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第四章 腹黒王子と付き合いの良い魔族たち
落ち込んでいる暇はない
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あら、という仕草を見た瞬間、身体が動いていた。
正直なところ「リュー」でも「ルー」でも口の動きはさして変わらないのだが、見極めている余裕はない。
とにかく「リュート」はまずいの一心だった。
大股に距離を詰めて、掌で口をふさぐ。肩を抱え込むような動きになってしまったが、それはそれで落ち着いてから謝ろう、と。まずは最悪の一言を阻止するのが先だった。
言葉を封じられたアンジェラに、問うような上目遣いを向けられて、ルーク・シルヴァは可能な限り穏当な笑みを浮かべて囁いた。
「ルーク・シルヴァだ」
(いまは「リュート」じゃない)
おそらく、彼女はそんなに勘は悪くない。察するはずだとの願いを込めて、そっと手を外す。
果たしてアンジェラは小さく頷くと、にこりと笑みを浮かべた。
「覚えてくださっていたのでしょうか、光栄です。魔導士様」
ほぼ完璧としか思えない宮廷女官の慎ましさで、そっと一歩後退する。
ひとまずの難は去った、とルーク・シルヴァは息を吐いた。だが、背後からがしっと腰に手を回され力強く捕縛されて顔をしかめた。
「ルーク・シルヴァ? 彼女はオレの勘違いでなければ王宮勤めの女官です。親しいんですか?」
「そういうわけでは」
「目を見て言えます?」
クロノスはルーク・シルヴァに身を寄せて、顔を見上げる。
「何を疑っているんだ?」
(なんで追及態勢に入っているんだ?)
ルーク・シルヴァが見返すと、目元をうっすらと朱に染めたクロノスがさらに笑みを深めた。
「まさか先日王宮に滞在した折に個人的に親しくなったとか、よもや手をつけたなんて言いませんよね?」
「そんなわけあるか。アンジェラにも失礼だぞそれは」
「名前を尋ねるくらいは会話したんですか。意外と……」
そこで、クロノスはふいっとアンジェラにも視線を送る。
一瞬、酔いがさめたかのような静謐の表情でアンジェラを見つめて、すぐににこっと笑いかけた。
「さて、どちらが積極的だったのかな」
「クロノス殿下。いい加減にしろ。つまらないことでよそに絡むな。絡むなら俺だけにしろ」
腰に巻き付いたクロノスの腕にすでに力はなく、脱力したように身体を預けられている。
酒が足にきているのかもしれない。
ルーク・シルヴァは腕をクロノスの背から腰に回して身体を支えた。
「歩けるのか?」
「歩けないって言ったら、運んでくれるんですか?」
「構わないが」
(むしろそのまま潰れてくれると大変助かる)
思いは届かず。
クロノスはルーク・シルヴァの腕を振り払うと、床を踏みしめて睨みつけてきた。もともとタレ目がちなのに、眠そうなので迫力はまったくなかったが。
「もう一軒行きます。歩けますから」
「そうか。ま、付き合うって言ったのは俺だからな」
(どのみち、それほどもたないだろう)
連れ立って店を出ようと踵を返してから、アンジェラに顔を向けた。
「変なところで会ったけど、何かあったのか?」
アンジェラは成り行きを見守っていたが、問われて「うーん」と微妙に考えるそぶりを見せた。
しかし、実にわざとらしい切り替えでぱっと笑みを浮かべた。
「休暇です。温泉に入りにきました」
(……? なんだ今の)
含むところがあった気がした。
合図らしい合図はなかったが、何かに気付かせようとしたように見えた。だがあまり親しく話してクロノスに詮索されたくはない。
「そうか。ごゆっくり。さっきは悪かったな」
(出会い頭にいきなり口封じして)
「気にしていません。思いがけずお会いできて嬉しかったです」
気を遣う必要もないのに、アンジェラは如才なく波風立たぬ答えを返してくる。
今度何かで埋め合わせしないと、と同僚らしいことを思案しつつ、ルーク・シルヴァは背を向けた。
そのとき、背後から強い視線を感じた。
(アンジェラ、まだ何か……?)
