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1巻
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しおりを挟む――目の前で人が大穴に吸い込まれていった。
突然のことで、俺が何を言ってるのか到底理解できないだろう。大丈夫だ、俺も自分が何を見てしまったのか分かってない。
前を歩いていた男子学生を飲み込んでしまった大穴は、何の予兆もなく、突然彼の足元に出現したんだ。彼を待っていたと言わんばかりに、足を踏み出した先のちょうど真下の位置に。
「って、暢気に眺めてる場合じゃない!」
地面にぽっかりと空いた穴なんて、テレビでしか見たことがない。もしかして、年末によく見る芸能人相手のドッキリかなんかの撮影だったのだろうか。
だが、周囲を見渡すも、テレビクルーはおろか、人っ子一人いない。
「……やっぱり、偶発的な事故ってことだよね」
通りかかっただけとはいえ、落下現場を目撃してしまったんだ。そのままサヨウナラ、と見て見ぬフリをする薄情な人間にはなりたくない。
俺はようやく回りだした脳に喝を入れて、男子学生が落ちていった穴に恐る恐る近付いた。もちろん彼の二の舞はごめんだから、大股で四歩くらいの距離を取って。
「うわぁ、穴底すらも見えない。こんな穴、バトル漫画でも開かないって」
公園の砂場ほどもある穴は、底の見えない大口を開いて、風を吸い込むような音を立てていた。
「あの、大丈夫ですかーっ!」
だが、その大穴は、地上の光もろとも俺の叫びを吸い取ってしまうほど、深く、暗かった。
「どうしてこんなことに……」
俺は途方に暮れて、誰に聞き届けられるはずもない問いを力なく呟いた。
♦♢
「え? バイト飛んだの? マジねぇわお前!!」
それは都心に住まう人間なら誰しもが経験する帰宅ラッシュの電車の中。至近距離に立つ大学生と思われる男子学生三人が、耳を塞ぎたくなるほどの音量で話をしている。
目の前で交わされる会話が、自然と耳に入ってしまう。
「バイト飛んでも、なぜかキラキラしてる陽キャ、こわいな……」
十数社目にのぼる就職試験で場数は踏んでいるのに、一次面接で会社名を言い間違えるという致命的なミスを犯し、メンタルブレイクしている俺の耳には、陽気な声色が刺さるように痛かった。
陽キャトリオの視界に入らないようにミリ単位で身体の向きを調整しているうちに、最寄駅に到着した。なんだか色々な物を失ったような心情で電車を降りて改札を出ると、グループの内の一人が、俺よりも数歩先を歩いているのを発見した。
うわ、最寄一緒なのか。明日から時間変えようかな……
思わずそう思ってしまったのは許してほしい。
明るい金の髪が特徴的な学生は、降りた直後から何やら友達と電話を始めていた。
さっきから延々と喋ってるけど、喉を酷使しすぎじゃないだろうか。的外れな心配をしながら家に向かって歩き出す。
数分歩いていて気が付いたが、なんとその学生と帰り道も同じなのだ。
ここまで来たらとことん着いていってやろうと、ちょっとワクワクしながら歩く。すぐに狭い十字路に差しかかり、学生くんは右に曲がった。俺の家はこの路地を左に数分だから、ここでようやくお別れだ。
惜しむほどの別れでもないので、何の感慨もなく自宅へ向けて足早に歩き出した時だった。
「おわああぁ⁉」
――突如として、先ほどまで同じ道を歩いていた学生くんの悲鳴が響いた。
「えっ⁉」
思わず振り向いた結果、彼が穴に吸い込まれていくところを目撃してしまった、という経緯だ。
「と、とりあえず警察に通報する? 俺が突き落としたと思われなきゃいいけど……」
俺は穴を覗くのをやめ、スマホを探し始めた。
「あれ、スマホどこのポケットに入れたっけ?」
硬くて開けにくい上に、ポケットが無数にある就活カバンを探ってみるが、中々お目当ての物が出てこない。
「あ! あった……って、うわぁ!」
