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IFルート
愛しい君へ ①
しおりを挟む思えば、今日はおかしなことばかり起きている。そう感じたのは、きっと気のせいではないだろう。
昨年運営を開始した薬草茶屋の片隅で呆然とする俺の手の中には、有り余る量の香り高い薬草と花。
そして貴重な糖類、華やかな茶器類が握られていた。
リドが王宮の中で、いわゆる国の財政を管轄するようになった今日この頃。
俺は軌道に乗った薬草茶屋を、更に居心地の良い空間にしたいと各所の改装に手を付けていた。
以前勇者パーティーとしてこの国、ひいてはこの世界を救った英雄たちは、今でも足繫くこの薬草茶屋を訪れている。
皆は俺の顔を見たいという、光栄かつ気恥ずかしい理由で訪れているらしい。
それならば、常連でもある彼らの心を落ち着かせられる空間に出来ればと思ったのが事の発端だ。
「皆、専用の茶器やメニューが用意されてるの、気が付いてるかな」
「勿論ですよ。この間、イアンさんがあの茶器は何処に売っている、と市場で探し回っていました」
ふふ、と穏やかな笑顔を浮かべるのは、この店を手伝ってもらっているセファだ。一年前よりグンと伸びた背を何度羨ましいと思ったことか。成長期っていいなぁ。
「イアンさん、きっとお家でも同じものを使いたいんでしょうね」
「それなら俺に言ってくれれば買っておくのに」
「自分で見つけたいんですよ、ユウさんを驚かせたいんじゃないでしょうか?」
今、俺はイアンと〈さいしょのむら〉で共に暮らしている。
身体を半魔に作り変えられる呪いを受け、黒色の髪と赤色の瞳を持つ者として追われていたイアンは、魔族との協定を結ぶにあたり多大なる貢献をした。
その類稀な戦闘力は勿論、半魔となった彼は魔族との一定のコミュニケーションが取れるようになっていて、元々交感スキル持ちの勇者と揃って魔族との交渉を有利に進める事が出来たそうだ。
(それで、〈黒の英雄〉って呼ばれるようになったんだよな……)
俺としては、そんな掌を返したような扱いをする国にほとほと呆れていたが、当の本人は嬉しそうにしていたから何も言わないでいる。
二人でほっこりしながら茶葉の裁断をしていると、セファが突然「あ」と呟いて店裏へと引っ込む。
何だろうと頭を捻っていると、数分と経たないうちに、両手からあふれそうなほどの大きな花と薬草の束を抱えて扉から顔を出した。
「そういえばユウさん、さっきカインさんの店に薬草を引き取りに行った時、これを渡すようにと」
「……へ、今日は買い足し程度だったよね。どうしたのこの量」
「さあ、僕にもわからないです。カインさんも、ただ預かっただけらしいですよ」
セファも本当に理由が分からないようで、俺と一緒に眉間に皺を寄せている。
「俺、誕生日だったっけ」
「ユウさんの誕生日はまだあと数ヶ月先ですよね。多分違いますね……そしたら、何ででしょう」
(あれ、俺セファに誕生日教えたっけ?)
