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最終章

第五十五話 逢魔の調べ(21)

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   ◆◆◆

「構えろ!」
「戦闘準備!」

 塹壕の中から複数の隊長の声が響き渡る。
 その声に従い、兵士達が手を発光させる。
 しかしその手はわずかに震えている。
 まだ少し距離があるとはいえ、音楽隊の攻撃は既に陣地を包んでいるからだ。
 精神汚染に対する自衛能力は個々によって異なる。中にはまったく防御出来ていない者もいる。
 だが彼らの心にある戦意は衰えていなかった。
 アランの共感によって勇気を奮い立たされているからだ。
 しかしそれでも自衛能力の無い人間は影響を受ける。
 具体的には条件反射を起こしてしまう。
 恐怖に対して身を強張らせる、身をすくませてしまう、などがそうだ。
 ゆえにアランの力をもってしても、全体の行動力の低下は避けられない。
 それは敵も同じはず。
 であったが、

「突撃してくるぞ!」

 直後にその考えは裏切られた。
 大盾を構えて一直線にこちらに駆けてくる。

「!?」

 瞬間、アランは感じ取った。
 この連中は恐怖などの負の念を『何も感じていない』ことを。
 そして同時に違和感を抱いた。

(いや、それは――)

 何かが違う、と。
 アランがその違和感に対しての調査を虫に命じたのと同時に、迎撃の光弾が一斉に放たれた。
 次々と着弾。轟音と共に土煙が上がり、全てを包み隠す。
 だが敵の戦意が衰えていないことを感じ取った兵士達は手を再び輝かせ、煙幕に透ける人影に照準を合わせた。
 その次の瞬間、

「「「!?」」」

 煙幕から飛び出してきた『それ』を目にした瞬間、兵士達は思わずその手を止めてしまった。
 全身血まみれの男だ。
 だが兵士達の意識はその赤さよりも、腹部に集中した。
 破けた腹から腸が垂れ下がっている。
 しかしその男は何の問題も無いかのように走っている。
 彼を守っていたはずの大盾はその手に無い。
 いや、その右手には取っ手の部品だけが握り締められていた。
 衝撃に耐え切れなかったのだろう、板金が彼の後方に転がっている。
 だが、彼はその取っ手を手放すことを忘れているのでは無かった。
 その右腕はへし折れ、骨が飛び出していた。
 忘れているのでは無い。右手はもう動かせなくなっているのだ。
 しかし彼はいずれも意に介していなかった。
 表情に変化は無い。
 ただ前へ、その一言だけで思考は埋まっていた。
 明らかに異常。
 そしてその異常性は先にアランが抱いた違和感と結びつき、

(そういうことか!)

 虫の報告から答えを知ったアランは叫んだ。
 あれは『感じていない』のでは無く、『感じられなくなっている』ことを。
 恐怖などを司る器官が全て焼かれてしまっていることを。
 この連中は『作られた狂戦士』であることを。

 白き帝国では楽器と同時に発達したものがあった。
 それは虫を使った脳の外科技術。
 波を使った精神汚染が攻撃手段になりえるのは、使い手がその汚染に対しての防御術を持っているからである。クラウスの無明剣もそうである。
 ゆえに「技」として成り立つ。防御手段を持たない相手には有効手となる。
 しかし仲間と連携して大規模な攻撃を行う場合には、全員が自衛手段を持っていないと有効手になりにくい。
 白き帝国はその問題を「手術」によって解決したのだ。

 されど、その施術は――

「うろたえるな! 撃ち続けろ!」

 直後、アランは叫んだ。
 痛みで止まらないのであれば、「動けなくなるまで攻撃する」しかない、という思いを響かせながら。
 兵士達はその思いを「動きを止めることを優先すべき」という意味で受け取った。
 ゆえに兵士達はその照準を変えた。
 足元を狙って大量の光弾を撃ち込む。
 敵の足がへし折れ、その体が地に伏せる。
 しかしやはりこの程度では止まらない。
 まるで四足の獣のように進んでくる。
 だがその前進は二本足の時と比べるといささか鈍重であった。
 隊長の一人がその遅い的の一つに照準を合わせながら声を上げる。

「足を潰したら胸か頭を狙え!」

 肺、心臓、脳、そのいずれかを砕けば絶対に止まる、という思いを響かせながら。
 この戦術は正解だった。
 相手の進軍速度を抑えながら撃破効率を増す有効手。
 されど、狂戦士達はその不利を意にも介さなかった。
 後続の者達が四足を踏み越えながら駆け迫る。
 まだ生きている者まで踏み潰しながら。
 少し知恵がある者がその死体を肉の盾として拾い上げる。
 それを真似した愚か者達が、まだ生きている者まで抱き上げる。
 全員の足が鈍るがゆえに、隊列の密度が増す。
 そして出来上がるは横一列の分厚い肉の壁。

「「「ゥオオオオッッ!」」」

 そのおぞましい肉の群れが死臭混じりの気勢を響かせる。

(これは……!)