手に馴染む感触を掴んだその瞬間。
轟音と共に吹いた一陣の風によってバランスを崩した俺は、人を一人丸呑みしたあの穴に、真っ逆さまに落ちていった。
「嘘だろぉぉおおおおおお‼」
♦♢
柔らかな風が頬を撫でる。ここ最近はあまり嗅ぐこともなくなった、草木の香りが鼻を擽った。
「……んん、これ土の匂い?」
パチリ、と覚醒した俺の目に飛び込んできたのは、一面の青。高層ビルにも遮られることなく、周囲を見渡せる状態だ。
「へ? ここ、どこ?」
何かがおかしい。なにしろ、都心でこんなに広い空が見えるはずない。しかも、さっきから鋭い
葉っぱのような物がチクチクと耳に当たっている。
恐る恐る上体を起こし、数メートル先までの景色を認識した俺の脳がいよいよ限界を迎えた。
「なんで草原に寝転がってるの、俺」
だだっ広い平地に、柔らかな赤土と、見たこともないくらい背丈の高い草。紛うことなき自然が、その場を支配していた。
「俺、穴に落ちてそれから……どうなったんだっけ?」
わずかに残る最後の記憶といえば、風に背中を押されたような、そんな感覚だけ。
不幸中の幸いとでも言うのだろうか、怪我はないようで、服も至って綺麗な状態だった。
「いや、怪我ないってのもおかしいよね。一体どうなってるんだろう」
俺が寝ていた周辺には、俺が持っていたカバンの中身が散乱していた。数日前のコンビニのレシート、グミの空袋、形だけのシステム手帳、就活期間だけシンプルなケースに収まっているスマホ等々。
「遅刻しかけたから、カバン整理する時間もなくて汚いままなんだよな」
慌てて落ちた物を拾い上げていく。スマホに手を触れた瞬間、見慣れない表示が目に入った。
「なんだこれ、文字化け……?」
俺のホーム画面には、いつもなら犬の写真が表示されるはずだった。それが今は、蛇が這いずり回った痕だけが残り、画面もフリーズしている。
「バグにしてもこれは変か。文字化けなら 縺薙s縺 とかが王道だし」
スマホが使えない事態は現代人としては致命的だけど、あの大穴を見た後だ。何が起きても驚かない自信がある。
荷物をまとめて身支度を整えて、次はどうするか、と思考を巡らせる。どこかも分からない大自然のど真ん中に放置されたんだ、少しでも情報を集めておきたい。
「とりあえず、民家を探してみようかな」
開けた草原の先、ずっと向こうに森が続いている。俺は、方角が分からないながらも、その木々に近付いてみる。注意深く見てみると、ほんのわずかに草が踏まれたような痕跡が残っていた。
だが、それも数か所だけ。他はどこも草木が自由に生い茂っていて、整備された道はない。
「う~ん。辿ってみるしか、ないよなぁ」
――しかし、とんだことに巻き込まれてしまった。
多分、あの学生は狙い撃ちされたんだろう。落とし穴で気絶させて、移動させられた、とか。
もしくは……考えたくないけれど、これが死後の世界とか。
「死後、かぁ。もしそうなら、やり残したことは沢山あるけど……憂鬱な就活や、人間関係から解放されるってことだけはメリットかもしれない」
トボトボと下を向いて歩きながら、つい数分前までの自分を思い出していると、足元に石の敷き詰められた石畳があるのが目に入った。
「久しぶりの人工物の感触!」
勢いよく顔を上げれば、木材と石材を組み上げたような、中世の欧風な家屋が鎮座しているのが視界に入った。
「……俺、昔のヨーロッパにタイムスリップでもしたのかな」
「おやおや、どうしたんだい?」
「ひっ」
突然後ろから声をかけられ、俺は文字通り飛び上がった。まさか、背後に人がいるとは思わなかったんだ。
「あら、びっくりさせちゃったねぇ。ごめんね」
驚いて振り向くと、人の好さそうなお婆さんがニコニコと俺に笑いかけている。生成のシャツと茶色のスカートという質素な衣服を身に纏い、手には何かの実のような物を抱えていた。
RPGゲームでいうNPCキャラの村人、と言ってもなんら遜色はないだろう。それほどまでに村人のイメージがぴったりと当てはまる風貌だった。
