巻き込まれ異世界転移者(俺)は、村人Aなので探さないで下さい。

はちのす

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1巻

1-3

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「あの、もう大丈夫ですので。大通りも近いですし」
「そうか。では、少しだが送ろう」
「だ、大丈夫です! 連れがいますので!」

 俺は近い距離感に耐えられず、するりとその人をかわしメイン通りへ走る。とはいえ、失礼すぎる態度もいかがなものかと思ったので、一度向き直り深くお辞儀した。

「本当にありがとうございました!」

 逃げられると思っていなかったのか、赤髪の男性はポカン、としながら俺を見ていた。
 ごめんなさい、赤髪さん! 助けてくれたのはすごくありがたかったけど、主要人物っぽすぎるんだ。
 走り出した勢いのままメイン通りへと躍り出ると、リドさんが必死に何かを探していた。

「ユウ! どこだ!」
「あ、俺か! ここです、リドさん!」

 その様子に不謹慎ながらもちょっと嬉しく思ってしまう。小走りで駆け寄り、リドさんの腰に抱きついた。なぜこんな行動を取ったかというと、後ろから赤髪の男性が追ってきている気配を感じたからに他ならない。

「リドさん!」
「ッ、ユウ! お前今までどこに……っ」

 リドさんは俺に向き直り、赤髪の男性を視界に捉えたらしく、数秒フリーズする。そして、流れるような動作で俺を抱きしめた。

「わっ」
「ちょっと大人しくしてろ」

 耳元でそうささやくと、俺を抱き上げて市場を離れていく。逆に、目立ってしまうのでは……
 でも、抱え上げられてしまったのでは抵抗しようもなく、リドさんの腕の中で縮こまるしかなかった。

「ユウ、なんでアイツが?」
「いやぁ、色々ありまして。あの人って国の人だったりしますか?」
「ああ、あの燃えるような赤髪と華やかな隊服は一人しかいない。バレス騎士団長だ」
「き、騎士団長っ!?」

 俺は泡を吹いて気を失いそうになりながら、リドさんにさらに強く抱きついた。

「なんで騎士団の、しかも団長さんがこんなとこにいるんですか!」
「こんな……? ああ、話し忘れてた」

 草原に続く道まで歩いてきたリドさんは、俺をそっと降ろし、頭を撫でた。

「この国……オスティア国は海運で成り立っている国なんだ」
「ああ、だから港街が栄えているんですね……ん?」
「そうだ、ここはこの国一番の港街。つまりは、この国の権力が集中する都市」

 俺はリドさんの言葉に、既に冷や汗が止まらなくなっていた。
 やけに心臓の音が大きく感じる。
 リドさんは言葉を一旦区切ると、頭を撫でていた手を退けた。

「ここ、フィラは王宮がある王都なんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、ものすごい脱力感に襲われて、思わず膝から崩れ落ちてしまった。
 何も事情を知らない人には、俺がリドさんに土下座をしているようにも見えるだろう。

「な、なんだって……!」

 さいしょのむらが王宮の目と鼻の先? 運よく王宮での命懸けの生活から逃れられたと思ったのにコレだ。信じていたものに無様に裏切られた気分だ。黄金を手に入れたらメッキされた土塊つちくれだったとか、そんな感じのやつ。
 そこでふと、元いた世界でやっていたRPGを思い出す。
 あぁ、王道のゲームでは、王様に魔王を倒すように命令され、勇者としての冒険を始めるよな。
 その勇者が最初に立ち寄るのが、さいしょのむら。だからこそ、王宮の近くに長閑のどかな村の一つや二つあってもおかしくないんだ。

「も、盲点だった……」

 長閑のどかな村だったからラッキーくらいに考えてたけど、召喚に巻き込まれた人間が王宮付近に落ちた結果だったのか。
 頭を抱えてうずくまる俺をジッと物珍しげに観察していたリドさんは、追い打ちをかけるかのようにさらなる爆弾を落としていく。

「だから、この港街には勇者や騎士団も頻繁に出入りしてる。なんなら、俺の村でおろしてる作物や肉のお得意様だったりするぞ?」
「リドさん、俺……この村を出ます。短い間でしたが、お世話になりましたっ!」

