バケモノ姫の○○騒動

長野 雪

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バケモノ姫の毒殺騒動

6.独立独歩が二人いて

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「ユーリ。セクリアの王子との婚約が決まりましたよ」

 それを最初に伝えに来たのは王妃である母親だった。今にして思えば、貧乏くじを引かされたのだと理解できる。ただ、その頃は、そんなこと考えもつかなくて―――

「なんで? わたしだって異能があるのに! それともお母様も、将軍や、ベリンダや、リッキーのことを信じてくれないの?」

 母親は悲しそうに首を横に振った。

「確かに、わたしは一番上のお兄様みたいに一日先のことを予知もできないし、二番目のお姉さまみたいに遠見もできないわ! でも……」
「ユーリ。残念なことだけど、あなたの異能は国内にあっても役には立たないと、そう判断されたのよ」
「やだ! 外になんかお嫁に行きたくない!」
「セクリアのハルベルト殿下はお前よりも五つ年上だけれど、きっと優しくしてくださるわ。それに、セクリアは鉱物資源が豊かで」
「お金のために、お金のために結婚しろって言うの? そんなのヤダ! もう聞きたくないわ。あっち行ってお母様!」

 ベッドに転がって泣き伏す娘に、受け入れる時間も必要と判断した王妃は、部屋を出て行った。
 一人残されたユーディリアは、心配そうに覗き込むベリンダを無視して、ただひたすらに己の運命を呪うように泣き続けた。


 ◇  ◆  ◇


「今朝は、ずいぶん昔の夢を見たわ……」

 中庭をぶらぶら歩きながら呟くと、ベリンダが『どんなの?』と乗ってきた。

「ハルベルト様との婚約を聞かされた時のことよ。思えば、お母様には悪いことをしたわ」

 相変わらず、午前中のこの時間は人がいない。
 昨日、丸一日部屋に閉じこもっていたユーディリアだったが、閉じこもっていても仕方ない、といつものペースに戻すことにした。腰に巻いたベルトに剣をいていることを除いて、護衛もいない、いつも通りの日常である。
 もちろん、リカッロによって護衛は二人もつけられていた。だが、使用人用の通路を使って振り切った。部屋を出る時に、「馬でも眺めたら心和むかしら」と呟いておいたから、真っ先に厩舎を探してくれるのではないかと期待している。

「まぁ、少し、悪いことをしたかもしれないわね」
『護衛のことか? じゃが、おっても邪魔なだけじゃからのぅ』

 隣を歩く将軍が答える。生身の人間の護衛が居ない今、頼れるのは彼だけだ。

「そうね。でも、あとで謝っておかないと……あら?」

 バラのアーチの先に、見覚えのある青年が立っているのが見えた。いや、元々、彼に会うことを期待してここへ足を運んだのだ。歌なしで見つけることができるか心配だったが、どうやら杞憂だったようだ。

「ペトルーキオ様」

 名前を呼ぶと、紫陽花あじさいに顔を寄せていた彼はくるりとこちらに振り向き、ぎょっとしたように目を見開いた。

「ユーディリア姫。その姿は……剣姫の噂は本当だったんスね」
「剣姫……?」
「いやぁ、一度剣を持てば、その腕前は並みの兵も凌ぐ、って話ッスよ」

 なにその話。いや、アレ? アレなの? 兵達の間で話題になるのは仕方ないと思っていたけれど、貴族にまで伝播してるのかこの話は!

『ほうほう、ずいぶん有名になったもんじゃのぅ』

 将軍が満足げにヒゲを撫でるのを無視して、ユーディリアは曖昧な笑みを浮かべた。

「さぁ? でもそのような噂が広がっているのでしたら、丁度良い威嚇になりますでしょう?」
「今日は護衛もいないようですが……」
「えぇ、元々、お忙しい方々にご迷惑をかけることは本意ではありませんので」

 何とか早くこの意味のない会話を打ち壊し、くるみタルトのことを尋ねたいのに、タイミングが掴めずにイライラする。いつ護衛に見つかるかも分からないのに。

「リカッロ様が刺客に襲われたという話も聞いたッス。こんな開けた場所では危険ッスよ」

 ペトルーキオに手を掴まれたユーディリアは、引っ張られるように近くの東屋へと連れて来られた。

「まったく、こんなか弱い腕で剣なんて振るえるわけないッスよね」

 目的地に着き、ようやく手を離してもらえるかと思ったユーディリアの期待を裏切り、ペトルーキオは手の甲に軽く口付けた。

「あ、あの……?」

 困惑するユーディリアの手を今度は両手で握り、彼は顔を間近に寄せて来る。
 視界の端で赤く染められた髪が揺れていなければ、ハルベルトと間違えそうな程、顔立ちがよく似ていた。

「実は、初めて会った時から、ユーディリア姫、あなたのことが気になって仕方がなかったッス」
(は?)

