TEM†PEST

Nagato Yuki

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Mov.29 魔人

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 第14回 運営委員会会議 議事録

 日時:テンペスト・ライフ 178日目 18:30~20:00

 場所:運営委員会事務所 3階会議室





 [議題]

1. 精神に異常をきたした者たちについて
霧状物質を吸入した者たちは、魔人消滅後正気を取り戻しており、医療アプリのドクター・メディカの診察によると、後遺症は認められないという診断結果が出ている。

2. コミュニティの警備について
遺跡外周の夜間警備を監視カメラアプリのカンシくんに切り替える計画は、当面見合わせとする。今回、魔人は遺跡への侵入に際して、おそらく姿を霧状に変えて拡散させ、夜陰に乗じて警戒網をかいくぐったと思われる。再びこのような敵が襲って来ないとも限らない以上、カメラ任せにして人間の感覚というセンサーを排除してしまうのはリスキーである。

3. 斯波ユキトの処遇について
ワンからの聞き取りでデモン・カーズの詳細は判明した。魔人化に人格を変える作用はないとのことだが、『霧の魔人』こと首藤架穂のように肉体の変質が精神に良からぬ影響を及ぼす可能性は否定できない。そのため、現在警備隊が身柄を拘束している斯波ユキトは、不整地地帯に隔離して24時間監視体制下に置くこととする。




 物音一つせず、時間さえも死んだような静寂……掃き出し窓を閉ざしたカーテン越しに差す、灰色の……空気がよどむ、地下墓地じみた部屋……

(……どうして……こんな……)

 か細くあえぎ、泥状の闇で体を丸めたユキトは、胃袋が縮んだ腹の前で手を力なく動かした。左手と赤黒い爪が生える節くれ立った右手が、のしかかる掛け布団と岩肌に感じられるベッドマットの間でうごめくと、カチャカチャ冷たい金属音が耳にさわる。両手首にガッチリはまり、鎖でつながった手錠――封印の手錠は、デモニック・バーストからコネクトやヘブンズ・アイズといったアプリ、バリアに至るまですべて封じて無力化している。

 ――斯波さん。――

 脳に刺さる短いコール音に続き、スピーカー越しの声が呼ぶ。反応せずにいると、声の主――同年代くらいの少女は、いら立ちをにじませた。

『――もうじき夕方です。いつまで寝ているつもりですか? いい加減起きて下さい』

 辛辣に突き立てられたユキトはうつろな間を置いてから半死人の動きで起き上がり、焦げ茶の掛け布団に目を落としたまま、グレーのスウェット上下を声の方に少しよじった。壁に右サイドがくっ付いたベッドの頭側から見て左斜め方向、左右に開け放たれた引き戸の前に全長20センチほどのメタリックな黒いカプセル――監視カメラアプリ〈カンシくん〉――が浮かび、回転可能な上部にあるカメラで監視対象をとらえている。それは、少年が軟禁されている自宅のそばの詰所つめしょにいる警備隊員――監視当番とつながっていた。

「……何ですか?……」蚊の鳴くような声が、微かに尖る。「……寝ていたっていいじゃないですか……体調だって悪いんだし……」
『面会です』

 ぶっきらぼうに言い、監視当番は面会者が今からそちらに行くと一方的に伝えた。引っかかりながら流されるユキトは寝癖で乱れた髪を気だるげに撫で付け、のろのろ素足を下ろしてベッドの端に腰かけると、腹の前に置いた異形の右手に左手を重ねた。引き戸が左右に開き切っているので、ダイニングテーブルに多少視界を妨げられるものの、ユキトの位置からダイニングキッチンの向こうの玄関が見える。外から聞こえる足音が近付き、いくらか緊張が感じられるノックの後に鍵がかかっていない玄関ドアが開いて、黒の長袖タートルネックとグレーのスキニーデニムパンツ姿の黒髪ロング少女がスッと入って来た。

(……潤……)

 ユキトはまぶしげに目を細め、薄暗さに浸った足へ視線を落とした。軟禁されているみじめな自分を見られることがつらかった。潤は黒いショートブーツを脱いでスリッパラックから取ったスリッパを履き、他人行儀にフローリング床を歩いてカンシくんが浮かぶ引き戸の手前で止まると、背中を丸めてうつむいている相手に黒まつ毛をふっと下げ、唇を小さく開いた。

