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第三章
【6】学校、仕事
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「おはようございます、エルトゥール姫。良い朝ですね」
朝食の席で、ぞろぞろと現れた学生たちに囲まれるように周りの席をおさえられて「何事?」とエルトゥールはパンをのどに詰まらせかけた。
むせていると、隣に座っていたレベッカが心配そうにお茶を差し出してくれる。ありがと、と受け取って飲み干す。
そこでようやく、正面にセドリックという同学年の少年が陣取っていることに気付いた。
濃い茶色の髪に、同色の瞳。エルトゥールを見つめるまなざしには、熱がある。
「姫、昨日は思わぬところでお会いしましたね。普段とはまた違った装いが、あまりにお美しくて、声をかけるのを躊躇いましたが……、お話しできて良かったです。一緒にいらしたのはドロシー先生だったようですが。姫は、『魔法学』を受講されるのですか」
(きた……! やっぱり「魔法」に関心を持っている貴族はいるんだ)
歯の浮くようなお世辞はともかく、本題はそちらだ、とエルトゥールは気を引き締めて微笑んでみせる。
「いまは廃れた分野とはいえ、リンドグラードにはまだ魔導士がいますし、この学校では研究も続けていると聞いてはいました。せっかくなので、ここでしかできない勉強をしてみたいと思いまして」
「姫は、どの科目でも優秀な成績と聞いております。普段の授業では物足りないのかな。ですが『魔法学』に関しては『魔力』が無いことには……。姫は、もしかして?」
「個人的に、学問として興味があります。魔導士が極端に生まれにくくなり、減る一方だとしても、これまで蓄積された『魔法』に関する知識を後世に残すことは大切だと考えています。実際のところ、『魔導士』がほぼ存在しないことで、どこの国も予算を削減し、研究を打ち切っているのが現状ですが」
いわゆる「実用性」が無いことで、「魔法」の研究は下火になっている。太古の魔導士たちは天候すら操る力があったと伝説は言うが、ここ数百年の長きに渡ってそんな魔導士の記録は一切残されていない。
もはや「魔法学」は無用の長物。「魔力」があるならまだしも、そうではない人間が手を出すには酔狂に過ぎるという位置付けなのだ。
それこそ「魔法」への過度の憧れを持ち、心酔しているような変わり者でなければ、見向きもしない。
(私が他の科目で優秀であると言われれば言われるほど、何故まともな研究に打ち込まないかと不審がられるのも当然……)
エルトゥール自身は、自分に「魔力」がある以上、「魔法学」に興味は持っていた。きっかけはあったが、受講は自分で決めた。
一方で、わかりやすい好奇の目にさらされることに一抹の不安がないわけでもない。
そのエルトゥールの警戒心を察したように、セドリックはふわりと笑って話を打ち切った。
「朝食の席でするような話題ではなかったかもしれませんね。申し訳ありません」
「いえ、興味をお持ちになるのは、わかります」
「そうだ、もしかして姫はよく学校の外に出られるのですか。どこか行きたい場所があれば案内します。よろしければ、ぜひ私の家にも足を運んで頂きたく。イルルカンナの王女をお迎えするのは、我が家にとっても名誉なことです」
「御親切にありがとうございます。普段は何かと予定が詰まっておりまして、なかなか難しいです。もし、機会があればそのときにはぜひ」
如才なく受け答えをし、エルトゥールもまた微笑んでみせる。
周囲に、さざめき立つような動揺が広がるのを感じた。
(今まで仕事に気を取られて、あまり同級生と交流していなかったから、笑っただけでこの反応……。でも、そろそろ仕事に復帰するので、遊んでいられないんです。苦学生は忙しいのです)
まるで珍しい生き物のように囲まれているのを居心地悪く感じながら、エルトゥールはさりげなく人垣の向こうに視線を向けた。
目が、アーノルドを探している。どこかにいないかと期待してしまっていることに気付いて、妙に焦ってしまった。
いくつもの視線が自分に絡んでいるのを感じながら、困ったな、と少し弱気になりかけた。
* * *
「しばらく休んですみません。今日からまたよろしくお願いしまーす!!」
シェラザードの裏手の通用口から厨房に入り、エルトゥールが声を張り上げて言う。
あちこちから「うーっす」という返事が上がった。
たまたま近くを横切った男性店員が、笑みを浮かべてエルトゥールを見る。
「おかえり。昨日お客さんで来ていたよね。エルって、女の子なのかな? って半信半疑だったんだけど、わかっちゃったかも」
「それなんですけど、仕事中はこのまま男性で通します。女性として振舞うと、何かと面倒だというのは、よくわかりました」
酔客に絡まれた件を辟易とした表情で告げるエルトゥールに、店員はさらに笑みを深めた。
