婚約者と猫とわたし

有沢真尋

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「ミリア嬢。今日も一段とお美しくていらっしゃる。あなたの美しさは、もちろん私の手柄ではありませんが、鼻が高いと言うかなんというか。本当に会うたびに嬉しいですし、俗っぽくて申し訳ないんですけど、はやく知り合いにも見せびらかしたいくらいなんです。あ、こんなこと言ったら嫌われてしまいそうですね」

 初顔合わせより数えて、三度目の面会。
 その日は子爵邸の庭の四阿で、デート。気を遣って屋敷の者も近づかない中、レナートはベンチにちょこんと座った白猫のダリアに饒舌に話しかけていた。

 にゃあ。

 ミリアと物心ついた頃から共に過ごしてきたダリアは、十歳を超えて落ち着きのある猫。機嫌良さそうに饒舌に話し続けるレナートに、きちんと返事をしている。
 なお、ミリアも四阿のベンチにダリアを挟んで座っていた。よって、もしこの場を目撃した者がいたなら、それは若い婚約者同士の初々しいデートに見えたことは間違いない。
 実際には、レナートはダリアだけを見つめていたし、ミリアはミリアで決してレナートを視界に入れないようにしていたのだが。

 二回目の顔合わせも、ミリアの部屋だった。その日はダリアがソファに座ってレナートを出迎え、ミリアは寝台の見える位置に腰掛けて婚約者と猫を見ていた。レナートはそのミリアをまったく気にすることもなく、ダリアに感じよく話しかけ、「お疲れになるといけませんので」ときりのよいところで引き上げていった。

(よもやよもやですけど……、本当に私が見えていない?)

 ならばと三回目は四阿にて待ち構えてみたのだが、結果はこの通り。
 レナートはダリアの白い毛並みを褒め称え、体調を気遣い、ついで最近読んだ本や街で耳にした話題を楽しげに話し始めた。
 それは引きこもりがちなミリアにとっては、興味深い内容ばかり。
 ダリアの相槌は気まぐれな「にゃあ」だけで、会話というよりは実質レナートが一人で話しているだけなのだが、「自分の話」をしている押し付けがましさがない。
 いつの間にか話に引き込まれて、ミリアは真剣に耳を傾けていた。

「そうだ、いま評判のパティスリーがあるんです。林檎のパイが甘酸っぱくてすばらしく美味しいんですよ。もしミリア嬢がお好きなら今度お持ちします。ぜひ一緒に食べましょう。いかがです?」

(林檎のパイ……。ダリアは食べないけれど。食べてみたい……)

 ミリアは、ダリアが「にゃあ」と返事をするのを待った。しかしこのときは、一向にその気配がない。
 風が吹いてあたりの草木がさやめき、光がきらめいて花が香った。
 麗しい午後のひととき。
 ダリアはやはり「にゃあ」と言わない。
 ちらりとうかがうと、レナートは気持ちよさそうに風に目を細めて、気長に待っている。

(ダリア、ダリア。林檎のパイ、食べたいです。にゃあと言ってください)

 念じた。残念ながら通じず、白猫ダリアは手をなめて顔を洗い始めた。
 これはもう林檎のパイは無理かな……とミリアが諦めそうになったとき、時間が巻き戻ったかのようにレナートが再び言った。

「私の好きなパティスリーがあるんですけど、林檎のパイが甘酸っぱくてすばらしく美味しいんですよ。もしミリア嬢がお好きなら今度お持ちします。ぜひ一緒に食べましょう。いかがです? ミリアさん?」 

 ミリアはレナートと反対側に顔をそむけて、一声鳴いた。猫の真似をして、にゃあ、と。

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