ふと疑問が浮かぶが、直ぐにそれも掻き消えた。受け取った花束の中に、何か手紙のような物が挟まっていたからだ。
質のいい羊皮紙のような紙には『愛しい君に、幾つかの贈り物をしよう』とだけ書かれていた。
「なんだ……これ。カインさんの字ではないな」
華美な飾り文字で、ゾワリと肌が粟立つような言葉が綴られている。
(愛しい君って……冗談にしては重いな)
記名もしていない差出人不明の贈り物を良く見ると、最高級の値が付けられる薬草と美しい花の数々。
カインさんに貰った図鑑に、これが自然の中でしか育たない珍しい種類だと書いてあったのを覚えている。
そんな貴重な物を名前も書かず、しかも人伝でプレゼントするなんて。自分の理解出来る範疇を超えていて、頭が痛くなってくる。
こんな事を仕出かすのは、あの人位しか思い浮かばない。
「僕としては怪しさしか感じないのですが、毒の類は何も付けられていないようです」
「毒?セファ、そんな事まで分かるの?」
「ええ、食べられないものは感覚で分かるんですよ。経験則ってやつです」
(経験……そっか。日常的にそうした判断をしなければならない状況だったんだ)
あっけらかんと語るセファの発言に、一年前に引き戻されたような感覚に陥る。
寄る辺ない人々は、日々の生活を守るためにあらゆる手を尽くしていた。一見、怪し気に映る物も、貴重な食材だったんだろう。
(当時と比べて、今が少しでもいい環境になっていれば、俺も報われるな)
俺は手に持った手紙をそっとポケットにしまうと、目線の少しだけ下にあるセファの頭をふわりと撫でた。
相変わらず触り心地の良い髪質だな、なんてぼうっと考えていると、セファが恥ずかしそうにその身を捩る。
「ユウさん、あの……それ以上は」
「へ?あ、ごめん。嫌だった?」
前々からこうして撫でることはあったのだが、今回初めて手を止められた。もしかして、反抗期?と勝手に傷ついていると、何故か耳まで赤く染め上げたセファがこちらをチラチラとこちらを窺う。
「あ、あの。嫌なんじゃなくて、恥ずかしいというか……もう、子供じゃないんです」
「何言ってんの。俺にとっては、セファはいつまでも可愛い可愛い弟だよ」
いじらしいその様子があまりにも可愛らしく、溢れる笑みが止まらない。
不貞腐れながらも、傍を離れないセファは、心のどこかでこの空気感を心待ちにしていたんだろう。
(最近は改装で忙しくしてたし、二人で話す時間も少なかったからなぁ……そうだ。折角だから、今日の夜ご飯は店でセファと食べることにしよう。今日はお休みのケンも誘ってみようかな)
それには、メインとなる食材が幾つか必要だ。今、この店には大量の茶葉と花しかない。
この一年間、イアンと一緒に料理の練習を重ねてきたんだ。料理スキルも人並み以上には上がっているはず。
「そうだなぁ……セファは弟でもあり、信頼できる従業員だ。だから、そんな君に少しの間店番をお願いしようと思うんだけど、どう?」
「はい!任せてください!」
「ありがとう!じゃあ、次は俺が買い出しに行ってくる!」
もしかしたら、道中でこの花束を贈ってくれた相手にも会えるかもしれない。そんな淡い期待も込めて、花を一輪だけ抜き取ってエプロンの胸ポケットに挿した。
(……さぁて、RPG世界で転移者による異世界のおもてなし料理、振舞っちゃおうか!)
市場に出ると、街はいつも通りの賑わいを見せていた。ここで出回る食材の種類は以外にも豊富で、見ているだけで満腹になる。
酸味のある赤い実や、脂身が少なくしっかりとした食感の赤身肉。
少しの苦味が新鮮な証拠になる植物など……調理法はあまり確立されていないが、素材の良さは現代に引けを取らない。
この世界であまり見かけない物といえば、甘味類の食材だろうか。現代でも砂糖類が高価だった時代があったように、この世界でも甘味になるものは高い値が付くようで、首都といえど出会うことはなかった。
「そういえば、また収穫祭が近づいて来たなぁ」
一年前は、とんでもなく大胆な作戦でイアン達を奪取した。あの時のことを思い出すと、今でも下半身がスースーするような気がする。
あれだけは、もう一生やりたくないな、と身震いしながら人混みを縫うように歩く。
「あれぇ、ユウくん!食材の調達かい?ここまで来るなんて珍しいねぇ」
「今日はちょっとした料理を作ろうかなと思って」
「あらそう!私も異世界の料理ってもん、食べてみたいわねぇ」
「あはは、そんなに上手には作れないから、あまり期待しないでいて下さい」
