尽くしてきた婚約者に裏切られたので、婚約を解消しました〜彼が愛に気づいたのは、すべてを失ったあとでした〜

ともどーも

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第二章

二十七話 押しかけた元婚約者

 目を覚ましたとき、窓の外はすっかり朝だった。
「……あれ」
 私はゆっくり顔を上げた。
 どうやらベッドの脇に突っ伏したまま眠ってしまっていたらしい。
 肩にふわりとした感触があった。
 
 毛布だ。

 自分で掛けた覚えはない。
 ベッドを見る。
 クロード様はいない。
 代わりに、テーブルの上に小さな紙が置いてあった。

『王宮へ行く。看病ありがとう』
 
 短い一文。
 思わず、ふっと笑みが漏れた。
「……やっぱり」
 毛布をぎゅっと握る。
 
 こういうところが、好きだった。
 優しくて、さりげなくて。
 押しつけがましくない。
 ──本当に、ずるい人だ。
 
 胸の奥がほんのり温かくなったとき。
 コンコン、と扉が叩かれた。
「イリス、起きてる?」
 キャメロットの声だった。
「はい」
 扉が開く。
 
 キャメロットは腕を組みながら部屋を見回した。
「兄さん、もう行ったのね」
「王宮へ行ったみたいです」
 キャメロットは小さく頷く。
「クーデターの後処理よ。騎士団は朝から大騒ぎ」
 そして、さらりと続けた。
「王太子派はほぼ鎮圧。主犯格は拘束されたわ」
 私は胸を撫で下ろした。
「よかった……」
 
「でも兄さんは無茶してるわね」
 キャメロットがため息をつく。
「矢を受けたばっかりなのに王宮へ直行」
 私の胸がぎゅっと締まる。
「……フィリオ殿下も?」
「もちろん」
 キャメロットは肩をすくめた。
「王族だもの。逃げられないわ」
 私は窓の外を見た。
 王都はもう動き始めている。
 フィリオ殿下も、クロード様も……
 
 そのときだった。
 屋敷が騒がしくなる。
 廊下を走る足音。
 慌てた声。
 
「……何?」
 キャメロットが眉をひそめた。
 すぐに使用人が部屋に駆け込んできた。
「キャメロット様、イリス様……!」
 青い顔をしている。
「どうしたの?」
「その……」
 使用人は言いにくそうに口を開いた。
 
「イリス様の……その……婚約者を名乗る……男性が」
 
 思わず固まってしまった。
「門の前で騒いでおりまして。公爵家が権力を傘に他国の令嬢を軟禁していると」
「は?」
 キャメロットの声が低くなる。
「イリス様に会わせないと国際問題にすると大声で……」

 使用人の話では、あまりの事態にガルディオ様が客間に通したらしい。
 
「……」
 言葉が出ない。 
 同じポルトリア王国の人間として、ただただ恥ずかしい。
「分かりました。行きます」
「私も行く」
 キャメロットが即答した。
 そして私たちは客間へ向かった。

  
 ◇◇◇

  
 客間の空気は重かった。
 ディートリッヒとガルディオ様が向かい合って座っている。
 完全に睨み合いだった。

「イリス!」
 私が部屋に入ると、ディートリッヒが立ち上がり、駆け寄ろうとする。
 
 だが──
 キャメロットが一歩前に出て、行く手を塞ぐ。
「無礼ですよ。距離を取りなさい」
 ディートリッヒの眉がぴくりと動く。
「……邪魔だ」
「あなたがね」
 キャメロットと睨み合うディートリッヒ。
 
 私は一歩前に出る。
「ヴァルデンベルク様」
 真っ直ぐ見た。
「恥ずかしい真似はやめてください」
「……」
「門前で騒ぐなど、祖国の名を汚さないでいただきたい」
 ディートリッヒの顔が歪む。 
「イリス……」

 ディートリッヒが何か言おうとしたとき、私の後ろから執事が声をかけてきた。
「旦那様。王宮からの使いが」
 ガルディオ様は眉を動かし、私たちをじっと見て「わかった」と席を立った。

「少し席を外す。話なら座って行ってはどうかな?女性を立たせたままにするのは、紳士の行いではない」
 ガルディオ様は冷たい視線をディートリッヒに向けて言った。そして、キャメロットと視線を交わし、そのまま部屋を出ていった。

 私は無言でソファーに座り、キャメロットは私の横に立った。
 なぜかディートリッヒは私の隣に座ろうとしたが、キャメロットが阻止してくれて助かった。
 
「迎えに来た」
 彼は開口一番に言った。
「こんなクーデターが起こるような国に、君を置いておけない。一緒に帰ろう」
「帰りません」
 ディートリッヒは笑った。
「遠慮するな。俺たちは婚約者同士だろう」
「違います」

 当然と言わんばかりの口調に、ぞっとする。

「私たちの婚約はすでに解消されています」
「俺は認めてない」
「書類は正式に受領されています」
「そんなもの、俺たちの運命には些末なことだ」
「キモっ」
 キャメロットの呟きが聞こえる。
「……話になりませんね」

 話が噛み合わない。
 こんなふうに、話が通じない人じゃなかったのに。
 
「怒っているんだな」
 突然箱を取り出す。
「機嫌を直してくれ」
 
 中には指輪。
 ネックレス。
 宝石。
 
「婚約指輪も新しく作った」
 以前の物より一回り大きい宝石がついている。
「ほら」
 どうして──
「戻ろう」
 今さら──
「結婚しよう」
  
「嫌です」
 
 ディートリッヒの笑みが止まる。 
「結婚式を三回も潰した男と」
 驚くほど低い声を発した。
「やり直すほど、私は馬鹿じゃない」
 
 沈黙。
 
 ディートリッヒは穏やかな顔で言った。
「エレノアは切ったし、友人も捨てた」
 まるで報告のような口調だった。
「お前を苦しめたやつらは、もういないんだ」
 その声には──
「全部片付けておいた」
 どこか誇らしさすら混じっていた。

 だから何だというの。
 
「私を一番苦しめたのは、あなたです」
「それは悪かったと思ってる。だから──」
 真剣な顔で言ってくる。

「今度はお前を優先する。誓うよ」
『今回が最後だ。誓うよ』

 同じ声。同じ顔つき。
 以前の言葉とダブって聞こえた。
 あの頃の感情が蘇り、怒りが抑えきれない。
 
「いい加減にして!」
 
 客間に声が響く。キャメロットは驚いたのか、ドアの方へ顔を背ける。
「あなたと帰るつもりも、やり直すつもりもない!帰って!」
 ディートリッヒは耳を疑うような顔をした。
「……なるほど」
 そして笑った。
 
「洗脳されているんだな」
 
 はあ?
 
「悪い男に騙されて、俺の愛が分からなくなったんだな。かわいそうなイリス」
 ディートリッヒは優しく言う。
 しかし、その目は異様だった。
「安心しろ、イリス」
 ディートリッヒは優しく言った。
「お前は何も考えなくていい」
 微笑む。
「全部、俺が決めてやる」
 手が伸びてくる。
 あまりの不気味さに、身体が動かない。
「お前は、俺の言うことを聞いていればいいんだ」
 
 ──その瞬間。
 
「やめろ」
 低い声だった。
 ディートリッヒの腕が止まる。
 誰かが──その腕を掴んでいた。
 それは、クロード様だった。
 
 クロード様の手に力が入る。
 ディートリッヒの顔色が変わった。
「彼女に指図するな」
 視線がディートリッヒを射抜く。
「彼女は、お前の所有物じゃない」
 静かな声だった。
 それなのに、ひどく冷たかった。
「イリスに触るな」
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