傾国の皇子は西方を夢見る[完結!]

小野露葉

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第五章

三話 それぞれの出発 その二

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「張殿!早くはやく!」

 張弦と淑の目の前には天涼の市が広がっている。今日もラクダが行き交い、珍しい香辛料の匂いがする、見たこともない果物はもちろん、様々な格好をしたひとびとが楽しそうに買い物をしている。この異国情緒あふれる町がよほど気に入ったのか、着いた途端、淑は嬉しそうに張弦の手を引いた。

「まさか、帰りもお前のお守りをさせられるとは思わなかったな」

 張弦はわざと言った。すると、淑が本当に悲しそうな目で張弦を見つめる。

「おいおい、冗談だよ、俺もお前とまた一緒に旅ができて嬉しい」

 すると淑はぱあっと笑った。

 まったく、子供だな……

 張弦も思わず微笑む。景に頼まれ、山人のところまで淑を送り届けることになったのだ。

 どのような経緯であれ淑は兄皇子を助けたことから、母の不貞を公にすることなく、景の思惑通り恩赦というかたちで皇族に復帰することが確実となった。しかし母が第一皇子であり淑の兄である涼を陥れたことは変わらない。淑はすぐにでもそばに置きたいという景の申し出を断り、道士として生きることを選んだ。これには張弦も賛成だった。皇太子候補がふたりいるとなれば政争の火だねとなる。

 実をいえば、張弦は、楊にもまた内密に淑の護衛を頼まれた。今回の件で李陵国の残党が動くやもしれないという理由であったが、実際には違うだろう。謀られ亡くなった第一皇子涼と共に罪をかぶったものの家族は張弦だけではない。淑がひとりひそかに生きてながらえていたことを知れば、怒りを覚えるものも多いだろう。淑を知らなかった頃の張弦のように。だからこそ張弦は、楊や楊の仲間とつなぎをとりながら、淑の護衛をすることにした。

 張弦はとなりに並ぶ淑をちらりとみやる。見た目はあいかわらず第一皇子を陥れ張弦の兄も死に追いやった林皇后と同じだ。肌は雪のように白く、唇は紅をさしてもいないのに薄い桃色で、綺麗な弧《こ》を描いている。薄茶色の瞳も美しい。その美しさはまさに国を傾けた。
 しかし、見た目こそ似ているが、淑の中身は全く違うと張弦は思う。十六とは思えない知恵を持ち、時に大胆さを発揮するものの、普段は優しく繊細で十六とは思えない幼いところもある皇子だということを、いまの張弦は知っている。
 
 そんな淑が張弦のようなものにも許され、さらには陰謀うずまく宮廷でうまくやるにはもう少し学びが必要だろう。道士として生き続けるか皇族として生きるかは、さらに山人に学び、兄が皇太子となったころにまた考えればよい話だ。

 張弦はふとあることに気づいた。

「おい、そういえば、今日西丹シーダンから妹の迎えが来るはずだったのに良かったのか?」

 淑が少し寂しそうに微笑む。

「兄上が帰ったのにわたくしが見送るわけにはいきません」

「そうか」

 第二皇子景はあの酒宴の翌朝すぐに洛都へと帰った。淑は毒をあおった張弦の体調を考えて数日滞在を伸ばしたに過ぎない。何より第二皇子を差し置いて西丹の使者と会うわけにはいかない。張弦の思案顔に、淑がにっこり微笑む。

「妹とはあのあとまた話しましたし、山人と楊殿が選んだ女官は妹と西丹まで一緒に行くそうです、だから大丈夫」

 張弦もそれを聞いてほっとする。楊が選んだなら女官といってもかなりの手練てだれだろう。
 その時だった。

「おや、また来てくれたのかい!」

 声の主は、はじめてここに来た時、布袋を買った店の女店主だった。張弦は笑いながら答える。

「悪いな、今日はそんなに金がないんだ」

 実は景から道中かかる費用としてそれなりの金すはもらっているのだが、無駄遣いはできない。

「違うんだよ、ちょっと来てくれよ。お皇女ひめさんのお連れから預かってるんだよ」

「お皇女ひめさん?」

「みりゃわかるよ。見た目はお忍びっぽかったけど、うしろにきれいな女官と交易商の旦那を従えてさ。だからついおかしな輿入れ行列の話をしたら、いろいろ買っていってくださったんだよ」

 淑と張弦は顔を見合わせる。李蘭と護衛、そして楊のことだろう。何より李蘭は十四にもならないのにあの威厳だ。見れば皇女とわかるのかもしれない。すると女店主はいそいそと布でくるまれた何かを取り出す。

「そのときお皇女ひめさんと一緒にいた交易商だかの旦那がね、あとからまた来てさ。同じ柄の布袋を買ったふたり連れが来たらこれを渡すようにって」

 そう言うと、女店主は布を広げた。途端に淑が声をあげた。

「うわあ」

 布でくるまれていたものは、小鳥の卵ほどはある乳白色の、それも角度によって青色に輝く美しい石がふたつ仲良く並んでいる。

「なんでも天竺てんじくの石で月長石って言うんだってさ、旦那が言うには袋の中が空じゃあ寂しいだろうって」

 張弦はそれを見て笑った。楊だ。同じ柄の布袋を持っているといつ気づいたのだろうか。相変わらず抜け目のない男だ。

「ありがとうよ!」

 女店主に礼をいうと、ふたりはそれぞれ袋を取り出し、より青みが強い石を淑の萌黄色の袋に、もうひとつを張弦の紺色の袋に入れる。そして、それぞれ石の入った布袋を首にかける。重いというより温かい。

「この袋に入れる大切なものができました」

 淑がにっこり笑った。

「ああ」

 自然に張弦は淑の手をとった。淑もまるで兄の手のように張弦の手を握り返す。

 こいつとならこれからもずっと一緒に旅をしていける……

 そんな気がした。
 
 傾国の皇子は西方を夢見る
 
 ー了ー
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