肉屋のおばちゃんは快活に笑うと、売り場から大きな塊を差し出した。
(ここの市場の人達は、俺が異世界から召喚されたと知っても態度を変えずにいてくれて有り難いなぁ)
そう、勇者パーティーが魔族との協定を無事に結んだ数か月後。
薬草茶屋で両手が食器で塞がれている時にケンと接触してしまい、二人同時にスカーフが落ちるという珍事件があった。俺達二人の身元はあっという間にバレて、フィラの街での噂の的となってしまったのだ。
いつかはその日が来ることを覚悟していたけど、ケンとぶつかって、というのが何とも俺達らしい。結果的に、好奇心で押しかける人たちが増えたからお店も繁盛したのだが。
食後も俺達に話しかけてこようとするお客様達を捌くのに苦労していた時に助けてくれたのは、やっぱりリドだった。
『国賓だ、丁重に扱って貰おう』
そのたった一言で、この街での噂話や好奇の視線が止んだのだから、やっぱりリドのカリスマ性は他の追随を許さない領域にまで到達していた。
第一王子と比較する意図はないのだけれど、彼が王を務めたら全てが丸く収まるんじゃないかと思ったほどだ。
普段は執務が忙しくて会えないのが少し寂しいけど。
「あの、今日はアレありますか?」
「さすがユウくん。実は一つだけあるんだよ、五個入りさ。買っていくかい?」
「ありがとうございます!これがないと異世界料理っぽいものって難しくて」
「へぇ、そうなんだねぇ。あ、ちょっとしたオマケも入れておいたよ!」
俺はおばちゃんから受け取ったコロリとしたフォルムのアレを大事そうに抱えると、踵を返して次の目的地に向かおうとした。
が、大きな影に行く手を阻まれる。
「あれ、イアン。どうしたのこんな所で?」
イアンには、ここに来るまでの道中で、夕食が不要だと魔道具で連絡を入れた。その時は村にいるような反応をしていたのに。
「……もしかして、料理を作るの?」
「うん、イアンに教えてもらった料理の極意を発揮してくるよ!」
得意げに入手した食材を見せびらかすと、彼の表情が少し曇った。
「俺も、食べたいな」
「え?いつも一緒に作って食べてるよね」
「ユウがイチから作った料理、食べたい」
俺が答えに困っているのを察すると、ダメ?と小首を傾げてこちらをじっと見つめてきた。
(大型犬がおやつをねだるような顔……確信犯だよね?!)
「ゆ、夕方にお店まで来てください!」
「ありがと」
あの顔で見つめられて、回避できる人間がいるなら教えて欲しい。
セファ、ごめんよ……と心の中で涙している俺を他所に、イアンは上機嫌で俺の荷物を取り上げた。
「重いでしょ、持つ」
「うう、ありがとう……」
以前にも増して、末っ子気質が出てきた彼に、良いように転がされている気がする。
「今日もありがとな!店は順調か?」
「ええ、おかげさまで」
俺達は市場での買い物を順調に進めていた。イアンのいう通り、一人で回るには人手が足りなかったかも、と反省しつつ到着したのは最後の目的地。
「食器屋?」
「うん、せっかく一緒に居るなら買っちゃおうと思って」
「……?」
いらっしゃい、と店主の朗々とした声に迎えられる。
「珍しいね、ユウくん直々にお買い物?それに、英雄殿も一緒じゃないか!」
「店の特注食器の在庫ってありますか?彼が家でも使いたいそうで」
「なるほどね、ちょっと待ってて。裏に幾つかあるはずだから」
倉庫へと向かう店主を「お願いしま~す」と声を掛けていると、頭にずっしりとした重みがのしかかった。
「もしかして、俺のため?」
重みの正体は、イアンの頭だった。ちょうど顎を置く高さにちょうどいいのか、俺の頭頂部に、すっぽりと顎下の柔らかい曲線がフィットしている。
「イアンが店の食器を探してたって聞いて。気に入ってくれたなら嬉しいよ」
「ありがと、大好き」
「うっ……!こちらこそ、ありがとう」
さらりとストレートに好意を伝えられて、たじろぐ。
イアンは、今も口数は多い方ではないが、こんな感じで日常的に好意を伝えてくれる。息をするように好き好きと言われてしまえば、絆されてしまうのも時間の問題だという気もしてくる。
「お熱いねぇ~」
「あ!店主さん、すみません店でこんな……」
「いいんだよ!こっちまで活力を貰えるってもんよ」
いつの間にか戻っていた店主さんにバッチリその様子を目撃されており、気恥ずかしさから爆速でお会計を済ませて店を飛び出した。
「ユウくん、預かってた物も袋に入れておいたからね~」
店主の良く通る声で、そんな言葉が背中に掛けられた。
