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「不倫相手の夫と握手した男だ、どうも」
カルス侯爵と名乗った男性は、軽口を叩きながら私に微笑みかけてきた。
すらっと背が高く、艶のある金髪に同色の口ひげが目を引く。肌は浅黒く灼けていて、炯々と光る瞳は紫色。差し出された手を握るべきかどうか、私が悩んでいるうちに苦笑いとともに引っ込めてしまった。
それから、ついでのように私に付き添っていた父に向き直ると、改めて手を差し出す。
「僕と握手する?」
「寝ぼけているのか」
父の対応は、至ってシンプルに塩だった。
侯爵は口の端を吊り上げて笑い、暖炉のそばに置いてあったミニテーブルの上のガラス瓶を手にする。グラスに琥珀色の液体を注いで、父に差し出した。
歓待らしき仕草だったが、父は銀色の眉をしかめただけで「話が先だ」とすげなく断った。横に立つ私を一瞥することもなく、侯爵をまっすぐに見る。
「娘だ。この年齢まで我が家で育てた。立派なものだろう、感謝のセリフなら無限に受け付けている」
「ああ、もう感無量だ。生まれたての赤子時代以来だからなぁ。ちょっと同一人物とは思えないくらい成長している」
「当たり前だ。君は本当にいつまでたっても変わらないな。その緊迫感の無さ」
「だよね。だから君も握手しちゃったんだよね。顔に『おいおい、ありえないだろ』てはっきり書いていたのに、彼女を挟んでベッドの両側からしっかりと……」
「だまれ」
とんでもない会話を繰り広げている相手が何者か、もちろん私は気づいている。
つまりこれは、ひとりの女性を巡る不倫劇の末、伝説の「産褥の床で握手した件」の男性二人。私の書類上の父と血縁の父の対面シーンだ。
ところは、侯爵の屋敷。父が一緒だったので私に不安はなかったが、はてさてどうして自分がここに呼ばれたのか。
血縁の父である侯爵は、咳払いをして私を見た。そして、言った。
「いま咳したときに、血でもぶはっと吐けたらいろいろと説明が省けたんだけど。なかなかそうも劇的にはいかないらしいので最初から話す。僕はあまり先が長くないらしいんだ。病気でね」
血がぶはっ……に気を取られた上に(いえいえ、握手の件だけで私たち子ども世代においてもあなたは十分劇的な存在です)と私の思考はさまよいかけたが、そういうわけにはいかない。
神妙に耳を傾けていると、侯爵はのんびりとした話しぶりで続けた。
「当家では跡継ぎの問題が急浮上している。ところで僕は、自分のただひとりの娘がこの世で生きていることを知っている。もっとも信頼のおける人物が手塩にかけて育ててくれていることも。そこで僕はそのひとにお願いしたわけだ。娘さんをくださいって。そうしたら、ここまで君を連れてきてくれたわけだ」
「お父様」
私は「どういうことですか」の意味で書類上の父を呼んだが、返事は「なんだ」と「そうだよ!」と二人分で、軽く目眩がした。
私が絶句していても、侯爵は紫色の瞳を輝かせて次の言葉を待っている。
胸を手でおさえて、私はおそるおそる尋ねた。
「他にお子様は?」
「それが、いないんだ。僕の妻は十五年以上前に儚くなったただひとり」
ンンッと私は咳払いでその言葉を遮ろうとした。妻とは。間男の身で、それはさすがに図々しすぎはしないかと。
しかし、父の態度は落ち着いたものだった。
「実は、彼女の死が避けられないとわかってから、私たちは離縁している。そして、彼女はこの男と正式に結婚して妻となっている。書類の上ではお前は、侯爵家の娘だ」
「そんなまさか」
今まで聞いていた話と違うと、私は焦って父に詰め寄った。父は表情を微塵も動かすことなく淡々と説明してくれた。
「この男が、自分は生涯彼女以外愛さないし、家督は娘に譲ると請け合ったので、それならとお前にすべてもらうことにしたんだ。いままで教育は十分施してきたと自負している。これからは遠慮なく女侯爵を名乗りなさい」
「侯爵を名乗るのは僕の死後まで待ってもらうことになるけど……」
侯爵が小声で口を挟んできたが、父は相手にする様子もない。先程受け取らなかったグラスにようやく手を伸ばし、一息に酒をあおった。
「なぜ……、それならばなぜ、私をもっと小さな頃に追い出さなかったんですか。行き先があったのなら、それこそ何年も手元で育てなくても……。私は、私だけはあの家で赤の他人だったんです。家族では……」
