4 / 30
10月
4・チカちゃん
しおりを挟む細くゴツゴツした手を左頬に当て、頭を傾けると肩についた髪が顎の横にサラッと流れる。宗近に疑問符を吐いた唇は閉じても艶っぽいし、例によって口角は上がっている。
家電量販店は男社会、宗近もこれまで同僚や先輩と会話はしてきたがこんな色のある詰問を受けるのは初めてだった。
悪い人ではないかも、宗近は自分の直感を信じて
「……チカ…です」
と答えるも
「…ちゃうよ、下の名前やって」
と返される。
「(むぅ)」
ポンと湧き出るピリつく感情を抑えつつ、宗近は繰り返す。
「…だから、知佳、です」
「下の…あ、ムネチカ・チカ?」
千早はやっとそれが名だと気づき、
「珍しいね、チカ被ってるやん」
と、目をまん丸にして正直な感想を述べてしまう。
なるほど教えてもらった"チカちゃん"は姓のあだ名ではなく、そのまま名呼びをしていたということだった。
「(デリカシー無い…)」
さて、ムネチカという苗字と韻を踏むこのフルネームを彼女はコンプレックスに感じ、普段は妙な間を開けて名乗るようにしている。
やはりイジられた、宗近もとい知佳は少しでも期待を掛けた自分を悔いた。
そしてもう何を思われてもいいと、無言でパソコンへ目線を逸らす。トドメにエンターキーをトトーンと繰り返し叩き、無用に画面を更新しては「話は終わりました、お引き取り下さい」の空気を漂わせる。
しかしその空気を読まず、千早は二の矢で追求する。
「本名?」
「…当たり前でしょう」
知佳は口をへの字に曲げて、不快感を隠さない。
そんな知佳の様子を気を留めることもなく、千早は最終三の矢を放つ。
「ふーん…嫁いでそうなったん?」
高石からはフリーだと聞いたが、改めて確認しておきたかったのだ。
「……」
今日日、恋人の有無を尋ねるだけでセクハラに抵るというのにこれは迂闊な発言であろう。知佳は千早に、会社のセクハラガイドラインを見せてやりたくなった。もっとも、千早は配送工事センターとの提携業者なので店舗のルールなど関係ないかもしれないのだが。
知佳はふぅーっと小さくため息を吐き、画面を見たまま、
「…独身です。親の離婚でこんな名前になっちゃっただけですよ」
と渋々回答した。
これ以上立ち入るなら本部通告も止む無し、上場企業の力を見せてやろうかとまで考えたが、千早は口を閉じそれ以上は聞かなかった。
静まる室内に壁の向こう、駐車場のスピーカーから流れるムラタBGMが漏れ聞こえてくる。ここの奥のドアは非常扉になっていて、出ればそこはお客様用駐車場へと繋がっているのだ。
数秒後、
「…ふふっ」
と軽く笑ったような息遣い、知佳が反射的に千早の方を向けば彼は頬に当てていた左手で口元を押さえ顔を背けていた。
今の会話に笑うポイントがあっただろうか、名前を馬鹿にされているのか。それとも歳は明かしてないのにアラサーを行き遅れと笑っているのか、知佳は存外ショックを受ける。
しかしすぐに千早は彼女へ向き直し、
「いや、すまん。……独身かどうか聞きたかってん、失礼やったね。へぇ、ほな、チカちゃんな、俺は千早ね。数字の『千』に『早い』で千早。おおきにね」
と言い終わるとはっきり満足げに微笑みを見せ、窓を閉めてホールの長机へ戻って行った。
ずけずけと失礼な事を言うようで、しかし悪意は無さそうで、それ故にタチが悪いとも思うのだが不思議と不快ではなく。彼の無邪気な笑顔がそうさせるのか知佳は困惑する。
悪かった第一印象が挽回されもう一度悪化して持ち直して…千早の立ち位置が変わっていく。昨日までは見知らぬ中だったのに、下の名前で呼ばれる間柄にジャンプアップしてしまった。
知佳は現状、積極的に恋人作りに精を出している訳ではない。恋愛遍歴もそこまでだし、コンパなどの男女の社交場に勇んで繰り出すことも無い。その経験値の少なさから、下の名で呼ばれることは割と親しい関係の誇示のように感じるタイプだった。なので千早との恋愛的な親密さを自覚するかと思いきや…そうでもなかった。
「(名前は、先輩にも呼ばれるから拒否する程でもないか)」
知佳は教育係の先輩からは呼び捨てにされており、慣れ自体はあったのだ。なので名呼びイコール即恋愛対象とはならずにいられた。
しかし、全く何も起きていない訳でも無かった。まず名前、ちゃん付けで男性から呼ばれるなんていつぶりだろう、じわじわニマニマと口の端が上がっていく。
そして千早が見せた笑顔妙齢男性の笑顔が男日照りの知佳には刺さったのだ。