「……ちゃんと生活、できているの?」
「……うん……これが……」

 目を上げず、手錠を見ながらぼそぼそ答える。

「――はまっていても、どうにかできるしね……食事とか……」
「そう……あなたのこと、ずいぶんうわさになっているわよ」
「……」

 全身が傷になり、骨にまで染みる感覚……眉根をきつく寄せ、ユキトは足元に取り憑いた影を暗く潤んだ目でにらんだ。うわさのことなど考えたくもなかった。秋由大を殺し、精鋭ぞろいの調査隊を危機に陥れた怪物――コミュニティ・メンバーを狂わせ、大混乱を引き起こした悪魔と同じ存在に変わっていく……それが、どのような感情を抱かせるかなど……

「……気にしなければいいんじゃない?」潤の視線が、斜め下に外れる。「悩んだって、どうしようもないもの……」
「……簡単に言うね……」
「気を悪くさせたのなら謝るわ。でも、例えば佐伯さんだったら、もっと毅然としていると思うわよ」
「……僕は、佐伯さんじゃないよ……」
「……そうね……」

 ちらと自分を一瞥した瞳が冷えていくのに気付かず、ユキトはただうなだれていた。

「……それじゃ、帰るわね」

 冷淡な響きに顔を上げ、目をすがらせるユキトに背を向けて潤は玄関へ歩き、ショートブーツを履いて出て行った。肩を落としたユキトはのろのろベッドに潜り込み、頭から掛け布団をかぶって壁側に寝返った。

「……薄情だよな……」

 暗闇によどむ、苦々しいつぶやき……慰めてもらいたかった。支えて欲しかった。しかし、潤はそんな気持ちをくみはせず、ユキトもねだるようなみっともない真似はできなかった。

「……こんなの、間違ってる……!」

 節くれ立った黒い右手をつかんで爪を食い込ませ、凍えた体は丸まり、震えた。





 ユキト宅を出ると、潤は詰所の監視当番に面会終了を告げて住宅地域に足を向けた。地面から不ぞろいに出た石の土台をショートブーツで踏み越え、黒髪を揺らしながら不整地地帯を足早に歩くうつむき加減の顔には、身を切る寒風かんぷうにさらされているような厳しさが張り詰めている。

「――!……」

 視線を下げていたせいで、前から歩いて来る学生服の2人組――紗季ともう1人の少女――に互いの表情が見える距離で気付いた潤は足を止めかけたが、美貌を冷たく整えると、そのまま真っ直ぐ進んで横を通り抜けようとした。

「加賀美さん」

 少しためらいがちに、紗季が呼び止める。恵成けいせい高校の制服――胸のピンクリボン、ワイシャツにキャメルのブレザー、ベージュ地に水色チェック柄のスカート――姿の横には、セーラー服姿の沢城麻綾が控えめに立っている。

「……斯波と面会してたんでしょ? どう、様子?」
「……あなたたちも面会?」
「面会というか、法務マネジメント局の仕事の一環。待遇に問題がないか、スタッフの沢城さんとチェックに来たのよ」

 沢城が挨拶すると、潤は硬い表情のまま会釈をした。そして、「急いでいるから」と言って、さっさと行ってしまった。

「……何だか、感じ悪いですね……」

 沢城の感想にあいまいにうなずき、紗季は潤の後ろ姿に背を向けて面会手続きのため詰所に歩いた。彼女たちのはるか頭上では、陰り始めた陽に染まるおぼろ雲が揺らめいていた。





「――入るわよ、斯波」

 玄関ドアを開けた紗季は、充満する陰鬱な空気に思わず顔を引いた。夕暮れが近いこともあるが、掃き出し窓のカーテンがぴっちり閉められた1LDKは、別世界のように薄暗い。紗季と沢城がスリッパを履いて上がると、奥に浮かんでいたカンシくんの上部が回転して2人をカメラで追う。監視されながらカンシくんをくぐった紗季は、ソファ、ローテーブルが置かれたリビングとベッドルームが合わさった部屋の角にくっ付くセミダブルベッド上で焦げ茶色の掛け布団を引っかぶっているのを見つけた。

「……暗いから、明かりつけるわよ」

 壁のスイッチを触り、照明をつける紗季。それで部屋は明るくなったが、空間のくすみは消えなかった。ベッドに近付いた紗季は、カンシくんがスウッと宙を滑ってベッドの足元側に移動し、やり取りをすべてカメラでとらえようとするのに眉をひそめた。