「あ、あの! 俺、人攫いに遭ったみたいで。気が付いたら近くの草原に放り出されてたんです。変なこと聞いちゃうんですけど、ここの地名を教えてもらえますか?」
慌てて、とんでもない出まかせを言ってしまったが、情報を得るために必要な嘘だということで許してほしい。
「それは大変! アナタ、だから見かけない服を着ているのね。どこのお貴族様かと思ったわよ。最近はこの辺りも財政難で、盗賊団の取り締まりも減ってしまっているからね。大変だったわねぇ。お腹も空いてるでしょ、上がっていきなさい」
お婆さんは眉を顰めて、自分のことのように温かい言葉をかけてくれる。心に沁みるような優しさを感じながらも、聞きなれない単語に警戒心が高まる。
盗賊団? お貴族様? 現代日本でそんな単語、聞いたこともない。全く違う国の話をしているようだ。
「あの、ありがとうございます。お言葉に甘えてお邪魔させてもらいます」
初対面の人の家に上がるだなんて、普通であれば絶対にしないのだけど……状況が状況だ。この親切な村人から得る情報は、リスクを取る価値がありそうだ。
お婆さんの後に着いて、ちょっと斜めっている気がしないでもいない、少し背の高い家屋に足を踏み入れる。俺を家へと招き入れた村人は、早速食事の用意を始めた。
「あ、俺も手伝います!」
「あら、本当? 助かるわ。じゃあこれをお皿に盛りつけてくれるかしら」
このお皿、と言って渡された器は一見普通の木製の皿だが、全体的に形の歪みがあった。きっと手造りなのだろう。素朴さや、造りのラフさは、彼女の服装や、この家の外観にも共通している。
……でも、ここまで手造りを徹底している土地なんて、今の時代にあるのだろうか。ますます、ここがどこだか分からなくなってきた。
日本語が通じているから、てっきり国内だと思っていたけど、日本じゃないのかな?
悶々と考えながら、雑穀が入ったパンと、見慣れない野菜を皿に盛りつけていく。食事もかなり慎ましい。他にも何か判断材料がないかと話しかけようとして、彼女の名前を知らないことに気が付いた。
「あの、お名前を教えていただけますか? ぜひ覚えておきたいんです」
「うふふ、私はアンナよ。貴方は?」
「有です。アンナさんはこちらで一人で暮らしているんですか?」
「そうなの。前に旦那をクエストで亡くしてねぇ。息子は……まぁ、独り立ちしていたから、それからはこの家に一人よ」
――ちょっと待って、今なんて?
「クエ、スト……ですか?」
「そうよ、十年も前になるから覚えてないかしら? 王都管轄のギルド主導で、魔王討伐の大規模クエストがあったじゃない」
「ま、魔王……?」
「そうよ! 私の旦那もすごかったんだから。勇者一行に冒険者として所属していてね、それはそれは格好良い剣捌きで!」
アンナさんは旦那さんの勇姿を思い出しているのか、身をくねらせながら惚気始めた。でも、ごめんアンナさん。俺は今それどころじゃないんだ。
ああ、落ちた衝撃で俺の耳がおかしくなったのかも。勇者とか、ギルドとか、魔王だなんて。だって、穴に落ちたら、剣と魔法のRPG世界でした! なんて、使い古された展開が現実にあるはず……ない。
だが、アンナさんの様子を見るに、嘘や演技なんかじゃないってことは容易に分かる。
アンナさんは俺の魂が抜けかかっていることには気付くはずもなく、一人でどんどんと話を進めていく。
「でも、昨日だったかしら。突然お触れが出たのよ」
「お触れ、ですか?」
「そう、国王様から、異世界勇者の召喚に成功したって」
「い、いせかいゆうしゃ?」
あ、これダメなやつだ。条件が揃いすぎた。ドッキリにしては作り込まれすぎた舞台セット、あの突如現れた大穴、なぜか通じる日本語、文字化けして動かないスマホ。もう信じる他ない。
――ここ、異世界なんですね……
俺は歪んだ形の器を手に、気が遠くなるのを感じた。
