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01 引きこもり生活
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「ぼくのおよめさんになってください!」
道端で摘んだ野花にリボンを付けた小さな花束を、僕は目の前の子に差し出した。折り紙で作った手紙には、たどたどしい字で『だいすきです! ぼくのおよめさんになってください』って書いた。あの時の僕は、なんであんな大胆な告白をためらいもなくできたんだろう。
「ありがとう! うれしい!」
色白で、肩まで伸びた栗色の毛を静かに揺らすその子は、にっこりと太陽のような眩しい笑顔で応えた。夏の光の中で、その笑顔がキラキラと輝いていた。僕の心臓はドクンと跳ね上がって、一気に顔が熱くなった。
「あ! にじだよ!」
恥ずかしくなってその子から目を逸らした僕は、空に大きな虹がかかっているのを見つけた。少し前までは本格的に雨が降っていたのに、僕の告白の舞台を整えてくれているようだった。
「ほんとだ! きれいだね」
「うん」
僕たちは、少しの間虹を見上げながら世間話をした。好きな食べ物とか、昨日見たテレビの話とか。とにかく些細なことでもいいから、その子のことを知りたかった。気持ちが通じ合ったんだから、これはデートなんだと思うと、弾む心が抑えきれなかった。
けど、気がつくと太陽が傾きかけていた。名残惜しいけど、おしゃべりはここまでにして、もう家に帰ることにした。僕たちはまだ子どもだから、お母さんたちが心配する。
「きょうはもうかえるけど、またあしたあおうね!」
女の子の手を取り、小指を絡ませた。「ゆびきりげんまん~うそついたらはりせんぼん、の~~ます。ゆびきった!」考えてみれば、そのままの意味で受け取るととんでもない歌詞だ。でも当時の僕はそんな事は全く考えなくて、とにかく浮かれて指切りをしたんだ。
あの時は、明日もその次の日も、ずっと一緒にいられるって本気で信じてた。楽しい毎日がやってくるって疑いもしなかった。
──でも、その子とはそれきり会うことはなく、名前も知らないまま、いつしか告白の記憶もどんどん薄れていってしまった。
◇
「なぎ、そろそろ起きろ」
なにか嬉しい気分になる夢を見た気がする。でもそれが何だったのか思い出せない。
まだ起きる時間じゃないはずなのに……と、働かない頭で考えていると、すぐ目の前に近付いたその顔を見て、無理やり夢の中から引っ張り出されたのだと気付いた。
「んー。まだ起きる時間じゃないのに……」
いつもは夜遅く……いや、朝方までゲームをやっているから、起きるのは太陽も真上に上がる頃だ。けれど昨日は日付が変わる前には切り上げて、早く寝たはず。なのになぜこんなに眠いのか。
目をこすりながら窓の外に目をやると、明るくなってきてはいるが、どう考えてもまだ日の出前。寝ぼけている僕には、なぜこんな時間に起こされたのかまだ理解はできていなかった。
「今日は起きてもらわないと困る。約束しただろ?」
ベッドの脇に立ったままの人物にそう言われて「あー、そういえば……」と、なんとなく数日前のやり取りを思い出していた。
◇
「ごめん、なぎが極度の人見知りであがり症で引きこもりなのを、承知の上で頼んでいるんだ」
僕の前で大げさに土下座をするのは、僕と全く同じ顔をした、双子の弟の『麻倉潮』なぎと呼ばれたのが僕、双子の兄『麻倉渚』
一卵性の双子なのに、僕たちは顔がそっくりなこと以外は、何もかもが正反対だ。
兄である僕は極度の人見知りであがり症で、そのオドオドした態度が気に入らないと理不尽ないじめを受けた。そのことは両親にも弟にも言えず、なんでもないと嘘をつき続け、無理して学校へ行ったせいなのか、ある日僕は学校で倒れてしまった。けどそれがきっかけで家族にもすべてを話すことができた。受験は失敗してしまったけど、両親は引きこもりたいという僕の意思を尊重してくれた。
両親からの願いは、通信でいいからもう少し勉強をしてほしいということだった。将来の僕の生きる糧になるからと。なので、プログラミングなどに力を入れている通信制の高校を選んだ。
そんな僕とは違って、光輝く世界で活躍しているのが、弟の潮だ。
潮は、友達と買い物中に街でスカウトされて、芸能界入りした。本当にそんな漫画みたいな話があるんだなと感心したのを覚えてる。すでに通っていた高校は普通校だけど、先生方のサポートのおかげで、そのまま在籍している。
モデルとしてスカウトされたけど、所属事務所から新しくアイドルユニットをデビューさせることになり、そのメンバーのうちのひとりに潮が選ばれた。事務所としては、双子の僕を表舞台に引っ張りだし、双子アイドルとして売り出したくて打診してきたけど、もちろん僕が首を縦に振るわけなんかない。極度の人見知りであがり症でその結果引きこもりになった僕が、人に見られる仕事なんてできるわけがない。