 内心の動揺を押し隠し、やたらと熱っぽい視線を真正面から受け止める。

「最初は、同じように親に道具として扱われる者としての共感かと思ってたッス。けど、日を追うごとに、それが違うものだと分かって来たッス」
『きゃーっ! 告白きたーっ!』

 ベリンダの黄色い声に、ようやく状況が飲み込めた。とは言え、まるでカエルの産卵のように次から次へとセリフが流れるように出て来て、口を挟む隙がない。

「だけど、あなたはハルの婚約者。うかつに手を出せるような相手でもないッス。だからこそ、俺はリカッロ様の誘いに乗ったんス」
(え?)
「彼がセクリアを獲ったあかつきには、貴族へ強制的な代替わりを命令すると聞いていたッスから」

 話を聞く限り、彼は随分早い段階からセクリアを裏切っていたことになる。セクリアだけでなく、友人であるはずのハルベルトまで。

(あぁ、違うのかしら。ハルベルトの友人というのも、親から強制的に割り振られた役だったのかも―――って!)

 いきなり腕を引かれ、抱きしめられたユーディリアは悲鳴を上げる。だが、心の中だけにとどめられたのは、自分で自分を誉めてやりたい。まだ、大事なことを聞いていないのだ。

「あなたはハルから無理やり奪われた花嫁。それなら、自分が声をかける隙もあると思ったッス。こんな風に。……あなたは、突然婚約者を奪った男を嫌い抜くに決まってると思ってたッス」

 生暖かい感触、耳に吹きかかる息に激しい嫌悪感を覚えたユーディリアは身体を強張らせた。

(だめよ。鳴らないで、胸。立たないで鳥肌……っ!)
「それなのに、あなたはハルを裏切ったんス。まるで、自分の父親が『リカッロにつくことが利益になる』と言うなら、それに従うとでも言うかのように……!」

 とんでもない誤解だった。
 そもそもハルベルトに対して恋愛感情を抱いたこともなければ、リカッロに対してそういう感情を抱いたこともない。元々、自分は恋愛感情を理解できないのだ。だから、母親や姉から恋愛小説を渡され、無理やり読まされても登場する人物に共感を持てないまま終わってしまう。

「あなたは、いつかの俺みたいに、自分の心を騙してるんス。心を騙して道具になりきってるだけなんスよ!」

 ようやく長い口上が終わったと判断したユーディリアは、嫌悪をこらえ、将軍へ助けを求めたい気持ちをこらえ、兼ねてからの疑問を口にすることができた。

「先日、くるみタルトのことを尋ねていらっしゃったのは、どうしてですの?」
「くるみ……? あぁ、リカッロ様の部下の前じゃ、うかつな発言もできないッスからね。好物でも口にすれば、少しでもあなたの気を引けると思ったんス」
「わたしは、あなたにくるみが好物だと言いましたかしら?」

 抑えきれない嫌悪感のために、言葉の端々に棘が滲み出そうになるのを自覚して、ことさら無邪気なふりを装って尋ねる。

「直接は聞いてないッスよ。だって、ベリーの乗ったケーキが好きだとしか教えてもらってないッスから」
「なら、どうして―――」
「マギーに聞いたッス」

 ハルベルトを裏切ってから、姿を消した侍女。栗色の髪の彼女を思い出し、ユーディリアの息が止まった。

「マギー……?」
「あぁ、マギーはウチに、アームズ公爵家にいるッス。くるみタルトも、ユーディリア姫に謝りたいからって作ってたッス。不義理をしてしまったから。そう言ってたッスね」

 そうだ。王妃にくるみのことを話した時、確かにマギーもその場に居合わせていた。
 「くるみタルト」と「ペトルーキオ」というキーワードが、マギーという仲介を経て、まったく別の様相を見せた。となると、カフスボタンもペトルーキオの物ではなく……

「マギーに直接会いたいですわ。タルトのお礼もしなければと思っていましたの」
「あー、大丈夫ッスよ。マギーは城内の使用人に顔が広いッスから、忍び込むのも簡単ッス。なんなら、俺が連れて来てもいいッス」