アンナさんに席に着くよう促されて、異世界交流会ならぬ食事会が始まったのだが、俺はもう既に食事なんて気分ではなかった。得た情報の意味を考えれば考えるほど、俺史上で最大、天変地異レベルの大問題が起きている事実を目の当たりにしている。
底知れぬ恐ろしさを感じて、思わず食べる手が止まってしまった。
「……お口に合わなかったかしら?」
「あ、ちょっと考えごとをしてました。ごめんなさい」
いただいたものはしっかり食べなければ、と味を感じられなくなった口で頬張る。
「そうよね、色々あったんですもの。あまり無理しないのよ?」
アンナさんは心配そうにこちらを窺っている。
「ありがとうございます。でも、もう大丈夫です。あの、国王のお触れって、どういうものなんですか?」
「あら! 興味あるかしら。ちょっと長くなるけど、魔王のことから話すわね」
アンナさんが話してくれたのは、元の世界で聞いたなら、面白そうなゲームだと思ったであろう内容だった。
大昔から、この世界には人と魔族がいた。人間の方に数的な優位性があり、生活エリアが重なることもなく、平穏に過ごしてきたらしい。だが、三十年ほど前に、魔王と目される存在が生まれたことによって、そのパワーバランスが崩れた。最近では、市街地でも魔族が目撃されるようになり、国に属する騎士団と、冒険者で構成されたギルドで討伐しているらしい。
加えて、年に一度、国の中で一番の冒険者が勇者として選抜され、魔王討伐戦を行っている。アンナさんが財政難だと言っていたのは、この討伐戦に莫大な費用をかけていて、そのために財政が圧迫されているとのことだった。
「でもね、それこそ……この国のどんなに強い勇者でも、魔王に一度も勝てたことがないのよ」
「え、魔王めちゃくちゃ強いじゃないですか!」
「国としても騎士団を派遣しているのに、よ。それで、国王様が魔術師を雇って異世界から勇者を召喚するって仰って」
「……ん? 異世界から勇者を?」
「そう。異世界の力の強い人を召喚して、魔王を倒してもらおうってことらしいの」
あの陽キャくん、何かの格闘技でもやっていたのだろうか。特別強そうには見えなかったけど。というか、どう見ても、ただの陽キャでキラキラな大学生だったけど。
赤の他人ながら、彼の境遇が不安になってしまった。いや待てよ、要するに、あの陽キャに巻き込まれて俺も穴に落ちちゃったワケか! とばっちりもいいとこだ。
「その、異世界の人って、今はどこにいるんですか?」
「王宮に住われてるんじゃないかしら? 珍しい金の髪で黒い瞳の、素敵な人らしいわ」
アンナさんの話から察するに、彼の召喚? は王宮で行われたらしい。
というか、あの金髪は多分ブリーチしているだけだろう。そのうち、根本から黒の髪の毛が生えてきて、王宮中がおったまげることになるんじゃないのか。
それはさておき、アンナさんとの会話で状況が整理できてきた。俺は陽キャくんをターゲットにした召喚とやらに間違って入り込んでしまって、目的地の王宮ではなく、あの草原に放り出されたってことだ。
この国の置かれた状況を考えると、巻き込まれただけの俺にとっては、むしろ幸運だったのかもしれない。もし王宮に召喚されてたら、魔王討伐に駆り出されるか、役立たずだと判明してゴミのようにポイッと捨てられる可能性もあった。最悪、国の失態を隠すために監禁とか……財政が圧迫されているなら、処刑されるなんて事態も考えられそうだ。
俺は思わずブルリ、と身を震わせた。万が一、召喚を主導する存在が、異世界から二人召喚されたと知ってしまったらどうなるだろうか。想像に容易い。
――絶対に、王宮の人間には見つかりたくない。
そのために有効な手段、それは村人Aになりきることだ。
「アンナさん、ここでの暮らしのことを教えてくれませんか?」
「え? ここでの暮らしって……元のお家に帰るための方法じゃなくて、かしら」
当然の疑問だろう。アンナさんは戸惑ったように俺を見つめた。
