尽くしてきた婚約者に裏切られたので、婚約を解消しました〜彼が愛に気づいたのは、すべてを失ったあとでした〜

ともどーも

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第二章

二十八話 元婚約者と騎士の対峙

「イリスに触るな」
 客間の空気が凍る。
 クロード様が、こんな声を出すなんて。 
 こんな目をするなんて。
 私は息をするのも忘れていた。
 
 ディートリッヒは一瞬だけ押し黙ったが、すぐに口元を歪めた。
「……なるほど」
 腕を掴まれたまま、こちらを見ずに言う。
「これが噂の男か」
 クロード様は何も答えない。 
 ただ、その手を離さなかった。
 
「他人が口を出すことじゃないだろう」 
 ディートリッヒの声は、妙に落ち着いていた。
「これは俺とイリスの問題だ」
 
 キャメロットが鼻で笑う。
「部外者は誰だか」
 
 クロード様の声が低い。
「関係ある」
 短い言葉だった。
 
「彼女が嫌がっている」
 
 ディートリッヒの眉がぴくりと動く。
「……女は感情的だ」 
 彼は吐き捨てるように言った。 
「怒っているときは、まともな判断ができない。だから俺が導く必要がある」
 
 ぞっとした。
 ディートリッヒは、本気だ。 
 
「イリスは優しい」 
 私を見て、言う。
「人を疑えない。だから騙される」 
 ゆっくりとクロード様へ視線を向ける。 
「だから俺が守るんだ」 
 一拍置いて、はっきりと。 
「イリスは俺から離れられない」
 
 その瞬間。
「それは守ると言わない」
 クロード様の声が落ちた。
 静かだった。 
 けれど、はっきりと怒りが滲んでいる。
 
「……何?」
「それは支配だ」
 ディートリッヒの顔が強張る。
 クロード様は続けた。
 
「お前は、彼女を愛していない」
 
 ディートリッヒの目が見開かれる。
「何だと?」
「愛しているなら」 
 クロード様は低く言った。 
 
「彼女の意思を奪うな」
 
 その一言が、深く響いた。
 ディートリッヒは喉の奥で笑った。
 そして、捕まれた腕を振り払う。
「笑わせるな」 
 今度は露骨にクロード様を睨む。 
「お前こそ何なんだ。ぽっと出のくせに。俺の女に手を出しやがって」
 客間の空気が張り詰める。
 
 クロード様の放つ雰囲気が一層冷たくなった。
「彼女は誰のものでもない」
 低い声。
 
「彼女の人生は、彼女のものだ」
 
 その言葉に、鼓動が大きく跳ねた。
 
「お前が決めることじゃない」
 
 ディートリッヒは唇を引きつらせる。
「は?」 
 笑う。 
「イリスは俺を愛している」
 私は息を吸った。
 
 ここで黙っていてはいけない。 
 このままにしておけない。
 
「……愛していません」
 
 自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。
 客間が静まり返る。
 ディートリッヒが、ゆっくりとこちらを向く。
 
「……何だって?」
「愛していました」 
 もう一度、言う。 
「でも、それは過去の話です」
 
 ディートリッヒの顔から血の気が引いた。
「嘘だ」
「嘘ではありません」
「嘘だ!」 
 今度ははっきりと声を荒げた。 
「お前は俺を愛してる。そういう女だ」
 私は首を振る。
 
「違います」
「違わない!」
「違います」
 
 ディートリッヒの目が揺れる。 
 だが、すぐに歪んだ。
 
「あなたは」 
 私はまっすぐ彼を見た。 
「私を愛していたんじゃありません」 
 喉が痛む。 
 でも、止まれない。 
 
「自分の都合のいいように、そばに置いておきたかっただけです」
 
「違う」
「違いません」
「俺はお前のために──」
「違います!」
 
 今度は私が、彼の言葉を断ち切った。
 ずっと飲み込んできた言葉が、ようやく口をついて出た。
「あなたの行動は、私のためじゃない。いつだって、自分のためでした。私が悲しんでも、傷ついても、待っていて当然だと思っていた」 
 まっすぐ、彼に伝えた。
 