気にはなったが、ふらりとクロノスが踏み出したのを見て、あちらが優先だと判断を下して歩き出した。
* * *
「たいした話はしていないみたい、だよ……?」
魔法で音を拾うから落ち着いてね、と言い置いて耳を澄ませて三者の会話を追いかけ、ロイドは結果をクライスに伝えた。
「多分ルーク・シルヴァは、彼女に何か口留めした感じだね。クロノス王子に聞かれたくないことがあったのかな。クロノス王子は二人の関係を追及しようとしたみたいだけど、ルーク・シルヴァが流していた。彼女も余計なことは言わない感じだった」
「それって、ロイドさんの中では、たいした話には該当しないんですか?」
クライスの声が濡れている。
(うわー……。怒ってくれた方が楽だったなぁ)
いつの間にか椅子の上で膝を抱えて小さくなり、うなだれていた。もともと角の席で薄暗かったが、クライスの周りは特に闇が深い。瘴気すら漂っているように見える。
「そんなに落ち込むなら、追う?」
「追う……。追うのは師匠だけでお腹いっぱいです。今の服装で誰かに会うわけにはいかないし。第三王王子がいるなら、護衛についている近衛もその辺にいるかもしれない」
(変なところで冷静だなこの子)
「そもそもなんでクライスは普段、男になっているんだ?」
クライスは今にも泣きそうな目を、ちらりと店の出入り口に向けた。クロノスの足元がだいぶ怪しく歩みは遅かったが、二人はすでに出て行ってしまったところだった。
ぐ、と唇をかんで泣きそうな目で見送ってから、クライスは再び俯いた。
「僕が入隊した頃の規定では、近衛騎士になる条件が、『男性』に限られていたからです。でも僕の存在はおそらく、近いうちに隠し切れなくなるとアレクス王子もふんでいるようです。修行が終わって王宮に戻るタイミングで、明らかにするかもしれません。今はまだ」
膝を抱える腕に、力が込められている。何かに耐えるかのように声が震えている。
じっと見ていたロイドは言わずにはいられなかった。
「怒るか泣くかしたら? オレは怒る方がいいと思うけど。ルーク・シルヴァが不実なことをしているなら本人に確認しなよ。君は嫉妬深いんでしょ? 自分の妄想で中毒起こして修行どころじゃなくなるよ」
アンジェラが野外席の方に歩いて行ったのを目で追い、立ち上がると椅子の背にかけていた法衣をクライスに差し出す。何かあったら着込むつもりで持って来ていたのが幸いした。
「オレのだけど、それを着て。フードで顔を隠せばそれなりにごまかせる。あいつら足がふらふらだったから、今ならまだ追える。最悪、気付かれたらオレがなんとかするから」
クライスはぼんやりしつつも、身を隠す必要性は認識しているようで、ごそごそと椅子の上で法衣を着て、袖に腕を通した。体格があまり変わらないのが幸いし、違和感はない。ロイドは力強く頷いた。
「うん、いける。とにかく、君みたいにうるさい奴が黙って耐えようとするのは良くないよ。現にある感情を無いことになんかできないんだ」
袖口からのぞいたほっそりとした手首を掴んで立たせて、ロイドは落ち込み切った目をのぞきこんだ。
「自分の心を大事にしなよ。今は暴れていい時だ」
「ロイドさん……」
まだ何か言いたそうなクライスの肩を抱いて強引に歩かせる。
(この子、きっと立ち止まっちゃだめだ)
動きを止めたらそこから腐り落ちて死ぬ生き物だ。
手を引いて早足でテーブルの間をすり抜けながら、ロイドは遅れがちなクライスに肩越しに視線を投げた。
「大丈夫だよ。あいつは受け止められる男だ。そこはオレが保証する。だいたい、オレがついているのに、いつまでも君にそんな顔をさせておくわけにはいかない。追うよ」
強大なる元魔王を「お友達」と言い切る、誇り高き竜族の美女は、すでにして意識を研ぎ澄ませて立ち去った二人の気配を追いかけていた。