千早が去って行ってからばくばくと体内でゴングが鳴り始めていた、そしてポツリと本音が漏れる。
「スマイル…可愛い…」
ちなみに独身か否かを聞かれたことは決定的なアプローチであろうに、この時の知佳は経験値の浅さと緊張ゆえに思考に取り入れもしなかった。また、知佳の持ち前の性格がその可能性を排除してしまっていた。千早が彼女の厄介で根深い性分を知るのはもう少し後のことである。
ともあれその後知佳は素早くセンターに伝票を届け、千早の視界から逃げる様に売り場へ伝票回収に向った。
0
あなたにおすすめの小説
シンデレラは王子様と離婚することになりました。
及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・
なりませんでした!!
【現代版 シンデレラストーリー】
貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。
はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。
しかしながら、その実態は?
離婚前提の結婚生活。
果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。
三年間片思いしていた同級生に振られたら、年上の綺麗なお姉さんにロックオンされた話
羽瀬川ルフレ
恋愛
高校三年間、ずっと一人の女の子に片思いをしていた主人公・汐見颯太は、高校卒業を目前にして片思いの相手である同級生の神戸花音に二回目の告白をする。しかし、花音の答えは二年前と同じく「ごめんなさい」。
今回の告白もうまくいかなかったら今度こそ花音のことを諦めるつもりだった颯太は、今度こそ彼女に対する未練を完全に断ち切ることにする。
そして数か月後、大学生になった颯太は人生初のアルバイトもはじめ、充実した毎日を過ごしていた。そんな彼はアルバイト先で出会った常連客の大鳥居彩華と少しずつ仲良くなり、いつの間にか九歳も年上の彩華を恋愛対象として意識し始めていた。
自分なんかを相手にしてくれるはずがないと思いながらもダメ元で彩華をデートに誘ってみた颯太は、意外にもあっさりとOKの返事をもらって嬉しさに舞い上がる。
楽しかった彩華との初デートが終わり、いよいよ彩華への正式な告白のタイミングを検討しはじめた颯太のところに、予想外の人物からのメッセージが届いていた。メッセージの送り主は颯太と同じ大学に進学したものの、ほとんど顔を合わせることもなくなっていた花音だった。
イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。
楠ノ木雫
恋愛
蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……
貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈
玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳
大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。
でも、これはただのお見合いではないらしい。
初出はエブリスタ様にて。
また番外編を追加する予定です。
シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。
表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
残業帰りのカフェで──止まった恋と、動き出した身体と心
yukataka
恋愛
終電に追われる夜、いつものカフェで彼と目が合った。
止まっていた何かが、また動き始める予感がした。
これは、34歳の広告代理店勤務の女性・高梨亜季が、残業帰りに立ち寄ったカフェで常連客の佐久間悠斗と出会い、止まっていた恋心が再び動き出す物語です。
仕事に追われる日々の中で忘れかけていた「誰かを想う気持ち」。後輩からの好意に揺れながらも、悠斗との距離が少しずつ縮まっていく。雨の夜、二人は心と体で確かめ合い、やがて訪れる別れの選択。
仕事と恋愛の狭間で揺れながらも、自分の幸せを選び取る勇気を持つまでの、大人の純愛を描きます。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
