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第一章
一話 三度目のキャンセル。その日、私は荷物をまとめた
私は部屋に戻り、クローゼットを確認した。
実家から持ってきたドレスや普段着用のワンピースを無遠慮に掴み、旅行鞄に放り込む。
それから日記や日用品も、次々に入れていった。
あらかた詰め終えるころには、不思議と気持ちは落ち着いていた。
これで、いつでも出ていける。
私は、イリス・シュタール。
シュタール男爵家の娘だ。
婚約して四年になる婚約者がいる。
ディートリッヒ・ヴァルデンベルク。
同い年の二十三歳。
彼の両親は五年前、馬車の事故で他界した。
それをきっかけに、ヴァルデンベルク伯爵家は急速に傾き、没落寸前まで追い込まれた。
さらに、当時の彼の婚約者──エレノア・ブランシェット公爵令嬢が、一方的に婚約を解消した。
ディートリッヒとは、貴族学院の同級生だった。
内気で、友だちもいなかった私が、男子にからかわれていたとき、彼は、割って入ってくれた。
「くだらないことをするな」
それだけだった。
けれど、その一言で、私の世界は変わった。
好きだった。
彼を助けたいがために、婚約を申し出た。
だが、返事は拒絶だった。
伯爵家を狙う野心家だと思われたのだろう。
そこで私は、資金援助は無償で行うと告げた。
ただひとつだけ、伯爵家が立ち直るまで、対外的な「婚約者」として扱ってほしいと、そう願った。
あのとき、ディートリッヒは私をじっと見つめていた。
青い瞳は冷たく、感情を探るように細められていた。
「……随分と、都合のいい話だな」
胸が、ちくりと痛んだ。
「分かっています。ですが、私は伯爵家の威光が欲しいわけではありません。実家の名誉のためでもありません」
本当の理由も言えなかった。
言えば拒絶される。
「あなたが立ち直るまで、支えたいだけです」
そう言うのが、私の精一杯だった。
ディートリッヒは短く息を吐き、視線を逸らした。
「……結局は政略か」
諦めたような声。
「今の俺には、選り好みする余裕はない。……分かった。契約を交わそう」
その瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
喜びと同時に、はっきりと分かってしまったのだ。
──これは、あくまで対外的な『婚約』で、彼の瞳に私は映らないと……。
それでも私は微笑んだ。
この婚約が、彼を救うと信じたから。
そして伯爵家は立ち直った。
比例するようにディートリッヒの態度も軟化し──
「君がいなければ立て直せなかった」と、微笑んでくれた。
一年前。
私の献身が彼の心を動かし、ディートリッヒから「愛してる。結婚しよう」と、プロポーズの言葉、そして彼の瞳の色と同じ、青い宝石が施された指輪を贈られた。
結婚してくれるとは思っていなかったので、心の底から喜んだ。
ようやく私を見てくれた。そう思った。
なのに──。
私は、『三度目の結婚式キャンセル』という、貴族令嬢としての辱しめを受けた。
しかも、その事実を知ったのは、彼の口からではない。
王都で最も格式の高いドレスショップ。
一度目の結婚式で作ったウエディングドレスのお直しを相談しに行った、その時だった。
「挙式のご予約は、すでにキャンセルされております」
正式に。
数日前に。
私に、何も告げられないまま。
一度目のキャンセル。
元婚約者のエレノアが、他国の王子との婚約を破棄されて帰国したからだった。
「あまりのショックに、心を病んでいる」
「側で慰めてやりたい」
「結婚はいつでもできる」
そう言われた。
二度目は、エレノアの自殺未遂。
「彼女を刺激したくない」
「少し時間をくれ」
私は泣きながら懇願した。
それでも、彼は折れなかった。
「今回が最後だ。誓うよ」
二度目のキャンセルのとき、そう言った。
それなのに、三度目……。
理由すら、私は知らされていなかった。
私の真心が彼の心を動かしたと信じていた。
でも結局は『野心のある女』としか見ていなかった。
疲れた……。
ディートリッヒ、人には限界があるの。
もう、終わりにするわ。
あなたの前から消える。