 その凄まじさに、兵士の誰かが思った。
 これは狂戦士なんて生易しいものじゃあ無い、と。

(これはまるで――)

 その想いに別の誰かが応えた。
 これはまるで、タチの悪い虫の群れのようだ、と。
 ただただエサを求めることしか頭に無く、困った時には隣の仲間を食う、あのイナゴの群れのようだと。
 その表現は正にその通りであるかのように思えた。
 が、直後、

「余計なことは考えるな!」

 兵士達の心が恐怖に侵され始めているのを感じ取ったアランは声を上げた。
 されどその声は兵士達の心には響かなかった。
 が、隣にいるリーザは違った。
 ゆえに、

「その通りだと思うわ」

 リーザは同意を示しながら、赤い手を前に突き出した。
 放たれた赤い槍が狂戦士達の群れに突き刺さり、

「「「っ!」」」

 悲鳴ごと吹き飛ばした。
 飛ばしたのはそれだけでは無かった。
 兵士達の心の恐怖まで吹き消されていた。
 しかしリーザが射程の長くない爆発魔法を撃ち始めたということは、それなりに接近されているということ。
 そしてリーザの火力をもってしても食い止められる数では無い。
 ゆえにアランは叫んだ。

「前列、抜剣しろ!」

 その声が響いた瞬間、最前の兵士達は腰にある得物を握り締め、その手を発光させた。
 そして兵士達は塹壕から身を乗り出し、

「「「せぇやッ!」」」

 気勢と共に抜刀した。
 一斉に放たれた三日月が巨大な嵐となり、狂戦士達を切り刻む。
 この日のために、この時のために結成され、そして訓練されてきた剣兵部隊。
 その初仕事は上々であったが、

「「「オオオッッ!」」」

 作られた狂人共の勢いは衰えない。

 されど、その施術は完璧では無かった。
 魔王がかつて述べた危惧、天に至る者が減った、虫を使える人間が減ったことの影響はやはり小さくなかった。
 手術出来る人間に対して用意する狂人達の数が多すぎたのだ。数を揃えるために手術を雑にせざるを得なかったのだ。

 その影響は既に戦場に響き始めていた。

 ある者が叫んでいる。
 まだ戦い足りぬと。
 死の淵にある者が叫んでいる。
 自分は何をしているのかと。
 天に昇りはじめたいくつもの魂が答える。
 思い出せない、と。
 誰かが尋ねる。
 なぜだと。
 誰かが答える。
 あいつに、誰かに頭の中をいじくられたからだ、と。
 誰かが叫ぶ。
 思い出せない、と。
 誰かが叫ぶ。
 こんなことは望んでいなかった、と。
 こんな戦い方は、こんな死に方は、と。

「「「……っ!」」」

 響き始めた怨嗟のようなその声に、アラン達の背筋が再び冷たくなり始める。
 しかし直後、戦いを続けている狂戦死達の叫びがその声を吹き飛ばした。
 否! と。
 まだ足りぬ、と。
 失敗作とは違う、純粋な修羅たる成功品が慟哭し、足を前に出す。

「!」

 その瞬間、気付いたアランは同じ言葉を叫んだ。

(否!)

 こいつは純粋な修羅では無い、と。
 人間らしい思考力が残っている者が混じっている。今の自分に疑問を持っており、それを提議した者がいた。
 しかしその疑問は吹き飛ばされた。人為的に。狂気を共感させて吹き飛ばした。
 つまり――
 アランは導き出されるその答えを、声にして叫んだ。

「狂人達の中のどこかに指揮官がいる!」

   ◆◆◆

「ほう、そこに気付いたか」

 アランの叫びに対し、魔王は笑みを送った。
 しかしその笑みに含まれているものは称賛では無かった。

「だが、それに気付いたところで意味は無い。正解から少しはずれている」

 理由は単純であった。
 雑な仕事による欠陥品以外であれば、誰でもその指揮官になれるからだ。
 先の共感は第三者の操作によるもの。虫による遠隔操作なのだ。
 それは狂気を維持するためのもの。定期的に、そして無作為に選ばれた指揮官が共感を発し、全体の戦意を維持するというもの。
 ゆえに、

(あのアランとかいう男、あの感知力ならばすぐにそのことに気付くだろうが……)

 それに意味は無い、と、魔王は思考を切り替えた。
 問題なのはこの後。
 そこまでの展開はおおむね決まっている。

「……」

 魔王は静かに思考を巡らせた後、

「……ラルフ、準備しておけ」

 淡々とした口調で、そばにひかえているお気に入りの人形に指示を出した。

   ◆◆◆

 一方、奇しくも、アランも同じことを考えていた。
 魔王の予想通り、アランはすぐに気付いた。指揮官は遠隔操作によるものであり、操作者を止めるか虫を潰さねば意味が無いことを。
 ゆえにアランの思考は魔王のものと重なった。
 問題はこの後。
 この勢いと数は止められない。間違い無く陣地に乗り込まれる。
 そして敵の狙いはこちらの最大火力であるリーザのはず。
 ならば敵は、陣地に狂人を乗り込ませてこちらの火力を抑えこんだ後、同じ最大火力をぶつけてくる可能性が高い。

「ラルフ……」

 自然と、その男の名前が口から漏れる。
 その声には後悔の念が混じっていた。
 あの時倒していれば、そんな想いが含まれていた。
 そして哀れみの念も混じっていた。
 アランは感じ取っていた。
 ラルフが以前の彼とは変わってしまっていることを。

   第五十六話 老骨、鋼が如く に続く
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