「攫われる前のことを考えると、元いた家には戻れないかもしれないんです。お願いします!」
深く頭を下げた俺を見て何かを決心したのか、アンナさんは近くにあった小物入れを探り始めた。
「ほら、これを持ってここからすぐの村に向かいなさい」
「これは……地図? こんな近くに村があるんですか?」
「そうよ。ここじゃ時おり魔物も出るし、アナタも苦労するわ。だから、その村に行ってみなさい。それにその村の村長さんは中々いい方なのよ、きっと力になってくれるわ」
「あ、ありがとうございます!」
「いいのよ、なんだか息子が帰ってきたみたいで、私も楽しかったわ。またいらっしゃい」
食事の後片付けを済ませると、アンナさんは息子さんのお下がりだという服を譲ってくれた。
あの子が十五の時の服なのよ、と言いながら渡された布は明らかに俺よりも大きく、完全に服に着られたちんちくりんが完成してしまった。そんな俺を見て、アンナさんが似合わぬ爆笑をしていたのは、少し恨みに思ってもいいだろうか。
落ち着いたらまた顔を見せに来るという約束をして、俺はアンナさんの家を出た。また道なき道を進み始める。
もらった地図の文字はやはり蛇が這ったようで、読むことは叶わない。大ざっぱに書かれた絵から察するに、十分ほど歩いたあたりに小さな村があるらしい。
延々と続くかと思われた草木が生い茂る中を、手で掻き分けながら進む。そういえば、アンナさんの家の周辺は少し石畳が敷かれていた。あれは結構整備されている状態だったんだなと、遅ればせながら理解した。
よっこらせ、と日本人を感じさせるかけ声と共に目の前にあった大きな葉を避けると、家らしき建造物がいくつも目に飛び込んできた。
「本当に村があった! 石とか木でできているところを見ると、やっぱり異世界なんだなぁ」
見えてきた村はRPGで言うところのさいしょのむらとして登場しそうな、長閑な村だった。
子供もちらほらといて、山羊を追いかけたり、犬と遊んだりしている。
「動物はいるんだなぁ……元いた世界とそんなにかけ離れてないのかも」
しかし、なぜかみんな揃って髪の色が奇抜だ。素朴な質感の服とは打って変わって、オレンジや赤系の色が多く、黒い髪の俺はかなり浮いてしまっていた。
見慣れない顔だからか、すれ違い様に、チラリとこちらを窺う視線を感じる。アンナさんに服を借りてもこのザマだ。スーツでここを歩いていたら、一発で不審者扱いされていただろうな。
「あ、ここか」
村の中を歩き回っているうちに、村に着いたら必ず行け、と言われていた村長さんの家らしき物件に辿り着いた。
「想像してたより小さいな……」
村長の家! って言うんだから大層立派な家を想像していた。大きさで言うと、アンナさんの家や、ここら辺にある家と同じくらいの大きさだろう。
「あの、すみません。アンナさんの紹介で伺ったのですが……」
「アンナ? あの婆さんまだ生きてたのか!」
「え?」
村長の家から、慌てた声が聞こえ、息つく間もなく大柄の男が出てきた。これまた予想外で、二十代半ばほどの容貌に見える。それに、日本で言う、テレビ映えしそうな精悍な顔立ちをしていた。
「ん? お前、見ない顔だな」
「あ、すみません、アンナさんに言われてお伺いしたんです。ここの村長さんに相談したら力になってくれるかもって聞いたんです。どうにかしてここの近くで暮らしていきたくて……」
「ここで暮らす?」
村長さんは俺を値踏みするように、上から下まで視線を巡らせると首を傾げた。
「……お前みたいなやつがか?」
「へ?」
「細いし、魔力も一切感じない……何より黒髪だろう」
「え? 黒髪だと何かあるんですか?」
俺がそう聞き返すと、村長の顔色が変わった。眉にグッと皺を寄せ、剣呑な表情になっている。
もしかして、俺はなにか不味いことを聞いたのだろうか。
「お前、アンナの紹介で来たと言っていたな」
「はい、そうです」
「入れ」
村長さんは俺を招き入れ、外を見渡してからキッチリと鍵をかけた。
