霊感(パイ)コメトリー・オブ・ザ・デッド

リチャード裕輝

文字の大きさ
1 / 19

第1話:限りなくBに近いA、あるいは不条理な鎮魂

しおりを挟む
探偵は胸を揉む:『霊感(パイ)コメトリー・オブ・ザ・デッド』

第1話:限りなくBに近いA、あるいは不条理な鎮魂

第1章:廃病院と未確認の特異点

午前二時半。
『旧・飯島総合病院』の三階廊下は、結露が天井から滴るほどの湿気に満ち、
カビと腐敗臭が五感に粘りつく。この悪臭と陰鬱な気配こそが、
この場所が「強力な残留情動の貯蔵庫」である証だった。

「ひっ、うぅ……帰ろう、ユウキくん。もう限界だよ、この匂い……」

ミステリー作家兼探偵の久我奏太は、恐怖と吐き気で膝を震わせていた。

相棒の大学生ユウキはいつも通り妙に優雅な口調で言う。

「工事業者が続々と戦線離脱してるんですから、放置できませんよ。医療モールに改装する計画、頓挫寸前です」

久我は目を潤ませながら叫ぶ。

「それは知ってる!でも、なんで僕らなんだよ!」

「簡単ですよ」
ユウキはニコリと笑った。

「ここで起きてる怪異は“女性の霊”が中心と判断されてます。それに干渉できるのは――」

親指が迷いなく、久我の右手を指した。

「霊体の胸部だけ触れる男、久我奏太以外にはいない」

「やめろその説明!!」
久我は顔を真っ赤にする。

「依頼主の常務が言ってましたよ。『安くて確実な除霊を頼む』って。つまり、予算の都合で我々が来たんです!」

「安いのかよ僕らの命!!」

だがユウキは表情一つ変えずに続けた。

「久我さんの“呪われた右手”――霊的波動の集中する胸部に限定して干渉可能という事実。これが、今回の依頼の核心的な実験フェーズですよ」

ユウキは、まるで美術品の鑑定でもするかのように優雅な動作で、片目の特殊暗視装置(ゴーストサイト)のダイヤルを調整している。このサイトは、霊体の微細なエネルギー波動を低周波の残像として捉えることができた。

「我々が今ここにいるのは、霊体そのものの『物理的干渉可能性』を検証するためです。久我さんの『呪われた手』以外に、このデータの核を解析し、真の鎮魂を完了させる術はない」

ユウキは冷静に続ける。

「久我さんの能力は、霊的波動の集中する部位、つまり『女性の胸部』にのみ、限定的な接触が可能であるとされています。しかし、これはあくまで推論。霊体そのものに触れた例は過去に存在しない。今回、貴方が霊体の『情動の核』に触れることができるかどうか。それは、オカルト探偵史上初の試みとなるわけです」

久我は激しく抗議する。

「だから! 触れるかどうかも分からない幽霊の胸に、僕の手が干渉するなんて、誰が保証できるんだ!? もし触れなかったら、そのまま霊体に取り憑かれて終わりじゃないか!」

彼の全身の皮膚は粟立っていたが、霊の姿は全く見えない。この「触れる部位の限定」と「視覚の欠如」こそが、久我に課せられた、あまりに不条理な呪いだった。

ズズズ……ズリュ……。

湿った雑巾を引きずるような、粘着質な不快音。久我の直感は、それが「殺意」の塊であることを告げていた。

「ヒィッ! ユウキくん、来た! 強い冷気の塊がこっちに来てる!」

ユウキはスコープ越しにターゲットの軌道を捉え、指示を出す。

「久我さん、ターゲットは今、貴方から見て真正面です。廊下の天井に貼り付いていますが、間もなく降下しますよ。恐怖を、探究心に変えてください」

殺意のベクトルが真上から降下してくるのを感じ、久我はもはやパニック状態で、右手を突き出した。

「うわあああああ! 触る、触らない以前の問題だァァ!!」

第2章:まさかの誤爆と、不条理な感触

「久我さん。右手を、ターゲットの情動の核へ」

ユウキの冷徹な声が、久我の理性を上書きする。突き出した右手が、吸い込まれるように虚空へと伸びた。

バシィッ!!