 俺が切羽詰まった顔でそう宣言すると、リドさんは少し眉尻を下げた。

「おいおい、そんな寂しいこと言うなって。そもそも、魔物を倒せない人間の行動できる範囲には、勇者一行も必ず来ると言っていいからな」
「えっ、そうなんですか⁉」
「魔物を倒すことができない、そういう弱い人間を狙って行動する魔物もいる。勇者一行は国中を旅しながら民を守ったりしてるってことだよ」
「ウッ、すごくいい話なのに、俺にとってはまさに四面楚歌だ」

 未だに俺が地面に這いつくばる勢いで落ち込んでいると、リドさんは優しく俺に笑いかけた。

「ま、そういうことで、一番事情を知っててお前のことを上手くかくまってやれるのは、俺だろ?」

 ペカーッと、リドさんに後光が差している。

「はぁっ、リド様」

 上手く丸め込まれた気もするが、リドさんに限って俺なんかを騙して村に引き留めようとはしないだろう。きっと純粋な親切心で話をしてくれている。
 俺が「救いの手!」と満面の笑みでリドさんの手を握ると、リドさんは居心地が悪そうな顔をして首を横に振った。

「……その呼び方、性に合わないんだって」
「あ、ごめんなさい。あまりに頼りになりすぎて、またやっちゃいました」
「それは素直に嬉しいけどな。まぁ、とりあえず家に戻って一旦落ち着くか」

 リドさんはそう言うと、来た時よりも幾分か早い歩調で歩き出す。ボーッとしてたら置いていかれそうだ。
 リドさんは皺の寄った眉間を解し、溜息を吐いた。

「……」

 リドさんも、溜息吐くんだ。
 あの騎士団長を見かけたあたりから、リドさんの様子が少しおかしい気がする。よく見せるあの余裕綽々よゆうしゃくしゃくな笑みではなく、いわば普通の人の笑顔になっている。
 って、出会って一日しか経っていないのに、何を分かったようなことを言ってるんだか。
 拭えない違和感は残るものの、疑問は意識の外へと追い出して、足早に家へ向かう道を進むリドさんの後を追った。

「そういえば、なんで騎士団長に追われてたんだ。黒髪でも見られたか?」
「あ、いや。なんか、奴隷商? って奴に付きまとわれまして……」
「は? なんでそんなことに」
「ちょっと路地裏に荷物を運ぶのを手伝ったんです。その時に道を阻まれちゃって」

 お騒がせしてごめんなさい! と謝ると、先ほどよりもさらに重い溜息が吐き出される。

「人助けは、自分の安全を確保してからにしろ。心配になるから」
「おっしゃる通りです……」
「大方、路地裏の子供を助けたんだろう。無事でよかった」

 そう言って、リドさんは髪を梳くように優しく頭を撫でてくれた。こうやって人に頭を撫でられるなんて、久しぶりの経験で、心がそわそわとする。

「そうだ、畑を見てから帰るか」
「え、畑! 見せていただけるんですか」

 作物が採れると話していたから、どこかにあるのだろうとは思っていたが、まさかこんなすぐに見ることができるとは。

「この村の食い扶持ぶちはここで作られてんだ」

 村に繋がる少し手前の道で逸れて、森の中を少し進むと、広々とした畑が現れた。初めてこの村に来た時に通りかかった道のはずだが、畑があるなんて気付かなかった。やっぱり土地を知っている人に案内をしてもらうと、見え方が全然違う。

「この畑は主に食用の薬草を育てている。最初は村の中で育ててたんだが、作付面積が広がりすぎて村の外に植え替えたんだ」
「へぇ、このすごい色の葉っぱも食べられるんですか?」

 俺が手に取ったのは、元いた世界では見るからにアウトな、水色の植物だ。
 これ、食べられるとしてもどんな味がするんだろうか?