突然のことに俺が狼狽えていると、村長さんに椅子に座るよう促された。そこで初めて屋内を見てみたが、意外と家具は充実しているようだ。クローゼットらしき縦長の箱のような収納スペースや、食事を食べるであろうテーブルなどは、一枚木で作られている。
村長さんは電車に詰め込んだら吊革に顔をぶつけそうなほど大柄で、衣服の下に見える腕はかなり鍛え上げられている。どことなく、勇猛な獅子のような存在感がある人だ。
そんな村長が、慣れた手つきで二人分のカップに水を入れ、俺の前に差し出した。洗練された動作で向かいの椅子に座ると、俺の顔を観察しながら話を切り出す。
「黒髪の謂われについて、何も知らないと言ったな」
「は、はい」
何か不穏な空気を感じたが、一度知らない素振りをしてしまった以上、ここで嘘をついても仕方ないと思って素直に返答する。
「お前、魔族か?」
「ブッ!?」
あまりに突拍子もない問いかけに、飲みかけた水を吹き出してしまった。
「そんなワケないじゃないですか!」
俺は慌てて村長の言葉を否定する。さすがに、魔族なんて最悪の勘違いだ。笑えない。
「まあそりゃそうだろうな。魔物で会話が成立するやつなんてほぼいないし、それにしては魔力を感じない……ってことは、異世界の者か?」
「な、なんでそうなるんですか?」
続けざまに放たれた、真に迫った質問に心臓がドキリと跳ねた。村人Aになると決心したのがほんの一時間ほど前。もう看破されてしまったのだろうか。
村長さんは俺をイジって遊んでるようにも見える。今もちょっと半笑いだし。だが、カマをかけているとしても、逃避行初日にして既にバレかけている状況に、目の前が真っ白になる。
村長さんは、そんな俺の表情を見てニヤリと笑った。
「表情に出過ぎてるぞ。なんでって、俺らの中で黒髪なんて生まれないからだ。黒の色を纏って生まれるのは魔物だけって言い伝えがあるんだよ」
「それ、本当ですか」
「この国で生まれたヤツなら皆知ってる。そうだな、子供の頃から周りに教えられて育つ類いの伝承だ。ま、その話自体を知らないのが既におかしいんだけどな」
ガクッと肩から力が抜けた。知らぬ間に、超初歩的なところで思いっきりやらかしていたみたいだ。これはもう弁解のしようがない。
「あの、誰にも言わないでいただけますか?」
「もちろんだ、話してくれ」
村長さんは目を細めて、俺に話を促してくる。
「俺、その異世界勇者召喚に巻き込まれたみたいで……」
俺は村長さんに、大きな穴に落ちていった人を助けるために覗き込んだら誤って落ちてしまったこと、アンナさんには放浪中に偶然出会ったことを包み隠さずに打ち明けた。
「そうか。中々に大変な一日だったな。まあ、お前が異世界からの人間だってことはアンナの婆さんも気付いてたと思うぞ」
「えっ、じゃあ黒髪のこと黙ってたのも、わざとってことですか!?」
「まあ、推測だが。これから長く住む土地だから、隠しごとはするなってことなんじゃないか? それに関しては俺も同意だ。これから村の仲間になるってのに、長の俺が素性を知らないのはな」
「いやでもここに来るまで距離あったし教えてくれても……って、え?」
聞き間違いだろうか。
じっと顔を凝視していると、村長さんはニカッと笑って、俺に手を差し出してきた。
「歓迎するぜ?」
「い、いいんですか? 俺、異世界から理由もなく連れてこられただけで、なんの特技もないんですよ?」
「ああ。異世界が何か知ったこっちゃないけどな。うちは働ける男の数が減ってるんだ。些細なことは気にしてられないってわけだ」
些細なこと、その言葉を聞いて、俺は喜びと感動で胸が締め付けられる感覚を覚えた。
粗野な言葉だけど、聞き方を変えればものすごい励ましの言葉だ。嬉しさで目を潤ませていると、村長が「ただし」と付け加える。
「まあ……その細っこい身体はどうにかして鍛えないとな?」
繋がれた俺の腕を持ち上げられると、村長さんの腕と並べるのも恥ずかしいほどに生っ白い細い腕が露出する。
