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1…不穏な口元
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しおりを挟む名刺を受け取って破顔う栄さんは能面の時と印象が変わってだいぶん幼く見えた。
ぽかんと眺めていると徐々に笑顔は消えて、けれど元より若干柔らかくなる。
やっと見えた素顔の目はさほど細くもなくて、切れ長には変わりないが黒々と濃いまつ毛がまるでアイライナーを引いたみたいに目を彩っていた。
「これ、名前なんて読むの?」
「み、『みわ』です…」
「へぇ………なに?」
「(やば、見惚れたっ)」
つい癖で挨拶してしまったがそこに深い意味なんて無い。
敵地でいよいよ肩身の狭さも限界、
「すみません、失礼しますっ」
頭をぶんと下げて出口へと通路へ飛び出ようとしたその時。
「おい、待て」
「ひぃっ」
栄さんは私のパーカーのフードをぐんと引っ張った。
後ろに倒れそうになった私は手足がちぐはぐな人形みたいにじたばたとよろける。
「ぷふっ」
また聞こえた吹き出す声…私の言動はこの人にとってツボを突いているのだろうか。
けれど恐る恐る振り返り窺えばその顔はもう笑っていなかった。
そして
「最初に言った冷蔵庫、本当は出来て278,000円のポイント無しだ」
と意地悪そうに片眉だけ捻り私のフードから手を離す。
「え、258,000円は嘘だったんですか⁉︎」
「…競合相手を騙して何が悪いんだい」
確かにその通りだ。
ガセネタを信じて価格対抗していたら儲けが出ないばかりか大赤字、最悪本社から「なんでこの価格で売ってんの?」と詰められるところだった。
店の、ひいては会社の不利益を望むのはライバル会社なら致し方ないことなのか…浮ついていた心身が地に着き背筋が凍る。
「あ、では278,000円で報告します…これは本当ですよね?」
「さぁね」
重ね重ね真意が読めなくて踊らされて揺さぶられて自分が保てなくなる。
しかしその価格ならば価格対抗できるし信憑性は高かった。
「えー……まぁ…栄さんを信じます…」
「お人好しだな……美羽ちゃん」
「え…」
視界が暗くなったかと思えば栄さんは屈んでぐぐっと顔を近付いていて、あんぐり開口した間抜け面の私は突然呼ばれた自分の名前にも驚いて固まってしまう。
こんな至近距離で覗き込まれたら鼻息まで掛かってしまいそう。
目を泳がすのさえ忘れてカチコチのまま彼の整った目元を凝視した。
「(まつ毛…美麗…)」
「…そんなに見つめないでよ、美羽ちゃん」
「…見てきたのはそっちじゃないですかぁっ……っあ、あの、し、失礼しますっ」
ぶんと勢い良く頭を下げたらフードが遅れて頭に被さりまた「ぷふっ」と息漏れが聞こえた。
意に沿わぬお笑いキャラに落とされるのは勘弁とばかりにさっと身を翻し出口へと通路を走り出す。
「また来いよー」
「(おちょくられてる…)」
顔が熱いのは揶揄われた恥ずかしさと情けなさからだ。
決して素顔が好みだったからとか良い匂いがしたからとか大人の色気を感じたから、とかではない。
「(アウェー、恐い…)」
トタトタ地鳴りと巻き起こる風に棚の間からスタッフもお客さんも反応して振り向く。
私は一段飛ばしで階段を降りて自陣へと帰った。
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