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5話「幸せの崩壊V」
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夜更けの街道を馬車が唸りを上げて疾走する。御者の腕前は確かだが、それでも車輪が轍に乗るたびに微かな衝撃が伝わってくる。それが心の乱れと奇妙にシンクロし、ミレーナは自分自身が波間を漂流する小舟になったような錯覚に囚われた。
窓の外を流れる漆黒の闇。時折木立が逆光で浮かび上がっては消えていく。街路灯の明滅だけが現実と非現実の境界線を曖昧にしていった。
――私、なんでこんな目に……
何度も繰り返した自問が、また喉元まで競り上がってくる。もちろん答えは出ない。どれだけ考えようと、あの晩餐会で浴びせられた冷酷な宣告は消えないのだ。
やがて馬車は閑静な屋敷の門前で停止した。ヴァイスクローネ家は子爵とはいえ、近年は世襲財産も縮小傾向にある。豪奢とは程遠い建築だが、それでも幼い頃から慣れ親しんだ佇まいだ。
しかし今夜だけは、懐かしい石造りの外壁さえもが、無慈悲に自分を拒絶しているように感じられる。
玄関扉を開けると、ランタンを持った老僕セバスチャンが心配そうに待ち受けていた。
「お嬢様……!?随分とお早いご帰還ですが」
「ごめんなさい、少し疲れたの」
声が上ずらないように努めるものの、掠れた語尾は隠せなかった。セバスチャンは何も聞かず、黙って私の手からコートを受け取ると、奥の廊下を手で示した。
螺旋階段を一段一段上っていく足取りは重い。踊り場を曲がるたび、額に汗が滲んでくる。蝋燭の灯りが心もとなく揺れ、壁に映る影も不安げに踊っていた。
やがて辿り着いたのは自室――かつて婚約が決まった夜にグレンを招き入れた場所。本来なら幸福の起点となるはずだった部屋が、今は罪悪の象徴となってしまった。
扉のノブに手をかけようとして、ふと動きが止まる。鍵穴を前にして、しばらくの間ぼんやりと立ち尽くした。
――開かない……?
頭の片隅で、そんな錯覚に囚われる。実際には鍵などかけていないのに、まるで内側から堅固に封印されているかのように感じられるのだ。自分が開く資格もない、あるいは扉の向こう側にはもう居場所がない……そんな恐怖が背骨を這い上がる。
意を決して捻ると、軽い音と共に扉は開いた。薄暗い室内。カーテンの隙間から忍び込む街灯の光が、絨毯の上の塵埃を微かに浮かび上がらせている。
「……私には、あの人の隣に立つ資格なんてなかったのだわ」
無意識に漏れた呟きが、伽藍洞の部屋に虚しく響いた。その言葉を境に、堰を切ったように後悔と自己嫌悪の渦が心を飲み込んでいく。
部屋の中央に設えられた化粧台に目が留まった。鏡に映る自分は、想像以上に疲弊し切っている。金糸の髪は絡まり、碧色の瞳は暗く濁っている。晩餐会での鮮やかなドレス姿が嘘のように、今のミレーナは煤けた人形のようだった。
窓の外を流れる漆黒の闇。時折木立が逆光で浮かび上がっては消えていく。街路灯の明滅だけが現実と非現実の境界線を曖昧にしていった。
――私、なんでこんな目に……
何度も繰り返した自問が、また喉元まで競り上がってくる。もちろん答えは出ない。どれだけ考えようと、あの晩餐会で浴びせられた冷酷な宣告は消えないのだ。
やがて馬車は閑静な屋敷の門前で停止した。ヴァイスクローネ家は子爵とはいえ、近年は世襲財産も縮小傾向にある。豪奢とは程遠い建築だが、それでも幼い頃から慣れ親しんだ佇まいだ。
しかし今夜だけは、懐かしい石造りの外壁さえもが、無慈悲に自分を拒絶しているように感じられる。
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「お嬢様……!?随分とお早いご帰還ですが」
「ごめんなさい、少し疲れたの」
声が上ずらないように努めるものの、掠れた語尾は隠せなかった。セバスチャンは何も聞かず、黙って私の手からコートを受け取ると、奥の廊下を手で示した。
螺旋階段を一段一段上っていく足取りは重い。踊り場を曲がるたび、額に汗が滲んでくる。蝋燭の灯りが心もとなく揺れ、壁に映る影も不安げに踊っていた。
やがて辿り着いたのは自室――かつて婚約が決まった夜にグレンを招き入れた場所。本来なら幸福の起点となるはずだった部屋が、今は罪悪の象徴となってしまった。
扉のノブに手をかけようとして、ふと動きが止まる。鍵穴を前にして、しばらくの間ぼんやりと立ち尽くした。
――開かない……?
頭の片隅で、そんな錯覚に囚われる。実際には鍵などかけていないのに、まるで内側から堅固に封印されているかのように感じられるのだ。自分が開く資格もない、あるいは扉の向こう側にはもう居場所がない……そんな恐怖が背骨を這い上がる。
意を決して捻ると、軽い音と共に扉は開いた。薄暗い室内。カーテンの隙間から忍び込む街灯の光が、絨毯の上の塵埃を微かに浮かび上がらせている。
「……私には、あの人の隣に立つ資格なんてなかったのだわ」
無意識に漏れた呟きが、伽藍洞の部屋に虚しく響いた。その言葉を境に、堰を切ったように後悔と自己嫌悪の渦が心を飲み込んでいく。
部屋の中央に設えられた化粧台に目が留まった。鏡に映る自分は、想像以上に疲弊し切っている。金糸の髪は絡まり、碧色の瞳は暗く濁っている。晩餐会での鮮やかなドレス姿が嘘のように、今のミレーナは煤けた人形のようだった。
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