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1話「幸せの崩壊I」
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煌びやかなシャンデリアの下に、数百人もの賓客が集まっていた。大理石の床には精緻な彫刻が施され、壁には歴代当主の肖像画が威厳を持って並んでいる。銀器が微かな光を反射し、談笑する貴族たちの衣擦れの音さえも格式高く響いていた。
ミレーナ・ヴァイスクローネは、少し離れたテーブルの隅でグラスを弄んでいた。アイボリーの肌に淡い金髪が映え、着ているドレスは控えめながらも品よく仕立てられている。だがその美貌も、この豪奢な晩餐会場では地味に見えてしまう。なぜなら、すぐ傍に立つ男の存在があまりにも眩しすぎたからだ。
「ミレーナ、緊張してる?」
低く落ち着いた声が彼女の肩越しに降り注ぐ。振り返れば、婚約者であるグレン・ベントリーが穏やかに微笑んでいた。整った顔立ちに透き通る青い瞳、金糸のように艶やかな髪をきっちりと後ろに流している。帝国でも有数の名家、ベントリー侯爵家の嫡男であり、その地位はミレーナが属するヴァイスクローネ子爵家とは比べものにならない。
「……少し」
本当は、ここに来る前からずっと落ち着かなかった。今日はただの社交パーティーではなく、ベントリー家の次期当主のお披露目兼婚約報告会なのだ。ミレーナも一応婚約者の身分で列席しているが、どこか居心地の悪さを感じていた。
「大丈夫だよ、ほら」
グレンが軽く手を差し伸べる。それを自然に受け取りながら、ミレーナは内心で複雑な感情を押し殺した。自分は決して立派な身分ではないのに、こんな素敵な方と一緒にいられて良いのだろうか。そんな卑屈とも呼べる疑念が、常に胸の奥に燻っている。
だが正式に婚約してからの二ヶ月間、彼は何度も親切に接してくれた。時に冷たく感じる時もあるが、それでも貴族社会に慣れない自分を気遣ってくれる場面も多くあった。だからこそ、こんな晩餐会の席に呼ばれたことは純粋に嬉しかった。いや、誇らしいと言ってもいいかもしれない。
だって、どんなに貧相でも自分はグレン様の婚約者なのだから———
そう思った矢先だった。
「皆様、お耳をお貸しくださいませ」
重厚な扉が開き、ベントリー家の執事と思しき老紳士が恭しく入ってくる。続いて父親と母親を伴ったグレンが中央へ歩み出た。普段は温和なグレンの表情が、僅かに引き締まって見える。
あちらこちらで「お披露目?」とか「ついに?」といった囁き声が上がる。ミレーナも緊張で背筋が強張った。これが俗に言う、婚約者を紹介する公式挨拶というものか。
グレンは両親の前で一礼すると、ゆっくりと聴衆の方へ身体を向けた。蒼天のごとき青眼が会場全体を見渡すように動き、一拍置いてから重々しく口を開く。
「本日は多忙の中、我が家にお越し頂き感謝申し上げます」
落ち着いた声音だが、その内容は妙に他人行儀だった。通常ならここでミレーナのことも紹介し、結婚への意思表明を行うはずなのに……。違和感を覚えつつも、ミレーナはおとなしく聞き入る。
「さて、以前よりお伝えしておりましたが、我がベントリー家は近日中に対外的な経営拡大を計画しております。つきましては—」
そこで一旦言葉を切り、グレンはちらりと横目で何かを確認した。いや、正確にはミレーナの方を見たのだ。瞬間、胸の内で何かが軋むように痛んだ。
「—新たな血統を迎えることが必要だと判断致しました」
「新たな……血統?」
思わず小さく呟いてしまう。いや待て、それじゃあ私たちの婚約はどうなるのか?慌てて周囲を見回すが、他の招待客たちも怪訝そうな表情をしている。
次の瞬間、ミレーナの前。見れば、グレンがすっと片膝をついている。
「何を……」
困惑した声を漏らすミレーナ。だがグレンはにこりともせず、彼女の前に跪く形のまま頭を垂れている。その仕草があまりにも大仰で、まるでこれから重要な発表でも行うかのようだ。
「ご存知の通り、先般私も二十歳となり、婚約者としてミレーナ嬢と関係を築いてまいりました」
