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36.副官は味方?
新しく翻訳の仕事に従事することになったユーリにとって、毎日はあっという間に過ぎていった。
元の世界に帰れないという衝撃はまだ受け止めて消化することはできてないものの、仕事に没頭することによって、少なくとも周囲に心配をかけるような表情を浮かべることはなくなっていた。もちろん、心の奥では、まだ納得しきれていない。それでも、まずは生活を安定させることが先決だと、ユーリはせっせと仕事をこなしていた。
(なんて、自己欺瞞だってことは分かっているけど)
ようやく慣れてきたペンを滑らせながら、ユーリは小さくため息をついた。
あれだけ一方的に、重苦しく、庇護したいと声も高らかに、公言して憚らないフィルがいるのだ。彼が結局、軍部の長官という元の役職に戻ったこともあり、彼を頼れば生活の安定など考えなくて済むことは分かっている。
それでも、彼に素直に頼れないのは――――
「ユーリさん、今日は昼を一緒にできそうだと、伝言があるんだけど」
「あ、はい、分かりました」
こうしてクレットを経由してフィルから昼食の誘いがあるのも、もう何度目か。
さすがに毎日というわけにはいかないが、彼がうまく仕事を捌けたときは、こうして昼食を一緒に取ろうという誘いがある。なお、直接フィルとやりとりしないのは、フィルの暴走を阻止する意味合いと、ユーリが魔力を介した伝信ができないという技術的な理由がある。
「毎回承諾してるけど、たまには断ってみてもいいんだよ?」
「それはさすがに……」
ユーリはクレットの提案に言葉を濁した。フィルの誘いがない日は、基本的に執務室でクレットと食事を取っている。ただ、同じ空間で食事をとっているだけで、別に差し向かいに座るわけでもないのに、フィルの嫉妬がすごいのだそうだ。
ユーリは食事中もときどき飛んでくるクレットの質問――主に元の世界の技術に関するものだ――に対応しなければならないため、どちらかというとお互いの日々の報告をするようなフィルとの食事の方が気が楽だった。もちろん、それを口にすることはない。
「正直なところ、ここまで女性に対してマメな行動を取るとは思ってなかったよ。もう少し、過去の文献を洗ってみようかなぁ」
・‥…━━━☆
「……というような状況だったんだ」
「すごいですね、皆さん。とても丈夫で羨ましいです」
ユーリは中庭の東屋で、フィルと向かい合って座っていた。初めてこの場所で昼食を一緒にとったときに、すぐ隣に座ろうとしたフィルを「なんとなく恥ずかしいから」というふわっとした理由で断ってからは、毎回このポジションである。
「そういえば……あら?」
ユーリはフィルに次の話題を振ろうとして、その人影に気がついた。中庭は基本的に王族しか使わないと聞いていたので、まだ対面していない王族がいるのだろうか、と純粋に考える。
(確か、フィルさんは三男で、お兄さんが二人とお姉さんが一人、弟妹は一人ずつ、という話だったっけ?)
やって来たのはすらりとした体格で背の高い……おそらく女性だ。竜人と一口に言ってもピンキリで、竜の因子が強く顔に出ている人だと顔の区別もつかない。それでも、ユーリは最近になって、ようやく男女の顔つきの印象の違いが分かるようになってきたところなので、あまり自信はなかった。確かに力の強い者はその顔が人間に近くなる傾向があるらしいが、あくまで「傾向」ということなので、勿論、例外もある。確実に言えることは、現在の王族の顔が人間に近くて助かった、ということぐらいか。さすがに国王や直属の上司、そして恋人の顔の区別がつかない、という最悪のパターンは免れている。
(ただ、竜人の年齢って正直分からないから困る……。寿命そのものが人間と大きく違うらしいから、仕方がないんだけど)
百歳まで生きれば十分長生きだという認識しかなかったところに、百歳がまだ青年レベルだと聞いたときのユーリの驚きは顕著なものだった。
やってくる人影については、確かフィルの姉は既に嫁いでいるという話だったので、消去法で妹だろうかと当たりを付けた。まだ子どもという話だったので、こちらに向かってくる女性がそうだとは言い切れないが、それもまた長命種族あるあるかもしれない、とユーリは強引に自分を納得させる。
「フィルさん。あちらの方も王族の方ですか?」
ユーリが指し示す方向を見たフィルは、ものすごく嫌そうな表情を浮かべた。基本的にユーリには笑顔か真面目な顔しか見せないので、こういった表情は貴重だ。
「俺の……副官だ」
「あぁ、不在の間に軍部を守ってくださったという」
副官は女性だったのか、と意外なものを見るような目で不躾な視線を向けてしまったからだろう。その女性がぺこり、と会釈をしてきた。慌てて会釈を返すと、「別にそこまで気を配らなくていい」と大変狭量なセリフがフィルの口から飛び出す。