「トイレとか以外全部監視なんて、たまらないわね……――ねぇ、斯波、調子どう? 何か困っていることとかない?」

 返事はなかった。紗季と沢城が代わる代わる声をかけても一言として返って来ないどころか、掛け布団の下からいら立ちが伝わってだんだん強まり、今にも破裂しそうなほどになる。少女たちは顔を見合わせ、今はそっとしておいた方が良さそうだと小声で話し合った。

「……ごめんね、休んでいるところ……また、来るからね……」

 そっと声をかけた紗季は沢城にうなずき、カンシくんを不快げに一瞥すると、照明のスイッチを切って玄関から出て行った。陽が暮れ始め、次第に暗くなっていく部屋の片隅で、掛け布団の盛り上がりはじわじわと闇に沈んでいった。





『……斯波ユキトに対する反応は、おおむね今申し上げたようなところです。ルルりん……』

 むんむんとした湯気とウインドウ越しに報告し、鎌田は大理石の浴室でバラ風呂にゆったりつかるルルフにぼうっと見とれた。黄金の清流のようなブロンドをタオルで頭にまとめ、バラの花が一面に浮かぶ湯から蜜をたっぷり蓄えた上乳をのぞかせる天使のエロティシズム……見ているだけで魂をねっとりしゃぶられるような陶酔に、今にも昇天しそうだった。

「ふぅ~ん……みんな、ユッキーのこと時限爆弾みたいに思ってるのねえ」
『へえっ? あ、は、はいっ! 遺跡から追放するべきと考える者も少なくありません』
「委員会の発表によると、あの霧の魔人って666人トリプルシックスの1人だったって話だもんね。ユッキーもあんなふうに狂っちゃうかもしれないって、怖がってるんだ~」
『そ、そうです。何かあって封印の手錠が外れ、危害を加えられたりしたら……たまらないって……ことです……』

 湯で火照ったなまめかしい表情と胸の谷間とに視線を上下させる鎌田は、意識がとろけそうになるのをこらえた。

「そうなんだねぇ……」

 湯の中で右腕がゆらあっと泳ぐと、花園が揺らめいてその下が見えそうになり、ジト目と鼻の穴が興奮でかつてないほど大きく開かれる。

「――ルルは別に気にしないけどなぁ~ 委員会に返してくれるようにかけ合おっかな」
『……は、はい? え、い、今、何と?』
「だから~ユッキーを返してくれるように要求しようかなって言ってるの。ユッキーはうちの一員じゃん。権利はあると思うんだけど?」
『い、いや、それを言えば、警備隊の一員でもありますし……それに、伝え聞く様子からすると、引き取っても使い物になりませんよ』
「ベッドに潜り込んだままなんだっけ? 残念だなあ~」
『な、何を言うんです、ルルりん! ルルりんには、僕ら――僕がいるじゃないですか! 彼なんかいなくたってへっちゃらですよ!』
「うふふ、そうだね。サンキュー、カマック。――それじゃ、報告ありがとね」
『え? あ、はっ、はい、あッ、あの――』

 眼福がんぷくの終わりに慌てる鎌田を消し、ルルフは湯船に背中をもたれ、肩までどっぷり湯につかった。

「……ハイパーに頼もしそうだったのに。もったいないな~」
『そうだね! そうだね! キャハキャハキャハッ♪』

 宙にロココ調フレームの楕円だえん型鏡――ミラが現れ、湯気で曇った浴室内をくるくる飛び回る。

『――強いのがいれば、ケンカするにも貢がせるにも役立つもんね。キャハキャハ♪』
「ホントそうよ。ルルはもっともっとポイントが欲しいんだから」
『キャハキャハ♪ ポイントがあればあるほど、カリスマレベルもぐんぐんアップ! ルルりんの魅力、うなぎのぼりだもんね! キャハキャハ♪』

 ミラがルルフの正面に来て、鏡面にカリスマレベルを表示する。3分の1くらいまで達したレベルゲージににやにやしつつ、ルルフは「まだまだ足りないな~」と不満を口にした。

『キャハキャハ♪ がんばれ、ルルりん! レベルをガンガン上げていけば、そのうち世界さえ動かせるようになるよっ! キャハキャハキャハッ♪』
「マジで? ハイパーにすごいじゃん! ふふふ、そっかあ……!」

 高揚したルルフは湯に唇を沈めて両端をつり上げ、美しく磨かれた目を貪婪どんらんそうに濁らせた。
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