コーデリアは攫われた婚約者を取り戻したい

有沢真尋

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“バート!! 起きてる!? この声が聞こえてる!? 返事ができるならお願い、答えて!!”

 コーデリアの声がバングルから響いた瞬間、バートは一も二もなく動いた。
 上掛けを足で跳ね上げてキャロラインに巻きつけ、その体の下から這い出る。ベッドから転がり落ちるようにして逃れると、すぐ様立ち上がり、さっと部屋を見回した。

 張り巡らされた、薔薇色の壁紙。家具や調度品に至るまで差し色に赤が取り入れられた、特徴的な内装。閉ざされたままのカーテンは白ベースに薔薇柄、四柱の天蓋付きベッドを取り巻くベッドカーテンやカバーと揃いになっている。暖炉周りは大理石で、その上の飾り棚には東洋趣味の陶器の壺が置かれていた。
 目が慣れても薄暗く、淫靡で、閉塞感がある。

(ドアは二つ。片方がバスルームだとすると、廊下へ通じているのはおそらく、ベッドから遠い方)

 狙い定めた方へと駆け寄ったが、力を込めても少しも動かない。
 魔力による封印の気配があった。
 振り返ると、キャロラインが身を起こしてベッドから下りているところで、バートはとっさにもう一つのドアへと走る。
 真鍮のノブに手をかけると、するりとドアが開いて、中はバスルーム。
 迷うことなく飛び込み、突入されぬよう背で戸板を押さえつけながら意識をバングルに集中させ、魔力を放った。

「コーデリア、聞こえてる! ありがとう!! 君の声が聞けて嬉しい!!」

 その叫びだけで、バングルに魔力が激しく吸い取られる。
 体が本調子ではないこと以外にも、おそらく距離が遠く隔たっているせいで消耗が激しいのだ、と理解する。

“バート、無事なのね!? いま自分がどこにいるかわかる? 状況は!?”

 魔力量は生まれつきによるところが大きく、たいていどこの国でも王侯貴族はそれなりの魔力保持者だ。
 コーデリアも貴族令嬢として魔力は潤沢で、バートも出自を考えれば不思議はない程度に恵まれてはいる。だが、今は無駄な話をしている余力は一切無い。
 少ない文言で、自分の置かれている状況を的確に伝えねば。

(手段を選ばない親戚に誘拐されて幽閉されている。子作りしないと出られない部屋。やる気がないまま貞操を狙ってくる従姉。媚薬は使われたが、命は無事。陰謀)

 頭の中でざっとさらってみてから、今一度バングルに魔力を通す。

「監禁されていて性的に危ない! 貞操が最高値で、あまり損のない陰謀に巻き込まれている!」

 * * *

 コーデリアたち三人が目指す駅についてから外に出たとき、そこにはすでに「迎え」が到着していて、待ち構えていた。

 艶やかな漆黒の髪に、銀縁の片眼鏡モノクルが特徴的。微笑が地顔とばかりに、両目とも線を引いたようなにっこり笑顔の男が「ようこそ!」と声をかけてくる。
 三人の注意をひきつけてから、しっかりと目を見開いて見つめてきた。
 恐ろしいまでに、澄んだ青い目をしていた。

 コーデリアは、相手が誰なのかまではわからなかったものの、身につけている仕立ての良いジャケットや、後ろに控えた四頭立ての馬車からおおよそのあたりをつけることはできた。

 ううう、と嫌そうな声をもらしながら、ベネディクトがロズモンドの後ろに身を隠そうとする。
 ロズモンドは特にそれをかばうことなく、かといって前に突き出すような意地悪もせず、じっとその場に立って目の前の相手を見ていた。
 黒髪の男は再びにっこりと微笑みながら、小首を傾げる。

様。どうしてお隠れになるんですか? 可愛いお顔を見せてくださいませんか?」
「……セドリック様……どうしてここに」
「あなたが城を抜け出したと、こちらに一報がありまして。ぜひともお会いしたいとお迎えに上がった次第です。観光目的だそうで。お付き合いいたしますよ」

(この方、セドリック様ってつまり、王太子殿下……! そしてこちらの方は、ベネディクト様ではなく、双子のお姉様のシャーロット王女殿下だったってこと……!?)

 ここに至って、コーデリアはこの場を取り巻く奇妙な緊迫感の理由を知る。
 魔道機関車の道中、ベネディクト王子と信じ込んで話していた相手は、双子の姉のシャーロット王女だったらしい。

 おそらく、ロズモンドが連絡を取った相手はベネディクトで間違いないのだろうが、なぜかシャーロットがその話を耳にし、首をつっこんできてしまったのだろう。ロズモンドはすぐに気づいたものの、護衛もあたりに見当たらなかったことから、追い返すに追い返せず、邪険にあしらうこともできずに困惑していたのだ。

 そして、隣国について早々、待ち構えていたのは誰あろうこの国の王太子であるセドリック。
 シャーロットがいなくなったことに気づいた王宮側が先手を打ち、こちらの国に魔道具で連絡を取ったのだろう。
 その結果セドリックがノリノリで迎えに来てしまったという……。
 
(シャーロット様は、セドリック様を苦手そうにしている……? お顔がとても嫌そう)

 ロズモンドの後ろで、男装姿のシャーロットが辟易とした表情をしていた。対照的なまでに完璧な笑顔のセドリックが「立ち話もなんですから、馬車にどうぞ。そちらのお二人も。素性は連絡を受けているので知っています」と口を挟めないでいるアップルビー子爵家の兄妹にも声をかけてくる。