こういったセリフに最初こそ「世界が違うと礼儀も違うのかもしれない」と困惑していたが、単なるフィルの独占欲と知った今では無言でスルーすることにしている。
元の世界に帰れないという衝撃はまだ受け止めて消化することはできてないものの、仕事に没頭することによって、少なくとも周囲に心配をかけるような表情を浮かべることはなくなっていた。もちろん、心の奥では、まだ納得しきれていない。それでも、まずは生活を安定させることが先決だと、ユーリはせっせと仕事をこなしていた。
(なんて、自己欺瞞だってことは分かっているけど)
ようやく慣れてきたペンを滑らせながら、ユーリは小さくため息をついた。
あれだけ一方的に、重苦しく、庇護したいと声も高らかに、公言して憚らないフィルがいるのだ。彼が結局、軍部の長官という元の役職に戻ったこともあり、彼を頼れば生活の安定など考えなくて済むことは分かっている。
それでも、彼に素直に頼れないのは――――
「ユーリさん、今日は昼を一緒にできそうだと、伝言があるんだけど」
「あ、はい、分かりました」
こうしてクレットを経由してフィルから昼食の誘いがあるのも、もう何度目か。
さすがに毎日というわけにはいかないが、彼がうまく仕事を捌けたときは、こうして昼食を一緒に取ろうという誘いがある。なお、直接フィルとやりとりしないのは、フィルの暴走を阻止する意味合いと、ユーリが魔力を介した伝信ができないという技術的な理由がある。
「毎回承諾してるけど、たまには断ってみてもいいんだよ?」
「それはさすがに……」
ユーリはクレットの提案に言葉を濁した。フィルの誘いがない日は、基本的に執務室でクレットと食事を取っている。ただ、同じ空間で食事をとっているだけで、別に差し向かいに座るわけでもないのに、フィルの嫉妬がすごいのだそうだ。
ユーリは食事中もときどき飛んでくるクレットの質問――主に元の世界の技術に関するものだ――に対応しなければならないため、どちらかというとお互いの日々の報告をするようなフィルとの食事の方が気が楽だった。もちろん、それを口にすることはない。
「正直なところ、ここまで女性に対してマメな行動を取るとは思ってなかったよ。もう少し、過去の文献を洗ってみようかなぁ」
・‥…━━━☆
「……というような状況だったんだ」
「すごいですね、皆さん。とても丈夫で羨ましいです」
ユーリは中庭の東屋で、フィルと向かい合って座っていた。初めてこの場所で昼食を一緒にとったときに、すぐ隣に座ろうとしたフィルを「なんとなく恥ずかしいから」というふわっとした理由で断ってからは、毎回このポジションである。
「そういえば……あら?」
ユーリはフィルに次の話題を振ろうとして、その人影に気がついた。中庭は基本的に王族しか使わないと聞いていたので、まだ対面していない王族がいるのだろうか、と純粋に考える。
(確か、フィルさんは三男で、お兄さんが二人とお姉さんが一人、弟妹は一人ずつ、という話だったっけ?)
やって来たのはすらりとした体格で背の高い……おそらく女性だ。竜人と一口に言ってもピンキリで、竜の因子が強く顔に出ている人だと顔の区別もつかない。それでも、ユーリは最近になって、ようやく男女の顔つきの印象の違いが分かるようになってきたところなので、あまり自信はなかった。確かに力の強い者はその顔が人間に近くなる傾向があるらしいが、あくまで「傾向」ということなので、勿論、例外もある。確実に言えることは、現在の王族の顔が人間に近くて助かった、ということぐらいか。さすがに国王や直属の上司、そして恋人の顔の区別がつかない、という最悪のパターンは免れている。
(ただ、竜人の年齢って正直分からないから困る……。寿命そのものが人間と大きく違うらしいから、仕方がないんだけど)
百歳まで生きれば十分長生きだという認識しかなかったところに、百歳がまだ青年レベルだと聞いたときのユーリの驚きは顕著なものだった。
やってくる人影については、確かフィルの姉は既に嫁いでいるという話だったので、消去法で妹だろうかと当たりを付けた。まだ子どもという話だったので、こちらに向かってくる女性がそうだとは言い切れないが、それもまた長命種族あるあるかもしれない、とユーリは強引に自分を納得させる。
「フィルさん。あちらの方も王族の方ですか?」
ユーリが指し示す方向を見たフィルは、ものすごく嫌そうな表情を浮かべた。基本的にユーリには笑顔か真面目な顔しか見せないので、こういった表情は貴重だ。
「俺の……副官だ」
「あぁ、不在の間に軍部を守ってくださったという」
副官は女性だったのか、と意外なものを見るような目で不躾な視線を向けてしまったからだろう。その女性がぺこり、と会釈をしてきた。慌てて会釈を返すと、「別にそこまで気を配らなくていい」と大変狭量なセリフがフィルの口から飛び出す。
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