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6・俺の、水蓮
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しおりを挟む『もしもし、お疲れ様です』
「おつかれ、終わった?」
『はい、今車に乗ったところで…どちらに向かいましょうか』
電話の声は普段より音が籠っていて、車用のハンズフリーに接続していることが分かった。
「んー、それなんだけど、俺んちにする?それか消毒とか持ってないから水蓮の家にするか?」
『あー…消毒は不要かと思いますが…そうですね…うちに、いらっしゃいますか』
「うん、そうしよう…俺もハンズフリーに変えるわ」
俺はスマートフォンを手にエンジンを掛け、助手席の上へそれをポンと投げる。
『もしもし』
「あぁごめん、車で行くけど駐車場あるのかな」
『大丈夫ですよ、ご案内します』
「ん、分かった…しかし……笹目フロア長、昼間の会話は面白かったね」
『…嫌ですわ、あんなことを人前で』
「ごめん、その方がフロア長は嬉しいんだと思って」
『役職で呼ばないで下さいって…もう…常盤フロア長の悪趣味』
君にだけは言われたくないね、そう言い返せば彼女は走行音の中に「ふふ」と笑っていた。
仕事終わりはどうしてもまだ心身がフロア長のままでいけない。彼女を役職で呼ぶのは半分はお遊びだがもう半分は素で間違えてしまっているからだ。
だがこれが逆で仕事中に「水蓮」と呼んでしまう方が大事だ、だからプライベートに少し仕事のエッセンスが入るくらいは微笑ましいハプニング程度で済ませたい。
「…笹目フロア長、今夜…俺は何をしに君の家に行くんだろうね」
『……届いたというアレを…ピアスを、お届けして頂くためですわ』
「うん…どこのピアス?」
『え、あの…胸、乳首、ですわ』
多少は狼狽えているか、手元を誤られると困るがすんなり彼女は応えてくれた。
「エンジン音で聞こえないなぁー…笹目フロア長?」
『ち、く、び、ですわ』
「フロア長ー?音声途切れたかな、もしもーし?」
『っ…拓朗さま!乳首、私の乳首に着けるピアス、ですわ…』
「運転中に『乳首、乳首』っていやらしいね」
『いじわる…』
あぁ今のその顔を見てみたいな。
着いてからにすれば良かったかな、思いの外スイスイ進んだ俺は5分ほどでここらで一番の高さを誇るマンションの敷地内へと車を入れる。
「水蓮、今ゲートを入ったよ」
大型ショッピングモールと市の催事ホールの隣に位置する高級マンション、ここの最上階ともなると元の持ち主であるひぃ様の正体が気になるところではある。
彼女はひぃ様…笹目聖氏を複数マンションの大家・オーナーだと言っていたが一代でここまで稼いだのか土地持ちだったのか。いずれにしても不労所得だけで不自由無く暮らせそうで…正直羨ましい。
『立体駐車場へどうぞ』
「ん、分かった…そこからフロントかな?」
『はい、駐車場連絡口でお待ちしてます』
まるで商業ビルだな、道幅も充分な駐車場はこのマンションに相応しい高級車ばかりが停められていた。
ちなみにだが、俺の車は国産メーカーの普通のセダンだ。乗り易くて気に入っているので特に僻みはしない。
教えてもらった番号の位置へ停めれば隣には彼女の軽自動車がちょこんと置いてあり、そのパステルピンクが灰色のコンクリートと黒色の大型車の中で一際キュートに輝いて見えた。
「水蓮!」
「拓朗さん、いらっしゃいませ」
「おつかれ…すごいとこだな」
「築年数はそれなりですわ…こちらへどうぞ」
20年も住んでいれば慣れるし傷みなども出てくるものかな、それでもひび割れは上手に補修してあるし古さを感じさせないよう管理が行き届いている。
うちの築10年のマンションより余程綺麗そうだ。
そして実際に部屋へ入れてもらえばテレビの中でしか見たことのないような世界が広がっていた。
「……夜景すごいな…由比ヶ浜まで見えるんじゃないの?」
「天気が良ければ…でも慣れますわ…あっちが駅、こちらが海側で」
「カーテンとか無いのか」
「ここだけはブラインドで。寝室などは付けてます…ご飯にいたしましょう、あり合わせのものですが」
「手料理?」
「一応…お口に合えば良いのですが」
彼女は冷蔵庫から庶民的な保存容器をふたつみっつ取り出してレンジへ入れる。
そして炊飯器の蓋を開けて男物の茶碗へよそい、位置的に上座へと置いて
「こちらへどうぞ」
と案内してくれた。
「…ありがとう」
「新しい食器ですので気になさらないで下さいね」
「あ、そう…」
ひぃ様の茶碗で食べたくないと薄っすら思っていたのが伝わったのかな、しかし家具やキッチンだけを見ればひぃ様の面影などは特に感じない。
まだ没後半年と少しだから残してあるものもあるだろう。ご主人様の痕跡をそうあっさり処分しきれるはずもないし、そこに嫉妬するのは違う気がするが…それにしても男が住んでいた気配が消えている。
「肉じゃがと、ビーフシチュー、スパゲティサラダ…要るだけ取って下さい、数日分の残り物なので統一感が無くて恥ずかしいです…」
「美味そう…良いね。…いただきます」
容器の中のじゃがいもはホロホロに溶けて砕けて、汁に混じり肉に絡んでいた。
小皿に取ってそのまま白米へ載せる、口へ運ぶ間に数粒米が脱落したが到達した飯のその美味いこと、
「水蓮、美味いな!」
と声を上げれば彼女ははにかんでビーフシチューを深皿へ移す。
「1回作れば数日楽しめますから、煮物は好きなんです」
「上手だな…手慣れてるんだな」
「ビーフシチューは市販のルゥですわ」
「わざわざ作るってのが偉い、って話だよ…俺は作らないもん」
「ふふっ、恐れ入ります」
きっとひぃ様も何度も舌鼓を打ったに違いない、そしてこの味は2人が作り上げてきた味なんだろうと…美味しくも少々切なさも感じた。
それを察してか知らずか、食後に彼女は「特別ですよ」と冷凍庫から高級カップアイスを取り出してひとつ俺にくれる。
「たまにの贅沢アイスです」
「ありがとう」
「拓朗さんの初訪問に乾杯ですわ」
「ああ」
リビングから街の夜景を見下ろしてアイスをひと口、芳醇なショコラの香りの口付けをひとつ。
鼻に抜ける抹茶をお返しして、まるで下界を見守る神様にでもなった気分で俺たちは唇を喰み合った。
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