胸にこみ上げてくる感情があって、舌がもつれる。「家族ではない」という事実を口にするのは、わかっていてもこたえるのだった。
事実はどうあれ、家族のように扱ってもらっていた。
あまりお酒に強くない父は、グラス一杯の酒で早くもうっすらと頬を染めていた。私とは目を合わせずに、ぼそぼそと答えた。
「生まれた子どもに罪があるとは考えていない。アンネはお前に辛くあたることはなかったし、マリウスはお前に懐いていた。無理に家族の形を壊す必要はないと思っていた……。だが、それはそれとして、もらえるものはもらっておいた方が良い。この家の財産を受け継ぐのはお前の正統な権利だ。そこの男が死ぬまで、学べるものは学んで、悔いなく見送りなさい」
言われた内容が頭に染み込んできても、私はなんと言って良いかわからずに乾いた唇を震わせるだけだった。
果たして実の父と育ての父、どちらに育ててもらうのが良かったのか、それは今更わかるものではない。
それでも、選べるなら私はいまのあり方を選んでいただろう。そう思えるくらいに、あの家で過ごした日々はかけがえのないものだった。
「この日のために、二人は握手したんですか……?」
私は間の抜けた問いかけしかできず、父には「そんなわけあるか」とすげなく返されてしまう。
血縁の父の方は、妙に嬉しそうに「あれは彼女が死ぬかと思っていたから、僕たちもそれ以外にないって。ここで殴り合ったら彼女が悲しむ、その一心だったよね」と言った。
彼の緊迫感のないセリフは聞くに耐えないとばかりに、うるさそうに顔をそらしながら父は私に問いかけてきた。
「どうする? 決まりでいいか? こちらの家に入るということになれば、正式にお前は他人となる。しばらくは社交界でも噂にされるだろうが、どんな噂もそのうち関心が薄れるのは私は身をもって知っている、恐れることはない」
(他人……。義母ともマリウスとも、父とも……)
胸は痛んだが、「姉弟は他人のはじまり」と今日自分は口にしたのだ。その通りになっただけ。
私は「異存はありません」と答えて、頭を垂れた。それ以上、うまく話すことができなかった。
* * *
カルス侯爵と名乗った男性は、軽口を叩きながら私に微笑みかけてきた。
すらっと背が高く、艶のある金髪に同色の口ひげが目を引く。肌は浅黒く灼けていて、炯々と光る瞳は紫色。差し出された手を握るべきかどうか、私が悩んでいるうちに苦笑いとともに引っ込めてしまった。
それから、ついでのように私に付き添っていた父に向き直ると、改めて手を差し出す。
「僕と握手する?」
「寝ぼけているのか」
父の対応は、至ってシンプルに塩だった。
侯爵は口の端を吊り上げて笑い、暖炉のそばに置いてあったミニテーブルの上のガラス瓶を手にする。グラスに琥珀色の液体を注いで、父に差し出した。
歓待らしき仕草だったが、父は銀色の眉をしかめただけで「話が先だ」とすげなく断った。横に立つ私を一瞥することもなく、侯爵をまっすぐに見る。
「娘だ。この年齢まで我が家で育てた。立派なものだろう、感謝のセリフなら無限に受け付けている」
「ああ、もう感無量だ。生まれたての赤子時代以来だからなぁ。ちょっと同一人物とは思えないくらい成長している」
「当たり前だ。君は本当にいつまでたっても変わらないな。その緊迫感の無さ」
「だよね。だから君も握手しちゃったんだよね。顔に『おいおい、ありえないだろ』てはっきり書いていたのに、彼女を挟んでベッドの両側からしっかりと……」
「だまれ」
とんでもない会話を繰り広げている相手が何者か、もちろん私は気づいている。
つまりこれは、ひとりの女性を巡る不倫劇の末、伝説の「産褥の床で握手した件」の男性二人。私の書類上の父と血縁の父の対面シーンだ。
ところは、侯爵の屋敷。父が一緒だったので私に不安はなかったが、はてさてどうして自分がここに呼ばれたのか。
血縁の父である侯爵は、咳払いをして私を見た。そして、言った。
「いま咳したときに、血でもぶはっと吐けたらいろいろと説明が省けたんだけど。なかなかそうも劇的にはいかないらしいので最初から話す。僕はあまり先が長くないらしいんだ。病気でね」
血がぶはっ……に気を取られた上に(いえいえ、握手の件だけで私たち子ども世代においてもあなたは十分劇的な存在です)と私の思考はさまよいかけたが、そういうわけにはいかない。
