受話器の向こうに、恋。—君の声は、重くて甘い—

茜琉ぴーたん

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 3分ほどすると、ホールに真澄が駆け足で戻って来た。その手にはシェーバーが2箱、抱えられている。
「お、待たせしました、すみません、売り場で話が止まってて…」
「いえいえ、仕事納めでお忙しいでしょうから」
「伝票切りますので、もう少々お待ちを」
「はい」

 真澄はベストのファスナーをちぃっと下げて、首に掛けてあるホルダーの中の社員証をレジのICスキャン部分にかざす。社員証はこうしたスキャン作業があるため、引っ張ればびよんと伸びる巻き取りリールタイプのホルダーを使う人も多い。菫もそういった物を自費で購入して使っている。しかし真澄は会社から支給される備品のホルダーを使っているのだろう、紐が伸びないために首を前に出して体ごとスキャナーに近付いた。
 その前のめりになる首の動きと仕草が色っぽくて、菫は一瞬だけ眺めてすぐに目を逸らす。
「(意識し過ぎ、相手の思うツボだよ)」
 ピッ、ピッ、と電子音が鳴る間、菫は難しい顔で真澄の背中を睨んでいた。

「(丁寧な物言いだな…ゆったりしてて、落ち着く感じ…好みだなぁ…)」
一方の真澄は、菫の気など知らずに彼女の声色に想いを馳せていた。
 仕事柄、丁寧な言葉は慣れているが、人間性などは語間に滲み出ると知っている。口ばかり飾り立てても、適当さや投げやり感はそこはかと匂うものだ。
 菫の穏やかな話し方には、真澄の望む理想の女性像があるように思われた。要は好み、なのだ。
 万人が自分と同じ感性だとは思わないが、真澄にとって菫は今のところ最上の淑女だった。大人しそうで控えめで、しかし同業だからそれだけでないことは何となく分かる。人慣れしていないと小売店勤務は厳しいし、事務とはいえ売り場経験はあるはずなのだ。
 真澄は店頭に立つ菫がどのように接客していたのだろう、なんてつい考えてしまった。

「……お待たせしました、持って行って下さい」
作業が終わり、真澄は伝票をそれぞれの箱に貼り付けて菫へと差し出す。
 この前とは渡す方と渡される方が逆だな、お互いに同じ事を思っていた。
「…ありがとうございます」
「いいえ、連携が取れてなくてすみませんでした」
「……」
今日は世間話はしないのだろうか、箱を受け取った菫は少しばかり名残惜しさを感じる。
 勤務時間中だから無駄話はしていられない、しかし数分の交流で店舗間の絆が強化されるのならば…ただの同期から顔見知り同期にステップアップしても良い気がした。
 しかし。
「……」
「……」
「…二宮さん、」
動けずにいる菫より先に、真澄は行動を起こした。
 カチャカチャと社員証をベストに仕舞い込んで、キュっとファスナーを上げる。
 そして菫をしっかりと見つめ、
「色々と、失礼なことを言ってすみませんでした。素敵だと感じたのでそのままお伝えしてしまいましたけど…知らない奴に言われるの、気持ち悪かったですよね。もう言いませんから…今まで通り仕事をして頂けると助かります」
とこれまでの非礼を詫びた。
 先日の本店訪問以来、真澄もそれなりに苦悩していたのだ。軽はずみに身体的特徴をいじってしまったこと、聞かれてもないのに個人の主観を述べてしまったこと。後で思い出して「ああぁ訴えられる」と青くなったし、今後の仕事のしづらさを想像してがっくりした。勤務中に我を出すなんてらしくない、どうしてあんなに浮ついてしまったのかが自身でも理解できていない。
 菫の声がタイプ、見た目は特に拘らないものの可愛らしくてタイプになりそう、性根は未知だが口汚く罵る系の女性ではなさそうか。密かに想いを馳せていたご本人登場に、真澄は頭も心もやられてしまっている。
 しかしそれも一方的な押し付けなので、菫からすれば不愉快だったと自覚している。真澄は胸のドキドキを心地良く感じながらも、繋がりかけた関係を切ってしまうことにした。

「……はい…」
立腹してないのに謝罪されて、菫は返す言葉が見つからない。
 声に関する指摘をハラスメントに感じるかは相手次第なのだが、真澄のそれは嫌がらせには感じなかった。もちろん不躾で不用意な言及だとは思ったが、褒められて純粋に嬉しかった。
 実際に会ってみて、真澄は爽やかな好青年で好感度は上がった。ならもし真澄がギトギト脂の肥満体だったら、指名手配犯の様な悪人顔だったら、どうだったろうか。それでも、電話越しに受けていた印象は覆らなかったと菫は思うのだ。距離無しの不気味さを強く感じていたら見た目も悪印象に傾いたかもしれない、しかし話し方の調子などから真澄の人柄に好感が持てていたから変わらなかった。
 どんな本性か分からない、だから知りたい…菫はむずむずと口を揺らしてついに開く。
「あの…お、驚きはしたんですけど、そんなに嫌な感じは無いので謝らないで下さい。私、この声が昔からコンプレックスで…色々イジられたりして来たんです。だから、牧野まぎのさんがわざわざ声について言うのもそういうイジりかと思って警戒してたんです。でも…そういうのとは違って、褒めて頂いて…う、嬉しかったです」
「…そうでしたか」
「はい…で、電話を通すと、声って低く聞こえるじゃないですか、だから男性に間違われることとかあって…でも落ち着いてるとか…ポジティブな受け止め方をしてもらって…嬉しかったです」
「あ、そうですか……良かった…」

 何となくの和解に、部屋の空気が軽くなる。
「また、用事があればお電話します」
「はい…また、」
 わだかまりは解けて、しかしだからと二人の距離は変わらない。互いの身辺状況がどんなものかも分からないし、キュンとして即恋愛に運ぶなんてドラマでもあるまいし。
「(距離無しと言うほどでもなかった、良い人そう)」
「(怒ってなかった…コンプレックスなのか、今後は気を付けよう)」
「…では、失礼します」
「はい、」

 菫は箱を抱えて、部屋を出る。
 真澄は扉を手で支えて、
「お気を付けて」
と過去イチ近付いた。
「(背、高め)」
「(割と小柄)」
「(指輪、してない)」
「(良い匂いする)」

 異性としての意識のはじまり、ここで片方が「連絡先を」などと言い出せば発展は早い。でも結婚してるか否か、恋人の有無などを追及できるのはまだ先だ。これが合コンならそれありきなのに、職務に真面目な二人はわきまえている。
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