「ああ、もちろんだ。比較的裕福な層が買っていく嗜好品だ。噛むと独特な香りが広がる。煎じて茶として飲むと、よく眠れるようになるらしい」
「なるほど……」

 よくよく畑を見てみると、色んなところにいろどり豊かな花や葉が見受けられる。元いた世界で言うハーブ系の作物なのだろう。葉の色は可食かどうかにはあまり関係ないってことか。
 俺が一人でウンウンと頷いていると、リドさんが俺を凝視していたことに気が付いた。

「リドさん? どうしたんですか」
「……ここの村は気に入ったか?」
「ええ、もちろんです! 最初に出会えたのがアンナさんやリドさんで本当によかったです」

 王宮じゃなくても、この髪の色に寛大な人たちの元でなければ、俺は朝日を拝むことすらできなかったかもしれない。

「そうか……この村で暮らしていく決心はついたか? もしユウが出ていくと言っても、引き止める権利は俺にはない」

 リドさんは少しねたようにそっぽを向きながら俺に話しかけてくる。
 俺はリドさんの様子が意外で、目が点になってしまった。もしかしてリドさん、俺が出ていくって言ったの結構気にしてたのか?

「あれは言葉の綾……冗談ですよ、リドさん。俺がここ以外に暮らしていけそうな場所はないって話したじゃないですか。住む場所まで用意してもらったし。それじゃなくても、俺はここが好きですから、頼まれても出ていきませんよ」

 そう笑顔で答えると、チラッとこちらを盗み見たリドさんは俺の手を握った。少し力を入れて握られ、リドさんの温かな体温が手を伝って俺に移る。

「帰るか」
「はいっ!」

 引かれる腕の力は優しく、言葉にはしなくても、俺のことを心から歓迎してくれているようだった。
 家に戻ったリドさんと俺は、食卓に向かい合わせに座ると、神妙な面持ちでお茶をすする。
 先ほどの少年にもらったオレンジっぽい果物もテーブルには鎮座しているため、正月の日本の食卓のような状態になっている。
 何をしているかというと、いわゆるってやつだ。

「で、これからどう生計を立てるかだが」
「俺、ぜひあの植物を育ててみたいです!」

 ついにこの時がきたか! と、俺は常々思っていた要望をリドさんにぶつけた。リドさんは面食らったように少し動きを止めたが、すぐに首を横に振った。

「そう焦るなって。ああいう作物の出来は村の財政を左右するもんだ。ユウといえど、さすがに最初から任せることはできない」
「あ、そ、そうですよね」

 俺は自分本位なことを言ってしまったと、頬を紅潮させる。そりゃそうだ……一番大事な作物をポッと出に任せられるわけがない。

「知識をしっかりと習得してくれればその限りじゃないんだ。だが、こう言っちゃなんだが、俺も中々時間がなくてな。全てを教えてやることはできない」

 リドさんは村長さんなんだから、俺ばっかりに構っている時間はもちろんない。じゃあ俺は何をすれば……と途方に暮れていると、リドさんがちょっと申し訳なさそうな顔で話を続ける。

「そこで提案なんだが、薬草屋で働いてみないか?」
「薬草屋、ですか」
「そうだ。さっきの作物を専門に扱ってるフィラの露店だ。実は、俺たちがおろしてる薬草屋の店員が一人、魔物に襲われて働けなくなったらしくてな」
「え、フィラってさっきの街ですか?」
「ああ。村の若い衆は自分の畑や家畜がいるから外では働けない。とはいえ、太い取引先だから助けない訳にはいかなくてな」
「た、確かに」
「その店員が戻ってくるまででいいんだ。少しの間そこで働いてもらえないか? 薬草の知識はそこで教えてもらえばいい」

 この話に乗れば、もしかするとあの騎士団長や勇者の人とかとも遭遇する可能性が高まってしまうかもしれない。でも、この村の皆は命を救ってくれたも同然の人たちだ。俺だってリドさんの力になりたい。

「分かりました! 俺、薬草屋で働いてきます」

 労働条件だけ聞くと、一挙両得だ。プロの元で働きながら知識とお金を得られるわけだし、それで皆を助けることもできる。

「本当は行かせたくないんだが」

 リドさんは苦渋の表情で俺の手を握る。俺はそんなリドさんの手を握り返すと、しっかりと目を合わせて微笑んだ。

「気に病まないでください。こんな俺が役立てることがあって、むしろ嬉しいくらいです」
「……やっぱり辞めよう。万が一でも、お前があいつらに見つかるのもしゃくだ」
「何言ってるんですか! 一回決めたことなので、俺はやりますよ」

 憧れていたRPG世界の生き方とは少し違うけど、これで当面の間は食には困らないだろう。
 それに、単純過ぎるかもしれないけど。自分の存在が誰かの役に立つ、という事実で前向きになれた気がする。異世界の人間でも、魔力なんてなくっても、誰かの助けにはなれるんだ。

