傾国の皇子は西方を夢見る[完結!]

小野露葉

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第五章

三話 それぞれの出発 その一

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 張弦が次に目を開けた時、目の前にはあの薄茶色の瞳があった。

「張殿!気づかれましたか!」

 淑が声をあげる。途端にあの薄茶色の瞳から涙がこぼれる。どうやら毒杯を煽ったあと、飲んだ解毒剤が眠りを誘ったらしい。あの天涼で出会った路都ロドが淑に買うよう勧めた解毒剤だ。それをあの布袋に入れておいた。その証拠に淑の手にその紺色の袋が握りしめられている。

「解毒剤、気づいたか」

「大切なものを入れるとおっしゃっておりましたので」

 淑はまだぐずぐずと泣いている。あいかわらず十六なのに十かそこらの子供のようだ。それでいて自分を餌に李陵国の罪を明かそうとする大胆さもある。

 不思議な奴だ……

 淑はまだ子供のように泣きながらつぶやく。

「わたくしは……このようなことをして………まだまだ子供でございます」

「そうだな」

 張弦は否定しなかった。そして、静かに続けた。

「もう、死のうなんて考えるな」

 淑がはっと張弦の顔を見る。

「気づいていた、お前が死にたがっていることに」

「その死で罪を償おうと思ったのだろう。そしてその死で李陵国を訴えようと思ったのだろう。しかし」

 張弦は強い口調で続けた。

「俺が死ぬと思った時の気持ちを忘れるな。それぐらい残されたものにとってひとの死は辛く重いのだ」

 張弦はさらに続ける。

「死んだお前の兄上が本当にお前の死を望んだと思うか?むしろ生きて、自分ができなかったことをしてもらいたいと思うのではないか?少なくとも、俺がお前の兄なら、弟のお前にはそうしてもらいたい」

 途端にまたあの薄茶色の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ出た。

「もう泣くな、俺は生きている。そしてお前も……」

「俺のために生きてくれ」

 淑がこくりとうなずいた。

 *

 その時、部屋の戸が開いた。楊と路都ロドだ。

「目が覚めたか」

 楊が微笑む。よほど安堵したのか、いつもは抜け目ない目も笑っている。路都も嬉しそうに空色の目を細める。この巻き毛の若い薬屋は、念の為、解毒剤やら吐かせる道具やら用意して龍武まで来てくれたのだ。しかし、張弦はあることに目を見はった。

「その官服は」

 楊は深い緋色の官服を着ていた。苑国では官服の色で身分がわかるようになっている。そして深い緋色は身分の高いものしか着られない色だ。楊が照れくさそうに頭をかく。

「いや、まあ、こういう立場でもある」

 すると路都がその空色の目をくるくると動かしながら言った。

「このひといろいろな立場あるネ、忙しいネ」

 しかし路都は楊の立場がどうであれ言葉遣いを変える気はないようだ。その様子がおかしくて、張弦は笑った。淑も泣き笑いになる。笑いながら、張弦はやっと納得がいった。

 なるほど、だからこんな計画を立てられたのか……

 計画とは、淑の死を阻止するだけでなく、第二皇子を守ることである。楊はその身分だからこそ、李陵国が淑を手に掛けるのを阻止するため、本来なら都を抜けられない第二皇子景が早馬を飛ばし龍武に向かう手助けができたのだろう。さらには李陵国の手の内がわかったところで、楊は酒宴に第二皇子景を送り込めたのだ。もちろん楊は影としても、張弦とふたり景の護衛となり、結果、景、淑ふたりの皇子を守った。

 それだけではない。淑と一緒に龍武へ行こうとする張弦を引き止めたのも楊である。最初から張弦を龍武に行かせていれば、まず先に李陵国は張弦を口封じのために殺していただろう。あの崖で死んだはずの宮廷衛兵がまた死んでもなんの騒ぎにもならないからだ。

「今回は本当にお世話になりました」

 張弦は頭を下げた。楊が静かにうなずく。そこに静かだがよく通る声が響いた。

「賑やかだな」

「皇子!」

「兄上!」

 淑と張弦は同時に叫んだ。

 その声の主は美しい文様が施された絹の衣を着た第二皇子景であった。楊がすぐさま頭を下げ、ぼんやりしている路都の頭もその大きな手でぐいと下げて、両手を胸の前で組む。張弦も思わず体を起こそうとした。それを景が静かに手で制する。

「今回は大義であった」

 景は体をかがめると、その静かなまなざしを張弦と淑に向けた。

「張弦、お前でなければ、あの行列から今日まで淑は守れなかったろう。それに、この頑固な弟を生かしておくこともできなかったであろうな」

 淑が恥ずかしそうに下を向く。

「淑」

 その静かだが威厳のある声で、景が弟に声をかける。

「残されて生きるというのは辛いものだ、しかし、だからこそ、生きねばならぬのだ」

 このひともまた、罪を感じているのだ。

 張弦は思った。長兄涼が謀反の罪に問われたのは、謀ったものたちが弟景の方が御しやすいと考えたからだろう。それにより兄を奪われた弟の悔しさは計り知れない。その思いに気づいているのか、淑が答える。

「わたくしは子供でございました。まだ幼い妹の蘭でさえあのことを乗り越えているというのに。景兄上はしっかり涼兄上の意思を継ごうと努めていらっしゃるのに」

 そこまで言って唇を噛む淑に、景が優しく微笑む。

「良い。お前はお前なりに生きればよいのだ」

 そういうと、景は張弦を見つめた。

「張弦、これからも私の弟をよろしく頼む」

 張弦は第二皇子の言葉の意味がとっさには理解できなかった。しかし気がつけば自然にうなずいていた。
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