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最終章

第五十四話 魔王上陸(5)

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   ◆◆◆

 一週間後――

 長い戦術会議からようやく開放されたディーノであったが、自由な時間は訪れなかった。
 なぜなら、

「お疲れのところすまないな」

 ルイスに捕まったからだ。
 普段ならば「後にしてくれ」と断るくらい疲れている。
 しかしそう出来なかったのは、

「どうしても君に会いたくてね。前にも言ったが、そのために遠路はるばるここに戻ってきた」

 アランに会ったのは「ついで」である、そう言われては断ることは出来なかった。
 だが、ディーノは

「用件はなんだ? 手短に頼む」

 本当に疲れているがゆえに、不躾な言葉を返した。
 が、ルイスは機嫌を損ねることなく、お望み通り早速本題に入った。

 この二人の会話は歴史には残されていない。二人とシャロンしか知らない。
 だが、間違い無く勝敗を左右する会話であった。この日、この時が運命の分岐点であったのだ。

   ◆◆◆

 一方、アランは休む素振りすら見せず動き続けていた。
 そしてアランはある一人の老いた将を訪ねた。
 アランはその老将に会議で決まったことを伝えた後、「本題」に入った。

「この戦いにおいて、あなたにはこの地点にある要塞の防御をお願いしたい」

 アランはその理由を尋ねられる前に答えた。

「予想される敵の規模から考えて、海岸線で敵を食い止められる可能性はほとんど無い。敵に上陸された場合、我が主力部隊は港の市民と物資の避難に注力する」

 雲水から魔王の話を聞いた時、北から攻められる可能性が高いと踏んだアランは海岸線の防備を強化した。
 だが、海岸線全体に防衛線を張り巡らせるなど不可能だった。
 だからアランはある程度乗り込まれる前提で防衛線を敷いた。
 しかしそれでも食い止められない可能性がある。
 アランはその可能性について述べた。

「そして敵は戦力の一点集中をしない可能性がある。大都市や港を直接攻めず、遊撃部隊を各所に上陸させ、こちらの主力部隊の挟撃や兵站線の切断を狙ってくるかもしれない」

 アランの口はそこで一時止まった。
 そこから先は言いにくいことだったからだ。
 だが、老兵は言われずとも察した。感知力は鈍いが、長年の戦闘経験からその意味を読み取ることが出来た。
 だから老兵のほうが先に口を開いた。

「……我等の仕事はそやつらを食い止めること。そして建造されている船の数から予測するに、市民の避難が完了するまでは救援をこちらに回す余裕は無い、ということですな?」

 その言葉にアランは少し間を置いた後、頷きを返した。

「……その通りだ」

 補給の無い篭城の先にあるのは死のみである。つまり、アランはあなたの命をくれと言っているのだ。
 なのに、老将は、

「承知いたしました」

 と、快くその要請を受けた。
 なぜだ? 本当にいいのか? アランがそんな思いをぶつけるよりも早く、老将は答えた。

「そんな顔をなさらないでくだされ。……アラン様はたしか、心を読めるのでございましたな? ならばお分かりでしょう、私が感謝していることを」

 老人はその理由を述べた。

「自分は戦場でいつか死ぬ、若い頃はそんな覚悟を抱いておりましたが……その思いはいつの間にか消えておりました。戦士として正しく戦って死ぬ、そんな機会はもう自分には訪れないのだろうと、あきらめておりました」

 そう言った後、老人は静かに、そして深く息を吸い込んだ後、武者震いと共に口を開いた。

「だからでございますよ! 私は感謝申し上げたい! よくぞ私を選んでくださったと!」

 老将は叫ぶようにそう言った後、大きく笑い出した。
 しかしアランはその気概と豪気に対して、同じ笑みを返すことは出来なかった。

 アランがこの者を選んだ理由は二つあった。
 一つは先の短い老人であったから。
 そしてもう一つは善人であったからだ。
 悪人に任せられる仕事では無い。勝てない脅威に対して即座に降伏したり、買収されるなどして簡単に敵を通すようでは、戦術そのものが崩壊してしまうからだ。

 しかしなぜ、善人は時に死に急ぐのか。
 未来のためならばこの命を賭してもかまわない、そんな思いが強いからだろうか。
 しかしそれだけでは悪人ばかり長く生き残ってしまう。だからアランは老人を条件の一つにしたのだ。
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