一言一句をはっきりと会場に響かせる声量。静まり返ったホール内では、その言葉が余計に重く響く。
「しかし残念ながら、これまでの結婚生活予定は白紙に戻すことになりました」
ミレーナ・ヴァイスクローネは、少し離れたテーブルの隅でグラスを弄んでいた。アイボリーの肌に淡い金髪が映え、着ているドレスは控えめながらも品よく仕立てられている。だがその美貌も、この豪奢な晩餐会場では地味に見えてしまう。なぜなら、すぐ傍に立つ男の存在があまりにも眩しすぎたからだ。
「ミレーナ、緊張してる?」
低く落ち着いた声が彼女の肩越しに降り注ぐ。振り返れば、婚約者であるグレン・ベントリーが穏やかに微笑んでいた。整った顔立ちに透き通る青い瞳、金糸のように艶やかな髪をきっちりと後ろに流している。帝国でも有数の名家、ベントリー侯爵家の嫡男であり、その地位はミレーナが属するヴァイスクローネ子爵家とは比べものにならない。
「……少し」
本当は、ここに来る前からずっと落ち着かなかった。今日はただの社交パーティーではなく、ベントリー家の次期当主のお披露目兼婚約報告会なのだ。ミレーナも一応婚約者の身分で列席しているが、どこか居心地の悪さを感じていた。
「大丈夫だよ、ほら」
グレンが軽く手を差し伸べる。それを自然に受け取りながら、ミレーナは内心で複雑な感情を押し殺した。自分は決して立派な身分ではないのに、こんな素敵な方と一緒にいられて良いのだろうか。そんな卑屈とも呼べる疑念が、常に胸の奥に燻っている。
だが正式に婚約してからの二ヶ月間、彼は何度も親切に接してくれた。時に冷たく感じる時もあるが、それでも貴族社会に慣れない自分を気遣ってくれる場面も多くあった。だからこそ、こんな晩餐会の席に呼ばれたことは純粋に嬉しかった。いや、誇らしいと言ってもいいかもしれない。
だって、どんなに貧相でも自分はグレン様の婚約者なのだから———
そう思った矢先だった。
「皆様、お耳をお貸しくださいませ」
重厚な扉が開き、ベントリー家の執事と思しき老紳士が恭しく入ってくる。続いて父親と母親を伴ったグレンが中央へ歩み出た。普段は温和なグレンの表情が、僅かに引き締まって見える。
あちらこちらで「お披露目?」とか「ついに?」といった囁き声が上がる。ミレーナも緊張で背筋が強張った。これが俗に言う、婚約者を紹介する公式挨拶というものか。
グレンは両親の前で一礼すると、ゆっくりと聴衆の方へ身体を向けた。蒼天のごとき青眼が会場全体を見渡すように動き、一拍置いてから重々しく口を開く。
「本日は多忙の中、我が家にお越し頂き感謝申し上げます」
落ち着いた声音だが、その内容は妙に他人行儀だった。通常ならここでミレーナのことも紹介し、結婚への意思表明を行うはずなのに……。違和感を覚えつつも、ミレーナはおとなしく聞き入る。
「さて、以前よりお伝えしておりましたが、我がベントリー家は近日中に対外的な経営拡大を計画しております。つきましては—」
そこで一旦言葉を切り、グレンはちらりと横目で何かを確認した。いや、正確にはミレーナの方を見たのだ。瞬間、胸の内で何かが軋むように痛んだ。
「—新たな血統を迎えることが必要だと判断致しました」
「新たな……血統?」
思わず小さく呟いてしまう。いや待て、それじゃあ私たちの婚約はどうなるのか?慌てて周囲を見回すが、他の招待客たちも怪訝そうな表情をしている。
次の瞬間、ミレーナの前。見れば、グレンがすっと片膝をついている。
「何を……」
困惑した声を漏らすミレーナ。だがグレンはにこりともせず、彼女の前に跪く形のまま頭を垂れている。その仕草があまりにも大仰で、まるでこれから重要な発表でも行うかのようだ。
「ご存知の通り、先般私も二十歳となり、婚約者としてミレーナ嬢と関係を築いてまいりました」
一言一句をはっきりと会場に響かせる声量。静まり返ったホール内では、その言葉が余計に重く響く。
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