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間章
ひとりの帰り道
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「アール―、レモンのってない。三回目。ミントがのってないとか、ソースがかかってないとか。今日、全然だめ。使い物になってない。いるだけ無駄。帰れば?」
厨房から出された料理の皿を一瞥して、蜂蜜色の髪をきっちりと結んだ、背の高い美貌の店員が苦言を呈した。
「使い物に……」
「なってない。ぼんやりしているし、間違えるし、そのくせできるつもりで手を出してくるのが、邪魔」
「言いたい放題だな、ジャスミン」
「隙だらけだからだよ。エルがいないだけで、わかりやすーく落ち込んで。暗い顔して働かれても迷惑なんだよね。やせ我慢も限界なんでしょ? 会いにいけばいいのに」
言うだけ言うと、手を伸ばして調理用にカット済みの食材からレモンの欠片をとり、皿にのせてさっと身を翻してフロアへと去っていく。
その後ろ姿をぼんやりと見ているアーノルドに、コックコート姿の大柄な男も横から声をかけた。
「今日は引きが早そうだし、調子悪いならもういいぞ」
「足手まといの婉曲表現」
「そうとも言う」
了解、と溜息混じりに返事をして、アーノルドは裏の通用口に向かい、帽子を手で鷲掴んで外した。
着替えるでもなく夜の路地をぶらぶらと歩きながら、ふと建物と建物に細く切り取られた夜空を見上げる。
――エルがいないだけで。
出会ってから、まだ日が浅い。
毎日顔を合わせていたが、授業や仕事が忙しくて、立ち入った話をしたこともない。
友達というほどに打ち解けてはおらず、仕事仲間ではあるが、いざ言葉を交わしても話題は仕事一色。
(お互いのことをあまり知らない。それでも、「どういう人間か」くらいはわかる)
お姫様だと、聞いていた。
仕事についていけるとは思っていなかったし、フロアに立たせてもミスして怒られて落ち込んでそこまでだろうと、特に期待もしていなかった。
(最初の頃の俺がそうだった。プライドばかり高くて、先輩の忠告もきかない。客にも店員らしく接することができない、横柄なだけの「王子様」。平民に混ざっての仕事なんか、自分のやるようなことではないと決めつけて。何もできないくせに、周りのすべてを見下していた)
だから、エルトゥールの世話を持ち掛けられたときには、少なからず意地悪な気持ちもあったのだ。
この国の人間でもなく、留学で遊びにきているだけであろう姫君が、まさか真面目に仕事をするわけがない、と。
面倒を見るとはいっても、本人が辛くて無理と逃げ出すようなら、それまで。
同じ年齢の他国の王族が、さてどのくらいこの生活に耐えられるのかという、単純な興味。
それがエルトゥールの教育係を引き受けた理由。
エルトゥールは、そんなアーノルドや周囲の思惑をまったく気にすることなく、最初から全力だった。
他人の手助けをほとんどあてにせず、振り落とされないように食いついて来た。
しかも、自分の判断で、客を守る為に臆することなく暴漢に立ち向かう気の強さまで。
その挙句、怪我をして今は仕事は休み。
足をひきずらないで歩けるようになるまで、一週間は顔を出すなと言い含めている。本人は不満そうだったが、働けない自覚はあるようで、おとなしく引き下がった。
その為、ここ五日間ほど、ほとんど顔を合わせていない。
会話ができるのは仕事の行き帰り時間のみだったので、学校での挨拶以外、まったく無関係の間柄になってしまっていた。
(結果。仕事もガタガタになるほどに、調子を崩してる。俺が)
――わかりやすーく落ち込んで
アーノルドは、とぼとぼと夜道を歩きながら、溜息をつく。
(エルトゥールは以前より友達が増えて周りには何かとひとがいる上に、「婚約者のいる男性」との距離感を気にして学校では近づいてこない。意識して避けられているまである。これ以上、関係性を進展させようがない……)
とても正直に、強がらず、自分の気持ちを認めるのならば。
エルトゥールともっと仲良くなりたい。
無茶をしていないか心配で、できればいつも目の届くところにいて欲しい。
なぜそんなに仕事に前向きなのか、留学前の生活のことを聞いてみたいし、逃げ出すほどにひどい縁談のことも知りたい。
会いたくて、話したくて、そばにいたい。
その感情がなんと呼ばれるものであるか、アーノルドも気付いている。
実は、一見枷となっている「婚約」も、自分とジャスティーンの間ではすでにある理由から解消の見通しがたっていて、エルトゥールが考えるほどに大きな問題ではない。少なくとも、「婚約者であるジャスティーンに配慮して、アーノルド王子との会話そのものを慎む」必要は無い。