その瞳に、私の姿が二度と映らないように。
実家から持ってきたドレスや普段着用のワンピースを無遠慮に掴み、旅行鞄に放り込む。
それから日記や日用品も、次々に入れていった。
あらかた詰め終えるころには、不思議と気持ちは落ち着いていた。
これで、いつでも出ていける。
私は、イリス・シュタール。
シュタール男爵家の娘だ。
婚約して四年になる婚約者がいる。
ディートリッヒ・ヴァルデンベルク。
同い年の二十三歳。
彼の両親は五年前、馬車の事故で他界した。
それをきっかけに、ヴァルデンベルク伯爵家は急速に傾き、没落寸前まで追い込まれた。
さらに、当時の彼の婚約者──エレノア・ブランシェット公爵令嬢が、一方的に婚約を解消した。
ディートリッヒとは、貴族学院の同級生だった。
内気で、友だちもいなかった私が、男子にからかわれていたとき、彼は、割って入ってくれた。
「くだらないことをするな」
それだけだった。
けれど、その一言で、私の世界は変わった。
好きだった。
彼を助けたいがために、婚約を申し出た。
だが、返事は拒絶だった。
伯爵家を狙う野心家だと思われたのだろう。
そこで私は、資金援助は無償で行うと告げた。
ただひとつだけ、伯爵家が立ち直るまで、対外的な「婚約者」として扱ってほしいと、そう願った。
あのとき、ディートリッヒは私をじっと見つめていた。
青い瞳は冷たく、感情を探るように細められていた。
「……随分と、都合のいい話だな」
胸が、ちくりと痛んだ。
「分かっています。ですが、私は伯爵家の威光が欲しいわけではありません。実家の名誉のためでもありません」
本当の理由も言えなかった。
言えば拒絶される。
「あなたが立ち直るまで、支えたいだけです」
そう言うのが、私の精一杯だった。
ディートリッヒは短く息を吐き、視線を逸らした。
「……結局は政略か」
諦めたような声。
「今の俺には、選り好みする余裕はない。……分かった。契約を交わそう」
その瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
喜びと同時に、はっきりと分かってしまったのだ。
──これは、あくまで対外的な『婚約』で、彼の瞳に私は映らないと……。
それでも私は微笑んだ。
この婚約が、彼を救うと信じたから。
そして伯爵家は立ち直った。
比例するようにディートリッヒの態度も軟化し──
「君がいなければ立て直せなかった」と、微笑んでくれた。
一年前。
私の献身が彼の心を動かし、ディートリッヒから「愛してる。結婚しよう」と、プロポーズの言葉、そして彼の瞳の色と同じ、青い宝石が施された指輪を贈られた。
結婚してくれるとは思っていなかったので、心の底から喜んだ。
ようやく私を見てくれた。そう思った。
なのに──。
私は、『三度目の結婚式キャンセル』という、貴族令嬢としての辱しめを受けた。
しかも、その事実を知ったのは、彼の口からではない。
王都で最も格式の高いドレスショップ。
一度目の結婚式で作ったウエディングドレスのお直しを相談しに行った、その時だった。
「挙式のご予約は、すでにキャンセルされております」
正式に。
数日前に。
私に、何も告げられないまま。
一度目のキャンセル。
元婚約者のエレノアが、他国の王子との婚約を破棄されて帰国したからだった。
「あまりのショックに、心を病んでいる」
「側で慰めてやりたい」
「結婚はいつでもできる」
そう言われた。
二度目は、エレノアの自殺未遂。
「彼女を刺激したくない」
「少し時間をくれ」
私は泣きながら懇願した。
それでも、彼は折れなかった。
「今回が最後だ。誓うよ」
二度目のキャンセルのとき、そう言った。
それなのに、三度目……。
理由すら、私は知らされていなかった。
私の真心が彼の心を動かしたと信じていた。
でも結局は『野心のある女』としか見ていなかった。
疲れた……。
ディートリッヒ、人には限界があるの。
もう、終わりにするわ。
あなたの前から消える。
その瞳に、私の姿が二度と映らないように。
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