「何かあればすぐに言えよ? どんな些細なことでもいいから」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ! 滅多に大物が来店することなんてないでしょう」

 明日から始まる新生活の妄想を新しい色に塗り替えていた俺は、自分の発言が巨大なフラグを打ち立てていることに、全く気が付いていなかったのだ。


   ♦♢


 一方その頃、王都フィラに聳える王宮では情けない男の叫びが木霊こだましていた。

「だぁかぁらぁ! 俺はただの学生で、勇者でもなんでもないんっすよぉ!」

 男の魂からの叫びに、男を囲んでいたフード姿の三人の魔術師が、戸惑ったように言葉を交わし始めた。
 今世紀最大の不運な男――三崎犬みさきけんが、訳のわからない男たちに異世界転移魔術とやらでこの城に召喚されて、もう二日目に突入する。彼の平凡な日常は崩れ、一夜にして非凡な異世界転移者としての肩書を得てしまった。
 悲劇の始まりは、大学からの帰り道で唐突に訪れた。
 突然ポッカリと開いた穴に落ちたと思ったら、次の瞬間には漫画で見たことがあるような魔法陣のど真ん中に座り込んでいた。
 周りを見渡してみると、驚愕、といった面持ちでケンを凝視する怪しげなフードの集団が目についた。その集団に取り囲まれて、見たこともないほど大きなホールの中心にケンは鎮座していたのだ。巨大な魔法陣が描かれた床には、見るからに高そうな供物くもつが並べられ、まるで何かの儀式が行われているようだった。
 人間、驚きすぎると脳の処理速度が落ちるらしい。フード集団もケンも、お互いの様子をボーッと眺めていた。数拍の間があって、ようやくフード集団の先頭に立っていたヒゲ男が動き出した。

「国王様! せ、成功いたしましたっ!」

 そこから先は大騒動だ。口々に「ついに召喚に成功したぞ」「おお、異世界勇者よ……」と聞いたこともない単語を浴びせかけられたケンは、そこでようやく自分の身に不味いことが起きたと理解した。
 その予想を決定付けるかのように、フード集団の輪の外にいた煌びやかな衣服を身にまとった男性が、ケンに向かって高らかに宣言する。

「ようこそオスティア国へ、異世界勇者よ。早速で悪いが、魔王を討伐してはくれないだろうか」
「……え、なんて? 魔王って何の話?」

 水を打ったように静まり返った大広間の空気感は、想像を絶するプレッシャーとなってケンを襲った。
 結局堂々巡りとなった会話に痺れを切らした国王によって別室に連行され、そのまま二日間も丁重な軟禁状態で先ほどの問答を繰り返している。

「マジで俺、普通の学生なのにっ!」

 オスティア国王は、困り果てながらもケンの側に寄ると、優しく問いかけた。

「ケンよ、突然召喚してしまって悪かった。ただ、この国も魔物の侵攻で限界まで来ている。魔王討伐に力を貸してはくれないか?」
「いやだから、その力がないんっすよ!」
「しかし、伝承では……」

 一歩も引かずに言い切るケンの様子に、国王の瞳から力強い希望の煌めきが失われていく。

「もしや、召喚の儀は失敗に終わったのか?」
「陛下。差し出がましい真似をして申し訳ございませんが、私の目から見ても、魔力的にも肉体的にもこの者に突出した力があるようには思えません」
「……バレス」
「金の髪を持っていたとしても、力がなければ戦場ではかえって足枷となります」

 燃えるような赤髪の騎士団長が落ち着いた声色で進言する。
 彼の身体は鍛え抜かれ、触れれば手が切れてしまいそうな研ぎ澄まされた気迫がある。ケンからすれば、鍛錬を積んだ彼ら騎士団でも守れなかった国を救ってと懇願される意味が、到底理解できなかった。しかも、ケンにとってこの人たちは赤の他人。義理立てする必要も一ミリもない。
 ケンが心の中でバレスの反論に全面的に同意をしていると、突然、背後から肩を組まれる。黄の髪をウルフカットにセットした、Ⅴ系バンドに所属していそうな風貌の男だ。

