはわかんねえかもな。魔法使いが奴隷の力をあてにするなんてのは普通のことじゃねえんだよ」
この言葉にアランは少しだけディーノとの間に壁を感じ、押し黙った。何も言葉を返さないアランを置いて、ディーノは再び口を開いた。
「余裕がねえんだ、クリス様には。奴隷を近くに置くことをなんとも思わなくなるくらいに」
そう言ってディーノはそのまま言葉を続けた。
「クリス様だけじゃねえ。ここで戦っているやつらはみんなそうだ。いつも生きるか死ぬかだから、魔法使いだとか奴隷だとか、そんなもんを気にしてる余裕なんかねえんだ」
そう言った後、ディーノは辺りを見渡すようなしぐさをしながら言葉を続けた。
「この城のまわりを見てみろよ。荒れた土地と廃墟しかねえ。昔はたくさん人が住んでたみてえだが、こんな激戦区じゃ逃げるのも無理ねえよ。ここの生活はそう悪くないって言ったけど、ありゃ嘘だ。たぶんお前の下にくっついてたほうがマシだったと思うぜ」
ディーノのこの言葉に、ひとつ引っかかるものがあったアランは尋ねた。
「俺の下にって、それはどういうことだ?」
これにディーノは少し気まずそうにしながら答えた。
「そのまんまの意味だよ。……今だから言えるんだがな、俺はお前を上手く利用しようって思ってたんだよ。貴族であるお前と一緒にいれば何かおいしい思いができるんじゃねえかなってな。戦いでお前を守ってればそれが評価されるんじゃないか、とかよく考えてたぜ」
ディーノのこの告白にアランは別段驚きもせずこう答えた。
「逆の立場だったら俺も同じことを考えただろうな。ディーノは意外と現実を見ていたんだな、少し感心した」
「……幻滅されるよりもこたえたぞ。お前、俺のことをどう思ってたんだよ」
アランは「何も考えずに戦ってるものだと思っていた」と言いそうになったが、なんとかこれを堪え黙っていた。
「しかし、それが今じゃクリス様に拾われて戦いの毎日だ。人生ってのはどうなるかわからねえもんだな」
「ああ、そうだな」
人生はどうなるかわからない、この言葉にアランは素直に同意した。
ここで会話は途切れ、二人の間に再び静寂が訪れた。もう話すことは無いだろうと判断したアランは口を開いた。
「……そろそろ寝よう。明日から城の修復作業が始まる。早めに体を休めておいたほうがいいだろう」
「そうだな」と言いながら立ち上がったディーノは、僅かな笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「明日から土木作業かあ……俺、力仕事とか苦手なんだよなあ。特に石切りとか」
「お前が苦手なんだったら、この世に力仕事が得意だと言えるやつは存在しないと思うぞ」
アランとディーノは冗談を飛ばしながらその場を去った。
ディーノはカルロを指して「ああいう風になりたい」と言った。そしてそれはアランもまた同じであった。
二人の道は再び交わったように見えた。しかし二人の道は似ていたが違うものであった。
ディーノの歩もうとしている道は何も変わっていない。「武」を持って切り開き、「名誉」とともに歩む道である。
ではアランは? アラン本人はディーノと同じ「武」と「名誉」の道を歩んでいるつもりであったが、その本質は違っていた。そしてそうさせているのはクラウスと偉大なる大魔道士の影響によるものであった。
アランにとって「武」はこの戦乱の世を生き抜くための「杖」であった。彼が共に歩むもの、それは「名誉」ではなく人の道、後に「義」と呼ばれるものであった。
そして二人はまだ知らない。己の運命を。未来を。
二人とも、後にカルロを超えることを。
◆◆◆
一方、そのカルロはクラウスを部屋に呼び出していた。
「クラウス、ずっと傍についていた御主に聞きたい。今のアランをどう思う? 正直に聞かせてくれ」
カルロの前に跪いているクラウスは、頭を垂れたまま答えた。
「勇気があり、強い意志を持っております。ですが、まだ知らないことが多い上に、魔法使いとしては弱者、それらの欠点にこれからも苦しめられるでしょう。
ですが、そんなことは大きな問題では無いと私は思っております。私が思うに、アラン様の最も良きところは、その勇気と意志を支える『精神』にあると見ております」
クラウスのこの言葉に、カルロは笑みを浮かべながら口を開いた。
「ほう、『精神』とな」
クラウスは小さな礼をしながらその意を述べた。
「大げさな言葉を用いたことをお許しください。確かにアラン様は歴史に名を残している賢者とは比べられるものではありませぬ。ですが、私はアラン様が持つ『精神』に可能性を感じております。
優しく、気骨がある、それが私のアラン様に対しての印象でございます」
そして、クラウスは深く一礼した後、部屋を出て行った。
カルロは一人になってしばらく後、
「『精神』、か……」
と、ぽつりと呟いた。
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