それを、どうにかしてエルトゥールに伝えない限りは、どんなに思いを募らせても、受け入れられることはないだろう。
「……まずそこからだな」
ぐるぐるとした思考の落ち着く先は、いつもと同じ結論。
まずはエルトゥールに避けられていることからなんとかしなければ、と心に決めた。
厨房から出された料理の皿を一瞥して、蜂蜜色の髪をきっちりと結んだ、背の高い美貌の店員が苦言を呈した。
「使い物に……」
「なってない。ぼんやりしているし、間違えるし、そのくせできるつもりで手を出してくるのが、邪魔」
「言いたい放題だな、ジャスミン」
「隙だらけだからだよ。エルがいないだけで、わかりやすーく落ち込んで。暗い顔して働かれても迷惑なんだよね。やせ我慢も限界なんでしょ? 会いにいけばいいのに」
言うだけ言うと、手を伸ばして調理用にカット済みの食材からレモンの欠片をとり、皿にのせてさっと身を翻してフロアへと去っていく。
その後ろ姿をぼんやりと見ているアーノルドに、コックコート姿の大柄な男も横から声をかけた。
「今日は引きが早そうだし、調子悪いならもういいぞ」
「足手まといの婉曲表現」
「そうとも言う」
了解、と溜息混じりに返事をして、アーノルドは裏の通用口に向かい、帽子を手で鷲掴んで外した。
着替えるでもなく夜の路地をぶらぶらと歩きながら、ふと建物と建物に細く切り取られた夜空を見上げる。
――エルがいないだけで。
出会ってから、まだ日が浅い。
毎日顔を合わせていたが、授業や仕事が忙しくて、立ち入った話をしたこともない。
友達というほどに打ち解けてはおらず、仕事仲間ではあるが、いざ言葉を交わしても話題は仕事一色。
(お互いのことをあまり知らない。それでも、「どういう人間か」くらいはわかる)
お姫様だと、聞いていた。
仕事についていけるとは思っていなかったし、フロアに立たせてもミスして怒られて落ち込んでそこまでだろうと、特に期待もしていなかった。
(最初の頃の俺がそうだった。プライドばかり高くて、先輩の忠告もきかない。客にも店員らしく接することができない、横柄なだけの「王子様」。平民に混ざっての仕事なんか、自分のやるようなことではないと決めつけて。何もできないくせに、周りのすべてを見下していた)
だから、エルトゥールの世話を持ち掛けられたときには、少なからず意地悪な気持ちもあったのだ。
この国の人間でもなく、留学で遊びにきているだけであろう姫君が、まさか真面目に仕事をするわけがない、と。
面倒を見るとはいっても、本人が辛くて無理と逃げ出すようなら、それまで。
同じ年齢の他国の王族が、さてどのくらいこの生活に耐えられるのかという、単純な興味。
それがエルトゥールの教育係を引き受けた理由。
エルトゥールは、そんなアーノルドや周囲の思惑をまったく気にすることなく、最初から全力だった。
他人の手助けをほとんどあてにせず、振り落とされないように食いついて来た。
しかも、自分の判断で、客を守る為に臆することなく暴漢に立ち向かう気の強さまで。
その挙句、怪我をして今は仕事は休み。
足をひきずらないで歩けるようになるまで、一週間は顔を出すなと言い含めている。本人は不満そうだったが、働けない自覚はあるようで、おとなしく引き下がった。
その為、ここ五日間ほど、ほとんど顔を合わせていない。
会話ができるのは仕事の行き帰り時間のみだったので、学校での挨拶以外、まったく無関係の間柄になってしまっていた。
(結果。仕事もガタガタになるほどに、調子を崩してる。俺が)
――わかりやすーく落ち込んで
アーノルドは、とぼとぼと夜道を歩きながら、溜息をつく。
(エルトゥールは以前より友達が増えて周りには何かとひとがいる上に、「婚約者のいる男性」との距離感を気にして学校では近づいてこない。意識して避けられているまである。これ以上、関係性を進展させようがない……)
とても正直に、強がらず、自分の気持ちを認めるのならば。
エルトゥールともっと仲良くなりたい。
無茶をしていないか心配で、できればいつも目の届くところにいて欲しい。
なぜそんなに仕事に前向きなのか、留学前の生活のことを聞いてみたいし、逃げ出すほどにひどい縁談のことも知りたい。
会いたくて、話したくて、そばにいたい。
その感情がなんと呼ばれるものであるか、アーノルドも気付いている。
実は、一見枷となっている「婚約」も、自分とジャスティーンの間ではすでにある理由から解消の見通しがたっていて、エルトゥールが考えるほどに大きな問題ではない。少なくとも、「婚約者であるジャスティーンに配慮して、アーノルド王子との会話そのものを慎む」必要は無い。
それを、どうにかしてエルトゥールに伝えない限りは、どんなに思いを募らせても、受け入れられることはないだろう。
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