 そうだろう。料理長に救貧院からの贈り物だなんて言って怪しまれない人は限られる。城内の人事だって混乱しているはずだ。料理長にユーディリア付きの侍女が辞めたなんて情報が届いてなくてもおかしくない。

「マギーに伝えてくださる? 明日の夜、中庭の休息所で待ってると」
「いいッスけど……、休息所はいくつもあるんスよ? それに夜なんて大雑把な―――」
「言えば分かりますわ。わたしとマギーの仲ですもの」

 これで仕掛けは終わった、とユーディリアはペトルーキオの胸を押しやって離れようとするが、強い力で止められてしまった。

「その後で、俺とも時間を作ってくれるって約束してもらえるなら、ちゃんと伝言するッス」
「そういう冗談は好きではありませんし、もっとお立場と場所をわきまえて発言なさるべきです。それに、わたしのことを道具のようだと思っていらっしゃるのでしたら、どうぞ、メガネをお掛けになった方がよろしいわ」
「まぁ、あなたがメガネをかけた俺が好きって言うなら……」

 ダメだこれは。何を言っても変にねじれて解釈されてしまう。
 これはもう将軍にお願いするしかないのかもしれない。

 ユーディリアはぐっと腹に力を込めた。


 ◇  ◆  ◇


 面倒な書類仕事に区切りをつけたリカッロは、兵の鍛錬場へ足を向けていた。

(畜生。あと少しで絞り込めるんだが……)

 刺客を手引きした人間の候補は二人までに絞り込めた。だが、そこからが進まない。いっそのこと、二人とも一度牢にぶち込んでみるか、とヤケクソのように考えながら、自然と靴音も荒くなる。
 さらに、自分の嫁に投げつけられたネズミの死骸のことを思い出し、その逃走経路に思いを巡らせた彼は、廊下から中庭の方へと目をやり―――

「あぁ?」

 振った視界の先、遠くの方にあるはずのないものを見た彼の表情が険しく歪んだ。
 金色の三つ編みを揺らした彼女は、銀髪の誰かに引っ張られるようにして歩いている。

「くそ、ったれ!」

 廊下の窓を開け放つと、そこが二階であるにも関わらず、窓枠を軽々とくぐった。
 ベキベキバキバキという音が耳元で鳴り、やがて、足にずん、という衝撃が伝わる。
 庭師によって整えられた植え込みを飛び越え、小石で舗装された通路に出た彼は、左右を見渡す。

「あっちか?」

 確か紫陽花が近くに咲いていたはず、と自分の見た光景を思い出す。だが、庭園の地図は頭に入っていてもどこに何が植えられているかまでは把握していない。二階から見たおおまかな場所を頼りに走り出した。
 その声が聞こえたのは、ちょうど、紫陽花の植え込みを見つけたところだった。

「……明日の夜、中庭の休息所で待って……」

 聞きなれたユーディリアの声に、音を殺して足を進める。

「いいッスけど……夜なんて……」

 まだ距離が遠いせいか、それとも話し声が小さいのか、断片的にしか会話が聞こえて来ない。

「……わたしと……の仲ですもの」
「その後で、俺…時間を作って……、ちゃんと……するッス」
「そういう……好きで……よろしいわ」

 どこか内にこもった声は、リカッロの耳に気になる単語だけを残していく。彼の心に焦りが生まれた。

「まぁ、あなたが……俺が好きって言うなら……」

 中庭にいくつも設けられた東屋、そこに二人の姿を見つけたリカッロの視界が怒りで赤く染まった。ペトルーキオに抱きしめられたユーディリアの背中が見える。何かを考えるより先に口が動いた。

「オレのモノに手を出すなと言ったはずだな? アームズ公爵」

 思いのほか冷ややかに響いた声に、ペトルーキオが慌てて腕を開いた。

「ご、誤解ッスよ。俺はユーディリア姫様が気分悪そうにしてたんで―――」
「そんな御託はどうでもいい。とっととオレの視界から消えろ」

 はい、と返事だけはきびっと答えたペトルーキオは、何事かをユーディリアに囁いてから小走りに去って行った。
 背中を向けたままのユーディリアが大きく息を吐いた。
 くるりとこちらを振り向こうとした彼女の腕を掴み、東屋の柱にその背中を押し付けた。