正直なところ「リュー」でも「ルー」でも口の動きはさして変わらないのだが、見極めている余裕はない。
とにかく「リュート」はまずいの一心だった。
大股に距離を詰めて、掌で口をふさぐ。肩を抱え込むような動きになってしまったが、それはそれで落ち着いてから謝ろう、と。まずは最悪の一言を阻止するのが先だった。
言葉を封じられたアンジェラに、問うような上目遣いを向けられて、ルーク・シルヴァは可能な限り穏当な笑みを浮かべて囁いた。
「ルーク・シルヴァだ」
(いまは「リュート」じゃない)
おそらく、彼女はそんなに勘は悪くない。察するはずだとの願いを込めて、そっと手を外す。
果たしてアンジェラは小さく頷くと、にこりと笑みを浮かべた。
「覚えてくださっていたのでしょうか、光栄です。魔導士様」
ほぼ完璧としか思えない宮廷女官の慎ましさで、そっと一歩後退する。
ひとまずの難は去った、とルーク・シルヴァは息を吐いた。だが、背後からがしっと腰に手を回され力強く捕縛されて顔をしかめた。
「ルーク・シルヴァ? 彼女はオレの勘違いでなければ王宮勤めの女官です。親しいんですか?」
「そういうわけでは」
「目を見て言えます?」
クロノスはルーク・シルヴァに身を寄せて、顔を見上げる。
「何を疑っているんだ?」
(なんで追及態勢に入っているんだ?)
ルーク・シルヴァが見返すと、目元をうっすらと朱に染めたクロノスがさらに笑みを深めた。
「まさか先日王宮に滞在した折に個人的に親しくなったとか、よもや手をつけたなんて言いませんよね?」
「そんなわけあるか。アンジェラにも失礼だぞそれは」
「名前を尋ねるくらいは会話したんですか。意外と……」
そこで、クロノスはふいっとアンジェラにも視線を送る。
一瞬、酔いがさめたかのような静謐の表情でアンジェラを見つめて、すぐににこっと笑いかけた。
「さて、どちらが積極的だったのかな」
「クロノス殿下。いい加減にしろ。つまらないことでよそに絡むな。絡むなら俺だけにしろ」
腰に巻き付いたクロノスの腕にすでに力はなく、脱力したように身体を預けられている。
酒が足にきているのかもしれない。
ルーク・シルヴァは腕をクロノスの背から腰に回して身体を支えた。
「歩けるのか?」
「歩けないって言ったら、運んでくれるんですか?」
「構わないが」
(むしろそのまま潰れてくれると大変助かる)
思いは届かず。
クロノスはルーク・シルヴァの腕を振り払うと、床を踏みしめて睨みつけてきた。もともとタレ目がちなのに、眠そうなので迫力はまったくなかったが。
「もう一軒行きます。歩けますから」
「そうか。ま、付き合うって言ったのは俺だからな」
(どのみち、それほどもたないだろう)
連れ立って店を出ようと踵を返してから、アンジェラに顔を向けた。
「変なところで会ったけど、何かあったのか?」
アンジェラは成り行きを見守っていたが、問われて「うーん」と微妙に考えるそぶりを見せた。
しかし、実にわざとらしい切り替えでぱっと笑みを浮かべた。
「休暇です。温泉に入りにきました」
(……? なんだ今の)
含むところがあった気がした。
合図らしい合図はなかったが、何かに気付かせようとしたように見えた。だがあまり親しく話してクロノスに詮索されたくはない。
「そうか。ごゆっくり。さっきは悪かったな」
(出会い頭にいきなり口封じして)
「気にしていません。思いがけずお会いできて嬉しかったです」
気を遣う必要もないのに、アンジェラは如才なく波風立たぬ答えを返してくる。
今度何かで埋め合わせしないと、と同僚らしいことを思案しつつ、ルーク・シルヴァは背を向けた。
そのとき、背後から強い視線を感じた。
(アンジェラ、まだ何か……?)
