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【3】先輩(鉄製)(可愛い)

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 二人の均衡が崩れてしまう出来事は、それから一ヶ月ほど後に起きた。

 酒に酔って前後不覚になった司を、噂の先輩殿が部屋に連れて帰ってきたのである。
「鍵開けて中に入るところまで見届けたら帰る」
 玄関方向から、生真面目そうな女性の声。
「すみません。もう帰ろうにも終電とかないと思うので。あの、俺はベランダで寝ていいですから。窓に鍵かけて川合さんは中でゆっくりしてください」
「そういうわけには」
「とりあえず、どうぞ。何もしませんから上がってください」
 押し問答の末に、司は先輩「川合さん」を部屋に引っ張ってきた。

(こ……、これは!! 可愛い……!!)

 年上の先輩(鉄製)と聞いて、想像していたのとはまったく違った。
 小さい。猫よりは大きいが、司と並ぶと鎖骨あたりまでしか身長がない。初夏というには暑い夜のせいか、服装は白のノースリーブワンピース。身頃部分はやや厚めの生地で、スカートはシフォン地のプリーツ。足元は薄いストッキング。
 白猫のような装いに気を取られてしまったが、髪はツヤツヤの黒のストレートで、顔は司より幼く見える童顔。手足や腰は細いのに胸のあたりはしっかりと布地を押し上げるほど膨らみが主張している。
 もし「可愛い」と言われるのが本人はトラウマレベルに嫌いなら気の毒としか言いようがないのだが、誉め言葉として言ってしまう側の気持ちもわからないではない。

「何か飲みますか。本当にすみません、こんなに酔うと思わなくて」
 司は指の長い大きな手で目元を覆って溜息をついている。
 川合さんは心配そうな顔で見上げながら「こっちこそごめんね」と言った。

「そこまでお酒に弱いと思わなくて。最初からアルコールNGって言っていれば良かった」
「いや、ああいう場ですし、そういうわけには」
 目元をおさえたまま、「すみません、顔洗ってきます」と司は浴室へと消えた。

(そういえば今日は取引先のワイン卸会社の試飲会に招かれているって言ってたっけ……。勉強のつもりで行けって声がかかったとか。部署的には関係ないだろうに、先輩は付き添いか……?)
 面倒を見るつもりでついていったら、司が潰れてしまって責任をもって部屋まで送り届けたというあたりか。

 手持無沙汰になったらしい川合先輩は、ローテーブル前にちょこんと正座する。プリーツスカートが動きに沿ってふわっと広がり、それを手で足に沿う程度に回収してから背筋を伸ばして動きを止める。
 身動きしないと、本当に人形のようだ。
 先輩はあまり酔っていないのか、色白の頬にほんのり赤みが差している程度。

 やがて、司がスーツ姿ではなく薄いTシャツにクロップド丈のパンツ姿で戻ってきた。

「お待たせしてすみません。顔洗おうとしたら思いっきり手元が狂って水を浴びてしまって、そのままシャワー済ませてきました。なんかこう、自分だけすみません」
「いえ。一ノ瀬君の家ですし、私に遠慮することはないと思います。大丈夫そうだったら帰ります」
「ええと……、川合さんの家がどこかは知らないんですけど、タクシー代、受け取って頂けますか」
「新入社員からお金を受け取る気はありません。今日は付き添いとして当然のことをしたまでなのでお気になさらず」
「それだと、ものすごく申し訳ないので。本当に俺のことはベランダに締めだしていいですから、朝までここにいて頂くことはできないでしょうか。あと数時間のことですし、明日は会社も休みなので……」
 司はローテーブル越しに、今にも土下座しかねないほど恐縮しきっている。
 正座してその様子を見ていた先輩は、困ったように唇に笑みを浮かべた。

(……!! おい、笑ってんぞ!!)
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