「バレスゥ、そんなお堅いこと言うなって! 戦闘はできなくても、肉の盾くらいにはなるかもしれないだろ?」

 ニンマリと弧を描いた口から、突然不吉な言葉が飛び出した。ケンは思わず唾を飲む。

「……勇者のお前がそんな態度だから、陛下のお手をわずらわせているのが分からないのか」
「さあ、なんのことやら」

 二人はバチバチッと効果音が聞こえてきそうなほどの睨み合いを始めた。そんな攻防戦を遮るように、いかにも魔術師らしい男が部屋に駆け込んできた。

「失礼いたします! 陛下、少々よろしいでしょうか。お耳に入れておきたいことが……この召喚の儀についてです」

 魔術師の男が何事かをオスティア国王に耳打ちを始めた。先ほどまで失意の底にいた国王が、肩を跳ねさせて驚きを示した。
 そして話を聞き終えた時、国王の瞳には、強い光が戻っていた。

「何? 転移者がもう一人いる可能性があるだと?」


   ♦♢


「よし、このスカーフのおかげで、髪の毛の色は見えないな」

 リドさんに買ってもらった深紅の服を着て、鏡の前で気合を入れる。
 お洒落しゃれ着ではあるんだけど、あの栄えた港街になら溶け込めるだろう。行き交う人もお洒落しゃれな人が多かったし。
 異世界生活三日目の今日は、初めてこの世界の仕事を経験する特別な日になった。そう、今日は薬草屋への初出勤なのだ。

「リドさんたちに恩返ししなきゃだし、頑張るしかない!」

 自分を奮い立たせるように頬を叩いて家を出た。
 一度教えてもらった道なので送り迎えはいらないと言ってあったのだが……リドさんは村の入り口で俺を待っていた。

「リドさん、俺なんかに気を遣わないで、お仕事していてください!」
「いやそれが、昨日の今日でまた問題に巻き込まれたらと思うと、気になって何も手につかなくてな」

 そう話している間にもソワソワとしているリドさんは、どこか雰囲気が浮ついている。確かに仕事に集中できそうな状態ではなかった。

「大丈夫です。何かあっても走って逃げますから」

 俺はあの騎士団長をもいた男だ! と少々ドヤ顔をして見せると、さらに心配そうな顔になってしまった。

「街の入り口までは薬草屋の店主が迎えにきてるはずだ。気をつけろよ」
「ありがとうございます! リドさんもお仕事頑張ってくださいね」

 またリドさんの心配性が顔を出さないよう、俺は急ぎ足で村を発った。
 フィラに続く道を辿りながら、物思いにふける。フィラは今日も人通りが多く、人と人との距離が近い。
 王都ってこんなに人が多いのか。昨日もそうだったけど、本当に色んな人が行き交っている。
 俺は不審な挙動にならないように辺りを見回しながら歩いた。
 街の入り口まで来ると、顎に髭を蓄えたダンディな白髪のおじ様が俺に気付き、小さく手を振っていた。

「やあ、君がユウ君かい? 僕が薬草屋の店長のカインだ。今回の件は、突然のお願いになってしまって悪いね」
「初めまして、ユウです。お世話になります!」

 第一印象は礼儀が大事! と深くお辞儀をした。顔を上げると、カインさんが不思議そうに俺の行動を見ている事に気が付いた……あれ、もしや。

「遠い国の生まれとは聞いていたけど、それはユウ君の祖国の慣習なのかい?」
「……」

 俺は、とんでもないミスを犯していたらしい。とりあえず、この場はいい。リドさんが先手を打っていてくれたんだから。
 問題は昨日だ。記憶は曖昧あいまいだけど、あの騎士団長に思いっきりお辞儀してしまっていたはず。

「そんな感じです。ハハ……生きづらい」

 カインさんは遠い目をして笑う俺を不思議そうに眺めた後、店まで案内するよと言ってフィラのメイン通りを進み始めた。このままメイン通りを抜けるのかと思ったが、すぐに道を逸れて、横の路地に入る。人通りはメイン通りから見ると格段に少なく、人との接触を避けたい俺としては非常に過ごしやすい立地にカインさんの店は構えられていた。
 店内に入ると、所狭しと陳列されている薬草の瓶詰めが目を引いた。色鮮やかな薬草瓶が詰められた棚は、そのものが芸術的なインテリアにすら見えるほどの美しさだ。

