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第七章 アランが父に代わって歴史の表舞台に立つ

第四十九話 懐かしき地獄(6)

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   ◆◆◆

「……っ」

 総大将は思わず歯を食いしばった。
 耳に届く兵士達の悲鳴が彼の表情を歪ませていた。
 何が起きているのか、彼は既に理解出来ていた。
 ゆえに、このまま続けても被害が増えるだけであることを分かっていた。
 これだけ準備をしている相手に正面から挑み続けるのは愚手だ。
 しかも前で倒れた味方の死体がさらなる障害物となって後続の仲間の足を止めてしまっている。
 このまま何もしなければ被害が増え続けるだけだ。
 まったく手が思いついていないわけでは無い。戦局を変えるとまではいかずとも、変化を起こすことは出来る手が。
 しかし、その手に対する対策も敵は既に用意しているのではないか、そんな思いが迷いとなって口を塞いでいる。
 が、その迷いと焦りの天秤はすぐに大きく傾き、総大将の口を開かせた。

「律儀に敵が用意した道を進むな! 壁を乗り越えろ!」

 総大将が放った指示に何人かの兵士が振り返り、頷きを返す。
 しかし総大将は彼らに力強い視線を返すことは出来なかった。
 総大将の心には不安があった。
 そして悲しいことに、彼のその不安は的中しているのであった。

   ◆◆◆

「ようやく出番か」

 敵総大将が場に響かせた声に対し、バージルは「待ちかねた」というような表情でそう漏らした。
 なぜ、光弾を遠くに飛ばせない彼がここにいるのか。
 しかも彼の得物は長物。この地形では横に振り回すことは出来ない。
 そんなバージルがここにいる理由はただ一つ。この時のためであった。
 彼の武器、槍斧は既に光り輝き、僅かに振動していた。
 そしてそれはバージルだけでは無かった。
 彼の周りにいる兵士達も同じであった。みな剣を携え、輝かせていた。
 彼らはバージルと共にこの時のために訓練を受けた者達であった。

「「「……」」」

 バージルと兵士達は息を潜めて時を待った。
 そしてその時は間も無く訪れた。
 敵の兵士達が壁に手をかけた、それを感じ取ったバージルは声を上げた。

「今だ!」

 叫ぶと同時にバージルは溝から身を乗り出し、輝く槍斧を一閃した。
 刹那遅れて他の兵士達も同じように輝く剣を一閃。
 放たれた大量の三日月が、身を乗り出した敵兵士達に向かって疾走する。

「「「!?」」」

 迫る大量のそれを目の当たりにした敵兵士達はみな似たような表情を浮かべた。
 しかしそれ以上のことは何も出来なかった。

「「「……っ!」」」

 驚きのあまり、悲鳴も上がらなかった。
 ただ、赤黒い雨と肉片が溝の中に降り注いだ。

 三日月はその形状ゆえに膜が破れやすい。特に今のバージルは槍斧に膜を纏わせてすらいないため、すぐに霧散するか、砕けて嵐になってしまう。
 制御に長けた優秀な剣士や膜に厚みを持たせられる魔法使いでもない限り、または馬などの加速を利用するなどしない限り、三日月を遠くに飛ばすことは難しい。
 しかし近接戦に限れば、貫通力があり横に広い三日月は優秀な攻撃手段となる。もし嵐が暴発したとしても、この地形であれば被害は少ない。
 ゆえに、乗り込んできた敵の迎撃に三日月は使えると、クリスは考えたのだ。

   ◆◆◆

「……っ!」

 的中した不安に、総大将はその顔を再び歪ませた。
 大きく、かつ重要な疑問が彼の中に芽生えていた。
 なぜ、敵はあのように完璧な迎撃が出来たのか。
 兵士達が壁の上に身を乗り出したのとほぼ同時に迎撃が飛んで来た。
 どこかからこちらの動きを覗き見ていなければそんなことは出来ない。

(いや、それだけでは――)

 すぐに総大将は気付いた。
 誰かが見ているだけでは足りないことを。
 その者が出す合図に迎撃要員が瞬時に反応できなければ不可能だ。
 一体どうすれば、どんな訓練を積めばそんなことが出来る?
 そも、上から見渡す限り監視要員のような者は見当たらない。

(……何か、)

 何か重要なことを見落としているような気がする。敵の動きがあまりにも良すぎる。
 何か覆しがたい決定的な差があるような気がする。
 しかしそれが何か分からない。

「……っ」

 ゆえに、総大将は次の指示を出すことが出来なかった。
 そしてそんな総大将に対し、側近は声を上げた。

「このままでは被害が増すだけです! 将軍、指揮を!」

 その声に対し、総大将はやむなく口を開いた。
 しかし今の総大将には何の策も無かった。
 ゆえにその口から出た言葉は、

「全軍、一時撤退!」

 退却の指示であった。
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