龍骨の魔王

おかゆデッサン教室

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『父親』

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 この世界に転生してから一年ほど。半年前と比べると身長が5cmぐらい伸び、驚くべきことに『鋭い』歯が生えてきた。特に犬歯は迂闊に触れれば指が切れるほどの切れ味。歯と言うよりは『牙』かもしれない。でも、精神面ではむしろ後退した気がする。襲撃以前は冷え切った大人の情緒を維持していたのに、あの日から私はよく泣いてしまうようになった。



 ドラゴンさんを心の底から信頼したせいだろうか?小指をぶつけたりと、ちょっと嫌な思いをすれば涙腺が緩んで止まらなくなってしまった。そして彼も律儀に慰めようとしてくれる。正直不器用だったけれど、精一杯世話なのが伝わってくる。こんな私にありがたいことだ。







 峡谷は一年通して昼は暑く、夜は寒い。砂漠気候ってやつだろうか。暑さは割と馬鹿にならない問題なのだが、寒さは全く気にならない。日が暮れる前にドラゴンさんは帰ってきて、片方の翼を敷き布団、もう片方を掛け布団のようにして暖かく包んでくれるからだ。感触が心地よいだけではなく、高めの体温も伝わってくる。腕枕と電気布団の進化系だね。



 というのも、以前から使っていた寝床では狭くなって、一緒に寝ることになったのだ。全身に伝わってくる体温と鼓動が心地よい。前世でこんな寝心地に触れたことがあっただろうか。



『――・・――・・・』



 ドラゴンさんは毎夜、私に語りかけるかのように唸る。ある程度の規則性は掴めたのだが、依然として何を言っているのかはよくわからない。



(はずなんだけど…あれ?何か閃めいた、これは…)



 彼の言葉を理解したい、と思った直後だった。天啓が降りたように、唸り声が言語として理解できるようになった。不思議な現象だ......赤子ゆえの学習能力の成せる技だろうか?



(あ、また何か言いそう。何を?もし怖いこと言ってたらどうしよう。)



『寒くはないか?おまえが凍えていないか不安でならないよ。』



 その優しい声色に胸がどきりと音を立てた。距離感を感じさせない剥き出しの愛情に、頭を殴られたようにしばし呆然としてしまった。細かなイントネーションやそこに込められた感情まで完璧に伝わってくる。これも赤子の学習力だろうか。聞き流したつもりだった過去の言葉も鮮明に思い返せる。



『心配するな。一人の父親として、この子を育て上げて見せるとも。』

『この寝床、頑張って作ったんだが……ううむ、おまえはいつも不機嫌な顔をしているな。』

『我が娘にひもじい思いをさせる訳にいくまい。』

『怖くはなかったかい、我が娘!』

『おまえと居られることを何よりの幸福に思うよ。』



 一つとの例外もなく、暖かな祝福に満ちた言葉だった。きっと、心から愛する誰かにしか出せない声。



 目頭が熱くなってきた、心配させないように顔を隠す。でも彼はすぐに察して涙を拭ってくれた。だから余計に涙が止まらない。私が怯え、疎んでいた間も彼は優しく囁いてくれていたのだと思うと、どうしたって伝えきれないほど感謝の念が湧いてくる。



 言葉を発せるほど声帯も舌も育っていないのが残念でならないけど、せめて口を動かそう。



(愛してくれて、ありがとう……お父様って呼んでいいのかな。)







 その日、私はいつもより寝つきが悪かったのだけど、お父様は全く嫌な素振りを見せなかった。それどころか嬉しそうに思い出を語ってくれた。



『覚えているかい、半年前の襲撃。屠人熊に結界を見破る知能があったのには驚いたが。』



 すみません、あれ破ったのは私なんです…というのは置いといて。忘れるはずもない、あの日は本当に死ぬと思った。でも、そのおかげであなたと打ち解けられたんだから、結果悪いことじゃなかった。それで、あの日が何なのですか?



『お前が無事でいてくれたのもそうだが…泣いているのを見て正直安心したんだよ。赤ん坊は泣くものだと聞いていたから。』



 確かに。泣かない赤子は窒息するから、無理やりにでも泣かせるのだと聞いたことがある。



『ところがお前は全く泣かないから、どこか悪いんじゃないかと心配していたんだよ。人間の医者には心当たりがないしね…。』



 私はこの通り元気ですから安心していただきたい。ガッツポーズをとっても力こぶは出ないが、元気だということは示せたようだ。お父様は愉快そうに目を細めた。



『あ、それ知ってるぞ。お前の……お父さんもよくやっていたよ。人間が本能的に好むポーズなのかな?』



 む、今すごく重要な情報を聞いた気がする。『お父さん』か。確かに、お父様と直接血が繋がっているとはちょっと考えにくい。私のどこにも鱗はないし。お父様改め、お義父さまということになるのだろうか。



 まあ深く考えるのはよすべきかもしれない。こうして昔のことを思い出してしまうから。



 前世では父親は居なかった。正確に言うと誰なのか分からなかった。



 母親は若いなりに頑張っていたかもしれないが、良き親とはとても言えなかった。時間と時間を私に費やすのを嫌い、眠る時はいつも別室、段ボールの防音箱に入れられていた。寒くて目を覚ましても周囲には暗闇が広がるばかりで、誰も応えてくれないあの絶望。あの日々が、私をいつも何かに怯える人間に変えたのだと思う。



 それに比べて、この暖かさ。愛してくれるものに抱きしめられる、この暖かさ。思わず目尻から熱いものが流れる。



『おや、また泣いてしまったね。これはこれで心配になると言うものだ。』



 お義父様はもう一枚の翼を掛け布団のように重ねてくれた。まるで抱きしめるように。



『人間は皆そうでないことも知っているが……。彼のように強く、優しく育ってくれ。』



 強く、優しく。前世の私からは程遠い言葉だ。



 無理だ、って言ってしまうのは簡単だけど。せっかく転生して、こんなに素晴らしいお父様に会えたんだ。変わってみようとしなきゃ損じゃないか?だから、ぬくもりの中で私は決意した。生きよう、この世界で。今度こそ幸せになるために。愛してくれる人を幸せにできる、強くて優しい人になるために。
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