王子様カフェにようこそ!〜秘密の姫君は腹黒王子に溺愛されています〜

有沢真尋

文字の大きさ
31 / 41
第三章

【5】姫君の知らぬこと

しおりを挟む
 エルトゥールに絡んだ男性客は、アーノルドが睨みをきかせて手をひかせた。ぶつぶつと言いながら男が引き下がる中、エルトゥールは顔を上げてアーノルドに訴えかける。

「アル、ありがとう。あのねっ」

 立ち上がったきっかけになった酔客の席のことを伝えようと、視線を辺りに投げる。まさにそのとき、他の店員が対応しているのが確認できた。騒ぎは、一応収まりそうである。
 エルトゥールはほっと息を吐き出し、アーノルドに視線を戻した。

「お客様は、大丈夫でしたか。手は痛くない?」

 見下ろしてきたアーノルドの瞳には、よそよそしさがあった。
 「お客様」と線を引かれたことに、胸がきゅっと締め付けられる。
 強く掴まれたせいで、手首にはいまだにひりつくような痛みはあったが、エルトゥールはとっさに微笑んでみせた。

「大丈夫です。お忙しい中すみません。お仕事中ですね。引き留めてはいけないので、これで」

 目を見ていられず、早口で言いながら俯いてしまう。
 アーノルドの靴の爪先を見ながら、自分の目の前から立ち去って欲しいと願った。
 よそよそしい会話を続けられる自信が無い。

「本当に痛くないのか。痣になってない?」

 ぎりぎり聞こえる音量の声。
 いつもの口調で言われて、エルトゥールは自分の手で手首を隠すように軽く握りしめた。
 動悸がする。
 顔を上げることもできないまま、なんとか答えた。

「うん。びっくりしただけだから。普段、男の人のふりをしているの、それなりに効果あるんだね。中身は同じ私なのに、服装が違うだけで、こんなにも甘くみられるなんて」
「ああ、その服。なんか見覚えがあると思ったら、ジャスティーンか。俺がジャスティーンに贈ったものだ」

 それは本当に何気ない一言。
 どきんと心臓が跳ねてから、急速に体が冷えていくような感覚。 

(そっか、アーノルド殿下からジャスティーン様に身に着けるものを贈ることくらい、あるよね。それを私が着ていたから、見ていたんだ。それは気になる、うん)

 アーノルドとジャスティーンの婚約は王族と貴族として、様々な思惑が絡んだ結果生まれる前から取り決められていたのだろうが、長じた今となっても、二人は仲が良い。
 学校では節度ある友人のように接しているが、他の人には見せないだけで、恋人として過ごしている時間もあるに違いない。

「ごめんなさい。知らなくて。私、外に出歩くのに適当な服を持っていなくて、ジャスティーン様が貸してくださったから、素直に着てきてしまったんです。どうしよう、私」
「ジャスティーンに合わせて作らせたんだが、贈ったときには身長が伸びていて、たしか一度も着ていないはずだ。むしろまだ手元に置いていたことに驚いている。エルの方が似合うんじゃないか」
「そういう問題では……! 手元に置いているのは、大切だからですよ。あ~、信じられない。なんとお詫びをすればいいのか」

 アーノルドからの贈り物で、ジャスティーンが一度も袖を通さぬまま大切に所持していた服を、自分が着ているとは。

(あれほど……、あれほど学校では露骨に避けてまで、二人の間に割り込まないように気を付けてきたのに。ジャスティーン様も人が悪いです。もっと違う服もあったのではないですか)

 ジャスティーンの手持ちの中では、サイズが小さいのはこれだけだったのかもしれないが、それにしても。

「外歩き用の服がない、か。そうか……、それも似合わないわけじゃないけど、俺がエルに贈るならもう少し違う感じだな。瞳の色に合わせたり」
「何を言っているんですか。アルからの贈り物なんか受け取れませんよ」
「どうして」
「どうしても何も、アルには婚約者がいるじゃないですか」

 言葉として口にするのには妙な抵抗があり、エルトゥールは黙り込んだ。
 アーノルドと見つめ合うこと数秒。
 仕事に戻る、と言ってアーノルドが背を向ける。
 思い出したように肩越しに振り返り、「気を付けろよ。綺麗だから、目立つ」と素早く言った。

(それは、アーノルド殿下が婚約者に贈るような服を着ていれば目立ちますよね。気軽に外歩きというには、やはり少し贅沢な作りですし)