(預かり物?……まさか)
少しの心当たりがあって袋を開封すると、中から出てきたのは、店の雰囲気よりも少し派手な装飾が施された茶器だった。
一見して熟練した職人の絵付けがされていると分かるその代物は、妙に手に馴染む感覚があった。そして、袋の底にはあの手紙も同封されている。
「なに、それ」
「あ、ああ。なんでもないよ!買い物も終わったし、お店に行こう」
「あれ、ユウ君じゃない?セファくんから花束は受け取ったかい?」
「久し振りだな、ユウ、イアン」
訝しむイアンの追撃を交わしている最中、近くの露店から出てきた二人に視線が奪われる。
バレスとカインさんだ。
凛とした佇まいで他を寄せ付けない気迫を感じさせるバレスと、柔和だが一切の隙を見せないカインさんのコンビネーションは、少しでも後ろ暗いモノを背負った人間は委縮して動けなくなるだろう。それほどまでに、二人の異質さがこの市場で際立っていた。
「カインさん!そうですそれです、あの花束どうされたんですか?」
「んふふ~ちょっと頼まれちゃってね。恩もあるし、断れなかったんだ!」
「恩って……やっぱりそうなんですね」
「まぁまぁ、受け取っていいんじゃない?あれだけの高級品、滅多に出会えないよ。どうやって入手したのか、私にも教えてもらいたいなぁ」
俺だけに聞こえるように、声を潜めて耳打ちされる。「今度聞いておきます」と答えると、カインさんは満足そうに身体を離した。この世界の人、本当に距離が近くて戸惑うな。
「ユウ、その後は変わりないか?」
緊張がようやく解れたところに、タイミングを見計らってバレスが世間話を始めた。
「皆のおかげで、俺達もかなり過ごしやすくなったんだ、ありがとう」
「それは良かった。フィラにとっても、こうした経験が共存の意味を考える契機となるだろうな」
爽やかに微笑むバレスの瞳には、俺達転移者だけではなく、何時だってこの街、この国が映っている。
高潔な人、と例えられる事があるが、きっとそんな言葉では言い表せない程にこの世界のことを案じ、高邁な精神で騎士団を率いているんだ。
(それと同じくらい、バレス自身が自分を厳しく律している訳だけど)
バレスは、リドと同じで普段から薬草茶屋には現れない。この責任感の強さを考えるなら、妥当だろう。
働き詰めだと嘆いていた副団長の顔が思い浮かんで、ちょっとばかり同情した。
「ところでユウ君。その大量の食材はどうしたの?」
「あぁ、今日の夜にお店でセファとケン、イアンと食事会をしようかと思ってるんです。美味しく作れるか分からないですけど、地元の料理を作れたらなって」
そう答えると、袋を覗き込もうとしていたカインさんが、大げさにのけ反った。
「ええ?!そんなに面白い催しをするのかい?それって参加資格とかあるのかな?」
「カインさん、それは迷惑では……」
「いやぁ、もうこうなったら何人増えても構いませんよ。その代わり、何か好きな食材を持ち込んで貰えますか?」
「勿論!いやぁ、楽しみだな。ね、バレス君もそろそろ息抜きした方がいいよ」
「……では、お言葉に甘えて」
「よし、そうと決まれば早速食材調達に行こうか!至急だよ!」
カインさんはそう言うや否や、ダンディな外見とは裏腹に、恐ろしく軽快なステップでこの場を後にした。カインさんは鬼と言われた元騎士団長らしいのだが、未だにその片鱗は見せない。
「……ユウ、君と食事を共に出来るのは滅多にない機会だ。楽しみにしている」
「いつもお仕事お疲れさま。少しでも疲れが癒えるように、腕によりをかけて作るよ」
「ああ、君が居てくれるだけで嬉しいが……料理を通してより君を理解出来るのなら、この上ない喜びだ」
では後で、と言い残して颯爽と去っていく背中を見て、心底安堵する。今振り返られたら、俺の頬がトマトの様に赤くなっていることがバレてしまっただろうから。
「……いこっか、イアン」
「うん」
(皆に興味を持ってもらって、大事にしてもらってるんだって……そう感じさせてくれる)
家族からも、心を開ききれなかった友人達からも、こんなにも温かな感情を与えてもらったことはあっただろうか。
いや、もしかすると自分が人一倍不幸だと錯覚して卑屈になって、与えられる愛情からも目を背けていたのかもしれない。それを今は、真正面から受け止められている。
(俺も少し成長できたってことかな)
店までの帰途は、ゆったりとした時間が流れていた。
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