「それがいいよ。アルも気が気じゃないだろうし。これ以上敵が増えたら、仕事どころじゃなくなりそうだ。エルがいない間、本当に」
「ロビン。もういいだろ」
エルトゥールと一緒に出勤してきたまま、腕を組んで並んで立っていたアーノルドは、そこで相手の言葉を遮った。
名を呼ばれた店員は、悪戯っぽく片目を瞑って立ち去る。
「いない間……、ご迷惑をおかけしまして……」
並んだまま、横を向くこともできず、エルトゥールはぼそぼそと告げた。
学校から待ち合わせて、シェラザードまで連れ立って歩いて来たものの、驚くほど会話は弾まなかった。
(「アーノルド殿下」との関係性が冷え切っている……と言うと語弊があるけど。私から避けている以上、アルも私を避けるのはある意味誠実な対応です。実質私が「嫌がっている」わけだから、距離を詰めるようなことをしないのは、優しさですよね)
「怪我をしたのは店のせいだし、治すまで休むのは迷惑とは言わない。代わりに入れる人員もいたし。店はまわっていたから……」
「そ、そうですよね。新人が何言ってるんだって感じですね。私が心配するのはどちらかと言えば自分の収入減くらいであって、皆さんの負担を心配したり、口を出すのはおこがましいというか」
(店もアルも、私が数日休んだくらいで困ることなんか何もない。「必要とされている」と勘違いしたようなことを言って、恥ずかしい)
「そこまで言ってない。みんな、エルを待っていたから。復帰してくれて良かった」
顔を合わせないまま、アーノルドは遠くを見つつもう一度「良かった」と言う。
エルトゥールは、ほんの少しだけむっとした。
「無理にフォローしなくていいです。私は新人なので、休んでもお店にダメージはないと思います。皆さんに『必要とされている』と大きな顔をするのは、もっと仕事を覚えてからにします」
「大きな顔、するつもりなのか。シェラザードで古株になるのは少なくともあと数年……、留学期間が終わってもこの国に残るつもりかな、姫は」
ちらっと見上げると、同じように、ちらっと横目で見下ろされていた。
視線がぶつかると、アーノルドの唇の端に笑みが浮かんだ。人好きのする、印象的で鮮やかな表情。
目を奪われる。エルトゥールは言葉を失ったままその顔を見つめてしまった。
「よし、じゃあ立ち話していても仕方ない。仕事するか」
「……はい。よろしくお願いします!」
我に返って、まず着替えようと背を向ける。
背後から、声がかかった。
「あの件、進めてる。近いうちに書面で申し入れするから、そのつもりで」
振り返ったときには、アーノルドは別の店員に話しかけられてエルトゥールに背を向けていた。
(あの件……? 私とアルの間で、何かありましたでしょうか?)
朝食の席で、ぞろぞろと現れた学生たちに囲まれるように周りの席をおさえられて「何事?」とエルトゥールはパンをのどに詰まらせかけた。
むせていると、隣に座っていたレベッカが心配そうにお茶を差し出してくれる。ありがと、と受け取って飲み干す。
そこでようやく、正面にセドリックという同学年の少年が陣取っていることに気付いた。
濃い茶色の髪に、同色の瞳。エルトゥールを見つめるまなざしには、熱がある。
「姫、昨日は思わぬところでお会いしましたね。普段とはまた違った装いが、あまりにお美しくて、声をかけるのを躊躇いましたが……、お話しできて良かったです。一緒にいらしたのはドロシー先生だったようですが。姫は、『魔法学』を受講されるのですか」
(きた……! やっぱり「魔法」に関心を持っている貴族はいるんだ)
歯の浮くようなお世辞はともかく、本題はそちらだ、とエルトゥールは気を引き締めて微笑んでみせる。
「いまは廃れた分野とはいえ、リンドグラードにはまだ魔導士がいますし、この学校では研究も続けていると聞いてはいました。せっかくなので、ここでしかできない勉強をしてみたいと思いまして」
「姫は、どの科目でも優秀な成績と聞いております。普段の授業では物足りないのかな。ですが『魔法学』に関しては『魔力』が無いことには……。姫は、もしかして?」
「個人的に、学問として興味があります。魔導士が極端に生まれにくくなり、減る一方だとしても、これまで蓄積された『魔法』に関する知識を後世に残すことは大切だと考えています。実際のところ、『魔導士』がほぼ存在しないことで、どこの国も予算を削減し、研究を打ち切っているのが現状ですが」
いわゆる「実用性」が無いことで、「魔法」の研究は下火になっている。太古の魔導士たちは天候すら操る力があったと伝説は言うが、ここ数百年の長きに渡ってそんな魔導士の記録は一切残されていない。
もはや「魔法学」は無用の長物。「魔力」があるならまだしも、そうではない人間が手を出すには酔狂に過ぎるという位置付けなのだ。
それこそ「魔法」への過度の憧れを持ち、心酔しているような変わり者でなければ、見向きもしない。
(私が他の科目で優秀であると言われれば言われるほど、何故まともな研究に打ち込まないかと不審がられるのも当然……)