気にはなったが、ふらりとクロノスが踏み出したのを見て、あちらが優先だと判断を下して歩き出した。
* * *
「たいした話はしていないみたい、だよ……?」
魔法で音を拾うから落ち着いてね、と言い置いて耳を澄ませて三者の会話を追いかけ、ロイドは結果をクライスに伝えた。
「多分ルーク・シルヴァは、彼女に何か口留めした感じだね。クロノス王子に聞かれたくないことがあったのかな。クロノス王子は二人の関係を追及しようとしたみたいだけど、ルーク・シルヴァが流していた。彼女も余計なことは言わない感じだった」
「それって、ロイドさんの中では、たいした話には該当しないんですか?」
クライスの声が濡れている。
(うわー……。怒ってくれた方が楽だったなぁ)
いつの間にか椅子の上で膝を抱えて小さくなり、うなだれていた。もともと角の席で薄暗かったが、クライスの周りは特に闇が深い。瘴気すら漂っているように見える。
「そんなに落ち込むなら、追う?」
「追う……。追うのは師匠だけでお腹いっぱいです。今の服装で誰かに会うわけにはいかないし。第三王王子がいるなら、護衛についている近衛もその辺にいるかもしれない」
(変なところで冷静だなこの子)
「そもそもなんでクライスは普段、男になっているんだ?」
クライスは今にも泣きそうな目を、ちらりと店の出入り口に向けた。クロノスの足元がだいぶ怪しく歩みは遅かったが、二人はすでに出て行ってしまったところだった。
ぐ、と唇をかんで泣きそうな目で見送ってから、クライスは再び俯いた。
「僕が入隊した頃の規定では、近衛騎士になる条件が、『男性』に限られていたからです。でも僕の存在はおそらく、近いうちに隠し切れなくなるとアレクス王子もふんでいるようです。修行が終わって王宮に戻るタイミングで、明らかにするかもしれません。今はまだ」
膝を抱える腕に、力が込められている。何かに耐えるかのように声が震えている。
じっと見ていたロイドは言わずにはいられなかった。
「怒るか泣くかしたら? オレは怒る方がいいと思うけど。ルーク・シルヴァが不実なことをしているなら本人に確認しなよ。君は嫉妬深いんでしょ? 自分の妄想で中毒起こして修行どころじゃなくなるよ」
アンジェラが野外席の方に歩いて行ったのを目で追い、立ち上がると椅子の背にかけていた法衣をクライスに差し出す。何かあったら着込むつもりで持って来ていたのが幸いした。
「オレのだけど、それを着て。フードで顔を隠せばそれなりにごまかせる。あいつら足がふらふらだったから、今ならまだ追える。最悪、気付かれたらオレがなんとかするから」
クライスはぼんやりしつつも、身を隠す必要性は認識しているようで、ごそごそと椅子の上で法衣を着て、袖に腕を通した。体格があまり変わらないのが幸いし、違和感はない。ロイドは力強く頷いた。
「うん、いける。とにかく、君みたいにうるさい奴が黙って耐えようとするのは良くないよ。現にある感情を無いことになんかできないんだ」
袖口からのぞいたほっそりとした手首を掴んで立たせて、ロイドは落ち込み切った目をのぞきこんだ。
「自分の心を大事にしなよ。今は暴れていい時だ」
「ロイドさん……」
まだ何か言いたそうなクライスの肩を抱いて強引に歩かせる。
(この子、きっと立ち止まっちゃだめだ)
動きを止めたらそこから腐り落ちて死ぬ生き物だ。
手を引いて早足でテーブルの間をすり抜けながら、ロイドは遅れがちなクライスに肩越しに視線を投げた。
「大丈夫だよ。あいつは受け止められる男だ。そこはオレが保証する。だいたい、オレがついているのに、いつまでも君にそんな顔をさせておくわけにはいかない。追うよ」
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