「それを愛とは言いません」
 
 ディートリッヒの唇が震えた。
「……イリス」
「もうやめてください」
 
 そのときだった。
 扉が開いた。
「そこまでだ」
 
 ガルディオ様だった。 
 その後ろには、王宮の使者らしき男が立っている。
 ガルディオ様は客間の空気を一目で把握したように、わずかに眉をひそめた。 
 だが何も言わず、ディートリッヒを見た。
 
「ヴァルデンベルク伯爵。あなたに緊急の伝達が届いている」
 ディートリッヒは苛立った顔で振り返る。
「何だ」
「ポルトリア王国より」
 ガルディオ様は淡々と言った。
 
「ヴァルデンベルク伯爵領の鉱山で事故が発生」 

 一瞬、耳を疑った。
「死傷者が出ている」
 空気が変わった。
 私も、キャメロットも言葉を失った。
 ディートリッヒの表情が固まる。
「至急帰国せよ、との命令だ」
 
 沈黙が落ちた。
 だが次の瞬間、ディートリッヒは鼻で笑った。
 
「死んだのは労働者だろ。そんなものはグスタフに任せてある」
 平然と言う。
「現場監督だ。処理はできる」
 そして、再び私を見る。
「俺はイリスを連れて帰るまで戻らない」
 客間が凍りついた。
 
 ガルディオ様は、ゆっくり頷く。
「そうか」
 静かな声だった。
「では、その旨をポルトリア王国へ伝えよう」
 ディートリッヒの眉が動く。
「王命を無視した、と」
 一拍置いて、ガルディオ様は冷たく言った。
「その結果、何が起きるかはわからないが、領地民には同情する」
 ディートリッヒの顔が歪んだ。
「……くっ」
 初めて、追い詰められたような顔をした。
 それでも、最後に私を睨む。
 
「イリス」
 低い声。
「また迎えに来る」
 笑った。
「それまでに荷物をまとめておけ」
 背中に冷たいものが走った。
 
 クロード様が私の横に立った。
 私をディートリッヒから守るように。
「帰れ」
 低く、鋭い声だった。
「お前の領地が呼んでいる」
 ディートリッヒはクロード様を睨みつける。 
 けれど、何も言い返せない。
 そして最後に、私へ執着のこもった目を向けた。
 
「どうせ最後は、俺のところに戻る」
 
 そう言い残し。 
 ディートリッヒは客間を出ていった。
 
 扉が閉まる。
 ようやく、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
 けれど、私の足はまだ震えていた。
 無意識に握りしめていた手が、小さく震える。
 
「……イリス」
 顔を上げる。
 クロード様が、しゃがんで視線を合わせてこちらを見ていた。
 さっきまでの冷たい怒りは消えている。 
 代わりにあるのは、痛いほどの心配だった。
 
「怖かったか」
 張り詰めていたものが、ふっとほどける。
 私は少し迷って──
「……少しだけ」
 そう答えた。
 
 クロード様の目が、わずかに伏せられる。
「……遅かった」
「え?」
「俺が、もっと早く出るべきだった」
 低い声。 
 悔しさを押し殺したような響きだった。
 その言葉に、思考が止まった。
 
「違います」 
 私は慌てて首を振った。 
「クロード様は……」 
「いや」 
 静かに遮られる。 
「君が嫌な思いをした」 
 拳が、強く握られる。 
「それだけで充分遅い」
 クロード様は唇を引き結んだ。
 何かを堪えるように。

 彼の姿を見た瞬間、肩の力が抜けた。
 もう、怖くない。
 クロード様が、そこにいたから。

 ──けれど、このときの私はまだ知らなかった。ディートリッヒが、ここで引き下がる男性ではないことを。
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