デビュー当時から謎に包まれていた潮のプロフィール欄は、アイドルとして活動をする頃には、双子ということは完全に隠され、ひとりっ子ということになっていた。これからもっと売り出していこうとしている『高代 光』の実の兄が引きこもりだなんて、印象が悪いだろう。事務所の判断は当然のことだと思った。
光と影のような関係の僕たちだけど、兄弟仲は良好だし、家族仲も大変良い。理解のある家族のおかげで、引きこもってはいるけど、卑屈にならず楽しい毎日を過ごしている。
そんな平和を壊すような『お願い』を双子の弟にされたのが、先週の金曜日だった。珍しく早くドラマの撮影が終わったらしく、その日は明るいうちに帰ってきた。僕が足音に気付き玄関まで迎えに行くと、潮は靴を脱いで廊下に上がったところだった。僕の顔を見るなり両手を床について、大げさにガバっと頭を下げた。
「なぎ! 今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれ! 頼む!」
「しお、先にただいまじゃないの?」
「ああ、ごめん、ただいま」
「おかえり」
僕は、床に頭を打ち付けそうな勢いで大げさに頭を下げる潮とは反対に、いつものように穏やかな表情で弟を出迎えた。
「この時間に帰ってこれるなんて、珍しいね」
「あ、ああ。撮影が巻いて、解散が早まったんだ」
「へぇ、そうなんだ。良かったね。じゃあ、先にお風呂でも入る?」
「……いや、風呂はあとでもいい」
まるで夫婦の会話のように聞こえるけど、これが僕達の日常。潮は学業と仕事の両立が大変だし、両親も仕事が忙しく帰宅時間も遅い。引きこもりを容認してくれている家族の代わりに、ずっと家にいる僕が家のことをやろうと決めた。
だから、新婚夫婦みたいなこんなやり取りはいつものことで、食卓には夕飯の準備も済ませてあるし、お風呂もすぐ入れるようにしてある。実は僕って奥さんとして優秀なんじゃ? なんて心のなかで自画自賛しながら、料理を温め直そうと踵を返した。
「なぎ、俺の話、聞いてた? 今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれないか?」
向きを変えた僕がそのまま歩き出そうとしたら、慌てて立ち上がった潮に腕をガシッと掴まれ、帰宅後開口一番に言われたセリフがもう一度耳に飛び込んできた。
道端で摘んだ野花にリボンを付けた小さな花束を、僕は目の前の子に差し出した。折り紙で作った手紙には、たどたどしい字で『だいすきです! ぼくのおよめさんになってください』って書いた。あの時の僕は、なんであんな大胆な告白をためらいもなくできたんだろう。
「ありがとう! うれしい!」
色白で、肩まで伸びた栗色の毛を静かに揺らすその子は、にっこりと太陽のような眩しい笑顔で応えた。夏の光の中で、その笑顔がキラキラと輝いていた。僕の心臓はドクンと跳ね上がって、一気に顔が熱くなった。
「あ! にじだよ!」
恥ずかしくなってその子から目を逸らした僕は、空に大きな虹がかかっているのを見つけた。少し前までは本格的に雨が降っていたのに、僕の告白の舞台を整えてくれているようだった。
「ほんとだ! きれいだね」
「うん」
僕たちは、少しの間虹を見上げながら世間話をした。好きな食べ物とか、昨日見たテレビの話とか。とにかく些細なことでもいいから、その子のことを知りたかった。気持ちが通じ合ったんだから、これはデートなんだと思うと、弾む心が抑えきれなかった。
けど、気がつくと太陽が傾きかけていた。名残惜しいけど、おしゃべりはここまでにして、もう家に帰ることにした。僕たちはまだ子どもだから、お母さんたちが心配する。
「きょうはもうかえるけど、またあしたあおうね!」
女の子の手を取り、小指を絡ませた。「ゆびきりげんまん~うそついたらはりせんぼん、の~~ます。ゆびきった!」考えてみれば、そのままの意味で受け取るととんでもない歌詞だ。でも当時の僕はそんな事は全く考えなくて、とにかく浮かれて指切りをしたんだ。
あの時は、明日もその次の日も、ずっと一緒にいられるって本気で信じてた。楽しい毎日がやってくるって疑いもしなかった。
──でも、その子とはそれきり会うことはなく、名前も知らないまま、いつしか告白の記憶もどんどん薄れていってしまった。
◇
「なぎ、そろそろ起きろ」
なにか嬉しい気分になる夢を見た気がする。でもそれが何だったのか思い出せない。
まだ起きる時間じゃないはずなのに……と、働かない頭で考えていると、すぐ目の前に近付いたその顔を見て、無理やり夢の中から引っ張り出されたのだと気付いた。
「んー。まだ起きる時間じゃないのに……」
