影なら一つになるだろう〜抱いて、抱かれて、喰べられて〜

Laxia

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3章. 時を超えた想い

7. 絶望の中の side:リーゲル・エラルド



 ──私は、絶望していた。


「これは、酷い……」

 陳腐とも言えるそんな言葉しか出てこない程に、目の前の光景があまりに悍ましく、この世のものとは思えないものだった。……そう、まるで地獄だ。煉瓦造りの建物は巨大な化け物が襲ったかのように真っ二つになっていたり、叩きつけるように壊されていたり。そしてそんな中で、幾人もの人々──ルヴァンシュ一族であろう人達が事切れていた。

 私、リーゲル・エラルドは、医者である。もう数十年という本当に長い間、人の命を救ってきた。しかし王都の病院での勤務が長く、時には身を挺して貴族を守った騎士を、影と戦い王都を守ってくれた軍人を、そしてただ一日いちにちを精一杯生きていた民間人を──助けられた筈の命を、見殺しにしたのだ。王都の病院では、誰よりも王族と貴族の命が優先される。命の優先順位が、決められているのだ。……こんなことならば、正式な医師免許など取らなければ良かった、と何度思ったことか。こんなものを持っているから、王族と貴族を優先するなどという法に囚われてしまう。しかしこの能力のせいか、王都から逃げることは許されず──逃げようものなら弟子達がどうなるかわかったものではない。

 辺りに散らばる瓦礫を踏み鳴らしながら、私は天を仰いだ。──夕立が、来る。黒い雲が空を埋めるのを横目で視ながら、近くにいる騎士や軍人が入り混じった護衛達に声を掛けた。“あの瓦礫の中に2人、あの崩れた家には1人の遺体がある”、と。視界に入った人の寿命が視える私の能力は、離れすぎていなければ瓦礫に埋まっている人でも位置がわかる。そう、例え死んでいたとしても。“0”と、表示される大量のそれを、私は歯を食いしばって見つめていた。
 だからなのだろう、王家が私を此処に向かわせたのは。……なまじ名声があるが故に周囲を納得させる為もあったのだろうが、一番は生存者がいないことを確認させる為。私ならば、誰がどこに隠れていても寿命がその人物の頭上に表示される故に見逃すことはない。

「……何故……」

 思わず呟いてしまった言葉は、予想通り降り出した雨にかき消された。何故、数十年も仕え続けた私にこんな役割を負わせたのですか、王よ。信頼されている証なのでしょうが、命を救うのが使命の医者に、全ての遺体を解剖し、研究し、分析せよなどと──。

 王家から生存者は居ないだろうと聞いてはいたが、誰一人として存在しないのか。本当に、居ないのか。歩けども見渡せども、そこに広がる数字はただ一種類の数字。0、……ぜろ、ゼロ、零。表面上は平静を装ってはいるが、王室の馬鹿げた我儘で犠牲になった人達がこんなにも大勢いるのだと思うと反吐が出る。
 ──家や施設が崩れ、あちこちに引火し燃え上がっていた炎は、まるでもう命の灯火は此処には存在しないのだと嘲笑うかのように豪雨に消えて逝く。

 その光景に目を伏せそうになった、その時。──二桁の数字が目に映った。……まさか、まさか、生きているのか! こんな地獄のような場所で、生存者がいるというのか……!

 思わず護衛達を振り切って駆け寄ってみると、瓦礫の中に横たわっているのは、漆黒の長髪を持つ美しい女性だった。……いや、この細い体型にこのお腹の膨らみは──妊婦か。しかし確かにこの女性の寿命は25年、そしてお腹の中の命は70年──胎児の寿命など当てにはならないが、少なくとも今は疾患を抱えてはいないだろう──を示しているのに、息と脈を診てもそこに命の息吹は感じられなかった。ということは、能力か?
 能力か、それとも私が知らない薬か何かの影響で仮死状態になっている女性を、護衛達を呼んで抱き抱えさせる。王室の息が掛かっているこの者達に女性が生きていることを悟らせないようにしながらも、他の遺体と同じように荷車に乗せるように指示した。この女性が妊婦であることがわからないよう、合意なく女性に触れるのが失礼にあたるのは十分承知しているが、衣服を緩めてお腹の膨らみを隠しておいたから大丈夫だろう。


「──さて……」

 守り切れた全ての遺体を回収し、それを護衛達に近くの病院へと運ばせた私は手術室に閉じ籠った。集中力が切れるまでは、一人で解剖に集中したいのだと理由をつけて。緩いとはいえ外に監視の目はある為、一番信頼の置ける弟子を助手として呼び寄せておいて良かった。あとで監視の目を誤魔化すように動いてもらおう。……考え得る限りの手を使って、この妊婦とその子供を、どうにかして助けて逃してみせる。それが、今まで王命に従うしかなかった私のできる、唯一の償いである気がした。

 ……しかし、一体どうしたものか。女性の息と脈は戻ることはなく、顔色は死人のように血が通っておらず真っ青だ。身体も冷たく、触れると死後硬直が僅かに残っているように感じて息を呑む。ただ、ここで時間をかけすぎるわけにはいかない。外で監視している騎士に訝しまれてしまう。
 とりあえず、と手袋をした手で女性の膨らんだお腹に服の上から手を当てた瞬間──ぱちり、と女性の目が開いた。

「──?!」

 予想外のことに、思わず手を引っ込めてしまう。黒髪の女性の頬に徐々に赤みが戻り、息を吐く音が聞こえてやっと、女性が仮死状態ではなくなったことを理解した。

「あな、たは……」

 暫く声を出していなかった為か、枯れているがしかし鈴を転がすような声で、女性は私に声を掛けた。女性はずっと眠っていたのにも関わらず何もかもを見透かしているようで、神聖で近寄り難い輝きを放つ黄金の瞳が私を捉えて離さない。
 そして彼女は、慈しむようにお腹を撫でながら、聖母のように柔らかく笑んだ。

「──この子を、守って欲しいの」
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