 何やらどっと疲れた、とエルトゥールはフロアに視線を向ける。
 
 ほっと息を吐いて、エルトゥールも歩き出す。
 背後から声をかけられたのは、そのときだった。

「エルトゥール様? エルトゥール姫ですよね?」

 * * *

「アル、またおかしくなってるんだけど。盛り付けが散漫なサラダって滅茶苦茶カッコ悪い。仕事にならないならどっか行ってれば?」

 アーノルドが仕上げてフロア係に渡そうとした皿を、横から取り上げた長身美貌の店員は、紺碧の瞳を細めてきつい口調で言う。

「ジャ……ジャスミン。いや、ジャスティーン。あれはお前の仕業か……」
「そうだけど。アル、顔赤いし、目が泳いでいるし、見ているこっちが辛い。本当に辛い」

 顔見知りとの遭遇を避けた「ジャスミン」こと店員姿のジャスティーンは、本日は厨房にこもりっきり。代わりにアーノルドがフロアに出ているのだが、出るたびに様子がおかしくなって戻って来るので、周りが全員笑いを堪えている始末。
 堪えきれなかった者が顔を背けつつ噴き出すと、次々に笑いが伝播していく。

「今日、『いつものお嬢さん』と『おひとりさまの先生』と一緒に来ていたのって、やっぱりエルだよね。滅茶苦茶可愛くてびっくりした。お姫様みたいで、びびって声かけられなかった」

 フロアから戻って来た男性店員が笑顔で言う。そして、周囲の笑いにさらされて、悔しそうに耐えているアーノルドをちらっと見て続ける。

「アルは動揺しすぎだ。たしかにいつもと雰囲気違うけど、エルだよ、あれ。普通に話せばいいのに」

 すかさず、ジャスティーンが「無理だって」と口を挟んだ。

「アルにそんな甲斐性を求めてどうする。ただでさえ目に入れても痛くない後輩のエルが、お姫様みたいに着飾って現れたってだけで、大事件なんだ。立て続けにヘマするくらい」
「そんなにしてない。たまたま一つ二つミスしかけただけで、お客様に迷惑をかける前に気付いているし、言うほど……」

 反論するアーノルドであったが、周りから「今晩眠れないな」「むっつりは大変だね」と遠慮なく声をかけられ、ほぼ全員から揶揄われていると悟り、絶句する。
 そっと歩み寄ったジャスティーンは、アーノルドの肩に手を置き、耳元に唇を寄せてアーノルドにだけ聞こえる音量で言った。

「あー、早く婚約破棄したい。さっさとこの男をエル姫に進呈したいんだけど。あんまり不甲斐ないと返品されるな。しっかりしろよ、王子様」
「本当に、言いたい放題言いやがって……、お前だけじゃない。全員」
「言いたくもなるよ。とりあえずエルには、そろそろ仕事復帰して欲しいね。いない間俺が人員の穴埋めしているわけだけど。店はともかく、仕事でもエルに会えないアルが枯れてしまいそう」

 厨房にいればいるほど周りからいじられるだけと気付いたアーノルドは、フロアへ出ようと目を向ける。
 見たいけど見るのに抵抗がある、でも見てしまうエルトゥールの席の方へと視線をすべらせたところで、ふっと真顔になった。
 気付いたジャスティーンが、横から小声で耳打ちした。

「ラッセル侯爵の嫡男、セドリックだ」
「学校で、いつもエルトゥールに話しかけたそうにしていた奴」
「そうそう、むっつりのアルがガードしていたけど、最近はアルが姫に距離を置かれていたから、あの辺の男が近づいているんだよね」

 エルトゥールの席の側で立ち話をしている同級生の姿を見ながら、ジャスティーンが挑発するようにアーノルドに笑いかけた。

「それで、殿下はどうするの? ぼやぼやしていると、お姫様、横から他の男にかっ攫われるよ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~

夏見ナイ
恋愛
侯爵令嬢リリアーナは、王太子に「地味で役立たず」と婚約破棄され、食糧難と魔物に脅かされる最果ての辺境へ追放される。しかし彼女には秘密があった。それは前世日本の記憶と、食べた者を癒し強化する【奇跡の料理】を作る力! 絶望的な状況でもお人好しなリリアーナは、得意の料理で人々を助け始める。温かいスープは病人を癒し、栄養満点のシチューは騎士を強くする。その噂は「氷の辺境伯」兼騎士団長アレクシスの耳にも届き…。 最初は警戒していた彼も、彼女の料理とひたむきな人柄に胃袋も心も掴まれ、不器用ながらも溺愛するように!? さらに、美味しい匂いに誘われたもふもふ聖獣たちも仲間入り! 追放令嬢が料理で辺境を豊かにし、冷徹騎士団長にもふもふ達にも愛され幸せを掴む、異世界クッキング&溺愛スローライフ! 王都への爽快ざまぁも?