「他にも人手が足りない店はあったんだけど、リドさんが人を出したがらなくてね。君がここに来てくれて本当に助かったよ」
「え? 他にも人員不足の店があったんですか?」
「ここ最近、魔物による襲撃が激化していてね。メイン通りの店でも最近店番を探してるって聞いたよ。実は、魔物の影響で物流まで滞ってるんだ……近くの店も品揃えの維持が大変だって」

 リドさんも大変だって言っていたけど、予想以上の状況なのかも。俺はいつ自分の身に降りかかるか分からない襲撃の恐怖に、身を強張こわばらせた。

「あぁ、ごめんね。怖がらせたいわけじゃなかったんだ。リドさんは、魔物が出にくいこの街で、かつ人通りが少ない店だけに人員支援するって言ってくれて、私のところに君を寄越してくれたんだ」

 カインさんはウィンクしながらそう告げると、ちょっと待ってて、と裏に行ってしまった。
 人通りの少なさまで条件に入れて、働く俺への配慮を最大限にしてくれていたんだ。俺はリドさんの気遣いに心をほっこりとさせながら、カインさんの帰りを待っていた。
 ――カランカラン!

「カインさん、昨日の薬草の件なんだが……」

 カインさん不在の店内に低く甘やかな声が響く。後ろを振り返ると、燃え上がるような赤い髪と隊服のマントをなびかせた、精悍な顔立ちの男性が店に足を踏み入れたところだった。
 自然と、視線が絡み合う。
 そう、薬草屋勤務初日、しかも数分にして、今最も会いたくない人物と遭遇してしまったのだ。

「ッ、君は昨日の……」

 バレス騎士団長は俺に近寄ると、持っていた袋をテーブルに放置し「失礼」と呟いて俺の手を取る。俺は呆気に取られて、握られたその手を眺めることしかできなかった。
 そんな俺の様子を見て、バレス騎士団長は握った俺の手を優しく離すと、爽やかに微笑んだ。

「どうやら、心に大きな傷は残していないみたいだな……よかった」

 あぁ、なるほど。昨日俺が接触に過剰反応したのを気にしてたのか。
 バレス騎士団長はホッとした様子で、話を続ける。

「それにしても、偶然だな。この店にはよく訪れるのか?」

 俺が返答に困っていると、カインさんが何やら紙の束を手に裏から戻ってきた。

「ほら、ユウ君これを読んで……って、あれ? バレス君、どうしたんだい?」
「ああ、カインさん。聞きたいことがあって寄ったんだが、ちょうど探していた人がいてな」

 バレス騎士団長の言葉に肩をギクリと揺らす。
 お、俺のこと探してたんかい!
 バレス騎士団長の話を聞いたカインさんは、いぶかしげに俺を見つめてきた。
 おそらく俺があの村に来たばっかりだと知っているんだろう。そりゃぁ疑問にも思うよね。こんなペーペーが騎士団長と知り合いだなんて。

「昨日、ちょっとしたドタバタがありまして」

 俺がにへっと笑って割愛しようとすると、バレス騎士団長は眉間に少し皺を寄せた。

「あれをで済ますのか? 危うく君は奴隷にされかけたんだぞ」
「え⁉ そうなの、ユウ君」
「いや、この方が助けてくれたので、怪我もなく、全く問題なかったというか!」

 カインさんにまで厳しい表情で詰め寄られ、俺は慌ててバレス騎士団長に助けられたことを説明する。気分は詰所で尋問される犯罪者だ。
 そんな俺の様子に、カインさんが額に手を当て深く息を吐いた。

「はぁ~……バレス君、ありがとうね」
「いえ、俺は責務を果たしただけなので」

 カインさんは俺の肩を掴むと、バレス騎士団長の目の前にずいっと突き出した。

「この前店の子が怪我したでしょ? 復帰するまでの間、このユウ君がお店に来てくれることになってね。ま、バレス君と面識があるなら安心だね」

 名前まで教えちゃったよ……と気が遠くなりながらも、口は勝手に、よろしくお願いします、と挨拶の言葉を発していた。今だけは日本人的な社会性を憎みたい。

「そうか……ユウ、か。綺麗な音の名だな」
「あ、どうもありがとうございます」

 小っ恥ずかしい褒め言葉を浴びせられて参ってしまう。このストレートな言動から、人柄や誠実さが垣間見えるからどうも受け流しにくい。

「騎士団を率いている、バレスという者だ。この店は時折利用させてもらってる」
「そうそう、とってもすごいお偉いさんなんだよ~」

 カインさんが緩い合いの手を入れてくるが、そんなことは百も承知だ。

「き、騎士団長さんなんですね。こんな立派な人が団長ならここも安泰だなぁ~」

 俺は適度にゴマを擦って会話を終わらせようとした。これ以上この話題を続けてたらボロが出そうなの、察してくれ!

