上 下
17 / 87
4章…お慕いしております

16

しおりを挟む

「ご馳走さまでした…あの、ありがとうございます」

食後、車に乗って私は奢っていただいた礼を改めてきちんとお伝えした。

「良いよ、予定が狂って申し訳なかった」

「いえ、何を食べるかではなく、どう食べるかですわ。つくづく今日はそう思いました…普段はひとりの食事が多いものですから」

「…こんなんで良ければ…また連れて来てあげるよ…」

「まぁ、良いんですか?嬉しい…お優しいんですのね、和臣かずおみさん…絶対ですわよ、ふふ」

 社交辞令になんてさせない、素直に喜んで見せるのが純な彼には効果覿面てきめんだろう。

「喜び過ぎだよ……家に戻ろうか」

 カッチカッチとウィンカーが鳴る、それより速いテンポで鼓動は高鳴ってらっしゃるかしら…それだとやり易くてありがたい。


 こちらからの好意は伝わっているはずだ。

 少なくとも一緒に食事をするには適した相手であることは分かってもらえただろう。

 そして和臣さんも私を嫌ってはないはず、美味しそうに米を掻き込む私を丼に隠れて覗いてらしたから間違い無いはずだ。

 ぼんやり通じ合った恋心、学生さんならさらに月日を重ねて濃くしていくのが楽しいのだろうけど…私たちは大人なのだから他の確認方法を取っても良いのではなかろうか。

 例えば私がもうひと押し、「まだ…帰りたくありませんわ」とでも言ってうつむけばドライブは長引いて目的地も変わる。

 他の観光地でも良い、昼間だけれどホテルだって良い。

 もう良い大人だ、奥手でも言葉の意味は分かるだろう。


「…あの、和臣さん」

「なに」

「その……私まだ、帰りたくありませんわ…」

 さぁどうする、さながら恋愛ゲームの攻略対象を落とすが如し緊張感とワクワク感。

 しかし和臣さんはハンドルを切ってコンビニの駐車場へと停車した。


「……?」

「…あの、浦船うらふねさん」

「はい、」

「……君は…その、僕を揶揄からかっているのか」

「はい?」

「僕は、彼女なんかいたことも無い、勉強とヨコハマ応援にしか興味の無い男だ。君みたいな…その、適齢の女性と交流したことが無いから…セオリーが分からないんだ、言葉をそのままにしか理解できん。何を…含みがあるのか、僕の勘違いならそれでも良いが期待して突き落とされるのはショックが大きい。その…」


 可愛らしい方、私は率直にそう思った。

 やはり奥手なのだ、明らかな好意を示してあげねば踏み出せないらしい。

 私はシフトレバーに置かれた彼の左手に両手を載せて、

「和臣さん、揶揄ってません。言葉足らずで申し訳ありません…その、私、和臣さんのことを…お慕い申しております」

と瞳を潤ませる。

「……いや、出逢ったばかりだろう」

「普段から伸夫のぶお先生は和臣さんのことを褒めていらして、素敵な方なのだろうと人知れず懸想けそうしておりました。私も今回の帰省にお供できるとあって楽しみでしたし…実際にお会いして、この気持ちがより大きくなりました」

 シミュレーション通りといえばそうなのだが明らかに私は走り過ぎている、長年の準備が身を結ぶその瞬間を前にして気がはやっている。

 もっと慎重に着実に進めなければならないのにこれでは阿婆擦あばずれだと思われてしまう。

 なのに嘘の中のほんの少しの真実が私を彼との時間を惜しがらせた。

「そう、なのか」

「…お優しいし、お仕事も真面目に取り組んでいらして…好き、ですわ」

「……あ、あの、」

「良いんですの、和臣さん…会って2日の私を好きになって欲しいなんて恥知らずなことは言えません。ましてや私はいずれ部下になる身ですから…恋人になりたいなんて烏滸おこがましいことは…言えません…ただ…滅多にお会いできませんもの、たった1回でも、忘れられない思い出を作れたら…私、幸せだなぁなんて…」

 指で和臣さんの手の甲をつるつるとなぞる、親指の関節の上をぐりぐり押しているとウツボカズラにハマったみたいに私の手が捕まった。
しおりを挟む

処理中です...