「ウッ、元の世界は肉体労働とかあんまりなかったんです」
「へぇ? 異世界とやらはどうなってんだろうな」
村長は異世界の暮らしに興味を持ったようで、目を輝かせながら聞いてくる。
「長くなるので、またの機会に……」
「あぁ、そうだったな。ちょうど村に空き家があるんだ。元々アンナの婆さんの息子が住んでた家だ」
「アンナさんの息子さん、この村で暮らしてたんですね!」
「ああ。昨年だったか、魔王の討伐クエストに参加して、まだ帰ってきていない」
「……そう、なんですね」
「いつ帰ってきてもいいよう、家は残してあったんだ。まさか、それがこんな形で役立つとは何があるか分からないな」
アンナさんの息子さんも、クエストに参加してたんだ……俺は自分のことばっかりで、まだまだアンナさんから聞けてないことがたくさんあったんだな。
「じゃあ、案内がてら村民に挨拶して回るか」
俺と村長は連れ立って住民の皆さんに挨拶に回った。皆、黒髪を見て驚いたような表情をするが、すぐにようこそ、と笑いかけてくれる。
「ここの村は、とっても温かい人が多いんですね」
「俺には贅沢なほど人が好い奴らばかりの自慢の村だ。そうだ、名前を聞いていなかったな。俺はリドだ」
「あ! 名乗るのが遅れてごめんなさい、俺はユウといいます」
「ユウか、よろしくな。今日から俺たちの仲間になるわけだ。困りごとは村長の俺に言ってくれ」
リドさんは俺を空き家に通すと、ちょっとしたドヤ顔で仁王立ちしていた。俺がやったらギャグにしかならないけど、顔がいいから何をやっても様になる。
「ありがとうございます! これからよろしくお願いします」
急遽始まった、とばっちり異世界生活。なんとか住む場所も決まって、幸先よしです!
♦♢
案内された家は、一人暮らしには少し大きいくらいの立派な家だった。
「犬小屋でもいいので住まわせてください! っていう意気込みで来たんだけどな……いい人ばっかりだ」
リドさんは忘れ物をしたとかなんとかで、一度家に戻っている。一人になった俺は、まず部屋の掃除を始めた。村の皆が定期的に手入れしていたらしいけど、やはり埃は溜まるもので、一通り掃除をしなければ住める状態ではない。
というか、定期的に空き家の掃除をしていたなんて、よほどアンナさんの息子さんの人望が厚かったのか……もしくは、村の皆さんが特別に優しいのだろうか。きっと、どっちもあるんだろう。
いい村の近くに落とされたなと、しみじみと思う。
「でも、これからどうしようかな。何をするにもこの黒髪が邪魔しそうだし」
俺は肩を落としながら、雑巾を洗う。外で作業しようにも、この髪のせいで人の注目を集めやすい。
村民ならまだいいが、外部の人間に見つかったら、一瞬で俺の噂は広まってしまうだろう。
「珍しい黒髪がいる、なんて王宮に伝わったら、召喚されたのが二人だってすぐにバレちゃうよね」
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宮廷庭師と親交を続けていたルカには、『ネムリバナ』を第三王子の為に学校の温室で育てる役割を与えられていた。アリは花びらを王子の元まで運ぶ役目を負っている。育てる見返りに少量の花びらを入手できるようになったルカは、早速アリに使ってみることに。
やがて問題なく眠れるようになったアリはめきめきと頭角を表し、しがない男爵令息にすぎない平凡なルカには手の届かない存在になっていく。
次第にアリに対する恋心に気づくルカ。だが、男の自分はアリとは不釣り合いだと、卒業を機に離れることを決意する。
アリを見ない為に地方に移ったルカ。実はここは、アリの叔父が経営する領地。そこでたった半年の間に朗らかで輝いていたアリの変わり果てた姿を見てしまい――。
ハイスペ不眠攻めxお人好し平凡受けのファンタジーBLです。ハピエン。
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