「この国を守る任を拝命しているからな、腕には自信がある。それよりも、君には申し訳ないことをした。助けるのが遅れておきながら、見当違いの説教をしてしまったな」

 この人、根っからの真面目人間なようだ。おだてにも全然乗ってくれない。

「いえ、路地裏に入ったのは俺の落ち度なので、気にしないでください! むしろお手数をおかけしました」

 すみません、と謝ると、バレス騎士団長は複雑そうな顔で考え込み始めた。

「あのような輩が入り込まないよう、市場でも我ら騎士団が巡回しているんだが、十分な結果は得られていないな」
「巡回、ですか」

 巡回って、フィラの中でも騎士団が目を光らせてるのだろうか。つまり、行き帰りの度に、人の目を盗んで動く必要があるってこと?
 路地裏以外でも気が抜けない状況だと判明し、俺は冷や汗をかく。

「そ、そうなんですね。で、今日はどうしてこちらに?」
「ああ、そうだった。カインさん、昨日の納品物だが……」

 俺の必死の切り返しで、話題は完全にカインさんとバレスさんの仕事に移り変わった。
 九死に一生を得た。まさにそんな状態な俺は、必要以上の体力を使った気がして、よろよろと店内を彷徨うろつく。

「ユウ」

 二人は十分ほど話し込んでいたが、やっと用が終わったらしい。バレス騎士団長が慣れた手つきで商品を荷物に仕舞いながら俺に話しかける。

「今度俺に時間をくれないだろうか」
「へ?」
「この間の礼がしたい」
「いや、お礼をされるようなことは何も……」
「また明日来る。考えておいてくれ」
「ちょっ! バレス、さん……行っちゃった」

 俺の返事を待たず、というか遮りながらバレス騎士団長は颯爽と店を出て行った。その背は、少し強張こわばっていて、緊張しているようだった。
 怒涛どとうの展開についていけない俺の肩をちょんちょんと突いたカインさんは、何が面白いのか、目まで細めてにんまりと笑っていた。

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感想 54

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第三王子の十歳の生誕パーティーで、王子に気に入られないようお城の花園に避難した、貧乏男爵令息のルカ・グリューベル。 知り合った宮廷庭師から、『ネムリバナ』という水に浮かべるとよく寝られる香りを放つ花びらをもらう。 花園からの帰り道、噴水で泣いている少年に遭遇。目の下に酷いクマのある少年を慰めたルカは、もらったばかりの花びらを男の子に渡して立ち去った。 十二歳になり、ルカは寄宿学校に入学する。 寮の同室になった子は、まさかのその時の男の子、アルフレート(アリ)・ユーネル侯爵令息だった。 見目麗しく文武両道のアリ。だが二年前と変わらず睡眠障害を抱えていて、目の下のクマは健在。 宮廷庭師と親交を続けていたルカには、『ネムリバナ』を第三王子の為に学校の温室で育てる役割を与えられていた。アリは花びらを王子の元まで運ぶ役目を負っている。育てる見返りに少量の花びらを入手できるようになったルカは、早速アリに使ってみることに。 やがて問題なく眠れるようになったアリはめきめきと頭角を表し、しがない男爵令息にすぎない平凡なルカには手の届かない存在になっていく。 次第にアリに対する恋心に気づくルカ。だが、男の自分はアリとは不釣り合いだと、卒業を機に離れることを決意する。 アリを見ない為に地方に移ったルカ。実はここは、アリの叔父が経営する領地。そこでたった半年の間に朗らかで輝いていたアリの変わり果てた姿を見てしまい――。 ハイスペ不眠攻めxお人好し平凡受けのファンタジーBLです。ハピエン。

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