乾いた打音が響いた。 久我の右手は、冷たい、しかし硬質な「何か」を鷲掴みにしていた。

「……ぐわぁ!?」

久我は目を見開く。見えない。だが、信じられないことに、確かに触れている。

「な、なんだこれ! 硬いぞ! 霊体じゃないのか!? しかし読み取れない!」

恐怖の中、指先に意識を集中させるが、情動の残滓は一切流れ込んではこない。ただ冷たく、滑らかな感触だけがある。

「ユウキくぅーん! 何だこれぇ! どうやら胸みたいだが、硬くてツルツルしてる! 何の情動も流れてこないぞ!」

久我は懐中電灯の光をそちらに向け、恐る恐る目を凝らす。

暗闇に浮かび上がったのは、眼球のない、無表情な女性の顔。そしてその胸部には、内臓がリアルに描かれたプラスチックのパネルがあった。

「ひ、ひぎゃああああん! 女性用人体模型ィィ!?」

久我は激しく震えながら、すぐさま右手を離した。

「失礼。スコープの微調整に僅かな誤差が出たようです。ターゲットは模型の隣。さあ、久我さん、ターゲットが接近しています。貴方の背後、二メートルの地点です」

「な、後ろだと!?」

久我は飛び上がり、再び前に向かって手を突き出した。

「ユウキくん、右手を前に! どこにいるんだ!」

ユウキはスコープでターゲットの位置を測定し、指示を出す。

「そのままです。少しだけ右。はい、もう少しです。そのままの体勢で、前に四十五度、手を伸ばしてください」

久我は泣きながら、ユウキの指示通りに、見えない空間を探索する。右、少し前、四十五度……。

むにゅ、ぐにゅ。

乾いた打音ではない。水に指を沈めたような、湿った、しかし確かな弾力を持った何かを、久我の右手は鷲掴みにしていた。

「……ひっ!?」

久我は目を見開く。見えない。だが、信じられないことに、今度は確かに掴んでいる。

「ゆ、ユウキくん! 今度こそ触れた! 冷たい! だけど、さっきの模型とは全然違う感触だ! 人間の、皮膚の、奥にある……!」

久我は感触に戸惑いながら、実験の成功と、その不条理な感触に戦慄した。

「……すごい柔らかいぞ……嘘だろ……」

ユウキはタブレットに解析画面を表示させながら、久我の独り言を聞き逃さなかった。

「おや、久我さん。解析前から非常に高い評価ですね。やはり貴方の右手の干渉は、霊体の『情動の核』に集中するよう調整されている。そして干渉部位は、胸部に限定されている。霊力学的に極めて興味深い」

久我はハッと我に返り、顔を青くした。

「ち、違う! 今のは、その、解析のための初期評価だ! 貴様は録音するな! なにが霊力学だ、変なこと言うな!」

恐怖と混乱の中、久我は掴んだ感触のある部分から指を横にずらしてみた。

「……スカ。何も触れない。やっぱり胸だけだ! 幽霊なのに!」

久我は観念した。再び右手を、確かな感触のある部分に深く集中させる。

もにゅ。くにゅん。

その瞬間、久我の頭の中に、甲高く、悲鳴のような女性の声が直接響いた。

『ア……アッ……ちょ、待っ……そんな、激シク……そこ、ダメェッ♥』

「し、静かに! 今、読み取っているんだ!」

ユウキは久我の独り言を聞きながら、冷静にタイマーを起動した。

第3章:限りなくBに近いAという奇跡

解析が進み、久我は霊と直接対話した。

『ヤメて! 私の胸を揉むな! 気持ち悪い!』 「うるさい! 早く未練を吐き出せ! 僕だって好きでこんなことしてるんじゃない!」 『わ、分かったわよ……! 私は……私は恥ずかしかったの……!』

久我はカッと目を見開いた。

「見えた……!!」

久我はパッと手を離し、尻餅をついたまま後ずさった。 冷たい気配が和らぎ、代わりに、心底恥ずかしがっている情動の波動だけが久我を包む。

「……ユウキくん、分かったよ。彼女がここに留まっている理由が。そして、我々の鎮魂の目的が、何であるかも」

ユウキは神妙な面持ちでタブレットにメモを取る。

「彼女は、この病院の医療事務員だった。翌日の合コンのために、勤務後の休憩室で『奇跡の盛りブラ』を試着中に心臓が停止した。未練は、『この職場で、盛りブラ姿の自分が死体として発見されるのが、死ぬほど恥ずかしかった』という一点だ」

久我は優しく、見えない霊に語りかけた。

「安心してください。僕が触れた感触……僕の『右手』は嘘をつかない」 『ホント?』 「ああ。僕が保証する。貴女の胸は、パットやワイヤーで虚飾されたものより、遥かに繊細で、美しい弾力だった」 『……!』 「限りなくBに近いAだ。それは、貴女が誇っていいサイズだ」

『う、嘘でも嬉しい……ありがとう、変態の探偵さん……』

久我の頭の中から霊の声が消え、同時に冷たい気配が急激に薄れていった。

エピローグ:蘇生と現行犯

「おや、情動が完全に消失しましたね。鎮魂成功です、久我さん。そして、貴方の『物理干渉可能性』の仮説も見事に証明された」 「やった……! 助かったぁ……」

久我は安堵のあまりへたり込む。 しかし、霊の気配が完全に消えた直後――。

ドクンッ!!

強烈な心音が響き、廃墟の床を振動させた。

「……え?」

久我の視界に、生身の女性が倒れていた。血色が戻り、止まっていた心臓が力強く鼓動を再開している。

「ぶはっ!!! げほっ、げほっ!!」

女性は猛烈な勢いで咳き込み、空気を吸い込んだ。

ユウキは冷静に女性の脈を測り、スコープを外した。

「久我さん、やりましたね! 貴方の熱情的なマッサージと魂の肯定がショックを与え、まさかの蘇生に成功したようです!」 「そんなバカな! 僕は『触れるか不明な霊体』に触れていたんだ! 生身の女性に触ったんじゃない!」

女性は上半身を起こし、久我を見た。

「あの……さっきの言葉……ホントですか? 私、このままでもイケますか?」

久我は引きつった笑顔で後ずさる。

「え、あ、いや、それは……」

「責任……取ってくださいね? 探偵さん♥」

ユウキは久我の肩を叩き、満面の笑みを浮かべた。

「おめでとうございます、久我さん。人命救助です。同時に、現行犯でもありますが、これで残留思念は消えましたので、依頼は完了です」 「依頼は完了だけど僕の人生は未完了だ! 逃げるぞ!」

廃病院の廊下を、心臓蘇生した女性に追いかけられ、慇懃無礼な相棒に笑われる久我奏太の悲鳴がこだました。

今回の事件、これにて(物理的に)解決である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

熟女教師に何度も迫られて…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
二度と味わえない体験をした実話中心のショート・ショート集です

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

処理中です...