神妙に耳を傾けていると、侯爵はのんびりとした話しぶりで続けた。
「当家では跡継ぎの問題が急浮上している。ところで僕は、自分のただひとりの娘がこの世で生きていることを知っている。もっとも信頼のおける人物が手塩にかけて育ててくれていることも。そこで僕はそのひとにお願いしたわけだ。娘さんをくださいって。そうしたら、ここまで君を連れてきてくれたわけだ」
「お父様」
私は「どういうことですか」の意味で書類上の父を呼んだが、返事は「なんだ」と「そうだよ!」と二人分で、軽く目眩がした。
私が絶句していても、侯爵は紫色の瞳を輝かせて次の言葉を待っている。
胸を手でおさえて、私はおそるおそる尋ねた。
「他にお子様は?」
「それが、いないんだ。僕の妻は十五年以上前に儚くなったただひとり」
ンンッと私は咳払いでその言葉を遮ろうとした。妻とは。間男の身で、それはさすがに図々しすぎはしないかと。
しかし、父の態度は落ち着いたものだった。
「実は、彼女の死が避けられないとわかってから、私たちは離縁している。そして、彼女はこの男と正式に結婚して妻となっている。書類の上ではお前は、侯爵家の娘だ」
「そんなまさか」
今まで聞いていた話と違うと、私は焦って父に詰め寄った。父は表情を微塵も動かすことなく淡々と説明してくれた。
「この男が、自分は生涯彼女以外愛さないし、家督は娘に譲ると請け合ったので、それならとお前にすべてもらうことにしたんだ。いままで教育は十分施してきたと自負している。これからは遠慮なく女侯爵を名乗りなさい」
「侯爵を名乗るのは僕の死後まで待ってもらうことになるけど……」
侯爵が小声で口を挟んできたが、父は相手にする様子もない。先程受け取らなかったグラスにようやく手を伸ばし、一息に酒をあおった。
「なぜ……、それならばなぜ、私をもっと小さな頃に追い出さなかったんですか。行き先があったのなら、それこそ何年も手元で育てなくても……。私は、私だけはあの家で赤の他人だったんです。家族では……」
胸にこみ上げてくる感情があって、舌がもつれる。「家族ではない」という事実を口にするのは、わかっていてもこたえるのだった。
事実はどうあれ、家族のように扱ってもらっていた。
あまりお酒に強くない父は、グラス一杯の酒で早くもうっすらと頬を染めていた。私とは目を合わせずに、ぼそぼそと答えた。
「生まれた子どもに罪があるとは考えていない。アンネはお前に辛くあたることはなかったし、マリウスはお前に懐いていた。無理に家族の形を壊す必要はないと思っていた……。だが、それはそれとして、もらえるものはもらっておいた方が良い。この家の財産を受け継ぐのはお前の正統な権利だ。そこの男が死ぬまで、学べるものは学んで、悔いなく見送りなさい」
言われた内容が頭に染み込んできても、私はなんと言って良いかわからずに乾いた唇を震わせるだけだった。
果たして実の父と育ての父、どちらに育ててもらうのが良かったのか、それは今更わかるものではない。
それでも、選べるなら私はいまのあり方を選んでいただろう。そう思えるくらいに、あの家で過ごした日々はかけがえのないものだった。
「この日のために、二人は握手したんですか……?」
私は間の抜けた問いかけしかできず、父には「そんなわけあるか」とすげなく返されてしまう。
血縁の父の方は、妙に嬉しそうに「あれは彼女が死ぬかと思っていたから、僕たちもそれ以外にないって。ここで殴り合ったら彼女が悲しむ、その一心だったよね」と言った。
彼の緊迫感のないセリフは聞くに耐えないとばかりに、うるさそうに顔をそらしながら父は私に問いかけてきた。
「どうする? 決まりでいいか? こちらの家に入るということになれば、正式にお前は他人となる。しばらくは社交界でも噂にされるだろうが、どんな噂もそのうち関心が薄れるのは私は身をもって知っている、恐れることはない」
(他人……。義母ともマリウスとも、父とも……)
胸は痛んだが、「姉弟は他人のはじまり」と今日自分は口にしたのだ。その通りになっただけ。
私は「異存はありません」と答えて、頭を垂れた。それ以上、うまく話すことができなかった。
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