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第四章 神秘はさらに輝きを増し、呪いとなってアランを戦いの場に連れ戻す

第三十三話 盾(8)

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   ◆◆◆

「っっっ!!」

 次の瞬間、バージルの意識は激痛と共に覚醒した。
 痛みの発生源である胸を押さえながら体を起こす。

(……どうやら戻ってこれたようだ)

 生還に安堵しながら、状況を確認する。
 周囲には意識を失う前と変わらぬ絶望的光景が広がっていた。
 一つだけ違うところがあった。
 クレアが少し間の抜けた表情を浮かべていたのだ。
 この時、クレアはバージルと同じことを思っていた。

(帰ってきた?!)

 クレアは自分の心が浮かべた言葉の意味が分からなかった。
 帰ってきた? 何が? どこから?
 分からない。でも確かにそう感じた。

(……いや、今気にするべきはそちらではない。間違いで無ければ、今確かに――)

 その先は言葉に出来なかった。
 したくなかったのだ。先に起きた事実を否定したかったのかもしれない。
 クレアはバージルの身に何が起きたのかを理解していた。
 バージルの体から魔力が消える寸前、残っていた僅かな魔力が心臓部に集結し、輝いたのだ。

(あれはまるで――)

 その先を言葉にするのはやはりためらわれたが、もう認めるしかなかった。

(……あれではまるで、最終奥義ではないか!)

 そして直後、クレアのその考えを証明するかのような変化がバージルの身に起こった。
 バージルの体が紅潮し始めたのだ。
 バージルの体は燃えるようであった。

(一体なんだ? 体が熱い)

 力が漲っている。槍斧が軽く思えるほどに。
 痛みは心地よさに変わった。
 沸きあがる力と衝動。バージルはそれに逆らわず、心がおもむくままに勢い良く地を蹴った。
 真っ直ぐな前進。その足はある人物の方へ向いていた。
 それはやはりヨハン。
 凄まじい勢いで迫るバージル。これに対しヨハンは声を上げた。

「高台を用意しろ! 今すぐに!」

 この声はバージルの耳に入らなかったが、前方で何か動きが起き始めたことは理解していた。
 バージルの足を止めようと、魔法使い達が光弾を放つ。
 対するバージルは足を止めず、そして進路も変えず、ただ防御魔法を展開してそれを受けた。
 バージルの左手から生み出された光の壁が光弾を全て弾き返す。
 この時、バージルの顔には驚きが浮かんでいた。
 光の壁を展開したことが、魔力の放出が苦にならなかったからだ。
 こんなことは初めてであった。
 そして、その様子を後ろから追いかけながら見ていたクレアも、同じように驚きを浮かべていた。
 しかしクレアが抱いた感情はバージルのものよりも遥かに大きいものであった。
 クレアはバージルの体内に意識を向けていた。
 そこには凄まじい光景が広がっていた。



 バージルの体の中には数多くの星々が煌いていた。そうとしか表現出来なかった。
 その光景にクレアが驚いた理由はただ一つ。
 煌く星々ひとつひとつが奥義による輝きであると分かっていたからだ。とても小さな、小規模の奥義が連続で多数発生しているのだ。
 クレアの心に「なんということだ」という言葉が浮かび上がる。
 一度起こすだけですら慎重を要するというのに、あんな数え切れないほど幾度も同時に、しかも連続で。想像すら出来なかった境地だ。
 瞬間、クレアはある言葉を思い出した。
 それは偉大なる大魔道士が残した言葉。

“人の体の中には夜の空が広がっている”

 詩的な言葉だと思っていた。偉大なる大魔道士は洒落た台詞も言える人物なのだと思っていた。今までは。でもそうではなかった。これは言葉通りの意味なのだ!
 そして次の瞬間、クレアはある事に気がついた。



 それは一族が掲げる五芒星の紋章の意味。
 星の煌きを模したその形はかつて勲章として扱われ、「気付いた者」、または「目覚めた者」のみに与えられていたという。
 何に「気付く」のか? 何に「目覚める」のか?
 正解はこれなのだ。我が祖先が武の象徴にこの形を選んだ理由はこれなのだ。
 信じ難い現実と確信めいたものがある一連の推察に、クレアの心は同じ言葉を叫んだ。

(なんということなの?! こんなことが……こんなことが!)

 直後、クレアの心に新しい感情が湧き上がった。
 それは後悔。
 奥義を修得し、そして最終奥義を知ったことで、私もかつて目覚めた者達と同じ境地に立ったのだと思っていた。
 それは間違いだった。そして最終奥義は最終でもなんでも無かった!
 誰がこの技に「最終」という言葉を冠してしまったのだろうか。この技が人間の限界だと勝手に思い込んでいた。
 この技が記述されていた本は偉大なる大魔道士が没した後、世に平和が訪れた後に書かれたものだ。
 知らぬ間に一族の技は衰退していたのだ。だからこの技に「最終」の名がつけられてしまったのだ。私が最終奥義と呼んでいたものは、かつては「気付く」ための過程の一つに過ぎないものだったのかもしれない。

 クレアが思っていることは正解であった。
 そして修練を積んでいないバージルが最終奥義を使えた理由、それは単純にバージルの体が、遺伝子がその機能を有していたからである。
 緊急時に人間は限界を超えられるように設計されている。その機能と発動基準は人それぞれだが、その手段に偉大なる一族が「奥義」と呼んでいる技術が用いられることはあまり珍しくない。
 今回の場合だとまず最終奥義が心臓の蘇生と魔力の急速回復のために実施された。
 そして現在突撃しているバージルの身に起きていること、体の中で星々が煌いていると表現されたこの現象は最終奥義の延長にあるものでは無い。これは独立した技術であり、偉大なる一族が体系化出来なかった境地である。
 内容と得られる結果を説明するのは簡単だ。クレアが説明したとおり、数多くの煌きは微細な奥義の同時多発現象である。
 得られる出力自体は最終奥義の方が遥かに高い。しかし、先のクレアの結果を見て分かるとおり、その活動限界時間はあまりに短い。
 対し、この技の活動可能時間は遥かに長い。瞬間的な最大火力と瞬発力には欠けるが、全体の能力が向上している。
 バージルの遺伝子は、そして本能は、絶望的状況を打破するためにこの技を選んだのだ。
 この技を意識して使えた人間はあまり多くない。偉大なる大魔道士はその一人だが、その発動は曖昧で感覚的なものであった。
 そしてそれに気付いたからクレアの心は叫んだのだ。一族が練り上げ、そして積み上げて来た技が、人体が成す神秘には今だ程遠いという事実に。
 これはしょうがないと言える。遺伝子が有する技術、その研鑽はヒトという種が生まれる前から続いているのだ。あまりにも歴史が違いすぎる。むしろ、たった千年単位で奥義というものを体系化された技術として編み出したことを賞賛すべきだろう。
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