エルトゥール自身は、自分に「魔力」がある以上、「魔法学」に興味は持っていた。きっかけはあったが、受講は自分で決めた。
一方で、わかりやすい好奇の目にさらされることに一抹の不安がないわけでもない。
そのエルトゥールの警戒心を察したように、セドリックはふわりと笑って話を打ち切った。
「朝食の席でするような話題ではなかったかもしれませんね。申し訳ありません」
「いえ、興味をお持ちになるのは、わかります」
「そうだ、もしかして姫はよく学校の外に出られるのですか。どこか行きたい場所があれば案内します。よろしければ、ぜひ私の家にも足を運んで頂きたく。イルルカンナの王女をお迎えするのは、我が家にとっても名誉なことです」
「御親切にありがとうございます。普段は何かと予定が詰まっておりまして、なかなか難しいです。もし、機会があればそのときにはぜひ」
如才なく受け答えをし、エルトゥールもまた微笑んでみせる。
周囲に、さざめき立つような動揺が広がるのを感じた。
(今まで仕事に気を取られて、あまり同級生と交流していなかったから、笑っただけでこの反応……。でも、そろそろ仕事に復帰するので、遊んでいられないんです。苦学生は忙しいのです)
まるで珍しい生き物のように囲まれているのを居心地悪く感じながら、エルトゥールはさりげなく人垣の向こうに視線を向けた。
目が、アーノルドを探している。どこかにいないかと期待してしまっていることに気付いて、妙に焦ってしまった。
いくつもの視線が自分に絡んでいるのを感じながら、困ったな、と少し弱気になりかけた。
* * *
「しばらく休んですみません。今日からまたよろしくお願いしまーす!!」
シェラザードの裏手の通用口から厨房に入り、エルトゥールが声を張り上げて言う。
あちこちから「うーっす」という返事が上がった。
たまたま近くを横切った男性店員が、笑みを浮かべてエルトゥールを見る。
「おかえり。昨日お客さんで来ていたよね。エルって、女の子なのかな? って半信半疑だったんだけど、わかっちゃったかも」
「それなんですけど、仕事中はこのまま男性で通します。女性として振舞うと、何かと面倒だというのは、よくわかりました」
酔客に絡まれた件を辟易とした表情で告げるエルトゥールに、店員はさらに笑みを深めた。
「それがいいよ。アルも気が気じゃないだろうし。これ以上敵が増えたら、仕事どころじゃなくなりそうだ。エルがいない間、本当に」
「ロビン。もういいだろ」
エルトゥールと一緒に出勤してきたまま、腕を組んで並んで立っていたアーノルドは、そこで相手の言葉を遮った。
名を呼ばれた店員は、悪戯っぽく片目を瞑って立ち去る。
「いない間……、ご迷惑をおかけしまして……」
並んだまま、横を向くこともできず、エルトゥールはぼそぼそと告げた。
学校から待ち合わせて、シェラザードまで連れ立って歩いて来たものの、驚くほど会話は弾まなかった。
(「アーノルド殿下」との関係性が冷え切っている……と言うと語弊があるけど。私から避けている以上、アルも私を避けるのはある意味誠実な対応です。実質私が「嫌がっている」わけだから、距離を詰めるようなことをしないのは、優しさですよね)
「怪我をしたのは店のせいだし、治すまで休むのは迷惑とは言わない。代わりに入れる人員もいたし。店はまわっていたから……」
「そ、そうですよね。新人が何言ってるんだって感じですね。私が心配するのはどちらかと言えば自分の収入減くらいであって、皆さんの負担を心配したり、口を出すのはおこがましいというか」
(店もアルも、私が数日休んだくらいで困ることなんか何もない。「必要とされている」と勘違いしたようなことを言って、恥ずかしい)
「そこまで言ってない。みんな、エルを待っていたから。復帰してくれて良かった」
顔を合わせないまま、アーノルドは遠くを見つつもう一度「良かった」と言う。
エルトゥールは、ほんの少しだけむっとした。
「無理にフォローしなくていいです。私は新人なので、休んでもお店にダメージはないと思います。皆さんに『必要とされている』と大きな顔をするのは、もっと仕事を覚えてからにします」
「大きな顔、するつもりなのか。シェラザードで古株になるのは少なくともあと数年……、留学期間が終わってもこの国に残るつもりかな、姫は」
ちらっと見上げると、同じように、ちらっと横目で見下ろされていた。
視線がぶつかると、アーノルドの唇の端に笑みが浮かんだ。人好きのする、印象的で鮮やかな表情。
目を奪われる。エルトゥールは言葉を失ったままその顔を見つめてしまった。
「よし、じゃあ立ち話していても仕方ない。仕事するか」
「……はい。よろしくお願いします!」
我に返って、まず着替えようと背を向ける。
背後から、声がかかった。
「あの件、進めてる。近いうちに書面で申し入れするから、そのつもりで」
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