余命三ヶ月の令嬢と男娼と、悪魔

有沢真尋

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【番外編】

公爵邸執務室にて

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 この国で、女性が爵位や財産を相続するのが認められたのは、ちょうど一年前。
 これまでの慣習が覆る革新的な決定であり、どこの家でもひと悶着ならぬ揉め事はあるようだが、不可逆の流れとして、しっかりと根づいていくことが多くの国民によって期待されている。
 法改正に尽力した次期公爵たる公爵家の嫡子、及びその従者であるレスターも例に漏れず。

「さすがに三十年もあれば世の中変わるものだね」

 レスターの淹れたお茶で喉を潤しながら、執務机で相続絡みの新聞記事を読んでいた麗人が呟いた。
 艶やかな黒髪、炯々と輝く蒼の瞳に、清らかな美貌。身につけているシルクのシャツに仕立ての良いジャケットは紳士のもので、威風堂々たる振る舞いも男性的である。
 それでいて、伏せた睫毛の長さやすっと通った鼻筋、柔らかそうな頬のそこかしこに優雅な美しさがあり、ひと目見ただけでは女性とも男性とも判断がつかない。
 長い時間見つめていても、それは変わらない。
 まるで幻想のように、浮世離れした美。

 学生時代に出会ってからこの方、学友から主従へと形は変われど実に長い付き合いをしているレスターは、もちろん知っている。
 実際のところ、のひとが世間に対して何を隠し、何を欺いているか。
 書類の束を手に、レスターが相槌を打つ。

「三十年前にいまの形が実現していれば、あなたもそんな苦労を背負い込む必要はなかったでしょうね」

 かつては女性が跡目を継ぐなど考えられないことだった。男子が生まれればともかく、女性しか生まれぬ家でそれは非常に深刻な問題となって立ちはだかる。やむを得ず、生まれた子に生涯を通して性別を偽らせて当主の座に据えようと画策することもあったくらいだ。バレてしまえばもちろん、一族もろとも、大変な罪に問われ無事ではすまされない。
 たとえ状況が変われども、変わる前に歪められたものは今更どうにかなるものでもない。

 机に、レスターの影が落ちた。
 書類を置かれる前に、麗人はさっと机の上に新聞を広げる。

「まだお茶を飲んでいる。仕事は後だ」
「この程度ならすぐでしょう。片付けてからもう一度ゆっくりお茶を飲んでは?」
「良いことを思いついた。レスターが私の代わりに片付けておいてくれ。私の筆跡なんて見慣れたものだ、完璧なサインくらい書けるだろう?」
「公文書偽造のような悪事を勧められているように思いますが、構いませんよ。俺があなたに甘いのを知っての頼みでしょう。ご褒美は弾んでください」

 淡々とした受け答えながら、「ご褒美」にただならぬ圧がある。
 気づいた麗人は慌てて手を伸ばし、レスターの手から書類を奪い取ろうとしたが、かなわなかった。
 ふわっと浮かされて、指がむなしく宙をかく。椅子から立ち上がっても、書類はさらに上へ上へと逃げていく。
 圧倒的な身長差。及びそれに起因する腕や指の長さ、何もかもがいちいち違いすぎる。

「や、やっぱり自分でやる」

 届かぬ書類を見上げながら麗人が言うと、ふ、とレスターが笑った気配。
 むっとしながら麗人が目を向ければ、やはり唇に笑みが浮かんでいる。

「私に意地悪して楽しいか。主だぞ」
「楽しいですね。そうやって威張り散らしているあなたを見ると本当にもう、滅茶苦茶にしてやりたいほど可愛いですよ」
「レスター……」

 ひるんだように、麗人は軽く身を引く。
 良からぬ気配。
 距離をつめたりすることなどなく、レスターはその位置からじっと主を見つめ、さらに続けた。

「俺はあなたの命令には絶対服従なので、行けと言われればどこにでも行きますが、長い期間離れているのはさすがにこたえます。先日のメイナード伯爵邸の一件ですとか。あの件もまだご褒美を頂いていないんですが」
「給料は払ってるっ」
「足りません。現物支給分が」

 一切譲る様子もなくきっぱりと言い切られて、麗人ははっきりと顔に狼狽の色を浮かべた。

「だ…………って、レスターさ…………。して良いよ、って言うと凄いから。遠慮とか無くて……ほ、ほんとに食べられちゃうんじゃないかって」
「遠慮なんかしません。理性焼ききれそうな状態で何年我慢していると思っているんですか。それなのにあなたは次々厄介事に首をつっこんで俺に無茶振りしますし、そのうち潜入任務でちょっとどこぞのご令嬢と婚約でもしてきてくれなんて言い出しそうで」

 ただならぬ執念をうかがわせる小言を一身に浴びていた麗人が、そこでぱっと顔を上げた。

「あっ」
「『あ』? なんですかいまの」

 すかさずレスターが言い返したのを最後に、二人の間に不自然な沈黙が漂う。
 レスターは書類を机の上にどさ、と置いた。小言から解放されたと誤認した麗人は、ひょこひょこと椅子まで戻り「さーて仕事」とわざとらしいまでに明るく言う。
 その細い腰が、さっとレスターの腕にとらわれる。麗人はとっさに暴れようとしたが、どういう仕組みか力強い腕にがっちりとおさえこまれており、身動きすらできず。

「レスター、ごめんごめん、怒らないで聞いてね。たしかに近々そういう任務は考えていたんだけど」
「聞いていますけど、聞いた上でいますごく怒っています。あと、無駄な抵抗はやめてください。誰があなたに護身術を手ほどきしたと思っているんですか? 俺が武門の出なの忘れてませんか?」

 どこをとっても極めつけに行儀の良い執事スタイルのレスターの口から囁かれる凍てついた言葉に、ついに麗人はすべての抵抗を諦めた。
 足の先まで力の抜けた華奢な体は、レスターにしっかりと抱きしめられる。
 肩に顔をうずめながら、麗人は弱りきった声で告げた。

「じゃあいま考えているあの任務は、弟くんたちの誰かにお願いしよう……。レスターの弟たちはみんな武芸に長けてるんだよね」
「二番目以外は、末のアレンも含めてそうですね。二番目は武術というより魔術があるので……」

 わかった、とくぐもった声で答えてから、麗人は小さく付け加えた。
 そんなに現物支給が欲しいならいいよ、キスしても、と。

 骨がきしむほどに抱きしめられ、唇が奪われる。
 おとなしく身を任せた麗人は、(この男の本性は弟でさえ知らないだろうな)と胸の中で呟いていた。

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