「お前は命を狙われている自覚があるんだろうな?」

 きょとん、とした表情を浮かべたユーディリアは「もちろん」と腰の剣を指差した。

「じゃぁ、どうして護衛も連れずに、中庭でのほほんと逢い引きしてるんだ? あぁん?」

 ユーディリアの青い瞳を至近距離で見つめる。だが、護衛を撒いたことを怒られているのか、逢い引きを怒られているのかイマイチ分かっていないようだった。リカッロ自身も、自分がどちらに重点を置いて怒っているのかよく分かっていなかった。

「え、っと、ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが……んんっ!」

 言い訳を重ねようとする唇を自らの唇で塞ぐ。リカッロの中に渦巻く凶暴なものを流し込むかのように、舌を歯列に割り入れた。

「ん、んっ」

 口内を侵される苦しみか、弱々しく呻いたユーディリアの青い瞳に涙が滲むのを確認して、ようやく口を解放する。
 荒い息を整えようとするユーディリアに休ませる隙など与えないよう、唇をその白い首筋に這わせた。

「や、……んっ」

 艶めいた声に、リカッロの中の炎が煽られる。抵抗する手を力づくで抑え込み、ドレスの襟元を無理やり広げた。柔らかく膨らんだ胸元に―――

「リカッロ様っ!」

 聞きなれた副官の怒声に我に返った。条件反射のようにユーディリアを解放する。

「こんな野外で何を破廉恥なことをしてるんですかっ!」

 見れば、目の前の相手は慌ててドレスの乱れを直していた。顔は赤く、目は潤んでいるように見える。
 とんだ興醒めの結末だが、ここで終わる気はさらさらない。

「野外でなけりゃ、いいんだな?」

 軽くかがんだリカッロは、ユーディリアの太ももを左腕で抱えると、そのまま、まるでじゃがいも袋のようにユーディリアを肩に乗せた。

「オレは部屋に戻る。しばらく邪魔すんなよ?」

 ボタニカにニィッと笑いかけ、そのまま背を向けたリカッロはまっすぐに三階の部屋へと向かった。途中、担がれているユーディリアが大して抵抗をしないのは、諦めているのか、それとも自分が悪いと反省しているのか。彼には分からなかった。

「あ、リカッロ様! その、ユーディリア様が……」

 目的の部屋の前に立っていた兵が、落ち着きのない様子でリカッロに声をかける。

「中庭で見つけた。もう一人はどうした?」
「その、姫様を探しに―――」

 うろたえる兵の顔をきちっと覚えたリカッロは「しばらく邪魔すんなよ」と言い置いて、部屋の中へと入り、ドアを乱暴に閉めた。そのまま、奥の寝室へと「荷物」を運び入れると、ぽいっと寝台に放り投げた。
 ころり、と転がる彼女の後を追うように、自らも寝台の上に乗る。起き上がった彼女の目には、ありありと動揺が浮かび上がっていた。だが、目の前のリカッロから少し目線を外すと、いつもの仮面を被って平静を装う。これまでにも何度も似たようなことがあった。

「……」

 さぁ、何か言うことがあるだろう、とムスッとした表情のまま、彼女を見下ろす。

「助けて下さってありがとうございました」
「あぁ?」

 予想外のセリフに、思わずガラの悪い声が出る。

「ペトルーキオ様に強引に迫られて、困っておりました」

 目の前の嫁は、自分の両腕をさする仕草をする。

「どうも生理的にダメみたいです。触られると嫌悪感と鳥肌で……」
「……」
「でも、相手は公爵ですし、あまり乱暴な断り方をすると、後々リカッロ様のご迷惑に―――」

 根本的なところを理解していない彼女に、リカッロは失望のため息をついた。少しだけ冷静になった頭が、自分の衝動の理由を解き明かす。

 認めたくないが、これは嫉妬だ。

 今ここで目の前の女に所有の証を刻み込むのはたやすい。だが、そんなことよりも優先させるべきものがあるのだと理性が告げる。
 結局、理性の声に従うことにした。

「弁解はいらねぇ。刺客の件が片付くまで、お前は一歩も部屋を出るな! いいな、一歩たりともだ!」

 苛立ちをぶつけるように怒鳴ると、ユーディリアに背を向け、部屋を出る。後ろから「お待ちください」とか声が聞こえた気がするが、スッパリと無視する。

「おい、お前ら」

 ユーディリア姫を探しに出ていた兵も戻って来たのだろう。二人揃って扉の前に立っていた護衛にぎろり、と厳しい視線を向けた。

「あのバカが部屋を抜け出さねぇように、きっちり見張れよ」
「は、はい!」

 返事を確認すると、リカッロは今度こそ兵の鍛錬場へと足を向けた。

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