 流れで、ちらり、とセドリックからロズモンドに向けられた瞳に、いやに挑戦的な光が閃いていた。口の端を吊り上げた笑みには、冷ややかさすら漂っている。最前までの貼り付けたような笑顔とは、あまりにも落差があった。
 ロズモンドは表情らしい表情も無いまま、「御自らの歓待いたみいります――」と言いかけたが、背後のシャーロットに髪を引っ張られて言葉を詰まらせた。「姫」とロズモンドが咎めるように言ったが、シャーロットはぱっと飛び出て姿を見せると、セドリックに真っ向からつっかかっていく。

「私は迎えが来るなんて聞いていない! 本物の殿下かどうかもわからない男に、ついて行けるわけがないだろう。どこに連れて行かれるかもわかったものではないからなっ」
「後冗談を、お姫様。非公式とはいえ、そちらの国から頂いた依頼は正式なものです。私があなたをかどわかしたりすることなどあり得ません。何をそんなに警戒しているんです?」

 セドリックの返答は実に整然としていて噛みつく余地などないものであったが、シャーロットはさらにコーデリアの袖をひっつかむと、声を張り上げて言った。

「現にこの娘の婚約者が、この国の公爵家ゆかりの者の策略で攫われているんだぞ!? 私だって、あなたのような信頼ならない男に行き先を任せたが最後、王宮のどこかに閉じ込められないとは言い切れないじゃないか」
「護衛もつけずに我が国に飛び込んできた挙げ句、迎えにきた私にずいぶんな言い様ですが。ん、これはもしかして、遠回しに『閉じ込められたい』とでも言っているんですか? やぶさかではありませんが」

 にこっとセドリックが微笑んだ瞬間、冷風が吹き抜けて辺りの温度が下がった。シャーロットはロズモンドの袖を掴み、断固として言った。

「護衛ならここにいる!」
「ほぅ」

 冷風の吹き荒れる中、セドリックが楽しげな声を上げる。
 到着早々の緊迫感に、コーデリアはなるほど、と薄笑いを浮かべてしまった。もちろん楽しい笑いではなく、壮絶な面倒事の気配に笑うしかなくなっただけである。
 年齢的な釣り合いから見て、両国の王族であるシャーロットとセドリックは、内々に婚約が決まっていても不思議はない間柄だ。
 コーデリアが推し量るに、それをセドリックはまんざらでもなく受け止めているようだが、シャーロットは断固拒否している様子だ。
 そこには、ロズモンドも絡んでいるに違いない。

(兄様、とんでもないことに巻き込まれているみたいですが……。鈍い私にもわかりますよ、これは痴情のもつれですね……! セドリック様→シャーロット様→兄様ですね。どうなさるんですか……!)

 ロズモンドは、掴みかかってきたシャーロットを振り払うことはなく、その場にいる者全員に届く程度の淡々とした声で言った。

「事は一刻を争うかもしれませんし、迅速に解決できれば観光も帰国も思いのままです。国境を越えてきたのはこちらであり、馬車の紋章をはじめすべての状況が、目の前の方が不審人物などではないことを示しています。姫、ここは素直に協力を仰ぎましょう。姫様が同行してくださったことで、これ以上無い方の協力が得られるわけですから、感謝を申し上げる場面です」

 にこにことしたままのセドリックが、一言、「君は大変理性的だね」と言った。ロズモンドは目を逸らすことなく受け止めて「私には、殿下と争う理由がありませんので」としおらしく答えた。
 シャーロットは何か言いたげな顔でロズモンドを睨みつけていたが、ふっと視線をコーデリアに投げてきた。そして言った。

「せっかくここまで来たんだ。バートと連絡を取れるか、一度そのバングルで試してみるべきだ」

 もちろん、忘れていたわけではない。
 奥の手で失敗は許されないだけに、言い出すに言い出せないでじりじりと待っていたのだ。
 コーデリアは、ぱっと顔を輝かせて「わかりました!!」と返事をし、すぐさま集中するために目を閉ざす。
 バングルに魔力を通す感覚に身を任せると、対になるように細工したバートのバングルが反応した。
 ハッと目を見開き、バングルをした手首を顔の高さに持ち上げて「バート、バート!」と何度も名を呼ぶ。やがて、すっと魔力が通じた気配に、強く叫んだ。

「バート!! 起きてる!? この声が聞こえてる!? 返事ができるならお願い、答えて!!」

 少しの間を置いて、バングルが淡く発光する。

“コーデリア、聞こえてる! ありがとう!! 君の声が聞けて嬉しい!!”

 魔力の消耗が激しく、これ以上の通話はかなり厳しいと思いつつも、応答があったことに力を得てコーデリアはさらに叫ぶ。

「バート、無事なのね!? いま自分がどこにいるかわかる? 状況は!?」

 その場の全員が固唾を飲んで見守る中、コーデリアのバングルからバートの声が響いた。

“監禁されていて性的に危ない! 貞操が最高値で、あまり損のない陰謀に巻き込まれている!”

 魔力よりもむしろ精神の集中がかき乱されたせいか、通話はそこで一度途絶えてしまった。
 バートからもたらされた情報を各々精査しているのか、全員が沈黙。しん、と耳が痛いほどの静寂が訪れる。
 やがて、誰の口からか不思議そうな声がもれた。

「……え?」

 どことなく疲労を漂わせた顔のロズモンドが、コーデリアを見て言った。

「大丈夫そうだな、お前の婚約者。国に帰るか?」
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