いつもは夜遅く……いや、朝方までゲームをやっているから、起きるのは太陽も真上に上がる頃だ。けれど昨日は日付が変わる前には切り上げて、早く寝たはず。なのになぜこんなに眠いのか。
目をこすりながら窓の外に目をやると、明るくなってきてはいるが、どう考えてもまだ日の出前。寝ぼけている僕には、なぜこんな時間に起こされたのかまだ理解はできていなかった。
「今日は起きてもらわないと困る。約束しただろ?」
ベッドの脇に立ったままの人物にそう言われて「あー、そういえば……」と、なんとなく数日前のやり取りを思い出していた。
◇
「ごめん、なぎが極度の人見知りであがり症で引きこもりなのを、承知の上で頼んでいるんだ」
僕の前で大げさに土下座をするのは、僕と全く同じ顔をした、双子の弟の『麻倉潮』なぎと呼ばれたのが僕、双子の兄『麻倉渚』
一卵性の双子なのに、僕たちは顔がそっくりなこと以外は、何もかもが正反対だ。
兄である僕は極度の人見知りであがり症で、そのオドオドした態度が気に入らないと理不尽ないじめを受けた。そのことは両親にも弟にも言えず、なんでもないと嘘をつき続け、無理して学校へ行ったせいなのか、ある日僕は学校で倒れてしまった。けどそれがきっかけで家族にもすべてを話すことができた。受験は失敗してしまったけど、両親は引きこもりたいという僕の意思を尊重してくれた。
両親からの願いは、通信でいいからもう少し勉強をしてほしいということだった。将来の僕の生きる糧になるからと。なので、プログラミングなどに力を入れている通信制の高校を選んだ。
そんな僕とは違って、光輝く世界で活躍しているのが、弟の潮だ。
潮は、友達と買い物中に街でスカウトされて、芸能界入りした。本当にそんな漫画みたいな話があるんだなと感心したのを覚えてる。すでに通っていた高校は普通校だけど、先生方のサポートのおかげで、そのまま在籍している。
モデルとしてスカウトされたけど、所属事務所から新しくアイドルユニットをデビューさせることになり、そのメンバーのうちのひとりに潮が選ばれた。事務所としては、双子の僕を表舞台に引っ張りだし、双子アイドルとして売り出したくて打診してきたけど、もちろん僕が首を縦に振るわけなんかない。極度の人見知りであがり症でその結果引きこもりになった僕が、人に見られる仕事なんてできるわけがない。
デビュー当時から謎に包まれていた潮のプロフィール欄は、アイドルとして活動をする頃には、双子ということは完全に隠され、ひとりっ子ということになっていた。これからもっと売り出していこうとしている『高代 光』の実の兄が引きこもりだなんて、印象が悪いだろう。事務所の判断は当然のことだと思った。
光と影のような関係の僕たちだけど、兄弟仲は良好だし、家族仲も大変良い。理解のある家族のおかげで、引きこもってはいるけど、卑屈にならず楽しい毎日を過ごしている。
そんな平和を壊すような『お願い』を双子の弟にされたのが、先週の金曜日だった。珍しく早くドラマの撮影が終わったらしく、その日は明るいうちに帰ってきた。僕が足音に気付き玄関まで迎えに行くと、潮は靴を脱いで廊下に上がったところだった。僕の顔を見るなり両手を床について、大げさにガバっと頭を下げた。
「なぎ! 今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれ! 頼む!」
「しお、先にただいまじゃないの?」
「ああ、ごめん、ただいま」
「おかえり」
僕は、床に頭を打ち付けそうな勢いで大げさに頭を下げる潮とは反対に、いつものように穏やかな表情で弟を出迎えた。
「この時間に帰ってこれるなんて、珍しいね」
「あ、ああ。撮影が巻いて、解散が早まったんだ」
「へぇ、そうなんだ。良かったね。じゃあ、先にお風呂でも入る?」
「……いや、風呂はあとでもいい」
まるで夫婦の会話のように聞こえるけど、これが僕達の日常。潮は学業と仕事の両立が大変だし、両親も仕事が忙しく帰宅時間も遅い。引きこもりを容認してくれている家族の代わりに、ずっと家にいる僕が家のことをやろうと決めた。
だから、新婚夫婦みたいなこんなやり取りはいつものことで、食卓には夕飯の準備も済ませてあるし、お風呂もすぐ入れるようにしてある。実は僕って奥さんとして優秀なんじゃ? なんて心のなかで自画自賛しながら、料理を温め直そうと踵を返した。
「なぎ、俺の話、聞いてた? 今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれないか?」
向きを変えた僕がそのまま歩き出そうとしたら、慌てて立ち上がった潮に腕をガシッと掴まれ、帰宅後開口一番に言われたセリフがもう一度耳に飛び込んできた。
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