聖女の力を妹に奪われ魔獣の森に捨てられたけど、何故か懐いてきた白狼(実は呪われた皇帝陛下)のブラッシング係に任命されました

AK
恋愛
「--リリアナ、貴様との婚約は破棄する! そして妹の功績を盗んだ罪で、この国からの追放を命じる!」 公爵令嬢リリアナは、腹違いの妹・ミナの嘘によって「偽聖女」の汚名を着せられ、婚約者の第二王子からも、実の父からも絶縁されてしまう。 身一つで放り出されたのは、凶暴な魔獣が跋扈する北の禁足地『帰らずの魔の森』。 死を覚悟したリリアナが出会ったのは、伝説の魔獣フェンリル——ではなく、呪いによって巨大な白狼の姿になった隣国の皇帝・アジュラ四世だった! 人間には効果が薄いが、動物に対しては絶大な癒やし効果を発揮するリリアナの「聖女の力」。 彼女が何気なく白狼をブラッシングすると、苦しんでいた皇帝の呪いが解け始め……? 「余の呪いを解くどころか、極上の手触りで撫でてくるとは……。貴様、責任を取って余の専属ブラッシング係になれ」 こうしてリリアナは、冷徹と恐れられる氷の皇帝(中身はツンデレもふもふ)に拾われ、帝国で溺愛されることに。 豪華な離宮で美味しい食事に、最高のもふもふタイム。虐げられていた日々が嘘のような幸せスローライフが始まる。 一方、本物の聖女を追放してしまった祖国では、妹のミナが聖女の力を発揮できず、大地が枯れ、疫病が蔓延し始めていた。 元婚約者や父が慌ててミレイユを連れ戻そうとするが、時すでに遅し。 「私の主人は、この可愛い狼様(皇帝陛下)だけですので」 これは、すべてを奪われた令嬢が、最強のパートナーを得て幸せになり、自分を捨てた者たちを見返す逆転の物語。

【完結】たれ耳うさぎの伯爵令嬢は、王宮魔術師様のお気に入り

楠結衣
恋愛
華やかな卒業パーティーのホール、一人ため息を飲み込むソフィア。 たれ耳うさぎ獣人であり、伯爵家令嬢のソフィアは、学園の噂に悩まされていた。 婚約者のアレックスは、聖女と呼ばれる美少女と婚約をするという。そんな中、見せつけるように、揃いの色のドレスを身につけた聖女がアレックスにエスコートされてやってくる。 しかし、ソフィアがアレックスに対して不満を言うことはなかった。 なぜなら、アレックスが聖女と結婚を誓う魔術を使っているのを偶然見てしまったから。 せめて、婚約破棄される瞬間は、アレックスのお気に入りだったたれ耳が、可愛く見えるように願うソフィア。 「ソフィーの耳は、ふわふわで気持ちいいね」 「ソフィーはどれだけ僕を夢中にさせたいのかな……」 かつて掛けられた甘い言葉の数々が、ソフィアの胸を締め付ける。 執着していたアレックスの真意とは?ソフィアの初恋の行方は?! 見た目に自信のない伯爵令嬢と、伯爵令嬢のたれ耳をこよなく愛する見た目は余裕のある大人、中身はちょっぴり変態な先生兼、王宮魔術師の溺愛ハッピーエンドストーリーです。 *全16話+番外編の予定です *あまあです(ざまあはありません) *2023.2.9ホットランキング4位 ありがとうございます♪

罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~

上下左右
恋愛
「貴様のような疫病神との婚約は破棄させてもらう!」  触れた魔道具を壊す体質のせいで、三度の婚約破棄を経験した公爵令嬢エリス。家族からも見限られ、罰として鬼将軍クラウス辺境伯への嫁入りを命じられてしまう。  しかしエリスは周囲の評価など意にも介さない。 「顔なんて目と鼻と口がついていれば十分」だと縁談を受け入れる。  だが実際に嫁いでみると、鬼将軍の顔は認識阻害の魔術によって醜くなっていただけで、魔術無力化の特性を持つエリスは、彼が本当は美しい青年だと見抜いていた。  一方、エリスの特異な体質に、元婚約者の伯爵が気づく。それは伝説の聖女と同じ力で、領地の繁栄を約束するものだった。  伯爵は自分から婚約を破棄したにも関わらず、その決定を覆すために復縁するための画策を始めるのだが・・・後悔してももう遅いと、ざまぁな展開に発展していくのだった  本作は不遇だった令嬢が、最恐将軍に溺愛されて、幸せになるまでのハッピーエンドの物語である ※※小説家になろうでも連載中※※

王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります

cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。 聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。 そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。 村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。 かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。 そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。 やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき—— リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。 理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、 「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、 自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。

神龍の巫女 ~聖女としてがんばってた私が突然、追放されました~ 嫌がらせでリストラ → でも隣国でステキな王子様と出会ったんだ

マナシロカナタ✨ねこたま✨GCN文庫
恋愛
聖女『神龍の巫女』として神龍国家シェンロンで頑張っていたクレアは、しかしある日突然、公爵令嬢バーバラの嫌がらせでリストラされてしまう。 さらに国まで追放されたクレアは、失意の中、隣国ブリスタニア王国へと旅立った。 旅の途中で魔獣キングウルフに襲われたクレアは、助けに入った第3王子ライオネル・ブリスタニアと運命的な出会いを果たす。 「ふぇぇ!? わたしこれからどうなっちゃうの!?」

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

処理中です...